第八話 星と月の仲直り
放課後、屋上へ向かった。
ルナちゃんと並んで歩いたけれど、階段を上る間、二人とも何も言わなかった。話すことがないわけじゃない。むしろ、話したいことがたくさんあって、どこから出せばいいか分からなかった。
ドアを押すと、夕方の空気が流れこんできた。
きゅるるはいつもの場所にいた。手すりの上に座って、わたしたちを見た。何も言わなかった。ただ、しっぽをひとふりだけした。
ステージに光は灯っていなかった。
二人でステージの前の床に座った。並んで、同じ方向を見た。古いステージが、夕暮れの中にひっそりとあった。
どちらが先に話すか、少し間があった。
先に口を開いたのは、わたしだった。
☆
「ルナちゃんに、謝りたいことがある」
声が思ったより落ち着いていた。緊張はしていたけれど、震えてはいなかった。
「この間、ルナちゃんはいいよって言った。何でもできるから、って」
「うん」
「あれは、違った。ルナちゃんのこと、ちゃんと見てなかった。外から見えるものだけで、決めつけてた」
ルナちゃんは黙って聞いていた。
「音楽室でも見た。ルナちゃんが、何度もやり直してるところ」
ルナちゃんの肩が、少しだけ動いた。
「見てたの」
「うん。こころちゃんと一緒に、少しだけ」
「……そっか」
「ごめん。こっそり見てたのは、よくなかったと思う。でも、あのとき、わたし、ルナちゃんのことをちゃんと分かってなかったんだなって気づいた」
ルナちゃんはまだ黙っていた。
わたしは続けた。
「わたしはずっと、ルナちゃんは最初からうまくて、自信があって、怖いものなんてないんだと思ってた。だから、自信持てばいいだけって言われたとき、この人には分からないって思った。でも、それも決めつけだった」
言い終えて、少し息を吸った。
「ごめんなさい」
ルナちゃんが、ゆっくりと顔を上げた。
「わたしも、謝らないといけない」
声が、いつもより小さかった。
「自信持てばいいだけって言ったのは、本当によくなかった。あれは、みらいへの言葉じゃなくて、自分への言葉だった」
「自分への?」
「いつも、自分に言い聞かせてるから。大丈夫、大丈夫、自信持てばいい。そう思わないとステージに立てないから。それが、そのまま出てきた」
ルナちゃんは自分の手のひらを見た。
「みらいには関係ない話なのに、ぶつけちゃった。ごめん」
わたしはルナちゃんの横顔を見た。
いつもの明るさとは違う顔だった。でも、これがルナちゃんの本当の顔のひとつなんだと思った。
「ルナちゃんも、怖いの?」
聞いてしまってから、踏み込みすぎたかと思った。
でも、ルナちゃんは逃げなかった。
「怖い」
短く、はっきりと言った。
「ステージに立つのが、怖い。変に聞こえるかもしれないけど、ダンスは好きだし、ステージも好き。でも、怖い」
「なんで?」
ルナちゃんは少し間を置いた。
「小学校のとき、発表会で振り付けを間違えた。ちゃんと練習してたのに、本番で、大事なところで、ぜんぶ飛んだ。頭が真っ白になって、体が動かなくて。それを、笑った子がいた。一人だけだったし、悪い子じゃなかったかもしれない。ただ笑っただけで、いじめとかじゃなかった。でも、あの笑い声が、今もたまに思い出される」
ルナちゃんは視線を遠くに向けた。
「だから、完ぺきにしなきゃって思う。練習すれば失敗しない、ちゃんとやれば笑われない。ずっとそう思って、やってきた」
「それが、エマ先輩の言ってた……」
「悪循環、ってやつ。分かってるんだよ、頭では。でも、やめられない」
わたしは、すぐには何も言えなかった。
ルナちゃんがここまで話してくれるとは、思っていなかった。でも、聞けてよかった、と思った。
「みらいはさ、人前に出るのが怖いって、前に言ってたよね」
「うん」
「どんな怖さ?」
今度はわたしが聞かれる番だった。
「見られるのが怖い。自分の好きなものを、誰かに見せることが怖い。変だって思われたら、笑われたら、もう何もできなくなる気がして」
「笑われなかったら?」
「……分からない。笑われなかったとしても、それを確かめる前に怖くなって、逃げてしまうから」
ルナちゃんはうなずいた。
「怖さの形は違うけど、怖いのは同じか」
「そうかもしれない」
二人で、少しの間、黙った。
きゅるるが手すりの上でしっぽをゆらりと動かした。それだけで、何かが少しほぐれた気がした。
「みらい、わたし、みらいの衣装の青、変えなくていいと思う。あの色でいい」
「え?」
「あの青が、みらいの色だから。わたしがもっと目立てばいいだけの話だった。みらいに合わせろって言うのは、違った」
「でも、バランスが」
「バランスは、振り付けで作ればいい。二人が同じ派手さじゃなくても、動きがつながれば、ちゃんと見える。そっちで考えればよかった」
わたしはルナちゃんを見た。
ルナちゃんは少し照れくさそうに前を向いていた。
「……ありがとう」
わたしが言うと、ルナちゃんは小さく首を振った。
「わたしこそ。みらいがちゃんと言ってくれて、よかった」
☆
それから、二人でステージの前に並んで立った。
きゅるるが「せっかくだから、続きを描くきゅる」と言って、わたしを見た。
わたしはスケッチブックを出した。途中で止まっていたページを開いた。星と月のリボンの、まだつながっていない端と端。
鉛筆を走らせた。
星側のリボンの端が、月に向かって伸びていく。月側のリボンの端が、星に向かって伸びてくる。
それから、ルナちゃんの衣装にも鉛筆を入れた。回りやすいようにスカートを少し短くして、腕を上げたとき、袖が半月に見える形にする。
ルナちゃんが踊っている姿を思い浮かべると、今度は迷わず線を引けた。
その二つが、ページの真ん中で、ゆっくりとつながった。
リボンが結ばれた。
星と月が、一本のリボンでつながった衣装。
左右で少し違うペア衣装。みらいは星、ルナは月。二人で並んで初めて、夜空になる。
ルナちゃんがそれを覗き込んで、声を上げた。
「かわいい……! これ、すごくいい」
「本当に?」
「本当に。このリボン、ステージで動いたら絶対きれいだよ」
きゅるるが、少し嬉しそうに、でも偉そうに言った。
「ペア衣装のきらめき、戻ってきてるきゅる。さっきより、ずっと強いきゅる」
「さっきって?」
「みらいたちがちゃんと話す前は、衣装の光が弱くなってたきゅる。本音から逃げてると、きらめきはうまく灯らないきゅる」
そういうことか、と思った。あの日、スケッチブックを開けなかったのは、きらめきが弱くなっていたから。描こうとしても、何も浮かんでこなかったのは、そういうことだったのかもしれない。
きゅるるが続けた。
「ペア衣装の形は見えてきたきゅる。でも、本当のペア衣装になるかどうかは、二人で着てみないと分からないきゅる」
「じゃあ、今から一回やってみよう」
ルナちゃんがステージの中央へ歩いていった。
「今から?」
「今だから、やってみたい」
さっきまで、あんなに言葉がうまくつながらなかったのに。
話したあとも、胸の中にはまだ、少しだけ気まずさが残っていた。仲直りしたからといって、急に何もかも元どおりになるわけじゃない。
でも、元どおりじゃなくてもいいのかもしれない。
前と違う二人になったのなら、前とは違うステージができるかもしれない。
わたしは、衣装の絵を見た。
二人の胸元をつなぐ金色のリボン。けれど、本当に布でつながっていたら踊りにくい。
「手が近づいたときだけ、光のリボンが出るようにできるかな」
わたしが聞くと、きゅるるがスケッチをのぞきこんだ。
「出せるきゅる。みらいが、本当にこれを着たいと思ってるなら」
「着たい」
今度は、迷わず言えた。
「ルナちゃんと、一緒に着たい」
ルナちゃんが一瞬、目を丸くした。
それから、うれしそうに笑った。
「わたしも」
きゅるるが小さな手を叩いた。
ステージの上に、やわらかな光が広がった。
最初に現れたのは、わたしの星の衣装だった。
夜明け前の空みたいな、少し明るい青。スカートのすそには、小さな星が散っている。派手ではない。でも、光を受けると、一つ一つの星が静かにきらめいた。
前と同じ色だった。
でも、胸元には新しい飾りが増えていた。細い金色のリボンが、胸の星から伸びている。途中で光になって、空気の中へ消えていた。
その隣に、ルナちゃんの衣装が現れた。
白と銀の月のドレス。
前に描いたものより、スカートは少し短くなっていた。ルナちゃんが大きく動いても邪魔にならないように、形を変えたのだ。銀色の飾りも、ただ目立つためではなく、月の光が水面に映っているような模様にした。
「かわいい」
ルナちゃんが、月のドレスを両手で受け取った。
「前のも好きだったけど、こっちの方が踊りやすそう」
「ルナちゃんの動きを思い出しながら描いたの」
「わたしの?」
「回るとき、スカートが足に当たらない方がいいかなって。それから、腕を上げたときに、袖が月の形に見えるようにした」
ルナちゃんは袖を持ち上げて、光に透かした。
「ほんとだ。半月みたい」
自分が描いたものを説明するのは、まだ少し恥ずかしい。
でも、前ほど怖くなかった。
ルナちゃんが本当に見てくれていると分かったからだと思う。




