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賃貸不動産経営管理士試験と会社の大変革に揺れる進藤麻耶

宅建士と同じく一年に一回しかない資格試験の日がきた。

チームRagdollを休んでまで勉強してきた成果を出す時だ。

そして麻耶ではどうしようもない会社の変革が起きる。

第九話〈賃管士試験と会社の大変革〉

 気がつけば、季節はすっかり秋を越えていた。

 十一月。

 吐く息がわずかに白くなる朝、麻耶はいつもより早く目を覚ました。

 目覚ましよりも先に起きるのは、久しぶりだった。

 ――落ち着かない。

 自分でもはっきりわかるほど、心がそわついている。

 今日は、賃貸不動産経営管理士の試験日だった。

 

 テーブルの上には、何度も読み返したテキストが置かれている。

 管理受託契約、維持保全、金銭管理、賃貸借、関連法規――。

 範囲は広い。

 宅建よりは易しいと聞いていたが、実際に勉強してみると決して甘くはなかった。

 合格率は二十六%前後。

 確かに宅建よりは高い。

 だが、それは裏を返せば、四人に一人しか受からない試験だということでもある。

 

 麻耶はテキストを手に取り、ぱらぱらとページをめくる。

 だが、文字は頭に入ってこない。

 

 ――もう無理ね。

 小さく息を吐き、テキストを閉じた。

 キッチンに立ち、コーヒーを淹れる。

 豆を挽き、お湯を注ぐ。

 立ち上る香りが、少しだけ気持ちを落ち着かせた。

 この日のために、麻耶は多くの時間を費やしてきた。

 チームRagdollの活動も控え、週末はほとんど勉強に充てた。

 ――やるだけのことはやった。

 そう思うしかない。

 それでも落ち着かない手をどうにかするため、麻耶は棚から一つのケースを取り出した。

 中には、愛用のMP5A4固定ストックタイプの銃だ。

 そのサブマシンガンの分解清掃。

 手を動かすことで、余計な思考を切り離す。

 パーツを一つずつ外し、丁寧に拭き上げる。

 無心。

 それが今、一番必要な状態だった。

 やがて時計が十一時に近づく。

「……行くか」

 ケースを閉じ、コーヒーを飲み干す。

 玄関のドアを開けると、冷たい空気が頬に触れた。

 車を走らせ、試験会場近くの駐車場へ。

 車を停めて外に出ると、すぐ横の斜面に目がいった。

 簡易的な囲いの中で、数頭のヤギが跳ね回っている。

 ――なんでこんなところに。

 思わず笑みがこぼれる。

 しばらくその様子を眺めていると、不思議と緊張が和らいでいく。

 動物には、そういう力がある。

 会場へ向かう足取りも、少し軽くなった。

 大きな建物。

 入口には、すでに多くの受験者が集まっていた。

 年齢層は高めだ。

 三十代以上が大半に見える。

 ――やっぱり不動産業界の人が多いのね。

 まだ新しい資格だ。

 実務に関わる人間が中心なのは当然だろう。

 会場に入り、自分の席を確認する。

 後方から三番目。

 席に着くと、周囲から聞こえてくるのは、紙をめくる音だけだった。

 静寂。

 だが、その静けさの中には、張り詰めた緊張が確かに存在している。

 そんな空気を、乱す声があった。

「いや、だからさ――」

 誰かが話している。

 一人で。

 中央付近。

 周囲の人間は一切反応しない。

 関わらないようにしているのが明らかだった。

 やがてスタッフが近づく。

「静かにお願いします」

 だが、その男は立ち上がった。

「いやいや、まだ試験前でしょ?何が問題なんですか?」

 屁理屈。

 その言い方に、既視感があった。

 麻耶は思わず顔を上げる。

 そして、凍りついた。

 ――葛城裕太。

 間違いない。

 なぜ、ここにいる。

 頭の中が一瞬、真っ白になる。

 ――業界関係者?

 ――まさか受験者?

 嫌な予感が一気に広がる。

 もし、ここで目が合えば。

 もし、声をかけられれば。

 この場で、あのトラブルの話をされる可能性すらある。

 それだけは避けなければならない。

 麻耶はすぐに視線を落とした。

 存在を消すように。

 やがて、試験問題と答案用紙が配られる。

 紙の擦れる音。

 誰もが無言で、それを受け取る。

 緊張が、一段階上がった。

 開始の合図。

 麻耶は問題用紙をめくる。

 第1問。

 成年後見人。

 ――いきなり民法。

 心の中で舌打ちする。

 民法は苦手だ。

 条文の解釈は、常識とズレることが多い。

 ――自分の常識は、他人の非常識。

 勉強中に何度も思った言葉がよぎる。

 迷った。

 だが、すぐに判断する。

 ――後回し。

 チェックをつけ、次へ進む。

 問題は続く。

 管理業務、金銭管理、契約実務。

 見覚えのある内容もあれば、曖昧なものもある。

 時間だけが、確実に減っていく。

 残り十五分。

 麻耶は焦りを感じ始めていた。

 まだ解ききれていない問題がある。

 サブリース。

 龍崎に言われ、重点的に勉強した分野。

 だが、実務経験がない。

 頭では理解していても、現場のイメージが湧かない。

 選択肢を見比べる。

 ――これか?

 ――いや、こっちか。

 決めきれない。

 時間が、さらに削られる。

「時間です!」

 試験官の声が、会場に響いた。

 終わった。

 ペンを置く。

 全身から力が抜けた。

 ――手応えは?

 正直、わからない。

 だが、不思議と絶望感はなかった。

 ――なんとなく、できた気がする。

 それが唯一の救いだった。

 

 会場を出て、駐車場へ向かう。

 再び、あのヤギたちが目に入った。

 何事もなかったかのように、跳ね回っている。

 その姿に、ふっと力が抜ける。

「……終わった」

 小さく呟く。

 だが、まだ一日は終わっていない。

 そのまま帰る気にはなれなかった。

 ハンドルを握り、自然と向かう先は決まっていた。

 

 喫茶店Ayuzoroy。

 あの場所なら、少しは頭が整理できる。

 エンジンをかけ、車を走らせる。

 試験のこと。

 葛城のこと。

 これからのこと。

 様々な思考が交錯する中で――

 麻耶は静かに、次の場所へと向かった。


<喫茶店Ayuzoroy>

 ドアを開けると、いつもの落ち着いた空気が迎えてくれた。

「いらっしゃい」

 カウンターの向こうで、龍崎が軽く手を挙げる。

「で、どうだった試験は?」

 その一言に、麻耶は思わず苦笑した。

「んー……何とか解けたけど」

 曖昧な返事。

 だが、それが正直なところだった。

「夕方になればYouTubeの専門学校が速報出すだろ。それで答え合わせだな」

「そうですね……」

 席に腰を下ろすと、すぐに龍崎が続けた。

「よければ店で聞いていけばいいよ」

 そして、少し間を置いてから言った。

「とにかく試験お疲れ様」

 そのまま厨房に向かい、手際よく調理を始める。

 数分後、麻耶の前に皿が置かれた。

「ほら、ご褒美のかつカレー」

 湯気が立ち上る。

「腹減っただろ?」

 麻耶は一瞬きょとんとしたあと、ふっと笑った。

「……さすがですね」

 何も言っていないのに、必要なものを出してくる。

 その“先読み”の正確さには、毎回驚かされる。

 

 一口食べると、張り詰めていた緊張が一気にほどけた。

 ようやく「終わった」という実感が湧いてくる。

 麻耶は箸を動かしながら、ぽつりと話し始めた。

「今日……会場に、葛城裕太がいたんです」

 龍崎の手が、ほんのわずかに止まった。

「例の?」

「はい」

 麻耶は続ける。

 過去に起こしたトラブル。

 退去の経緯。

 そして今回、再び管理物件に入居したこと。

 

 龍崎は口を挟まず、静かに聞いていた。

 話し終えると、龍崎がゆっくり口を開いた。

「……あいつ、スナイパートライアル出てたぞ」

「え?」

「第5位」

 麻耶は思わず手を止めた。

「黒木美津子さんからも聞いた。サバゲ界隈じゃ、ちょっとした噂になってる」

 頭の中で、点と点が繋がる。

 試験会場にいた理由。

 妙な存在感。

 ――どこにでも現れる。

「いやー……」

 龍崎がコーヒーを淹れながら言う。

「ほんと、どこで誰と会うかわからないよな」

 その言葉は、軽いようでいて妙に重かった。

 麻耶はスプーンを置いた。

「再入居してからは、まだクレームはないんですけど……」

 視線を落とす。

「何か、やりそうで」

 その“不安”は、理屈では説明できないものだった。

「ま、様子見るしかないな」

 龍崎はあっさり言った。

 それが現実だった。


 夕方。

 店内のテレビをモニター代わりに、タブレットの動画を流す。

 専門学校の解答速報だ。

「きたな」

 二人は並んで、問題用紙と照らし合わせていく。

 一問ずつ、慎重に確認する。

 正解、不正解。

 確信があるもの、不安なもの。

 やがて、最後の問題まで辿り着いた。

「……出た」

 麻耶が小さく呟く。

 合計点。

 37点 ±1点

 一問だけ、記入ミスの可能性がある。

「予想合格点は?」

 龍崎が画面を見ながら言う。

「36点 ±1点」

 その瞬間、麻耶の肩から力が抜けた。

「……いけるかも」

 声が、わずかに震える。

 確定ではない。

 だが、可能性は高い。

「まあ、正式発表までは何があるかわからんけどな」

「はい……でも、とりあえず終わりました」

 その一言に、ようやく区切りがついた気がした。

 しばらくして、龍崎がふと思い出したように言った。

「せっかくだから、この勢いで次いくか?」

「……次?」

「賃貸住宅メンテナンス主任者って資格」

 麻耶は顔をしかめた。 

「また勉強するんですか?」

「いや、ほとんどいらない」

 さらっと言う。

「問題解くときテキスト見れるからな。オンラインで何回でも受けれる」

「え、それ試験って言うんですか?」

「一応な」

 龍崎は笑った。

「ただ、どこに何が書いてあるか分からないと話にならないから、一回は目を通せ」

「……それ、結局勉強ですよね」

「まあな」

 試験直後の麻耶には、その言葉が妙に重く響いた。

 ――鬼だ、この人。

 心の中でそう呟く。

 だが龍崎は、ただ自然に言っただけだった。

「鉄は熱いうちに打て、ってな」

 ふと、龍崎の表情が変わった。

「……これはナイショの話だけどな」

 少し声を落とす。

「俺、昔は不動産屋だったんだ」

「え?」

 麻耶は思わず身を乗り出した。

「師匠、不動産屋だったんですか!?」

「まあな」

「だから詳しいんですね……」

 納得と同時に、妙な違和感が残る。

「バブルの頃に入ったんだよ。不動産業界が一番勢いあった時代だ」

 龍崎は遠くを見るような目をした。

「ちょうど、賃貸が注目され始めた頃でな」

「へえ……」

「俺は、賃貸や管理のやり方をシステム化にした。ノウハウを形にして、誰でも回せるように」

 その言葉に、麻耶はふと思い出した。

「そういえば……昔、幸栄不動産にもそういう若い営業がいたって聞いたことあります」

 龍崎が、ふっと笑った。

「それ、俺だよ」

「……え?」

 思考が止まる。

「えええ!?」

 声が店内に響いた。

「じゃあ、先輩じゃないですか!」

「まあ、そうなるな」

「もっと早く言ってくださいよ!」

「いや、昔の話だからな」

「いやいや、重要ですって!」

 麻耶は半ば呆れながらも、どこか嬉しそうだった。

 自分が今いる場所。

 その過去に、この人が関わっていた。

 偶然のようでいて、どこか繋がっている。

 龍崎が立ち上がる。

「お詫びに、エビピラフ食ってくか?」 

「いただきます!」

 即答だった。

 湯気の立つ皿を前に、麻耶はふと思う。

 人との縁。

 それは偶然の積み重ねのようでいて、どこか必然にも感じる。

 過去と現在が、知らないところで繋がっている。

 そして今、自分はその流れの中にいる。

 コーヒーの香りが、静かに漂う店内で――

 麻耶は、少しだけ未来のことを考えていた。


<その後>

試験から二週間が過ぎた。

あれほど張り詰めていた日々が嘘のように、麻耶の生活は再び日常へと戻っていた。

だが、完全に気が抜けたわけではない。

むしろ次へ進もうとする意識の方が強かった。

龍崎に言われた「鉄は熱いうちに打て」という言葉が、頭の片隅に残り続けていたからだ。

結局、麻耶はその勢いのまま賃貸住宅メンテナンス主任者の資格試験を受けることにした。

オンライン受験、テキスト参照可。

半信半疑で臨んだ試験だったが、問題は思った以上に実務寄りで、これまでの経験がそのまま活きた。

現場で見てきた修繕、設備不具合、クレーム対応。

その一つ一つが、選択肢を消していく材料になる。

迷うことは少なかった。

すべて解き終え、送信ボタンを押した直後、画面に結果が表示された。

97点。

思わず小さく息を呑んだ。

「……やればできるじゃない」

誰に聞かせるでもなく呟く。

賃貸不動産経営管理士の結果はまだ出ていない。

それでも、この点数は確かな自信になった。

もし賃管士にも合格すれば、自分は名実ともに賃貸管理のプロとして胸を張れる。

そう思うと、自然と背筋が伸びた。

 

数日後の朝。

麻耶はいつものように幸栄不動産へ向かった。

駅前に構える店舗は、朝の光を受けて堂々と佇んでいる。

何十年とこの地で営業し続けてきた建物。

地域No.1と呼ばれるだけの歴史と実績が、その外観からも感じ取れる。

店の前で立ち止まり、麻耶は一度見上げた。

大きな時計が九時を指そうとしている。

「今日も一日か」

軽く息を吐き、箒を手に取る。

店先の掃除は、麻耶にとって気持ちを整える大切な時間だった。

ほこりを掃きながら、頭の中も整理されていく。

 

その時、一台の車が店の前に止まった。

ドアが開き、降りてきた人物を見て麻耶は目を見開く。

社長だった。

普段はほとんど出社しない。

その社長が朝一番に現れるなど、ただ事ではない。

「おはよー」

軽く手を挙げる社長の表情は、いつもより硬かった。

「おはようございます」

麻耶も自然と背筋を正す。

社長はそのまま何も言わず、社長室へと消えていった。

嫌な予感が、胸の奥に広がる。

 

しばらくして、社員全員に声がかかった。

「社長室に集まってください」

ざわつく空気。

全員が揃うと、社長はゆっくり口を開いた。

「今日は、皆さんに大事な話があります」

その一言で、空気が凍りつく。

「結論から言います」

一拍置く。

「会社を売ることになりました」

 

言葉が落ちた瞬間、誰も反応できなかった。

理解が追いつかない。

やがて小さなどよめきが広がる。

 

「このまま残るかどうかは、各自の判断に任せます」

「年明けから、フランチャイズ系に社名が変わります」

「雇用条件や体制は今より改善される見込みです」

「よく考えて結論を出してください」

 

それだけ言うと、社長は話を終えた。

あまりにも簡潔で、あまりにも重い内容だった。

 

部屋を出た後も、誰もすぐには口を開かなかった。

やがて一人が呟く。

「……マジか・・・」

 

それをきっかけに、ざわめきが広がる。

会社が危ないという噂はあった。

だが、まさか売却されるとは。

 

倒産ではない。

それは救いだ。

だが、これまで築いてきたものが変わることに変わりはない。

 

麻耶は黙って聞きながら考えていた。

残るか、辞めるか。

 

数日後、社員同士で話し合いが行われた。

多くが退社を選ぶ方向だった。

「私は辞めるよ」

「私もかな」

そんな声が続く。

 

その中で、麻耶は言った。

「……私は、残ります」

 

周囲が静かになる。

「本気?」

「はい」

 

理由ははっきりしていた。

賃貸管理は人との繋がりで成り立っている。

大家との信頼関係。

長年築いてきたものは、簡単には代わらない。

 

ここで自分がいなくなれば、その繋がりが途切れるかもしれない。

地域No.1の看板は、ただの飾りではない。

 

「……そっか」

誰も否定はしなかった。

それぞれの選択だ。

結果として、麻耶だけが残ることになった。

 

店内の空気は少しずつ変わっていく。

別れの準備が進む中でも、麻耶は変わらず業務を続けた。

 

そして年末。

賃管士試験の合格発表。

 

結果がどうであれ、もう次は始まっている。

 

年明けには新会社。

そして、Ragdollの新たな大会。

仕事も、趣味も、すべてが動き出そうとしている。

麻耶は店の前に立ち、建物を見上げた。

「……やるしかないか」

静かに呟き、扉を開ける。

新しい一日が、始まる。


試験勉強優先だった麻耶もこれで一段落します。

会社の変革で麻耶はどうなっていくのか?

葛城裕太はどうかかわっていくのか気になるところです。

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