二幕 踏み込む者
途中の幕からお越しの方へ。
本作は一章から続く物語です。第一話はこちらから。
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石門の向こうに広がっていたのは、先ほど見た静かな槐の里ではなかった。
青や朱に灯っていた石灯は砕け、白い壁の家々には亀裂が走っている。
打ち破られた扉の向こうでは土煙が立ち、崩れた竪穴の周囲を黒い影が走っていた。
先ほど門をくぐった兵たちだった。
無言のまま家々へ踏み込み、戸を蹴破り、中を荒らしている。
その間を、白狐たちが耳を伏せ、尾を縮め、何度も振り返りながら逃げ惑っていた。
甘い香木の香りへ混じり、かすかに焦げ臭さが鼻を刺した。
「……っ」
戌助は息を詰める。
福童が周囲を見回し、低く言った。
「守山家の紋……」
兵の肩当てへ刻まれた印を見て、眉をひそめる。
「ですが、岩倉にこのような部隊は存在しないはずです」
「どういうこと」
「正規の兵ではありません。……少なくとも、表には出ぬ者たちです」
戌助が答えるより先に、鋭い怒声が響いた。
「やめろ……!!」
二人の視線が走る。
里の奥。
崩れた家の前で、端間が刀を構えていた。
背後には、震える白狐の家族。
親狐が二匹の子を抱き寄せ、その前へ立っている。
切っ先が揺れ、肩口は裂け、頬にも血が走っていた。
それでも、一歩も退いていなかった。
端間を囲む三人の兵が、じりじりと距離を詰める。
「どけ」
「嫌だ!! 子ども相手に何やってんだよ、お前ら……!」
端間の声は震えていた。
しかしその震えは、恐怖ではなく怒りだった。
兵が踏み込む。
その瞬間、戌助が地を蹴った。
「小左ヱ門!」
抜き打ちの一閃。
兵の槍が弾かれ、火花が散る。
反対側から福童が滑り込み、もう一人の足を払った。
体勢を崩した兵が地へ倒れる。
「遅ぇよぉ……!」
端間が泣きそうな顔で怒鳴った。
「勝手に先走るからです」
福童が息をつく。
叱る声だったが、その奥には安堵が滲んでいた。
戌助は白狐の家族へ視線を向ける。
「奥へ逃げて!」
親狐は一瞬ためらい、すぐに子を抱えて駆け出した。
子狐たちは振り返りながら、端間を見ている。
そのうちの一匹が、はっとしたように耳を立てると、石門の方へ駆け出していった。
その時だった。
里の中心。
壊された広場のただ中に、ひとりだけ動かぬ者がいた。
黒装束。
頭巾と口当てで顔を隠し、見えているのは目だけだった。
その目が、静かに戌助へ向けられる。
冷たく、迷いのない視線。
男はわずかに顎を引いた。
合図だった。
散っていた兵たちが一斉に動く。
白狐を追っていた者も、家を壊していた者も、戌助の周囲へ集まってきた。
端間が息を呑む。
「……なんだよ」
福童の顔色が変わる。
「狙いは、槐の里ではないようですね」
戌助は構える。
「私か」
黒装束の男の声が、初めて響いた。
「殺すな。連れ帰れ」
低く、感情のない声だった。
返事もなく、兵たちが踏み込んだ。
一人目の槍を福童が払う。
その懐へ踏み込み、柄で喉を打つ。
二人目が横から斬りかかる。
戌助は身をひねって避ける――はずだった。
肩に、鈍い痛みが走る。
丹古で負った傷が、深いところで軋んだ。
わずかに遅れたその隙へ、刃先が頬をかすめる。
「っ……」
端間が飛び込み、刀で受け流した。
「あっぶねぇ……!」
火花が散る。
福童は一歩退きながら袖を払った。
巻き上がった土が兵たちの視界を塞ぐ。
「数で来る相手ほど、面倒ですね」
軽い口調とは裏腹に、額へ汗が滲んでいた。
兵たちは崩れない。
倒れた者を飛び越え、無駄なく次が入る。間合いも呼吸も揃っていた。
戌助の目が細くなる。
「……ただの兵じゃない」
その時だった。
黒装束の男が、騒ぎの中とは思えぬ静けさで片手を上げる。
「使え」
兵たちが一斉に動きを止めた。
それぞれが片手を前へ差し出し、指先で宙をなぞる。
見えない糸を引くような、不気味な所作だった。
次の瞬間。
ずしり、と。
空気そのものが落ちてきた。
「……っ!」
端間が膝をつく。
戌助の肩にも、岩を背負わされたような重みがのしかかる。
刀を持つ腕が鈍った。
さらに遅れて、深い眠気が押し寄せる。
視界の端が滲み、呼吸のたび意識が沈んでいく。
福童が歯を食いしばった。
「これは……術……!」
戌助の膝が揺れた。
兵たちは、その隙を逃さなかった。
重くなった身体では、もう追いつけない。
端間が数人に肩を押さえつけられ、地へねじ伏せられる。
「くそっ……離せ!」
福童もまた二人がかりで腕を取られ、それでも必死に抗っていた。
戌助は最後の力を振り絞り、刀を薙ぎ――
一人の肩を裂く。
だが次の瞬間。
背後から腕を絡め取られ、そのまま地へ引き倒された。
砂が跳ねる。
視界が大きく揺れた。
その時――
「戌助ぇぇ!」
聞き慣れた声が、里の入口から響いた。
白狐の子に導かれるように、
コウとムツが駆け込んでくる。
黒装束の男の目だけが、静かに細められた。




