第十話 屋上ステージを守りたい
その夜は、なかなか眠れなかった。
使用禁止。まどか先輩のあの言葉が、頭の中でくり返された。正式な申請と許可が下りるまで、立ち入りはご遠慮ください。
当たり前のことだ、と思う部分もあった。屋上は立ち入り禁止に近い場所で、わたしたちは勝手に使っていた。まどか先輩が注意するのは、正しい。ルールを守るのが仕事の人が、ルールを守るよう言っている。それだけのことだ。
でも、だからといって、はいそうですかと引き下がれる気持ちにはなれなかった。
あのステージには、きゅるるがいる。きゅるるが守ってきた場所がある。わたしが初めてドレスを着た場所がある。ルナちゃんと言い合いをして、仲直りをした場所がある。
なくなってほしくない。
天井を見ながら、そう思った。
スケッチブックを取り出した。星と月のリボンがつながったペア衣装の絵を見た。この衣装を、ちゃんとステージで着たい。完成したペア衣装を、光の下で纏いたい。
でも、ステージがなければ、それは叶わない。
どうすればいいんだろう。
考えながら、いつの間にか眠っていた。
☆
翌週の月曜日、ルナちゃんに声をかけられた。
「みらい、この間のこと、どうしよう」
「うん、考えてた」
「わたしも」
二人で廊下の端に寄って、小声で話した。
「まどか先輩、生徒会副会長でしょ。ちゃんと話しに行った方がいいんじゃないかな」
「話しに行く、って、何を話すの?」
「正式に使わせてほしいって。申請すればいいって言ってたんだから、申請すればいいんじゃない?」
「でも、何のために使いたいか、ちゃんと説明しないといけないよ」
「それはそうだけど……」
ルナちゃんは少し考えた。
「みらい、生徒会室行ける?」
胸がきゅっとなった。
「……正直、一人では無理」
「一緒に行くよ。二人で行こう」
それならなんとかなるかもしれない、と思いながら、まだ少し不安だった。
☆
こころちゃんに話したのは、昼休みだった。
廊下でルナちゃんと話しているところへ、こころちゃんが通りかかって、「なんの話?」と当然のように輪に入ってきた。止める間もなかった。
「屋上のステージ、使用禁止になったんだよ」
「え、屋上にステージがあるの? なにそれ、初耳なんだけど!」
こころちゃんが目を丸くした。
「あ、そこからだよね」
ルナちゃんが、これまでのことをかいつまんで説明した。
すると、こころちゃんの顔がみるみる変わった。
「きらめきステージ? わたしも入れて!」
「入れてって、ステージに立ちたいの?」
「立ちたいっていうか……応援したい! 企画とか、広めるの、あたし得意だから。配信とかするなら、コメント欄の盛り上げ方とか、告知の仕方とか、任せて」
こころちゃんはそういう子だ。自分が前に出るよりも、誰かを盛り上げる方が好きな子。その明るさと行動力が、今は頼もしかった。
「ほんとに手伝ってくれる?」
「当然! ていうかもう企画書の骨組み、頭の中にできてるんだけど」
「早すぎる」
まだ話し始めて一分もたっていない。こころちゃんの頭の中では、わたしたちより先に企画会議が始まっていたらしい。
「あとはタイトルと宣伝文句と、見どころを三つくらい決めればいけるよ!」
「もう骨組みを越えてない?」
「そう?」
こころちゃんはもう走り出していた。
☆
放課後、四人で生徒会室の前に集まった。
わたし、ルナちゃん、こころちゃん、ひなのちゃん。
こころちゃんはすでに手書きのメモを持っていた。昼休みの間に書いたらしい。「屋上きらめきステージ・企画概要」と書いてある。字が大きくて元気がいい。
ひなのちゃんは、小さなノートを持って来ていた。「説明のときに言葉に詰まったら、これを渡してください」と、わたしに言った。
開いてみると、ひなのちゃんのきれいな字で、屋上ステージを使いたい理由と、ステージが学校にとってどんな意味があるか、短くまとめられていた。
「こんなに丁寧に書いてくれたの!」
「うん。必要かなと思って」
ひなのちゃんは言った。大きな声じゃなかった。でも、そのノートはじゅうぶんすぎるくらい、ありがたかった。
ルナちゃんが「行こうか」と言った。
わたしはうなずいて、ドアをノックした。
☆
「入ってください」
まどか先輩の声だった。
生徒会室は整然としていた。まどか先輩は椅子に座って書き物をしていたけれど、わたしたちが入ると顔を上げた。
昨日と同じ、落ち着いた目だった。
「星岡さんたちですね。来ると思っていました」
棚には書類が並び、机の上には屋上ステージについての古い資料が積まれていた。黄色や水色の付箋が、ページの端から何枚も飛び出している。
まどか先輩はその山を見られたことに気づくと、さりげなくバインダーを上へ置いた。
「必要な確認をしただけです」
「先輩、すごく調べてくれたんですね」
「必要な確認です」
まどか先輩は表情を変えずに繰り返した。
でも、屋上ステージのことを、少なくとも気にかけてくれているのは分かった。
ちゃんと話せば、聞いてもらえるかもしれない。
「あの、屋上のステージのことで……」
声が途中で細くなった。言葉が出てこなかった。頭の中には言いたいことがあるのに、それを並べる順番が分からなくなって、最初の一言が出てこない。
そのとき、ルナちゃんが隣で一歩前に出た。
「わたしたちは、屋上の古いステージを正式に使わせてほしいと思って来ました。無断で使っていたのは、申し訳なかったと思っています。でも、あのステージでやりたいことがあって、それをちゃんと説明させてください」
はっきりした声だった。
まどか先輩は少し目を細めた。怒っているんじゃなくて、話を聞くために集中したように見えた。
「続けてください」
ルナちゃんがこころちゃんを見た。こころちゃんが前に出て、メモを差し出した。
「これ、企画の概要です。放課後に屋上ステージを使って、学校の子たちに向けたショートライブをやりたくて。きらめき☆あまみの延長みたいな感じで、もっと小さくて、もっと身近な感じのステージです」
「きらめき☆あまみなら、体育館や多目的ホールで実施していますが」
「そことは違う雰囲気を作りたいんです。屋上じゃないといけない理由があって……」
こころちゃんが少し詰まった。屋上じゃないといけない理由を、きゅるるのことを抜きに説明するのは難しかった。
そこで、ひなのちゃんがそっとノートをまどか先輩の机の前に置いた。
「よかったら、読んでいただけますか」
まどか先輩はノートを手に取った。
しばらく、静かな時間が流れた。
まどか先輩がページを読む音だけが聞こえた。
わたしは自分の手を見ていた。緊張で少し汗ばんでいた。
まどか先輩が顔を上げた。
「青井さんが書いたのですか」
「はい」
「丁寧にまとめられています」
それだけ言って、まどか先輩は机の引き出しから書類を出した。
「屋上の使用申請書です。これに記入して、生徒会長の承認を経て、校長先生から許可が下りれば、屋上ステージを正式に使用できます」
「本当ですか?」
「ただ、先生からは、安全確認が先だと言われています。屋上には古くなっているところもあるので、業者の人に点検してもらうそうです。それと」
まどか先輩は少し間を置いた。
「あの場所に住んでいる、説明のつかない小動物さんについても、先生に報告します」
「説明はつくきゅる。きらめきナビきゅる」
「一般的な生物分類としての説明です」
「急にむずかしい話になったきゅる」
まどか先輩は真顔だった。きゅるるのことを「説明のつかないもの」と言いながら、でもそれ以上は深掘りしなかった。
そういう人なんだ、と思った。説明できないことは説明できないと割り切って、でもだからといって全部を否定するわけでもない。
「分かりました。申請します」
ルナちゃんが言った。まどか先輩は書類をルナちゃんに渡した。
☆
翌日から、みんながそれぞれ動き始めた。
ルナちゃんは屋上の安全確認を手伝うために、校務員さんに話を聞きに行った。どこが傷んでいて、どこが大丈夫かを一つずつ確認して、メモにまとめた。
こころちゃんは企画書の正式版を作り始めた。手書きのメモを清書して、ステージのコンセプト、想定する観客、進め方の流れをきれいにまとめた。授業中も紙の端にアイデアを書いていたから、先生に注意されていた。でも消しはしなかった。
ひなのちゃんは申請書の文章を手伝った。まどか先輩がくれた書類を読んで、どこに何を書けばいいかをわたしとルナちゃんに教えてくれた。自分が書くんじゃなくて、書きやすくしてくれる、というのがひなのちゃんらしかった。
わたしは、衣装の続きを描いた。
ペアの衣装だけじゃなくて、ステージ全体のイメージを絵にした。どんな照明で、どんな配置で、どんな雰囲気にしたいか。言葉では説明しにくいことを、絵ならば伝えられる。それをまどか先輩への説明用にまとめた。
一人ではできないことを、みんなで分担している。
当たり前のことかもしれない。でも、わたしにとっては初めてのことだった。誰かと一緒に何かを作ろうとすること。自分だけのスケッチブックじゃなくて、みんなに見せるための絵を描くこと。
不思議と、怖くなかった。
こころちゃんが「みらいちゃんのイメージ図、めちゃくちゃ分かりやすいじゃん」と言ってくれたから、かもしれない。ひなのちゃんが「こういうステージになるんだね」とそっとつぶやいてくれたから、かもしれない。
☆
三日目の放課後、エマ先輩が来た。
生徒会室の廊下で、偶然のように現れた。でも、わたしには偶然じゃない気がした。
エマ先輩はまどか先輩の部屋のドアを見て、それからわたしたちを見た。
「申請しているの?」
「はい」
「そう」
それだけ言って、エマ先輩は少し考えるように黙った。
「私も入っていいかしら」
ルナちゃんが「え」と声を上げた。
「生徒会室に、という意味です。一緒に説明させてほしいの」
「エマ先輩も、ステージのこと、気にかけてくれてたんですか」
「あのステージは、ずっと前から残っていた場所よ。誰かが使ってくれる方がいい」
エマ先輩はそれ以上は言わなかった。
五人で生徒会室に入った。
まどか先輩はエマ先輩を見て、少し姿勢を正した。
「白鳥さん。どういった用件ですか」
「この子たちの件です。私から、補足説明をさせていただけますか」
「どうぞ」
エマ先輩はまどか先輩の前に立って、言った。
「この子たちは、ただ遊んでいるわけではありません。あのステージで、本気のものを作ろうとしています。私は見ていました。本気かどうか、私には分かります」
まどか先輩は静かにエマ先輩を見ていた。
「白鳥さんが言うなら、信頼性はあります」
「ありがとう。もう一つだけ。あのステージには、昔ここで夢を持っていた先輩たちの記録が残っています。使われないまま終わらせるより、誰かが引き継ぐ方が、学校にとっても意味があると思います」
まどか先輩はしばらく考えた。
それから、穏やかな声で言った。
「生徒会としては、条件付きで次のステージを実施する案を支持します」
「本当ですか?」
「ただし、実際に屋上を使えるかどうかは、先生方と校長先生の判断になります」
まどか先輩は机の上の資料を一枚めくった。
「まず、業者による安全確認が終わること。それから、当日の見守りをしてくださる先生が決まること。最後に、ステージの内容と参加者を学校へ提出すること。この三つが必要だと、先生から聞いています」
「それがそろえば、ステージができるんですか?」
「校長先生から許可が下りれば、できます」
まどか先輩は少し間を置いた。
「そのステージで、観客にきちんと届くものを見せられたら、今後も続けられる放課後イベントとして、生徒会から正式に提案します」
「届かなかったら?」
「その場合は、もう一度、続け方を考えます」
前のような、すぐに終わりにする言い方ではなかった。
でも、簡単な条件ではないことは分かった。
ルナちゃんが「ありがとうございます」と言った。こころちゃんが隣でこっそりガッツポーズをした。ひなのちゃんは小さく息をついて、でも少しだけ笑っていた。
わたしはエマ先輩を見た。エマ先輩は正面を向いたまま、少しだけ口元がやわらいでいた。
☆
申請書を出したあと、わたしは一人で屋上へ向かった。
まどか先輩が先生に確認してくれて、今日だけ、短い時間なら上がっていいことになった。
夕方の空は、少しずつオレンジ色に変わり始めていた。
きゅるるはいつもの場所にいた。
「頑張ったきゅる」
「みんなが頑張ってくれた」
「みらいも、ちゃんと動いたきゅる。一人で全部やろうとしなかったきゅる。それが一番えらいきゅる」
きゅるるは偉そうに言ったけれど、その声はやわらかかった。
ステージを見た。
光は灯っていなかった。でも、ステージはそこにあった。古くて、さびていて、でも確かにあった。
「きゅるる」
「なにきゅる」
「このステージ、残せると思う?」
きゅるるはしばらく黙った。
それからゆっくりと、しっぽを一度だけ揺らして言った。
「みらいたちにかかってるきゅる」
「わたしたちに?」
「このステージは、ただ古いだけの場所じゃないきゅる。昔から、たくさんの“好き”が残っている場所きゅる」
きゅるるの声は、いつもより少しだけ小さかった。
「でも、その光が弱くなってるきゅる」
「弱くなってる……?」
「このままだと、いつか消えるきゅる」
消える。
その言葉が、夕暮れの屋上に静かに落ちた。
☆
家に帰ってから、わたしは自分の部屋の窓を開けた。
空には、星が出ていた。
少し離れたところに、月も浮かんでいた。
二つが並んで、同じ空にあった。




