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三幕 手がかり

 一方そのころ――

戌助(いぬすけ)たちは、山をいくつも越えていた。


 痕跡はあっても、決定打がない。

追えば追うほど、逆に遠ざかっているようだった。


「……ちっ」

 稲吉(いなよし)が舌打ちする。


(遅い)

 その一言だけが、頭の中で繰り返されている。

その気配を、戌助は見逃さなかった。


「だんご、食べる?」


「……は?」

 間の抜けた声が出る。


 差し出されたのは、小さな包みだった。

「いいよ、好きなの」

「……おまえな」

 稲吉の眉が寄る。

「こんな状況でよく呑気に――」


「あ、食べます」

 横から、ムツがすっと手を伸ばした。


「おい」


 ひとつ摘まみ、ぱくりと口へ放る。

「おいし」


「お前らぁ……!」

 思わず声を荒げる。

だが、その声はどこか力が抜けていた。


 ひと呼吸、ふっと息が落ちる。


「……はあ、行くぞ」


 ぶっきらぼうに言い、前を向く。

だが、その足取りはさきほどよりわずかに整っていた。


 戌助は何も言わない。

ただ静かに、その背を追う。




 やがて辿り着いたのは、痩せた土地の小さな村だった。


 人の気配はある。

だが、誰とも視線が合わない。

戸の隙間から、ただ様子をうかがっているだけだった。


「……閉じてますね、この村」

 ムツが小さく息をついた。


 数人に声をかけ、ようやく得たのは、元盗賊・味坂圭司(あじさか けいじ)。

そして、村外れの小屋。

――それだけだった。


 沈黙に押されるように示された先へ向かうと、小屋には確かな人の気配があった。


 盗賊の名に似合わぬ、ひっそりとした佇まい。

その脇には、花も葉も失った一本の大木が立っている。


 枯れた枝は空を掴むように伸びたまま、何かを待ち続けているようにも見えた。


「おいちゃーん!」

 子どもの声が、空気を裂いた。


 三人が目を向ける。


 戸が開き、現れた男は――


 濃紺の着流しに、崩した髷。

口元に煙管をくわえ、煙を細く吐いている。


 足元には、黒柴が一匹。


「竹とんぼ、回らなくなった!」

「……またか」

 男は気だるげに受け取ると、小刀で竹とんぼを二、三度整えた。


「ほれ」

 子どもへ放る。


 受け取った子どもは嬉しそうに駆けていく。

その背を見送りながら、煙がゆらりと流れた。


 やがて男は、視線だけをこちらへ向ける。


「……で?何の用だ」

 気の抜けた声だった。


 戌助が一歩前に出る。

「味坂殿とお見受けする」


「ああ、そうだけど?」

 あっさりと返す。


「話を聞きたい」


「んんー、面倒そうだな」

 味坂は煙を吐いた。


 細く流れたそれが、三人の間をゆらぎ、視線が順に移る。


 そして、稲吉で止まった。


「……焦ってる顔だ」


 ぴくり、と稲吉の眉が動く。

「女が攫われた。お前の昔の縄張りだろ」


「へえ。で?」

 興味なさげに相槌を打つ。


「アジトの場所を知ってるはずだ」


 煙管が軽く揺れた。

「タダで教えるほど、お人好しじゃない」


 一拍ののち、味坂は煙管を噛み、不意に尋ねた。

「……美人か?」


「――は?」

 ムツが素で声を漏らした。


 稲吉は、何も言わない。


 味坂は淡々と続ける。

「攫われた娘だよ。 美人なら、考えてやる」


 空気が、ぴしりと張った。


 稲吉が、低い声で返す。

「……お前」

「なんだ」

「それ、本気で言ってんのか」


「半分な」

 煙を吐く。

「で、どうなんだ」


 逃げ場はなかった。


 稲吉は一瞬だけ目を伏せ――

「……別に。普通だ」

 ぼそりと落とす。


 ムツは、あからさまに呆れた顔をした。

その隣で、戌助は静かに目を閉じる。


 味坂が肩をすくめる。

「へえ。 じゃあ興味ないな」


「――てめえ……!」


 踏み出しかけた足を止めようと、ムツが横から腕を掴む。

「ちょっと落ち着いて!」


 その様子を眺めながら、味坂がくつりと笑った。

「冗談だよ」


「……半分はな」


 その言葉が落ちた瞬間だった。


 稲吉の手が、無意識に刀へ伸びた。

鞘に触れ、指先に力がこもる。

「……っ」


 ムツが息を呑み、戌助がわずかに視線を落とした。


 味坂は、その様子を静かに見ていたが――


 すう、と目が細くなる。


「やめとけ。

……ここで抜くなら、話は終わりだ」


 煙が、ふっと途切れた。


「真っ直ぐすぎるのは、時に命取りだぞ」


 沈黙が落ちる。


 その足元で、「……グルル」と黒柴が低く唸った。

張り詰めたまま、誰も動かなかった。


 だが、戌助の声が静かに落ちる。

「……行こう。失礼した」


 稲吉の指が、刀から離れるまで一拍遅れた。

震えは怒りの残り火のように、指先にだけ残っている。


 舌打ちが、乾いた空気に落ちた。


 ムツがそれを受け、小さく頭を下げる。

「ご無礼をお許しください」


 三人は踵を返した。


 言葉はそこで途切れたまま、交渉は静かに終わった。




 外へ出た途端、張りつめていた空気が一度だけほどける。

それと同時に、稲吉の中で押し込められていたものも限界を迎えていた。


「……あいつ、ふざけやがって」


 ムツが横目で見て、肩をすくめる。

「まぁ、そうなるだろうね」


 戌助は首をかしげた。

「美人って言えばよかったのに」

「普通なんだからしょうがねぇだろ」


 ムツが追い打ちをかける。

「……え、本当にそう思ってる?」

「うっせぇ!」

 稲吉が顔を背ける。


 その時だった。


 足元で、かすかな気配が動く。


 草の奥から、黒い影がひとつ、するりと前へ出た。


「……あ、この子は」

 ムツが呟く。


 黒柴は一度だけ鼻を鳴らし、迷いなく歩き出した。

 そして少し先で立ち止まり、振り返る。


 まるで――ついて来い、と言うように。


 戌助たちは顔を見合わせ、小さく頷くと、その背を追った。

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