第8話 受け付けない奴
柚希がお見舞いに来た翌朝。
すっかり元気になった俺は学校に向かって歩いていた。症状から考えてもっと長引くと思っていたが、風邪薬が効いたのだろう。
しかし妙だった。
風邪が治っただけでなく、体の調子がすこぶる良かったのだ。最近は酷暑のせいで寝不足だったり、食欲不振だったり、肉体に蓄積された疲弊があったりしたのだが、そういったものが完全に無くなっている。
不思議な感覚だ。
全身に聖なる氣が満ちているような清々しい気持ちだった。いつも以上に体が軽い。今なら何でもできる気がする。
「……でも、この妙な感じには覚えがあるんだよな」
何故かは知らないが、この体の感じに覚えがあった。頭には残っていないのに、体が覚えているというか。
「気のせいか?」
考えながら歩いていたら、背後から足音が響く。
「おはよう!」
「お、おはよう」
柚希だった。走ってきたらしく息が上がっている。
「体調はどう?」
「すっかり良くなったよ」
「良かった」
「これも薬のおかげだな」
市販の薬とはいえ、効き目は確かだ。朝までぐっすり眠ってしまったが、恐らく薬の副作用のせいだろう。
「……」
何だその不満そうな顔は?
柚希は手柄を薬に奪われたみたいな顔をしていた。
あっ、違うわ。これはあれだ、自分が看病したことを褒めろという合図だ。
「えっと、薬だけじゃないぞ。お見舞いに来てくれた柚希のお陰でもある。お陰で完全に良くなったよ」
「わかればいいのよ」
柚希の顔から不満が消えた。
「もう一つ感謝があった。俺は知らなかったけど、果物とかスイーツを貰ったみたいだな。妹が嬉しそうに食べてたよ。ありがとな」
今度は笑顔になった。
「喜んでもらえて良かった。スイーツは学校を早退した後、駅前の店までダッシュして買ってきたんだよ」
「マジか。わざわざ申し訳ないな」
「気にしないで。それより、歩きながら話しましょ。学校に遅れちゃう」
そう言うと、当たり前のように柚希は隣を歩き出す。
……まあいいか。
始業式の日は一緒に帰るとかありえないと拒絶の言葉を放った。実際、あの時は嫌悪感が凄くてどうしてもガマンできなかった。
しかし、今は違う。
俺が嫌われていた謎は解けた。友達が多かった柚希なので、付き合いを大事にしたのだろう。そう考えると納得できる。
くだらない理由だし、理不尽とは思ったけど。
「最近は暑すぎてきついわね」
「酷暑日ってのが制定されるくらいだからな」
「夏休みの半分くらい酷暑日だっけ。お風呂に浸かるくらいの温度で生活するとか無理じゃない?」
「無理だな。動くだけで死にそうになる」
隣を歩いていても嫌悪感とかはなかった。
嫌な気分で過ごした数年を全部忘れるわけじゃないが、少なくとも柚希は友好的だ。俺としても残りの学生生活を嫌なまま過ごしたくない。
ただでさえ気がかりもあるしな。
しばし他愛のない話をした後。
「……ところで、昨日の話を詳しく聞かせてくれないか?」
「昨日の話?」
「ほら、俺が記憶を失ってるって話だ」
切り出すと、柚希は「あっ」と思い出したように。
「その話、クラスメイトには伏せておいて」
「何故だ?
「私がバラしたって知られたくないの」
「……ちょっと待て。どうしてクラスメイトが出て来るんだ」
「あれ、言ってなかったっけ。蒼空が記憶喪失であることはクラス全員が知ってるからだよ」
マジか?
言っていたかもしれないが、体調が悪かったので覚えていない。
記憶を戻したい派とか、意見が真っ二つとかって話は覚えているが――
誰の意見が割れたのかと思ったけど、あれはクラスメイトの話だったのか。ってことは、俺の失われた記憶はクラスメイトが関係している?
ダメだ、考えても全然わからない。
「詳しく教えてくれ」
「昨日も言ったでしょ。話せないの」
「っ、あれは風邪のせいかも」
「――――」
柚希が口を開いた瞬間、世界が変わった。
その感覚は昨日と同じだった。あの時と違って今の体調は万全だったが、全く同じ症状だった。
「大丈夫!?」
バランスを崩し、柚希に支えられてた。
「悪い、助かった」
「……これでわかったでしょ?」
「風邪のせいじゃなかったんだ」
「自分で思い出すしかないの。昨日も話したけど、クラスの半分くらいは蒼空に記憶が戻ってほしいと思ってる。だから、口には出せないけどあの手この手で積極的に思い出させようとするはず」
誰も直接は教えてくれないけど、クラスの半分くらいは俺の記憶を取り戻そう必死で何か仕掛けて来るわけか。
何というか、凄い話だな。
「俺はどうすればいいんだ。思い出せるなら思い出したいのだが」
「普通に楽しい生活を送って」
「だが――」
「残念だけど、こればっかりはどうしようもないの。どうすれば記憶が戻るのかは知ってるけど、それは教えられないから」
「……そうだよな」
しつこく聞いても俺が聞き取れないのだから意味がない。
記憶喪失か。
荒唐無稽な話ではあるが、状況的に嘘じゃなさそうだ。
クラスメイトの急激な変化の理由がここにあると考えれば納得できる。どういった記憶が欠如しているのかわからないけど、あの険悪なクラスが団結するくらいの出来事があったのだろう。
「話は変わるけど、昨日アップされた新曲聞いた?」
「……それって、あのグループか?」
「そっ。蒼空も好きでしょ!」
「大ファンだ」
俺が好きなアイドルグループが新曲をアップしたのだが、その話を柚希にした覚えはなかった。これはつまり、そういうことだろう。
自分のことが知られているという薄気味悪さはあるが、柚希の言葉を信じるなら誰もそれで俺を脅すとかはしないらしい。
『でも、一つだけ確かなことがある。私達は全員蒼空が大好きってこと。そこだけは絶対に疑わないで』
柚希が言った全員というのはクラスメイトだと思う。
ただ、数人どうしても信じられない奴がいる。
◇
学校に到着した。
教室に入ると、待ってましたとばかりにクラスメイト達が集まってきた。あっという間に輪が出来上がった。
「元気な顔を見れて嬉しいぞ、友よ」
「龍崎君だ。元気になったんだ!」
「心配してたんだよ」
霧島を筆頭に、全員から温かい言葉を掛けられた。特に霧島は俺の回復が心底嬉しいらしく、泣きそうになっていた。
大歓迎だな。
柚希の話を聞いて冷静になれたからだろう。クラスメイトの反応に嘘とか悪意がないとわかった。本当に全員が心配してくれている。
違いすぎるだろ。
一学期にも欠席したことはあったが、歓迎どころか「休んでたの?」くらいの感じだったのに。本当に、夏休みの短い間に何があったんだよ。
一緒に登校した柚希は仲町に捕まっていた。
あれもおかしな光景だ。
「ご苦労様でした」
「まっ、私なら楽勝よ」
俺はクラスメイトに挨拶しながら二人の会話に耳を澄ましてみた。
「随分と上手くやったみたいですわね。つい数日前は拒絶されていたのに、一緒に登校してくるとは。差が広がってしまいましたわ」
「私の看病が良かったみたいね。もう勝負ありかも」
「……何をしましたの?」
「内緒」
柚希は得意気だ。
「まあいいですわ。それで、症状はどうでしたの?」
「単なる夏風邪だった。もう全快してるわ」
「さすがは聖女ですわ。鍛えていない肉体に回復魔法を使うと逆効果になる。魔力の制御が難しいのに――」
それ以上の話は聞こえなかった。
向こうばかり気にしていると。
「おい、聞いてるか?」
「……何だっけ?」
「今日は俺と一緒に帰ろうって話だよ」
「霧島と?」
「ダメか?」
柚希の言う通りだ。記憶について考えてもわからない。
ここは確かにハズレクラスだった。
でも、友好関係を築こうとしてくれてる相手に壁を作っても仕方ない。霧島のことはあまり好きじゃなかったが、別に何かされたわけでもない。ここは誘いに乗り、俺も友達を作って状況を改善していくことにしよう。
「わかった。一緒に――」
「ずるいですわよ!」
別の声が入って来た。
「ずるいって、この間はヒロイン組に譲ったろ」
「わたくしは全然良いところがなかったのですわ。柚希さんは龍崎君と一緒に登校してきました。今日はわたくしと帰り――」
仲町がこっちを見たが、俺は首を振る。
「断る」
「っ、龍崎君?」
仲町は別だ。こいつは柚希とは違う。
こいつからされた仕打ちは忘れない。
柚希の言葉を信じないわけじゃない。クラスメイトは俺のことを心配してくれている。でも、どうしても受け付けない奴はいる。




