雨季の始まり
ダリが屋敷に来て1ヶ月が経った。
朝起きて着替えてコッソリ朝食を食べ、坊ちゃまの部屋に行く。朝の身支度を手伝い、部屋の掃除をする。部屋の掃除が終わった頃に、坊ちゃまの荷物を持ち学校に付いて行く。
昼には帰宅して昼食後は坊ちゃまに家庭教師が来て勉強の時間になる。その間ダリは坊ちゃまの衣類を片付けたり、メイド長に頼まれた用事を済ませる。
坊ちゃまは勉強が終わると剣の稽古になる。その間ダリの勉強時間になる。ダリの勉強は教師が持ってきた外国語の本を読み訳したり、桁数の大きい計算をしている。家庭教師にとっては気休めのような授業だが、外国語があることを知らなかったダリには新鮮な時間だった。
坊ちゃまの名前はキース。10歳で近くに見える学校の最終学年だった。
キースの教室の後ろの窓際に椅子が用意されダリはそこに座る。授業が終わると次の授業の為の教材を用意しキースに渡す。村の学校で最終学年まで通ったが、家のこともあり毎日は通えなかったし、教えてくれる教師が村の時とは違うので内容は知ってはいても授業の進め方が違うので楽しかった。ダリはニコニコと授業風景を見ていた。
キースは最初は居心地が悪そうにしていたが、最近は慣れて授業中に時々振り向いてダリの姿を確認しては安心した顔をしてまた前を向く。ダリが来る前は周りの子にちょっかいをかけたり、授業を抜け出そうとしていたらしい。キースの変化は教師も集中して教えることが出来るようになり、この教室の子供たちの成績は上がった。
キースの父親のダヒューズ様は医師で、近隣の町や村の中で唯一人のため毎日忙しい様子だった。知識が豊富で気さくな人柄だったので慕われていた。ただそのおかげで家族と、キースと過ごす時間がなかなか取れなかった。そのせいでキースの様子が落ち着かないのではないかと心配していたが、ダリが来てからキースの様子が明るく変化していった。
ダヒューズはダリとテイは毒草に対し耐性を持っていると確信している。それに二人とも誠実で賢い。出来れば毒草を使った調合を手伝ってほしいと思っていたが、テイには既に断られているし、ダリはキースから離せなかった。ならばダリがいつまでもここにいられるようにして、キースと離せる時期がきたら手伝ってもらえるよう出来るだけ希望を叶えておこうと考えており、家庭教師を付けるのはそんな思惑があった。
奥様はキースを医師にしたいと思っていたので家庭教師を付けたり、学校にはお目付け役のメイドを付けたりしていたが誰も長続きがしなかった。ダリが奥様の部屋のシーツを取り換えた時、ベッドの中から指輪が出てきたのは奥様の採用試験だった。誰も見ていないからとそのまま持ち帰るのなら不合格。気付かず放置したり、床に転がっていたら保留。ダリは合格をしたもののキースの専属なのでそう長くは続かないと思っていたが、1ヶ月続きキースの学校での態度も変化したことでこのまま続けられるようにしたいと考え始めていた。なので家庭教師をキースのついでに少しの時間つけることで長続きするならいい、とダヒューズの提案に了解した。
朝、ダリが目を覚ますと目の前にキースの顔があった。
「うおっ」
ちょいちょいキースにいたずらを仕掛けられてはいたが、全く動じなかったデリ。実際のところは気付いていなかっただけだが、流石に今回は驚いた。
「どうしたんですか」
ダリは半目で低い声で聞いた。実際ダリは不機嫌だ。1日猫を被って過ごし、小屋の中だけは素のままでいられる。メイド部屋を嫌がったのも家で一人でいたときのように過ごせるからだ。
「だいたい、坊ちゃまがこんなとこ来たらいけないでしょ」
ダリはメイド長に聞かれたら怒られそうな低いトーンで話している。そんなことも気にせずキースは胸を張り、自慢げな顔で右手を差し出した。
「コレをお前にやろうと思ってな」
キースの鼻の穴が膨らんでかなり自慢と期待が溢れ出している。手の上には緑色フログが1匹。
ダリはそれを見てキースに聞いた。
「食べるんですか?この大きさならそんなに食べるとこはないですよ」
ダリの言葉を聞いてキースは顔を赤くして怒った。
「食べるわけないだろ!ていうかお前はフログを食べるのかよ!」
ダリはキョトンとした顔をして答える。
「食べますよ。美味しいです。坊ちゃまも食べてみますか?」
キースは途端に顔色を失い涙目になった。
「こんなに可愛いのに」
キースの言葉を無視してダリは呟いた。
「もうそんな季節なんですねぇ」
キースは自然にいる小さな生き物が好きだ。ただこの屋敷の中にはそれを理解してくれるのは父と庭師だけだった。ただ父は仕事が忙しくなかなかキースと語り合う時間が取れずにいた。庭師はキースが気軽に話しかければ母やメイド長に庭師が叱られる。母やメイド達にせっかくの収集品を見せても悲鳴を上げて泣かれたり、怒られたりするばかり。でもダリは違った。泣くことも怒ることもしなかった。だからフログの可愛さをわかってもらえると思っていたのに、この新しいメイドは予測を裏切ることばかりで面白かった。
「でもこのフログは緑色なんですね。ウチにいるのは黄色や赤ばっかりなのに」
ダリの言った言葉にキースは驚いた。
「そんな色のフログ、いるのか?」
「いますよ」
「見たい。見せろ」
「いや、そんなこと言われてもウチに帰らないと...」
「連れてけ」
「そういうわけには...」
「母様か父様がいいと言えばいいんだな」
「まあ、そういうことですけど、とりあえず着替えるんで出てもらえますか」
キースはダリの小屋から追い出された。
キースは父の部屋に向かった。朝食前の時間だが父なら起きているはずだとドアをノックする。
「とうさま、おはようございます。お話があります」
すぐに父はドアを開けて部屋に入れてくれた。
「どうした?今朝は早いじゃないか?」
キースはフログを父に見せた。
「ん?フログじゃないか」
「とうさま、ダリの家のフログは赤とか黄色なんだそうです」
「そうなのか、フログはその土地や食べるものによって色が変わるからなぁ」
「とうさまは緑色以外のフログを知っているのですか?」
「ああ、上級学校で習ったぞ。黄色なら見たことが何回かある。でも赤は見たことないなぁ」
「とうさま、赤のフログを見たいです。ダリの家に行ってもいいですか?」
ダヒューズはダリの家にはあの草が生えることを思い出した。もしかしたら何か関係があるのかもしれない、だとするとこの活発な息子がダリの家に近づくのは危険ではないかと考えた。
「キース、ダリは週に1度の休みがあって自分の用事をしたり、家に帰ったりしてる。その休みにお前を家に連れて行くのは休まらないんじゃないか?」
父の言葉にキースは納得が出来なかった。
「ならダリがいいと言うなら行ってもいいのですか?」
「キース、ダリは使用人だ。お前が行きたいと言ったら立場的にダリは断れないんだ」
キースは父の言葉に驚いた。ダリはこの1ヶ月の間ほとんどの時間を一緒に過ごした。父や母よりも長い時間一緒にいる。立場が違うことはわかっていたが、キースの中では最も信用している人間だった。なのにキースがダリに何か我慢を強いていることがあると思ってはいなかった。キースは言葉を失った。
「今度ダリが家に帰るとき持ってきてもらうように頼んだらどうだろう。そろそろダリの弟が行商に来るからその時に頼んでもいいんじゃないか?」
「もういいです」
キースは力無く父にそう言うと、下唇を噛み父の部屋を出た。
◇◇◇
「へえぇ、異世界のカエルは面白い色をしてるんだな」
勇作は水路近くで黄色いフログを見つけて呟いた。
「サクのとこはフログのことカエルっていうの?」
「ああ、この小さいのはアマガエル。カエルにもいろんな種類や色のがいるけど、畑で見るのは大体この種類で緑色だな。」
来たばかりの頃の勇作は時折寂しそうにため息をついたり、どこかをぼうっと見ていたりしていたが近頃はそういったこともなく畑や林で何かをしている。
1ヶ月一緒に過ごし、テイは勇作と仲良く暮らしている。勇作が来て畑の土の改良を始めてから毒草は畑の隅に少しだけ生えるようになった。
初めて毒草を勇作が見た時、好奇心から勇作は素手で触り1週間ほど寝込んだ。テイに看病をされ勇作は自分自身が情けなくなった。
勇作が寝込んでいる時、ダリが帰宅してきてテイに説教をしているのがなんとなく聞こえた。世話になったままで未だ収入の無い勇作は早く収入源を確保しなければ、と落ち込むばかりだった。ただ林の奥に設置した木箱には予想通り分蜂したミツバチが住み着いてくれた。出来ることなら既に出来上がっている巣を捕りたいところだが防護服が用意出来ないと諦めていた。
「サク、どうしたの?何かあった?」
「林でミツバチの巣を見つけたから捕りたいんだけど、方法がなぁ」
「ミツバチ?」
「巣箱は作って上手くいったんだけど」
ミツバチと言われてテイにはわからなかったので、勇作と林に行き見ることにした。
「ビームか。サク、あの巣が欲しいの?」
「あぁ、でも刺されるのも嫌だし」
「捕れるよ」
あっさりとテイが言うので勇作は目を丸くしてテイを見た。
「あの大きさならすぐ捕れるよ」
「そうなのか?もしかして刺したりしないのか?」
「刺すよ。すごく痛いんだよね。でも父さんと二人で獲ってたし何とかなると思う。中にある蜜、甘くて美味しいんだよね」
テイはうっとりと何かを思い出したような顔をした。テイと勇作は捕るための準備をしに一旦家に帰った。
すっかり日が暮れて林の中は真っ暗だった。テイは木くずや枯葉を入れたバケツと空のバケツを持っている。勇作は松明と新しく作った巣箱を持ってテイの後ろを付いて行く。
テイは巣の下で火をおこし始めた。勇作は巣から2mほど離れた場所に立つ。
「サク、ビームが沢山飛んでくるけど動かないでね」
「おっおぉ、わかった。でもこんな軽装で大丈夫なのか?一応長袖だけど」
「ん?大丈夫だよ」
サクの起こした火は炎を上げずにブスブスと煙ばかりが上がる。その煙は巣を直撃している。だんだんと煙の量が多くなり、もうもうと上がった煙は巣を取り囲んだ。すると蜂の羽音が聞こえだした。何十、何百という蜂の羽音は、ブーンという音の洪水だ。そしてその音の固まりは一斉に勇作に向かって来た。
勇作はテイに動くな、と言われている。逃げ出したいのを必死堪え、目を閉じ全身を蜂に刺されて死ぬのを覚悟した。
けれど一向に刺される気配はない。ただバチバチと何かが松明に当たっている。ゆっくり目を開けると、巣から飛び出してきた蜂は自ら松明の火に飛び込んで焼かれて落ちていく。勇作は茫然とその有様を見ていた。そして蜂が火に飛び込む音がしなくなった時、勇作の足元には焼け焦げた蜂が砂を撒いたように落ちていた。
「もういいよ」
テイが呼ぶと、勇作は松明と巣箱を持って近寄る。テイはナイフで巣の下3分の2を切り空のバケツに入れた。残った巣の上部には羽のない大きな蜂がモゾモゾと動いている。勇作は上部を切り落とし残った巣ごと巣箱に入れた。巣箱をそのまま設置し帰宅した。
帰るとハチの巣に横から金属の棒を突き刺し、木樽の中に設置する。木樽の底から15センチほどの木の柱を立て、その上に丸い板を敷いてある。丸い板の真ん中に巣を突き刺した金属の棒を立てる。木樽に蓋をして、蓋の真ん中から飛び出した金属のの棒にコの字型の金属の金具を嵌める。勇作が金具を回すと樽の中で巣が回転して巣から蜜が分離した。
簡単な装置だが勇作が考えてテイと一緒に作った。巣箱の1段を入れるのを想定していたので、そのままの巣を入れたのは予想外だったが、勇作がしばらく回していると少し手元が軽くなったような感じがしたので手を止めた。
「もういいの?」
テイが聞いてくる。
「多分、もういいと思う」
勇作はそっと木樽の蓋を開けた。木樽の側面にはハチミツと巣の断片が飛び散っていた。真ん中の巣は回したせいで形が崩れていたが、バラバラにはなっていなかった。
テイが飛び散った蜜を指ですくい舐めてみる。
「うーん、甘い」
「どれどれ」
勇作も指ですくって舐めてみる。
「甘いなぁ。でも巣の欠片が入っちゃったから売り物には出来ないなぁ」
「いいよ。ウチで食べる分と、今度姉ちゃんが帰って来た時にあげる分には十分だよ」
「そうか、今度この装置をもう少し改良しておこう」
勇作は木樽から巣を取り出して鍋に入れる。鍋に水も入れ火にかける。沸騰する前に火から下し、布で漉しながらバケツに入れた。
翌朝バケツの中身はすっかり冷めて、水面にが蜜蝋が浮いていた。勇作はその蜜蝋を壺の中に入れた。
「サク、それで何を作るの?」
「貝殻もあるし、ハンドクリームでも作ろうかな」
「ハンドクリーム?」
「ああ、手荒れの防止にいいかと思ってな。テイの姉さんもメイドの仕事で手荒れしてるかもしれないし、蜜をあげるなら一緒にあげてくれないか」
「うん、わかった」
そう言いながらもテイはあの姉が手荒れを気にするとは思えなかった。




