三幕 衝突
途中の幕からお越しの方へ。
本作は一章から続く物語です。第一話はこちらから。
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戦は、すでに乱れていた。
大砲の轟きを合図に、岩倉軍が一斉に小郡村へ雪崩れ込む。
谷へ架かる大橋。
その正面へ、黒い波のように兵が押し寄せていた。
橋の手前へ、平次郎が本隊を率いて進み出る。
背後では、村を守る巨大な門が軋みを上げながら閉じられていった。
重い音が谷へ響く。
退路はない。
ここが境目だった。
門上の見張り台では、コウと味坂が戦場を見下ろしている。
火縄銃を抱えた忍衆が、静かに列を組んでいた。
コウが片手を上げる。
「……まだ」
橋を埋めるように岩倉兵が駆けてくる。
槍を掲げ、怒号を上げ、ただ前だけを見て迫ってくる。
味坂が横目でコウを見た。
「お前、顔色良くねぇぞ」
「静かに」
敵兵が射程へ入る。
コウの目が細くなった。
「――今!!」
乾いた轟音が連なり、火縄銃が一斉に火を吹く。
白煙が見張り台を覆い、その向こうで何人もの兵が吹き飛んだ。
だが、岩倉軍は止まらない。
倒れた仲間を踏み越え、なお突っ込んでくる。
その時だった。
橋の上の兵列が、唐突に乱れた。
先頭の数人が倒れ、後続が思わず足を止める。
誰も、何が起きたのか分からない。
斬られた様子もなく、矢も見えない。
それなのに、兵だけが次々と地へ沈んでいく。
一拍遅れて、橋の下から短い風切り音が響いた。
橋の左右、下方の梁へ張り付いていた小郡忍衆が、一斉に姿を現す。
吹き矢だった。
放たれた毒針が、岩倉兵の命を静かに奪っていく。
「今度は下かよ……」
味坂が息を吐くように呟いた。
そこへ、平次郎が動く。
片目を閉ざした将は、静かに一歩前へ出た。
背丈は並み。手にあるのも、見慣れた忍び刀にすぎない。
だが、次の瞬間。
赤い髪が、ふっと揺れた。
振るわれた刃へ触れた岩倉兵が、まとめて弾き飛ばされる。
受けた槍ごと折られ、体勢ごと薙ぎ崩された。
一歩進むごとに敵の列が割れ、誰も止められない。
橋下の忍衆も這い上がり、左右から襲いかかる。
岩倉軍は橋の上で囲われ、逃げ場を失った。
群がる蟻に、羽をもがれる蝉のようだった。
「……くわばらくわばら」
味坂は腕を組み、煙管の煙を細く吐く。
その隣で、コウの身体がふらりと傾いた。
「おっと」
味坂が慌てて肩を支える。
「無理すんなよ」
「大丈夫よ」
「いや、全然大丈夫に見えねぇが」
コウはじろりと睨んだ。
「じゃあ味坂さん、代わる? 指揮できんの?」
「できん」
「なら黙って見てて」
「……へいへい」
味坂は深々とため息をつく。
「はぁ……稲吉のやつ、早く戻ってこねぇかな……」
ふと、味坂が目を細める。
「……おい。あれ、福童と端間じゃねぇか?」
戦場後方。
岩倉軍の列の中に、見覚えのある二人がいた。
小郡忍衆を避けるように戦いながら、兵を左右へ散らしていく。
倒すでもなく、守るでもなく、ただ道だけを開いていた。
その割れた先から、蹄の音が響く。
一騎。
続いて、もう一騎。
馬上にいたのは、八坂と伊織だった。
「……王将の到着ね」
コウの声が低くなる。
戦場の空気が変わった。
怒号が遠のき、誰もがその二人を見る。
平次郎がゆっくり前へ出た。
八坂もまた、馬を止める。
しばしの静寂。
先に口を開いたのは、平次郎だった。
「何故、戦を仕掛ける。退け」
八坂の眼差しは冷たい。
「化野戌助と忍衆の徒が姫を攫い、その御身を危地へ晒した。――その責、ここで取ってもらう」
平次郎の片目が、伊織へ向く。
伊織は馬上で微動だにせず、遠くを見ていた。
表情がない。
生きている者の顔ではなかった。
平次郎の眉が、わずかに寄る。
「……岩倉水軍の仇か。戌助のおかげで、攻め込む大義名分ができたというわけだな」
「――あの戦で、大切なものを失ったのは、お前たちだけではないぞ」
しかし、返す八坂の声は静かだった。
「貴殿は、まだ失っていない」
その言葉とともに、後方の兵列が割れた。
縄で後ろ手に縛られた戌助が、前へ突き出される。
そして、その背後へ立つ男が、一歩進み出た。
二本の小太刀を腰へ差し、無言で戌助を押さえる影。
月光が、その顔を照らした。
稲吉だった。
見張り台の上で、味坂が息を呑む。
「……おい」
コウも言葉を失う。
その時、別方向から駆けてくる影があった。
血まみれのまま、見張り台へ飛び込んできたムツだった。
「若っ!!」
コウが止める間もなく、ムツはそのまま欄干を越えた。
転がり落ちるように橋へ飛び降りる。
着地の衝撃に、膝が砕けそうになる。
それでも顔を上げた。
視線の先。
稲吉が縄を引き、戌助を橋の上へ膝つかせていた。
八坂が告げる。
「降れ。さもなくば――」
だが、平次郎はその先を聞かなかった。
無言のまま、片手をわずかに上げる。
忍衆が一斉に弓を構えた。
答えは、すでに示されていた。
戌助は、まっすぐ平次郎を見ていた。
覚悟とも、諦めともつかぬ静けさを宿しながら。
それでも、瞳の奥の光だけは消えていない。
端間が青ざめる。
「どうすんだよ……!! 春居!」
福童は唇を噛みしめ、動けない。
八坂は振り向きもせず、静かに命じた。
「壱左」
「――斬れ」
伊織は、曇ったままの顔でその様子を見ていた。
止めもせず、ただ人形のようにそこに居るだけだった。
稲吉の目は、深い水底のように沈んでいた。
何も映さぬまま、小太刀がゆっくりと抜かれる。
――光を吸い込むような刃だった。
そのまま構えが定まる。
その瞬間だった。
戌助は、振り返らずに言った。
「……稲吉。戻った時、自分を責めるな」
それだけだった。
祈りでも、願いでもない。
それは、“先に渡しておく言葉”だった。
ムツが首を横に振り、なりふり構わず駆けだす。
コウは口元へ手を当てたまま、動けない。
稲吉は表情を変えない。
刃だけが、静かに持ち上がる。
迷いはない。
ただ、終わらせるための一太刀。
その刹那。
風が、一瞬止まった。




