七幕 左様なら
谷を抜け、外へ出たときには、空気がわずかに軽くなっていた。
入口の岩の前。
五郎丸が立ち上がり、無事を確かめるように味坂の足元へ寄った。
「……終わったぞ」
味坂が呟く。
味坂の引く荷車には、般若面の三人が積まれていた。
その顔に、ふと視線を落とす。
「こいつらとはな、盗賊になる前からの付き合いだ」
「……もう一度、やり直す」
荷車の縄を、ひとつ引き直した。
稲吉が鼻を鳴らす。
「甘ぇな」
だが、それ以上は言わない。
味坂は肩をすくめた。
「そうかもな」
「でもまぁ、今度はまともに生きさせる」
風が、ゆっくりと抜けていく。
その流れに乗るように、戌助が静かに口を開いた。
「人の縁は――織られた布のようなものだと、教えられました」
味坂は黙って聞いている。
「一度絡んだ糸は、簡単には切れない。
形を変えても、またどこかで重なります」
味坂は、少しだけ眉を上げた。
「……難しいこと言うな」
戌助は、ゆっくりと首を振る。
そして、まっすぐに味坂を見た。
「味坂さん」
「要さんから、言伝を預かっています」
味坂の息が、ほんの一瞬だけ止まった。
「――私は、とても幸せでした、と」
「……そうか」
煙管を指先で弄んだまま、ぽつりと漏らす。
それ以上は、聞かない。
五郎丸が、低くひとつ鳴いた。
味坂は、それに応えるように歩き出す。
「……行くぞ」
振り返らずに、手だけを軽く上げた。
「世話になった」
背中が、次第に遠ざかっていく。
稲吉は何も言わず、ただそれを見送った。
やがて視線を外し、歩き出そうとした、そのとき。
「――おい」
呼び止める声。
振り返ると、味坂がこちらを見ていた。
口元に、いつもの軽い笑み。
「もう離すなよ」
稲吉は、目を細めた。
「……うるせぇよ」
それだけ返して、背を向ける。
今度は振り返らなかった。
そのまま歩き出す。
戌助、ムツ、コウも、あとに続いた。
風が、背中を押すように吹いていた。
それから、幾日かが過ぎた。
味坂は、縁側にひとり腰を下ろしていた。
庭先には、満開の瑠璃の花。
これまで一度も花を付けなかったその大木が、今年は不思議なほど花を付けていた。
風が吹くたび、青が揺れる。
味坂は、煙管を指で転がしたまま、火はつけない。
ただ、その景色を見ている。
ふと、五郎丸が顔を上げた。
何もない空間をじっと見つめ、尾が揺れた。
味坂も、つられるように視線を上げる。
――そこに。
誰かが、立っている気がした。
風に揺れる髪。
春の日のような、やわらかな気配。
あの頃のまま、そこにいるようだった。
味坂は、わずかに口元を緩める。
「……遅ぇよ」
ぽつりと、こぼす。
返事はない。
ただ、花だけが静かに揺れていた。
「……ちゃんと、聞いたぞ」
その声は、風の中へ溶けていく。
味坂はもう一度だけ花を見上げ、やがて立ち上がった。
「――行くか」
背後では、三人が横になっていびきをかいている。
味坂は、ちらりとそちらを見ると、苦笑まじりに呟いた。
「字もろくに読めねぇ奴ばっかだったしな」
「……今度は、最初から教えてやる」
五郎丸が、短く鳴いた。
風が、またひとつ抜け、瑠璃の花がやわらかく揺れた。
まるで、見送るように。




