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学都の探偵 ―王歴930年・砂の月25日―

 リュミエリア王国の学都レルディの、大通りから少し外れた静かな通りに、クレトの事務所はひっそりと佇む。


『謎、解きます――ミステリオ探偵事務所』


 事務所のドアにはそう書かれた小さな木製のプレートが掛けられている。クレトは私立探偵だった。もっともこのリュミエリア王国は治安が良く、物騒な事件などほぼほぼ起きない。住民同士のいざこざの類も滅多に起きない。だからクレトの探偵事務所もそれほど――否、まったく繁盛はしていなかった。

 それでもクレトがこの事務所を構えている理由はただ一つ。

 彼は探偵であることをアイデンティティとしているからだった。


「平和なのは、もちろん素敵なことなのだけどねぇ」

 事務所の二階、書物や書類が広げられているダークブラウンの木製デスクに肘をつき、クレトは独りごちる。デスクには金の文字で『探偵/クレト・ミステリオ』と刻印された、つやのある黒色をした卓上名札が置かれていた。

「何か面白い事件は起きないかなあ」

 モノクルの奥で、好奇心に満ちた瞳が輝く。


 その視線を窓の外に向け、通りを見下ろす。少し気温が下がり、空気が乾いてくる季節だった。通りを行く人々の多くは、もう薄手のコートを羽織っている。特に事件は起きそうにない、いつもの光景だった。

「平和が一番ではあるんだけど……」

 もう一度呟くとクレトは立ち上がり、外出の支度を始めた。


 クレトが目を付けている、気鋭の作家の二作目が本屋(リブレリー)に並ぶ頃だ。ついでに何冊か、好奇心を満たしそうな本を買いに行こう。そう思ったのだった。



 自宅を兼ねている事務所を出ると、少しだけ冷たい風がクレトのボブカットを揺らし、クレトは無意識にコートの襟を立てた。そろそろマフラーも出しておいた方が良いかもしれない。脳内にそれをメモして、留守であることを示すためにドアに掛けているプレートを裏返しておく。


 事務所から徒歩二十分ほどで辿り着く大通りのリブレリーは、学都だけあって品揃えが良い。文芸書はもちろん、雑誌、専門書、外国の書物……様々なものが揃っている。

 全体的に四角い四階建てのリブレリーに入ると、クレトは文芸書の一角を目指した。


『新星、ミエル・ブーケ、期待の二作目ついに発売! 刮目せよ!』

 書店員による手書きのカードが添えられ、目当ての本は並んでいた。


 ミエル・ブーケ。一年半ほど前に文学界に突如現れた、謎に包まれた新人作家である。名前の響きは何となく女性を思わせるが、公式にはその性別すら発表されていない。年齢も謎だ。ロマンスとミステリが調和した、瑞々しく、それでいて緻密なストーリーを展開する作家だった。


「シリーズの二作目か、楽しみだね。あのデビュー作からどう繋がるのか……」

 クレトは迷わずに、積まれた本の一冊を手に取る。コバルトブルーを基調にした装丁だった。

 それからクレトはそのまま文芸書コーナーを見て回り、気になった本の中から推理小説を二冊選び抜く。合計三冊を片手に、二階の専門書コーナーに移動した。結局そこは冷やかすだけで終わり、三階は飛ばして四階の海外文学の一角を目指す。

 そこにもう一冊、クレトの目を引く書物があった。海の向こうの遠い東国の書物で、精霊界の歴史について考察する書物だった。

「……ふむ、これは面白そうだな」

 その書籍も手に取り、会計のために再び一階へと戻る。


「クレトさん、いつもありがとうございます」

 カウンターにいたのは、馴染みの書店員であるリカルダだった。

「やあ、リカちゃん。これをお願いするよ」

「はい、お預かりします。あ、ミエル・ブーケ」

「そう、二作目を待っていたからね」

「わたしも読みましたよ。ミエルさんってどんな方なんでしょうね? この名前と著作以外、謎に包まれているでしょう?」

 リカルダの言葉に、クレトは頷く。

「僕は女性だと思うね。男性が敢えて女性っぽい筆名を使う、というパターンもあるけど、ミエル・ブーケは女性なんじゃないかなぁ」

「ふふふっ、名探偵の推理が始まりましたね?」


 クレトの事務所にはほぼ依頼など来ないが、人々は彼とのちょっとした会話を通して、彼の観察眼について自然と理解するのだった。


「設定はとても本格的で重厚、けど文体の柔らかさと繊細さがあるよね。もちろん男性でそういう文章を書く作家もいるけど、ミエルの作品については心理描写がものすごく細かい――余韻も含めて、無理に造っている感じがないんだよね。とても自然。だから僕は、ミエル・ブーケは女性だと思ってるんだけど――しかも年齢もそこまで上ではないんじゃないかな」

「デビューが割と最近だからですか?」


 リカルダが問うと、クレトはやんわりと首を振った。


「遅咲きと呼ばれる作家もいるから、デビューの時期はそれほど参考にはならないよ、リカちゃんも知っての通り。どう言ったらいいのかな――ミエルの文章は洗練されていて既にある意味完成しているけど、スレてない。どこか澄んでるだろう?」

「それは確かに、そう思います」

「二十代前半か……もしかするとそれより下かもしれないよ? 普段は物静かな子なんじゃないかなぁ」

「……それって、クレトさんの願望ですか?」


 段々どこまでが推理なのか判らなくなってきたため、リカルダはやや目を細めた。


「あはは、どうだろうね」

 クレトはお茶目に笑う。

「……全部で330リールです」

「リカちゃんまた呆れてるでしょ。はい、500リールからお願いできるかな?」

「呆れてはないですけど。名探偵なのか迷(・)探偵なのか、たまに判らなくなるなぁって。ではこちら、お釣りの170リールです。ありがとうございます」

「ありがとう。何か難事件でも起きたら、僕が正真正銘の名探偵だって証明できるんだけどね」

「もう、物騒なこと言わないでくださいよ」

「はいはーい。じゃあね、また来るよ」

「毎度ありがとうございます」


 軽いやり取りを終えると、クレトは四冊の本をブックバンドで束ねて店を出た。

「さてさて、早く帰って読書をしよう」


 時折吹き抜ける乾いた風は、寒い季節が近づいて来ることを物語る。あと15日もすれば、更に風が吹き荒れる風の月の到来である。その後の凪の月から、最も寒さの厳しい雪の月と続くから、この先数か月、人々は家に籠もりがちになる。凪の月に向けて、人々はしっかりと冬支度を始めている頃でもあった。


 もう少し、冬の間に読む本を確保しておかないとなぁ、とクレトは思い、やがて事務所に帰り着く。裏返していたプレートを元に戻し、探偵事務所、と書いた部分に何となく目を遣って微笑んでから、彼は鍵を開けて屋内に入った。そのまま事務所としている二階に上がる。


「じゃあ、依頼人が来るまでは……っと」

 買ってきたばかりの本をデスクで荷解きし、まずはミエル・ブーケの新作を手に取る。

依頼人が来た試しなどほぼないが、幸いここにその事実を指摘する人物はいない。

「……ああ、コーヒーも用意しておこう」


 早速読み始めようとしたが、長丁場になることを予想して簡易キッチンに移動する。依頼人が来た場合に備えて、コーヒーやお茶の類も常備してあるのだ。もっともそれは、クレト自身が消費することになるのだが。


 馥郁(ふくいく)たるコーヒーの香に包まれ、クレトは楽しみにしていた小説を読み始めた。

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