しあわせな日曜日 ―王歴932年・花の月12日―
リュミエリア王国に最も多くの花が咲き乱れる月の半ばの日曜日。
王立図書館で司書の見習いをしている少女、フィーことフィロメーナ・ペコラは、ゆっくりと取った眠りの時間から目を覚ました。
「ふわぁ~……」
ベッドで起き上がりあくびをこぼすと、ふふっと微笑んだ。
「……よく眠った、素敵な夢を見てた気がする」
カーテンの向こうから優しい光を感じる。フィーは伸びをしてから、身支度を調えるためにベッドから降り立った。
この季節にぴったりの柔らかなローズ色のワンピースを着て、桃色のふわふわした髪はゆるくまとめる。お気に入りの髪飾りで仕上げると、フィーは鏡に向かってにっこりと笑った。
「今日も良い一日にしようっと」
おまじないのように言って、寝室を出る。ダイニングテーブルには弟のレーリオの姿があった。
「あ、おはよ、フィー。タルティーヌあるけど、食べる?」
「おはよう、レッロ、早いわね。レッロのタルティーヌ、大好き! もちろん食べる!」
「あははっ、待ってて」
レッロは素早くキッチンに向かって用意を始めた。パティシエの修行をしているレッロの作るタルティーヌは絶品だ。師であるエーミールの菓子店での修行に加え、レッロは自宅でもよくスイーツを作る。出来上がったスイーツはまず、フィーに振る舞われる。フィーにとってそれは至福のひとときの一つだ。
「はい、カフェオレもあるからな」
やがてレッロはタルティーヌが輝きを放つプレートと、ほわりと湯気の立つたっぷりサイズのカップを載せたトレーを手に戻ってきた。
「ありがとう、いただきます」
「はいよ」
フィーはきらきらした目でタルティーヌを手に取る。コンフィチュールとはちみつ、ノワゼットを戴くバゲットは、さながらちょっとした宝石だ。まったりしたはちみつの香りと、甘酸っぱい野いちごのコンフィチュール、それからノワゼットのほんのり甘く深い香り。バゲットの香ばしさもたまらない。まずその見た目や香りをたっぷり堪能してから、フィーは一口囓った。
「……しあわせ~」
ふにゃ、と気の抜けた笑みがこぼれる。味はもちろんのこと、様々な食感がフィーを楽しませた。
カフェオレを一口飲んで、またタルティーヌを一口。日曜日の朝食は何とも贅沢だ、とフィーは思う。
そんな姉の姿を、レッロも嬉しそうに眺めていた。
「……ああ、食べ終わっちゃった」
ゆっくりと味わっていたのに、やがてプレートもカップも空になる。
「ごちそうさまでした、レッロ。とってもおいしかった」
「お粗末さんでした。フィーは本当に美味そうに食べてくれるから嬉しいよ」
「それは、レッロの作ってくれるものが本当においしいからよ」
フィーは笑顔で言って、プレートとカップを洗って片付けた。
「さて、と、今日はラフさんのお店にお花を買いに行こうと思ってるの。早く行かないと閉まっちゃうわ」
ラフことラファエルの営む花屋の日曜日の営業時間は、お昼までだ。人気の店主おすすめ日替わりブーケは早々に売り切れる。今から出掛ければ、最後の三つくらいには間に合うかもしれなかった。もしも日替わりブーケが売り切れていたら、ミモザを買おう、とフィーは思っている。この時期ならミモザは充分にお店に用意されているはずだ。
「俺はリーズさんのブーランジュリーに行ってくるよ。じゃあフィー、気を付けてな」
「レッロもね。リーズさんによろしく」
「ラフさんにもな」
「はあい」
フィーは返事をして薄手の上着を羽織ると、パニエを持ってレッロよりも先に家を出た。
日曜日の王都サン・レクラは、ゆったりした時間の流れの中に人々の活気が混じっている。ラフの店に続くリュー・ド・マルシェに近づくに連れ、賑わう声が大きくなってくる。
「あらフィー、おはよう」
「おはようございます。わあ、立派なアーティチョークですね!」
「今日のあたしの一番の戦利品さ」
すれ違った顔なじみのおばさんのパニエから覗くアーティチョークにフィーが目を丸くすると、おばさんは誇らしそうに胸を張った。
「フィーも早くお行き、売り切れちゃうからね」
「はあい、ありがとうございます」
「何の何の。じゃあねフィー、良い日曜日を!」
「おばさんも!」
手を振って別れ、新鮮な野菜も手に入れなければ、と思いつつ、先に目指すのはラフのフルリストだ。部屋に花を飾って、幸せな気分で花の月を過ごしたい。
リュー・ド・マルシェを抜け、その先の小道に入るとラフの店がある。
花の月を代表する花々を軒先に輝かせ、店はフィーを待っていた。
「ラフさん、おはようございます」
入り口からフィーがひょこっと顔を覗かせると、亜麻色の髪を一つに束ねた背の高い男性が笑顔で出迎える。まだ生きている花々の香りが立ちこめている。フィーは本の匂いも好きだが、花の香りも好きだ。
「おや、フィーじゃないか。いらっしゃい」
「日替わりブーケはまだありますか?」
「まだ五つ残ってるよ。フィーのお眼鏡にかなうのがあるといいけど」
ラフが右手で示す先に、気軽に生けられる大きさのブーケがそれぞれの光を放っていた。
「うわあ、どれも素敵……! どれにしようかなぁ……」
フィーは瞳を輝かせて、真剣に選び始めた。
――こっちのジョンキーユが主役なのはとっても元気。部屋に飾ったらきっと、目に入る度にエネルギーをもらえそう。けれど、こっちの赤いテュリップを主役にしたのも捨てがたい。愛らしい色だから、もし落ち込んでいる日も元気をくれるような気がする。けど――
フィーは一つのブーケに視線を定めた。
「ラフさん、これは何ていうお花?」
可愛らしいピンクの小さめの花をいくつも付けた枝を主役にしたブーケを、フィーは指差す。
「ああ、それはペシェの花だよ、今日は運良く仕入れられたから。さすがフィーはお目が高いね」
「えへへ。じゃあ、これをください」
「ありがとう、9リールだよ」
「はい、9リール」
「ちょうどだね、ありがとう」
「ありがとうございます」
一目惚れしたブーケを受け取って、フィーはふわっと微笑んだ。
「いつもありがとう、また待ってるよ」
ラフの言葉に更ににっこり笑顔を返し、フィーは店を出た。
携えたブーケから、ふんわりとのどかな香りが微かに立ち昇る。フィーは一度目を閉じて、その香りを味わってみた。何とも晴れやかな気分になる。
「ふふっ、このブーケにしたの、正解」
思わず独りごちて、大切そうにブーケを持ち直して歩き始めた。
帰り道でマルシェに寄って、新鮮な野菜と、それから果物も買おう。フロマジュリーの屋台も覗いてみよう。そして、帰ったら部屋にブーケを飾って、のんびりと紅茶を飲もう。ゆったり歩きながら、フィーはこのあとの予定を組み立てる。
花の月、リュミエリア王国はたくさんの花々の彩りに包まれる。
その彩りに負けないような人々の活気に溢れるサン・レクラの街に、柔らかい日光が降り注いでいる。
その通りを、ローズ色のワンピースの裾をふわふわと揺らしながら、フィーは歩いて行くのだった。




