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九幕 幕切れ

途中の幕からお越しの方へ。

本作は一章から続く物語です。第一話はこちらから。

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 広場へ出た瞬間だった。


 戌助(いぬすけ)が、はっと顔を上げる。

遠い山の向こう――雪の闇の中に、無数の灯が揺れていた。


 人が掲げる松明だった。

だが、その数は異様だった。

線のように連なりながら、こちらへ近づいてきている。


 誰かが呟く。

「……なんだ、あれ……」

「野盗にしては、多すぎる……」


「まさか――岩倉軍!?」


 空気が、一気に張り詰める。

雪を踏む音が乱れ、武器を取る気配が広がる。


 その中で、平次郎だけが動かなかった。

村の入り口。

降り積もる雪の中に、ひとり立っている。


「父上……!」

 戌助が駆け寄る。


 平次郎は火の列から目を逸らさぬまま、低く言った。

「戌助。お前も備えろ」


 静かな声音。

だが、その奥には鋼のような緊張があった。

「あと半刻もすれば、ここへ届く」


「……っ」

 戌助の喉が鳴る。

「岩倉が、和睦を破ったのでしょうか……」


 平次郎の目が細まる。

「いや、それにしては数が少ない。……妙だ」


 そこへ、見張りの忍が雪を蹴って駆け込んできた。

「報告!」

 肩で息をしながら叫ぶ。

「岩倉兵、雪中行軍とは思えぬ速さで接近中! こちらの地形を、完全に把握しているとしか……!」


 忍たちの間に、不穏なざわめきが走った。


「誰かが、手引きした……ってこと?」


 コウの声だった。

その一言で、皆の視線が揺れる。


 平次郎は、尚之の前へ歩み出た。

雪を踏む音だけが響く。


「……お前は、単身で来たものと思っていたが。

そこまで愚かではなかったか」


 ざわり、と広場が揺れた。

忍たちの視線が、一斉に尚之を射抜く。


 戌助の顔が、青ざめる。

「……尚」


 静寂の中で、尚之はゆっくりと顔を上げた。

迷いは、もうなかった。


「……確かに、私は岩倉の人間です」


「あなたを討ち、小郡忍衆を壊滅させるため、ここへ来ました」


 戌助の目が揺れる。

それでも尚之は、逸らさなかった。


「ですが、私は間違っていました」


 声は大きくない。

それでも、その言葉は広場の隅まで届いた。


「……復讐では、何も終わらない」


 雪が、肩へ積もる。

尚之は唇を噛む。


「止めようとしました。文も出した。

……でも、間に合わなかった」


 戌助の指先が、震える。

何も言えなかった。


 平次郎の目は冷えたままだった。

「そのような話を、信じろと?」


 尚之は即座に頷いた。

「信じてください」


 一歩、前へ出る。

「岩倉軍の配置も、進軍路も分かる。情報を渡します」


 その声に、熱が宿る。

「その間に、俺が前線へ向かいます。大将を止めます」


「馬鹿な」

 忍の一人が吐き捨てた。


「これすら罠かもしれねぇ!」

「本当に信じられるのか!」

 疑念が飛び交う。


 平次郎は険しい表情のまま言った。

「仮に真実だとして――お前ひとりの進言で、岩倉軍全体が止まるのか」


 その瞬間だった。


 ――ドォン!!


 轟音とともに、空気が爆ぜる。


 砲弾が、雪煙を巻き上げながら広場へ飛び込んできた。


 平次郎の前へ、尚之が飛び出す。

「下がれ!!」


 両手が、見えない糸を引き裂くように走る。


 指先が絡み合い、引き絞るように動いた、その瞬間――

地面から、空を覆うほどの巨大な氷壁がせり上がる。


 同時に、砲弾が直撃した。


 凄まじい衝撃。


 火花と氷片が夜空へ散り、白煙が吹き荒れる。


 だが。

氷壁は、砕けない。


 誰も声を出せず、ただ見上げていた。


 冷気が白く漂う中で、尚之だけが立っている。


 肩で息をしながら、鋭い目で言った。

「……俺が、大将の元へ辿り着ければ……必ず、止められます」


 平次郎は、尚之を見据えた。

「お前を遣わしたのは誰だ」


「……お前は、何者だ」


 尚之は答えなかった。


 雪だけが、静かに降り続いていた。


 その沈黙を破ったのは、戌助だった。


「……私は、尚を、信じます」


 震える声。

 けれど、その目はまっすぐだった。


 ざわめき。


 ムツが叫ぶ。

「俺も!」

 コウも頷く。

「……私も」


 少し遅れて。

「俺もだ」

 稲吉(いなよし)が言った。


 平次郎が目を向ける。

「お前は、こちら側だと思っていたが」


 稲吉は一度、目を伏せた。

雪の中で、視線がぶつかる。


「……お頭。

昔、七を――岩倉に渡したな」


「それは、本当に正しかったのか」


 平次郎は答えない。

ただ、まっすぐに稲吉を見る。


 強く風が鳴った。

そのときだった。


 ――ドォン!!


 再び、砲声が山を揺らした。


 遠くの山肌が揺れ、雪が崩れ落ちる音が響いた。

もう迷っている時間はなかった。


 平次郎は息を吐いた。

「……やむを得ん。今は、信じるしかない」


 戌助はすぐに振り返った。

「尚! 行こう!」


 その声の直後。

三度目の砲声が、山を揺らした。




「それから――」


 戌助は、ゆっくりと目を開けた。


 風鈴が、ちりん、と鳴る。

開け放たれた窓の外では、蝉が鳴いていた。


 伊織は、その言葉の続きを待っていた。


「結局、私たちは、大将の元にはたどり着けませんでした」


「尚は、岩倉の矢から私を守って亡くなりました」


 戦の中、ただ一瞬のことだった。


 今でも、はっきり覚えている。


 ――戌助……泣くな

 ――言ったこと……覚えてるね……


 少しだけ息をついて、


 ――わすれないで……


 それが、最後の言葉だった。


 伊織のまぶたが震えた。

言葉を受け止めきれず、唇を噛む。


 悔しさ。

悲しさ。

やるせなさ。

すべてが一度に押し寄せて、呼吸を奪った。


 それでも声は出ない。

ぎゅっと目を閉じたまま、ただ、耐えるように肩が揺れた。


「――で、どうすんだよ」

 静寂を、稲吉が軽く切った。


「八坂は、この戦は弔いだと言った。なら、まだ終わってねぇ」


 その言葉に、空気がわずかに動く。


 伊織は深く息を吸い―― 顔をあげた。

「止めます。今度こそは。なんとしても」


 戌助も、短く頷く。


 一瞬だけ、皆の脳裏に同じ夜がよぎる。


 姫を連れて、岩倉城を出たあの夜。


 あの日の崩壊だけは、繰り返さない。


 その一点で、視線が揃う。


 福童(ふくどう)が、口を開いた。

「八坂殿は……船を用意していました」


 稲吉が目を細める。


 福童は続ける。

「水軍を立て直すつもりです。次の戦のために」


 コウが、ぽつりと言った。

「ムツ。その――鳥の像はまだ使えるの?」


 姫の呪いを返した、カササギの御神体。


 ムツは首を振った。

「いや、一度きり」


 重い静けさの中、福童が静かに言葉を継いだ。

「……鬼若子の力は、今は八坂様に宿っていると見るのが自然です」


「そして、その力がある限り……戦は止まりません」


 蝉の声が、やけに響いた。


 端間(はたま)が、低く吐き捨てた。

「……じゃあ、どうやって止めんだよ」


 視線が集まる。


 福童は、一度目を伏せた。

「力の源を断つなら……宿主ごと鎮めるしかありません」


 誰もすぐには意味を飲み込めなかった。


 端間が、ようやく言葉を落とす。


「……八坂様を、殺すってことかよ」


 その一言だけが、部屋に残った。


 福童は、わずかに息を吐いた。

「……昔、一度だけ……

助けるつもりで、逆に人を死なせたことがあります」


 静かな声だった。


「だから私は……軽々しく誰かの人生へ踏み込むべきじゃないと、そう思っていました」


 稲吉は脚を組み替えながら言った。


「……それでも、お前は行ったんだろ」


 その言葉に、福童の目が揺れる。

返事はない。

だが、その沈黙だけで十分だった。


 戌助が、ひとつ息を吸う。


 そして、はっきりと言った。


「助けたい」


「八坂様は、死なせない」


 一瞬、その場が静まり返る。


 コウが、小さく肩を揺らした。

「……出た、戌助の頑固」


 呆れたような声だった。

けれど、その目はどこか優しい。


 端間が、小さく笑う。

「ほんと、変わらねぇな」


「戌助……」

 伊織は、戌助を見たまま、ふっと息を吐いた。

張りつめていたものがほどけるように、目元が緩む。


 ムツが大きく頷く。

「まだ手はあるはずです。やりましょう」


 その言葉で、空気が変わる。


 雲が切れた。

障子の向こうから、わずかな光が差し込む。


 戌助が、ゆっくりと立ち上がった。


「行こう」


 その声に呼ばれるように、一人、また一人と立つ。


 コウが立ち上がったその瞬間、稲吉が何か言いかける。

「お前はまだ――」


 だが最後まで続かない。

コウの視線が一瞬だけ鋭く跳ねて、稲吉の言葉を切った。


「……」

 稲吉は小さく鼻を鳴らし、腕を組む。

ムツがその様子を見て、くすりと笑った。


 誰も合図はしていない。

けれど、視線は自然と同じ方向を向いていた。


 まだ、終わっていない。

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