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一幕 計画

 端間(はたま)は、ほとんど転がるように廊下を駆けた。


「……春居(はるい)……!」

 襖を叩くように開けると、中にいた福童(ふくどう)が顔を上げた。


 一瞬だけ、福童の視線が揺れた。


 端間は息を整える暇もなく、口を開いた。

「地下で……戦の準備が……八坂(やさか)様が……」


 言葉が続かない。


 福童は、静かに目を伏せた。

一呼吸おいて顔を上げると、もう、いつもの表情だった。


「……分かりました。すぐに皆を」


 ほどなくして、城の奥の人目につかない一室に、面々が集められた。


 戌助(いぬすけ)、ムツ、伊織(いおり)。

そして――稲吉(いなよし)とコウも、すでにそこにいた。


 説明はまだない。だが、誰も軽口を叩かなかった。

空気が、それを許さない。


 端間が最後に滑り込み、襖が閉まる。


 卓上の灯明が、ゆらりと揺れた。


「地下で、戦の準備が進んでる」

 戌助が口を開いた。


「規模がでかい。今夜、動く」


 ムツが歯を食いしばる。

「……もう、止められません」


 伊織は、静かに立っていた。

その指先が、わずかに震えている。


「八坂様……」

 言いかけ、視線を落とす。


「八坂様は……私たちの秘密を、知ってしまったのね」


 その背に、そっと手が添えられた。


 福童だった。


「ご心配には及びません」

 だが、手にこもる力だけは隠せなかった。


 ムツが眉をひそめる。

「秘密とは?」

「いえ、深い意味はありません」

 福童がすぐに遮る。


 表情は崩れない。

だが――その一瞬の間を、見逃さなかった者がいる。


 壁際、腕を組んだままの男――稲吉だ。


「……話、進めていいか」


 誰も反対しない。


 返事を待たず、床に紙が広げられた。

岩倉の地図だ。


 戌助が問う。

「どこで手に入れた」

「説明はあとだ。時間がない」


 指先が、いくつかの地点を叩く。

「城内はもう動いてる。いつ始まってもおかしくない」


「黒幕は筆頭家老――城の裏も表も、全部あいつの手の内だ」


 灯明の火が、ちり、と小さく鳴る。


「……どうしますか」

 ムツが、戌助を見る。


 戌助は、わずかに息を吐いた。


「ここを出よう。伊織様を連れて」


 灯明の火が小さく揺れ、視線が自然と戌助へ集まった。


 その一言で、すべてが決まったのだと。

誰もが、理解していた。


 伊織が顔を上げる。


「……逃げるのですね」


 戌助が、ゆっくりと頷いた。


 伊織は、目を閉じる。


 一度だけ。


 そして――開く。


「……分かりました」


 震えは、消えていた。


「その前に一つ、片付ける」

 稲吉が口を開き、場の空気がわずかに変わった。


 視線が、ゆっくりと動く。


 福童へ。


「――こいつの前じゃ、これ以上は話せねぇ」


 灯りが、かすかに揺れた。

言葉の意味が、じわりと広がる。


「……え?」

 ムツが顔を上げる。


 端間が、固まった。

 伊織の目が揺れる。

「何を――」


 言いかけた言葉を、稲吉が切った。


「こいつは戦の準備に関わってた」


 揺れていた火が、ふっと細くなった。


「……嘘……だろ」

 端間の声が、掠れる。


 脳裏に、春日の船着き場がよぎった。


 積み上げられていた鉄。

福童と共に集めた、大量の資材。


 信じたくなかったものが、ひとつに繋がる。


 福童は動かない。

ただ、ゆっくりと目を伏せた。


「……否定は、しません」


 顔を上げ、まっすぐに伊織を見る。


「伊織様……実は、八坂殿に感づかれたとき

――“私がすべて行った”と申しました」


 伊織の目が、大きく見開かれる。


 そっと、口元に手が添えられた。

首が、ゆるく横に振られる。


 言葉が出ない。

ただ、福童を見ていた。


「……どういう意味ですか」

 ムツが一歩出る。


「利用されていた、ということです」


 それ以上は語らない。


 沈黙が落ちた。


「それで済む話かよ」

 稲吉が言葉を挿す。


「済むとは、思っておりません。

ですが――脱出は、必ず成功させます」


 福童は、一歩場の中央へ出る。


「私が殿(しんがり)を務めます。それで、証明させてください」


 端間が、息を呑む。


「……春居」

 声が揺れた。


 福童は、託すように言った。

「小左ヱ門(こざえもん)――伊織様のそばに」


「……っ、でも――」


「頼みます」

 

 誰も、すぐには口を開けなかった。


「……春居さん、任せます」


 戌助が言う。

短い言葉。だが、それは決定だった。


 ムツが顔を上げる。

「いいんですか」


 戌助は、福童を真っすぐ見ると、静かに頷いた。


 稲吉が、鼻で息を吐く。

「……相変わらずだな」

「何が?」


「信じたい方を取る。昔から変わってない」


 それ以上は言わない。

戌助も返さない。

ただ、地図へ視線を落とした。


「でも……このまま逃げて、どうなる」

 ムツが言う。


 稲吉が、地図を指先で叩いた。


「最悪、誘拐扱いだ。

全員罪人になる。死罪――かもな」


 伊織の表情が、わずかに硬くなる。

「八坂の思惑通り、ということですね」


「そうだ」


 一拍の沈黙。

そのとき。


「……誰か、おりたい人いる?」

 コウが、軽く言った。


 場の空気に似合わない声音。

だが――逃げ場を示した。


 一瞬の沈黙。


 ムツが、にっと笑う。

「いないでしょ」


 戌助が静かに言った。

「決まりだ」


 伊織が、ゆっくりと頭を下げる。

「……皆、ありがとう」


 小さく。

だが、はっきりと。


 コウが続ける。

「で、人数差はどうすんの」

「突破するしかない」

 ムツが応じた。


「バカ、お前じゃあるまいし」

 稲吉が、いつもの調子で間を切る。

「まともには抜けねぇよ」


 灯明の火が、ちり、と油を弾く。


「……動き出すまで待つ」


 視線が、全員をなぞった。


「今夜、騒ぎが起きる。その混乱に乗じる」


 ムツが顔をしかめる。

「無茶だろ」


 稲吉は、少しだけ口の端を上げた。

「当てがある」


 外で、梟が一声鳴いた。


 誰も、その先を聞かなかった。

聞かなくても分かる。


 ――もう、引き返せない。


 そのとき、ふと――

(……船)

 稲吉の脳裏に、戌助の言葉がよぎる。


 地下に組まれていた、大きな骨組み。

今夜の騒ぎだけで使うには、あまりに規模がでかい。


 点が、繋がりかける。


 だが――


(今はいい)

視線を切る。


 先にやるべきことがある。


 地図が、静かに畳まれた。


 夜は、すぐそこまで来ている。

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