三幕 大団円
ひゅう、と。
場違いな音が、夜を裂いた。
次の瞬間、閃光。
頭上で大きな花火が弾け、夜が白く染まった。
兵たちの視線が、一斉に空へ向いた。
遅れて、轟音。
火花が雨のように降り注ぐ。
「……っ!?」
気づいたときには遅かった。
その隙を縫うように、小さな火花が地を走る。
弾け、跳ね、兵の足元で次々と爆ぜた。
「な、なんだこれは――!」
列が崩れ、統制が乱れる。
火花の中心には――黒い影がいた。
五郎丸だ。
口に咥えているのは、火のついた手持ち花火だった。
だが、そこから噴き出す火花は、どう見ても手持ちの量ではない。
火縄へ火の粉が散るたび、兵たちが悲鳴のように身を引いた。
「散れ! 散れぇ!」
怒号が飛び交う中、さらに一発。
上空で花火が弾け、光と轟音が一瞬で空気を押し潰した。
兵たちの視線が揺れる。
その奥で、五郎丸が跳び上がった。
尾を振りながら駆けた先、石垣の張り出しの崩れかけた縁に、ひとりの男が座っている。
味坂だった。
軽く煙管を傾け、下を見下ろす。
稲吉が、呆れたように顔を上げた。
「……おせぇよ」
吐き捨てるように。
だが、その声はどこか軽い。
味坂が笑う。
「まだ生きてるじゃねぇか」
「……ちっ」
そのやり取りの最中――別の気配が流れ込んできた。
煙の向こうから、火の粉をかき分けるように。
「……っ!」
先に飛び込んできたのは、ムツだった。
「味坂さん!! なんで!?」
続いて、端間。
さらに、福童。
そして――コウ。
「なにこれ、めちゃくちゃじゃない!」
視線は、完全に別方向だった。
五郎丸が、火を引きずるようにして再び兵の間を駆け抜ける。
その動きに、兵の隊列が割れた。
混乱が、波のように広がっていく。
その上、さらに高い位置。
煙の中に――影があった。
ただ腕を組み、戦場を見下ろしている。
スズシロだった。
静かに、口を開く。
「おぬしら、城主への狼藉は許されぬぞ」
その声だけが、不思議なほど澄んで届いた。
伊織の目が、大きく開かれる。
「スズシロ様……!!」
福童が、息を呑んだ。
「岩倉を追われたはずでは……!」
戌助の反応が、一瞬遅れた。
その間にも、兵は立て直しに入っていた。
「構え直せ! 撃て――!」
声が飛ぶ。
だが。
「遅い」
味坂が、石垣から飛び降りた。
土を蹴る音とともに、そのまま斬り込む。
「お前、俺たちの事皆に言ってなかったのか!?」
刃を振るいながら叫ぶ。
稲吉が即座に背を預けた。
「おっさんと狸が助けてくれるって!? 意味わかんねぇだろ!」
「相変わらず、失礼な奴だ!」
言いながら、敵を斬り伏せる。
呼吸が合っている。
言葉とは裏腹に、無駄がない。
次の瞬間、鈍い音で地面が震えた。
振り向く間もなく――轟音。
般若の面をつけた三人が現れる。
構えられた大筒から火が走り、石垣の端が爆ぜるように崩れた。
石と土が吹き上がる。
「うわっ――!」
悲鳴。
怒号。
火薬の匂いと土煙が入り混じり、兵たちはもう、隊列を保てていなかった。
その中で、スズシロはただ一人動かなかった。
そして――伊織へ視線を落とす。
「行きなさい」
静かに。それだけだった。
戌助の手が、伊織を引いた。
強く、迷いなく。その手は、離れない。
伊織もまた、応えるように握り返す。
二人は煙の中を駆け抜け、火の手を越える。
背後で、音が崩れていった。
やがて道が開けた。
――静寂。
月が、道を白く照らしている。
荒い呼吸とともに、戌助と伊織は振り返らず前へ進んだ。
すぐ向こうに、水路が見えた。
その先では、城下の灯りが揺れている。
風に鳴るのは、七夕の短冊だった。
色とりどりの願いが夜気に揺れている。
出口は、もう近い。
――あと少し。
そう思った、その時。
「……よかった」
静かな声が、背後から落ちた。
振り向くと、そこに八坂が立っていた。
数人の従者を従え、灯りを携えている。
何事もなかったかのように笑っている。
だが、その目だけは鋭く細められていた。
獲物を逃がさぬ、鷹のような視線。
「こちらにおりましたか」
場違いなほど穏やかな声が、かえって空気を重くする。
伊織の呼吸が、乱れた。
八坂が、一歩近づく。
「姫、お戻りください」
静かで、責める響きはない。
ただ、そうあるべきだと言い聞かせるように。
「心配しておりましたよ」
その言葉に、伊織の胸の奥が揺れた。
――あの頃と、同じ声。
幼い頃、お転婆をして困らせた日々。
穏やかに笑っていた横顔。
優しかった、あの人。
「……八坂様」
思わず、名を呼んでいた。
八坂は、わずかに目を細める。
「もう、十分でしょう」
視線がゆるやかに動き、戌助たちへ向いた。
「戻っていただければ――
この者たちに、お咎めはありません」
その瞬間。
(全員、死罪になる)
作戦会議での言葉が、胸の奥に蘇った。
指先が、震えだす。
――このまま進めば、みんなが死ぬ。
伊織の足が、前へ動きかけた。
その時。
「――戻ってはいけない」
低く、戌助の声が背を打った。
振り返らずとも分かる。迷いのない声だった。
伊織の肩が、小さく震える。
どちらが正しいのか、分からない。
――いや。分かっている。それでも。
「……私は……」
言葉が、掠れた。
八坂を見る。
そこには、昔を思わせる優しい顔があった。
――戻ってほしい。
あの頃に。壊れる前に。
「……ごめんなさい」
涙が、静かにこぼれる。
「……大丈夫です……きっと」
何に向けた言葉かも分からないまま、伊織はゆっくりと歩き出した。
一歩ずつ、八坂へ近づいていく。
背後で、気配が動く。
伸びた戌助の手が、指先に触れた。
ほんの一瞬、絡む。
――だが。
伊織の指が、そっと力を抜いた。
自らその手を離し、そのまま、前へ。
八坂の前に立った瞬間。
がし、と腕を掴まれた。
「っ……!」
強く、逃げ場を断つように引き寄せられる。
「……ようやく」
八坂は、歪んだ声で笑う。
その顔はもう、先ほどまでの穏やかなものではなかった。
「ようやくこの時が来た……」
七夕飾りが、風に激しく鳴った。
「願いを、聞き入れよ……」
八坂の声が、低く響く。
伊織の体から、じわりと光が溢れ出した。
昏い光。
「――っ……!」
伊織の瞳が、恐怖の色に支配されていく。
腕を振りほどこうとするが、離れない。
「やめ……っ」
光が、さらに強まった。
「伊織様!」
戌助が駆ける。
その刹那――視界が裂けた。
すべてが、白に呑まれる。
音が消える。
重さも、距離も、何もかもが崩れていった。
――やがて。
静寂。
気づいたとき、戌助は地に膝をついていた。
白い霧が、辺りを覆っていた。
「……伊織様」
声を出すが、返事はない。
「ムツ!」「コウ!」「――稲吉!」
霧の向こうからは、何も返ってこなかった。
世界が、断ち切られている。
「……っ」
立ち上がろうとするが、足元がおぼつかない。
その時。
「こっち」
すぐ背後で、声がした。
振り向くと、霧の向こうに影が立っていた。
はっきりとは見えない。
だが――どこか懐かしい声だった。
「……」
一歩、踏み出す。
身体は重かった。
それでも、導かれるように前へ進む。
だが――視界が揺れた。
力が抜け、膝が折れる。
そのまま前のめりに倒れた。
霧の中、意識が遠のいていく。
最後に、何かが背に触れた気がした。
やさしく。
確かに。
――そこで、すべてが途切れた。




