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七幕 澱みの終わり

途中の幕からお越しの方へ。

本作は一章から続く物語です。第一話はこちらから。

https://ncode.syosetu.com/n7558mq/1

 障子が閉まる音と同時に、尚之は足早に部屋へ戻った。


 戸を閉め、灯りを引き寄せる。

そのまま文机の前へ膝をついた。


 片膝を立てたまま紙を広げる。

墨。筆。迷う暇はない。


 小郡(おごおり)襲撃は、若頭就任の翌朝。

夜明け前までに届けば、まだ間に合う。


(止める)


 その思いだけが、今の尚之を動かしていた。


 筆を取る。

墨が紙を滑った。


 ――兵を退けろ。


 短く、簡潔な命。


 本来なら、父へ直に訴えるべきなのだろう。

だが、尚之には分かっていた。


 父は、もう止まらない。

ならば必要なのは、説得ではない。

“八坂自身が撤退を命じた”と、兵たちに信じ込ませること。


 尚之は父の筆跡をなぞるように筆を走らせた。


 右へ流れる払い。癖のある跳ね。

幼い頃から見続けてきた字だ。

手は迷わない。


 一枚目を破り捨て、さらに書き直す。

やがて、灯りへ透かした紙を見て、尚之は小さく息を吐いた。


 ――これなら通る。


 つい先ほどまで、平次郎を討つことだけを考えていた。


 小郡を滅ぼし、復讐を果たす。

それだけを支えに生きてきたはずなのに。


 脳裏へ浮かぶのは、雪明かりの中の白い姿だった。


 ぎこちなく紅を引かれ、鏡の前で戸惑っていた顔。


 ――……きれいだ


 あの言葉を、今はもう打ち消そうとは思わなかった。


 それに――


『お前のために、若頭になることを決めたんだ。』


 稲吉の声が、まだ耳に残っている。


 尚之は眉を下げて笑った。

「……敵わないな」

 あんなふうに信じられてしまったら。


 もう、壊せない。


 書き終えた文を畳み、指で折り目を押さえる。

そして、懐から小さな笛を取り出し、夜気へ向けて静かに吹いた。


 音ともつかぬ微かな響き。

ほどなくして、障子の外へ鳥が降りる。


 尚之は迷いなく文を括りつけた。


「頼む」

 尚之は腕を上げた。


 鳥は雪の舞う夜空へ飛び立った。


 闇へ吸い込まれていくその姿を見届けながら、尚之はゆっくり息を吐く。


 これで終わる。

もう、誰も死ななくていい。

戌助も――泣かなくて済む。


 胸の奥に張りついていた黒い澱が、少しだけほどけていく。


 尚之は踵を返した。


 次は、戌助のところへ行かなければならない。


 あの子に話したかった。

戦が終わった先のことを。

いつか、本当に、自分の生きたいように生きられる日のことを。


 障子を開けると、冷たい雪の気配が流れ込む。

尚之は静かに廊下へ踏み出した。


 もう、振り返らなかった。

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