三十六話 げに恐ろしきは……
「ノゾミ、すまなかった」
ゾーイが凍結状態になり、愕然とするあたしにディール様が深々と頭を下げた。
なぜ?
今は、それだけしか頭に浮かんでこない。
「ゾーイはおそらく、カレンと口づけをしている。その時に、疫病の菌が侵入したものと思われる」
口づけ?
それならさっき、あたしもゾーイとしたばかりなのに?
あたしはなんでもなくて、ゾーイは病気になるものなの?
「そのですねぇ。ノゾミ様が思う口づけよりも、はげしい口づけの場合、となるわけなんですよ」
ばあやさんの姿がどんどん若返って、あれよあれよという間に男の子? の姿に変わった。
「実際はこんなものです。こころは少年。体も少年。でも、変わらずにばあやとお呼びください、ノゾミ様」
そんなことはどうでもいい。
研究は?
ゾーイは大丈夫なの?
だって、目が覚めたら結婚式を挙げようって、約束してくれたもの。
「あなたが、ノゾミさん、ね。はじめまして。わたくしはヒトミ。ギュルディーノの妻でございます」
「は、はじめまして。あの、いつもあたしのお菓子をご贔屓くださり、誠に感謝して、おり……?」
自分でも気づかないうちに涙があふれている。
「そう。この方がノゾミの想い人なのね?」
ヒトミ様は、やさしくあたしを抱きしめてくれていた。
どこからこんなに涙があふれてくるのか、わけもわからずしゃくりあげる。
「ごめんなさい。わたくしにもわからないことだらけなの。なぜ、わたくしだけの病が治って、目が覚めたのか。疫病は前魔王が滅びたことにより、変異したのかもしれない。そのくらいのことしかわからないの」
ヒトミ様のおやさしい、鈴の音のような声が、やたらに残酷に響いて聞こえる。
疫病の変異、ということは、これまでよりずっと強い感染力を持っているのか、あるいはカレンさんの体の中で強力なものに変わっていったのか。
専門外のことに、頭を抱えたくなるくらい難しくて戸惑う。
どうすればいいのだろう?
なにをどうしたら、一瞬前までのしあわせに戻れるのだろう?
「困りましたね。今回は本当になんのデータもないので、最初から研究し直しです」
素早くゾーイとカレンさんの採血結果を見たばあやさんは、早口でそう言った。
そんな。
じゃあ、あの鉱石とか、そこにいた金のスライムとかは関係ないの?
「げに恐ろしきは前魔王ということでしょうね。まったく、どこまで執念深いんだか」
ばあやさんがてきぱきと部屋中を動き回っているというのに、あたしはただ、凍結されたゾーイのカプセルの前から動くことすらできないでいる。
すんすん、と、鼻を鳴らす音が聞こえて、ようやく正気を取り戻した。
「ノゾミからあまいニオイがするわ。なにか持っているの?」
「えっと、マロングラッセですけど。よかったらどうぞ」
さっきまでゾーイといっしょに食べていた歪な形のマロングラッセを、今度はヒトミ様が食べ始めた。
「とにかく。わたくしが目を覚ましたからには、研究にも参加するから安心して、ノゾミ」
そう言われても、なんだかお菓子を作る気力さえなくなってきてしまっているのだった。
つづく




