第十一話 きらめきが消える日
数日後、屋上ステージの使用許可が下りた。
業者による安全確認が終わり、校長先生から、次のステージに限って使ってよいという許可が出たのだ。
正式な放課後イベントになったわけではない。まずは一度、わたしたちのステージを見てもらう。その結果を受けて、今後も続けられるかが決まる。
その日の放課後、わたしは久しぶりに屋上へ上がった。
きゅるるが珍しく先に話しかけてきた。いつもの手すりじゃなくて、ステージの上に座っていた。床に直接、小さな体を置いて、膝を抱えるみたいな格好をしていた。
それだけで、いつもと違う、と分かった。
ルナちゃんとわたしは顔を見合わせて、ステージに上がった。きゅるるの前に座った。
「きゅるる、どうしたの」
「話すきゅる」
きゅるるはまっすぐわたしたちを見た。偉そうな感じがなかった。
「大事な話きゅる。ちゃんと聞いてほしいきゅる」
「うん」
「聞く」
きゅるるは少し間を置いた。ステージの床をちらりと見て、それからまた顔を上げた。
「このステージが、なんで今もここにあるか、話したことなかったきゅる」
「昔の先輩たちが使ってた、って聞いたけど」
「それだけじゃないきゅる」
きゅるるのしっぽが、ゆっくりと一度だけ揺れた。
「ずっと昔、ここで夢を持ってた女の子たちがいたきゅる。歌が好きな子、ダンスが好きな子、衣装を作るのが好きな子。みんな、このステージで輝きたいと思ってたきゅる」
「それが、昔の先輩たちってこと?」
「そうきゅる。その子たちは、最初は本当に楽しそうだったきゅる。好きだからステージに立つ、好きだから続ける、そういう気持ちがあったきゅる」
きゅるるは少し目を細めた。
「でも、ある時から変わったきゅる。誰かに見てもらいたいが、誰かに評価されたいになった。楽しいからが、負けたくないからになった。本当の気持ちが、どこかへ行ってしまったきゅる」
「それで、どうなったの」
「ステージの光が、弱くなったきゅる。きらめきナビであるきゅるるにも、どうにもできなかったきゅる。最後に、その子たちはステージに来なくなったきゅる」
きゅるるの声が、少しだけ低くなった。
「でも、その子たちの”好き”という気持ちは、ここに残ったきゅる。ステージに染みこんで、今もここにあるきゅる。きゅるるが守ってきたのは、その気持ちきゅる」
わたしはステージの床を見た。
古い木の床。さびた金属のパイプ。くたびれた垂れ幕の布。
その全部に、昔の誰かの気持ちが残っている。
「だから、このステージはまだあるんだ」
「そうきゅる。好きという気持ちがある限り、ステージは消えないきゅる。でも」
きゅるるはわたしとルナちゃんを順番に見た。
「最近、また同じことが起きてるきゅる」
「最近って……」
「このステージに立つ子たちが、少しずつ変わってきてるきゅる。最初は本当の気持ちで立ってた子たちが、いつの間にか、人気になること、うまく見せること、そっちばかり考えるようになってるきゅる。エマも、その入り口にいるきゅる」
ルナちゃんが少し息を飲んだ。
「エマ先輩が?」
「エマは本物きゅる。本気で好きな子きゅる。でも、完ぺきにしようとするあまり、本当に届けたいものを後回しにしてるきゅる。きゅるるには分かるきゅる」
ルナちゃんは黙った。自分のことを言われているようでもあったと思う。
「きらめきステージが続くためには、本当の気持ちが届くステージが必要きゅる。上手かどうか、人気かどうかじゃなくて、誰かの心を動かす、本当のステージきゅる」
「それが、できなかったら?」
きゅるるはゆっくりと答えた。
「ステージは消えるきゅる。昔みたいに、誰も来なくなって、光が灯らなくなって、ただの古い屋上に戻るきゅる。きゅるるも、いなくなるきゅる」
いなくなる。
その言葉が、胸の奥に刺さった。
きゅるるがいなくなる。このステージがなくなる。
「きゅるる」
「なにきゅる」
「怖くないの?」
きゅるるは少し間を置いた。
「怖いきゅる」
その答えが、思ったより素直だったから、わたしは少し驚いた。
「でも、きゅるるがどうにかできることじゃないきゅる。みらいたちにかかってるきゅる。だから、ちゃんと話したきゅる」
きゅるるはそう言って、また少し偉そうな顔を取り戻した。でも、目が少し潤んでいるように見えた。
わたしは何も言えなかった。
ルナちゃんも黙っていた。
三人で、しばらく古いステージの床を見ていた。
☆
翌日、ひなのちゃんからお手紙をもらった。
放課後、帰り支度をしているときに、ひなのちゃんがそっと近づいてきた。
「みらいちゃん、これ」
折り畳んだ便箋を差し出された。水色の、小さな花の模様がついた便箋だった。
「手紙?」
「うん。うまく言葉にできなくて、書いた方がちゃんと伝わると思って」
ひなのちゃんはそれだけ言って、先に教室を出ていった。
わたしは便箋を開いた。
ひなのちゃんの字は、小さくて丁寧だった。
みらいちゃんへ
屋上のステージのこと、少しだけ聞きました。
みらいちゃんがステージに立とうとしているって。
わたしは大きな声で応援できないし、人混みも苦手だし、自分が何かをやりたいって気持ちも、よく分からなくて。
でも、みらいちゃんの絵を見るたびに、こういう世界があったらいいなって思うんです。きらきらしてるけど、おしつけがましくなくて、そっとある感じの世界。
みらいちゃんがステージに立ってくれたら、わたしも少し勇気が出る気がする。
うまく言えないけど、そういうことです。
青井ひなのより
読み終えて、しばらく動けなかった。
わたしも少し勇気が出る気がする。
ひなのちゃんは、応援している。ひなのちゃんなりのやり方で、ちゃんと届けてくれた。
これが、届けるということなんだ、と思った。
大きな声じゃなくても、派手な言葉じゃなくても、相手のことを思って書いた言葉は、ちゃんと届く。
わたしの衣装も、そうあれたらいい。
目立たなくていい。主張しすぎなくていい。でも、見た人の心のどこかに、そっと残る衣装であれたら。
そのために、ステージに立ちたい。
それが、わたしの「届けたいもの」だ。
エマ先輩に言われた言葉が思い出された。届けたいものが何か、ちゃんと見つけなさい。
今なら、答えられる気がした。
☆
わたしは便箋を丁寧に折り畳んで、鞄にしまった。
教室を出ると、廊下の向こうにルナちゃんの姿が見えた。友だちと話しながら、階段の方へ歩いている。
「ルナちゃん!」
思ったより大きな声が出た。
ルナちゃんが振り向いた。隣にいた子たちも一緒に振り向いて、少し恥ずかしくなった。でも、今は立ち止まりたくなかった。
ルナちゃんのところまで走った。
「今日、屋上に行ける?」
「行けるけど、どうしたの?」
「話したいことがある」
ルナちゃんはわたしの顔を見て、すぐにうなずいた。
「分かった。行こう」
二人で、屋上へ向かった。
きゅるるはいた。昨日より少し元気そうだった。わたしを見て「来たきゅる」とだけ言った。
ルナちゃんは息が少し上がっていた。ここまで走るように階段を上がってきたからだと思う。
「どうしたの、急に」
「ひなのちゃんから、手紙もらった」
ルナちゃんに手紙を見せた。ルナちゃんは黙って読んだ。読み終えて、顔を上げた。
「……ひなのちゃんらしい」
「うん」
「これ読んで、どう思った?」
「ステージに立とうって、思った。人気になるためじゃなくて、ひなのちゃんみたいな子に届けるために」
ルナちゃんはしばらく何も言わなかった。
それから、ゆっくりと息を吐いた。
「わたしもさ、昨日からずっと考えてたんだ。きゅるるの話を聞いてから」
「何を?」
「完ぺきなステージを見せたい、っていうのは、結局、失敗したくないから、笑われたくないから、なんだよね。自分のためのことで、誰かのためじゃなかった」
ルナちゃんは夕暮れの空を見た。
「でも、誰かのために立つなら、失敗してもいい気がする。完ぺきじゃなくても、届けようとしてれば、それでいい気がする」
「ルナちゃん」
「みらいと一緒なら、できると思う。ひとりじゃないから」
ルナちゃんはわたしを見た。
その目が、真剣だった。明るいだけじゃない、本当のルナちゃんの目だった。
「わたしも、立つ。ちゃんと、誰かに届けるために」
きゅるるがステージの上で立ち上がった。
そのとき、ステージに光が灯った。
昨日まで弱くなっていた光が、今日は違った。やわらかくて、あたたかくて、でも確かな光だった。
きゅるるが小さく声を上げた。
「衣装、見るきゅる」
空中に、糸が集まり始めた。
二人分の衣装が、同時に形を作っていった。
わたしの星のワンピースは、夜明け前の青が少しだけ明るくなっていた。星の飾りが前より多くなって、袖のレースに細かい刺繍が加わっていた。胸のリボンの端に、金色の糸が一本だけ通っていた。
ルナちゃんの月の衣装は、白と銀がそのままで、でもスカートのすそに柔らかいリボンが増えていた。腰に巻いたサッシュに、小さな星の飾りが散っていた。
そして、二人の衣装をつなぐリボンが、同時に現れた。
星から月へ。月から星へ。一本のリボンが、二人の衣装の袖のあたりから伸びて、ふわりと空中でつながった。
ルナちゃんが声を上げた。
「これ……すごい」
「みらいが描いた通りきゅる」
きゅるるの言い方が偉そうじゃなかった。本当に、嬉しそうだった。
「二人の気持ちがちゃんとつながったから、衣装も完成したきゅる。本番は、これを着て立つきゅる」
わたしはリボンに触れた。
やわらかくて、あたたかかった。
星と月が、一本のリボンでつながっている。みらいだけじゃ届かない。ルナちゃんだけでも完成しない。二人だから、ステージが完成する。
「ルナちゃん」
「うん」
「行こう」
「うん」
ルナちゃんが笑った。いつもの明るい笑顔とは、少し違った。もっと深いところから来る、本当の笑顔だった。
きゅるるがしっぽをふわりと大きく揺らして、言った。
「きゅるるも、見てるきゅる。ちゃんと、見てるきゅる」
その声が、いつもより少し低くて、でもあたたかかった。
☆
本番の朝、学校に着いたとき、こころちゃんがもう動いていた。
掲示板に手作りのポスターを貼って、クラスの子たちに声をかけて回っていた。
「今日の放課後、屋上でステージあるよ! みらいちゃんとルナが出るから! 絶対来てね!」
わたしの名前が、廊下に響いた。
少し前なら、それだけで逃げ出したかった。
でも今日は、顔が熱くなりながらも、足は前を向いていた。
ひなのちゃんが廊下でわたしを見つけて、ゆっくりと近づいてきた。
「みらいちゃん、今日だね」
「うん」
「……行くよ、ちゃんと」
ひなのちゃんは小さな声で、でも確かに言った。
わたしはうなずいた。
「ありがとう、ひなのちゃん」
教室へ向かいながら、ルナちゃんが隣に来た。
「緊張してる?」
「してる」
「わたしも。でも」
ルナちゃんは前を向いたまま言った。
「今日は、ちゃんと届けよう。うまくなくていい。ひとりじゃないから」
「うん」
放課後の屋上に、学校中の視線が集まる。
わたしとルナちゃんは、並んで歩いた。
「行こう、ルナちゃん」
「うん。ふたりで、届けよう」




