一幕 生きて会おう
途中の幕からお越しの方へ。
本作は一章から続く物語です。第一話はこちらから。
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小郡村へ向かう道は、思ったよりも静かだった。
だがその静けさは、どこか重かった。
何かが、すでに始まってしまった後のように。
「こりゃぁ……案内なしじゃ辿り着けねぇ場所だな……」
道とも呼べぬ道が絡み合う複雑な道のりに、味坂はふとつぶやく。
その言葉に、ムツは前を見たまま答えない。
ただ、足を止めることなく進んでいく。
「待て待て――」
味坂の脇を、五郎丸までがするりと抜けて先へ走った。
「若ぇ連中はこれだから嫌なんだ……」
コウを背負い直しながらぼやく。
肩で息をしているくせに、口だけは達者だった。
その一方で、味坂の頭には別の引っ掛かりが残っていた。
(……稲吉は、小郡を忘れてたはずだ)
(……なら、誰が道を――)
「村よ」
コウの声に、味坂が顔を上げる。
谷の先。
木々の隙間から覗いたそれは、最初、村には見えなかった。
「……あれが、小郡か」
聳え立つ木組みの門。
左右へ伸びた見張り台には、すでに人影が並んでいる。
走る者。荷を運ぶ者。怒鳴る声。
ざわついているようで、不思議なほど乱れがない。
人が暮らす場所というより、巨大な砦のように見える。
「もう、始まってますね」
ムツが低く言った。
門番がコウに気づくと、すぐに門が開かれた。
中はさらに慌ただしい。
そこへ、ひとりの老人が現れる。
「……お前、その傷は」
コウの祖父――師匠だった。
コウは深いため息をつく。
「最強最悪のバカにやられたの」
「なんじゃと?」
師匠はコウを支えたまま、静かにムツを見た。
「雪松殿。
父君、松風殿も来ておる。こちらへ」
ムツの表情がわずかに固まる。
ここは、自分の居場所ではない。
その事実だけが静かに浮かび上がった。
味坂が横で眉をひそめるが、すぐに察して小さく息を吐く。
「お前のまわりも歪んでんのか……」
里の奥へ進むにつれ、戦の気配はさらに濃くなっていった。
道には木で組まれた遮蔽壁。
矢弾を防ぐための即席の備えだった。
仕度をする女子供が走り、忍の男が大声で指示を飛ばす。
そこには、“戦うための秩序”があった。
化野家の前には、広場いっぱいに陣が敷かれていた。
低い床几の周りには、軍図、駒石、文箱。
戦を動かすための道具が、整然と並んでいる。
その中央に、平次郎がいた。
さらにその傍らには、松風。
袴姿で薙刀を携えた千鶴子の姿もある。
平次郎は松風へ一礼した。
「ご助力、感謝する」
松風は穏やかに笑う。
「春日の兵が出せぬとあらば、使える力は一つでも多いほうがよいでしょう」
平次郎は頷いた。
「うむ。これはあくまで内で収めねばならぬ戦だ。春日の兵が表立って動けば、国同士の争いとなる」
「……また、あの戦を繰り返すことになる」
平次郎は目を細めた。
松風は静かに前を見据える。
「この地形ならば、大軍は活きません。共に切り抜けましょう」
少しだけ視線を遠くへ向けた。
「しかし……以前も、こうして共に戦ったような気がしますな」
「そうであれば、これほど頼もしい話もない」
平次郎の口元が、わずかにやわらぐ。
淡々とした声だったが、否定でもなかった。
「あ! 雪松様!?」
千鶴子がムツに気づき、大声で名を呼びながらぱたぱたと駆け寄る。
ムツは目を見開いた。
「千鶴子!? 何してるんだよ!」
千鶴子は花が咲いたように顔を明るくし、そのまま飛びつかんばかりに駆け寄ってくる。
ムツは肩へ手を当てて制した。
「ここは危険だ。お前は関係ないだろ」
「関係あります! 私は六ツ門家の人間ですよ!」
「ただの許嫁だろ、それも小さいときの……」
千鶴子は一歩も引かない。
「祝言の日取りまで決まっているのですから、嫁同然です」
「……へ?」
ムツが固まり、空気が止まった。
「……おい、どした? 大丈夫か?」
味坂が横で顔をしかめる。
コウはその様子を眺め、呆れ半分、面白半分といった顔で肩をすくめた。
(あ~あ……残念)
その時だった。
「おーーーーい!」
遠くから、場違いなほど明るい声が飛んできた。
金物の鳴る騒々しい音が、がしゃがしゃと近づいてくる。
見ると、錫杖を振り回しながら、御井が駆けてきた。
コウが目を見開く。
「御井、なんでここにいるのよ」
御井は肩で息をしながら、二人の前で立ち止まった。
「いやさ、戌助の手紙読んでさ!」
背負っていた風呂敷を持ち上げる。
「礼に、めいっぱい団子持って来たんだけど……」
そこでようやく、周囲の空気に気づいたらしい。
御井の視線が落ち着きなく彷徨う。
「……なんか、まずかったかなって、今思いました」
声だけが、少し小さくなった。
コウは返事もせず、心底あきれた顔で見つめた。
味坂が気だるげに言い放った。
「お前、もう帰れねぇぞ」
「へ?」
御井の間の抜けた顔に、その場の空気がわずかに緩んだ。
だが、それも一瞬だった。
平次郎がコウを見やる。
「……戌助は、どうした」
広場の空気が静まる。
コウは味坂の肩を借りたまま答えた。
「人質です。まだ岩倉側に居ます」
一拍置き、唇を噛む。
「全部、八坂様の差し金でした」
その名に、松風の目が細められる。
「……岩倉水軍の、八坂殿ですか」
ムツが低く続けた。
「今は筆頭家老です。姫は……従わされています」
平次郎は黙したまま、遠くを見るように目を据えた。
かつて海で、何度も相対した男。
波の上で乱れぬ陣形。
退くときすら崩れぬ統制。
敵でありながら、見事としか言いようのない戦いぶりだった。
「八坂……何をそこまで抱え続けている」
(……今さら、水軍の仲間たちの仇を取ろうというのか)
低く漏れた声には、怒りよりも、やるせなさが滲んでいた。
だが次の瞬間には、平次郎の顔から感情は消える。
「戌助は、あれも若頭になった時から、とうに覚悟はできておろう」
周囲の者たちへ向き直る。
「よいか。たとえ戌助が死ぬことになっても、判断を誤るな」
声は大きくない。
それでも、誰の胸にも重く落ちた。
「ここが落ちれば、春日全体が危うい。
春日の――民の命が優先だ」
誰も口を開かなかった。
その決め方に、ムツは稲吉を思い出した。
情を切り捨て、守るべきを選ぶやり方。
もしあの男が頭になっていたなら、同じことを言っただろう。
だが、ムツは胸の内で首を振っていた。
(……それでも)
納得など、できるはずがなかった。
そのときだった。
カン、カン、カン――
見張り台の鐘が、鋭く村じゅうへ響き渡る。
全員の顔つきが変わった。
「配置につけ!」
怒号が飛び、広場が一気に動き出す。
ムツは振り返り、御井を見た。
「御井……千鶴子を頼むよ」
「え?」
千鶴子がすぐさま噛みつく。
「なぜですか! 嫌です! こんな山猿みたいな人と一緒なんて!」
「はぁ!?」
御井も負けじと声を上げた。
ムツはふと、自分が帰って来られないかもしれないと思った。
ならば。
御井なら、守れる。
その腕も、土壇場での勘も知っている。
ムツは千鶴子へ向き直る。
「わがまま言うな」
いつものような軽口ではなかった。
冗談で流す調子でもない。
優しく、そしてどこか寂しげな顔だった。
千鶴子は口を尖らせたまま、何も言えず黙り込む。
味坂がコウの横で鼻を鳴らした。
「おい、コウ。お前まで行くとか言いだすなよ。
お前が死んだら、稲吉に真っ先に殺されるの、多分俺だからな」
コウは薄く笑う。
「でしょうね。安心して。私は前線には行かないから」
味坂は露骨にほっとした顔をした。
二人はそのまま別の道へ向かう。
それぞれが、それぞれの場所へ散っていく。
そして村は、ついに戦の音を迎えようとしていた。
生きてまた笑えるかは分からない。
――それでも、足だけは迷わず戦場へ向いていた。
赤い陽が傾き、影だけがやけに長く伸びていた。




