八幕 未来
途中の幕からお越しの方へ。
本作は一章から続く物語です。第一話はこちらから。
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夜も更け、宴の喧騒も少しずつ遠のいていた。
雪は静かに降り続けている。
若頭となった戌助に宛てがわれた部屋には、祝いの品や酒が並べられていたが、本人はその真ん中でぐったりと畳に突っ伏していた。
「ふう……なんとか、終わったぁ……」
白装束も半ば崩れ、肩からずり落ちている。
慣れない挨拶。次々声を掛けてくる里の者たち。
笑って、頭を下げて、また笑って。
その反動が、一気に押し寄せていた。
そのとき。
こん、こん。
戸を叩く音。
「戌助、起きてるか?」
「……尚!」
ぱっと顔を上げる。
戸が開き、尚之が姿を見せた。
手には盆を持っている。
「遅くにすまない。料理、少し持ってきたんだけど」
「ああ、助かったぁ……!」
戌助の顔が一気に明るくなる。
「挨拶ばっかりで全然食べれてなかった!」
盆が置かれるより早く、戌助は餅へ飛びついた。
「いただきます!」
口いっぱいに頬張る。
尚之は思わず吹き出した。
「ははっ、そんなに空腹だったのか」
「んー!」
もごもごと頷く。
その様子がおかしくて、尚之は肩を揺らして笑った。
しばらくして。
尚之は懐へ手を入れた。
「それから――これを」
差し出された小さな箱に、戌助はきょとんとする。
「……なに?」
「開けて」
中には、蒔絵の櫛が入っていた。
淡い光を受け、繊細な細工が静かに浮かび上がる。
戌助は目を丸くした。
「櫛……?」
「うん」
尚之は穏やかに頷いた。
「皆の“心の戦”が終われば――君も、君の生きたいように生きられる日が来る」
戌助の指先が、ぴたりと止まる。
「刀を置いたっていい。髪を伸ばしたっていい。
――その時は、この櫛で髪を梳かして」
部屋の灯りが、二人の間でゆらゆら揺れる。
戌助は櫛を見つめたまま、動かなかった。
「若頭として皆のために生きるのも、きっと大事なことだ」
尚之は、少しだけ笑った。
「でも、忘れないで」
「君は、もっと好きに笑っていい」
戌助の肩が、かすかに揺れる。
沈黙。
そのあと。
「……あ」
小さく、声が漏れた。
ぽたり、と。
涙が畳へ落ちる。
戌助自身が、一番驚いたように目を見開いた。
「……あれ」
次の瞬間には、ぽろぽろと零れ始める。
「え、なんで……」
慌てて拭う。
けれど止まらない。
「っ、はは……変……」
困ったように笑う声が、震えていた。
尚之は目を瞬く。
「あ、いや、ごめん。私、何か悪いこと――」
「ちが……っ」
戌助は首を振った。
しゃくりあげながら、懸命に言葉を探す。
「なんか……わかんないけど……」
「……ほっと、した……」
強くなれ。
役目を果たせ。
守れ。
期待に応えろ。
そういう言葉なら、たくさん聞いてきた。
けれど。
“自分のために生きていい”
そんな言葉を、向けられたことがなかった。
尚之は静かに目を伏せた。
「……そっか」
しばらく黙ったあと、ふっと力の抜けたように笑う。
「なら、よかった」
戌助は涙を拭いながら、櫛を胸へ抱き寄せる。
「ありがとう……これ、大事にする」
鼻をすすり、小さく笑う。
指先で、蒔絵をそっと撫でた。
まるで遠い未来を思い描くように、目を細めた。
「……尚が言ってた“心の戦”が終わるまで」
その言葉が落ちた、次の瞬間だった。
――カン。
遠くで、金属を打つ乾いた音が鳴る。
戌助が顔を上げた。
――カン、カン。
今度は、はっきりと。
夜気を裂くように、警鐘が響く。
尚之の表情が、凍りついた。
(――なぜだ)
間に合ったはずだった。
兵は止まる。
明朝までは動かない。
そう信じていた。
だが。
――カン、カン、カン!!
今度は連続して鳴り響く。
外が、にわかに騒がしくなる。
「敵襲!!」
誰かの叫び声。
駆ける足音。怒号。
里が、ざわめいていく。
戌助が立ち上がった。
「……何?」
震える声。
尚之は答えられなかった。
血の気が、引いていく。
(……父上)
喉の奥が冷える。
止められなかった。
それだけじゃない。
――早すぎる。
雪の降る夜に。
戦が始まった。




