オカルトミステリー
✖✖コーポに住む小岩井が麻耶を訪れる。アパートを引っ越したい。
いったい何が起きてるのか。
麻耶は部屋に赴き様子を探る。
第十三話
<前半>
春だというのに、まるで初夏のような陽気が街を包んでいた。
駅前幸栄不動産では、午前の来客が一段落し、いつもの穏やかな時間が流れていた。
カウンターの奥で書類整理をしていた麻耶のもとに、ひとりの男性が遠慮がちに入ってきた。
「あのー、✖✖コーポなんですが…」
その声に顔を上げると、見覚えのある人物だった。
「あ、小岩井さん、どうしましたか?」
3月に入居したばかりの単身者だ。
まだ引越してひと月ほどしか経っていないはずだった。
麻耶はテーブル席へ案内し、話を促した。小岩井は少し躊躇いながらも口を開いた。
「実は、別のアパートに引越ししたいんです。なんか…気味が悪いんですよ」
「気味が悪い?」麻耶はペンを持つ手を止めた。
「部屋にいると、誰かに見られている感じがするんです。視線というか…でも見回しても誰もいないんです」
一瞬、沈黙が落ちた。
「あの部屋、事故物件じゃないですよね?」
その問いに、麻耶は即座に答えた。「もちろんです。事故物件なら告知義務がありますから」
だが内心では別の思考が走っていた。こういう訴えは珍しくない。
だが軽視もできない。心理的な問題か、環境的な要因か、それとも――。
「まだ入居して1カ月ですし、契約では半年以内の解約は違約金が発生する条件ですからね…」
麻耶は現実的な説明をしたが、小岩井は納得しない様子だった。
「それでも無理なんです。頻繁に感じるんですよ。夜だけじゃなく昼でも。何とかして下さい」
切迫した様子に、麻耶は一度話を整理した。
「わかりました。一度貸主と相談します。それと、週末に私が直接お部屋を見に行きます」
小岩井は少し安堵したように頷き、店を後にした。
麻耶はすぐに棚から✖✖コーポのファイルを取り出した。
建築記録、修繕履歴、過去の入居者情報――特に問題は見当たらない。
だがページをめくった瞬間、一枚の古びたメモ用紙がひらりと床に落ちた。
拾い上げると、そこには乱雑な字でこう書かれていた。
「内ゲバの拠点」麻耶は眉をひそめた。
裏を見るとさらに衝撃的な文言が並んでいた。
「105号…対象」「部屋に突入、激戦、死亡、制圧」思わず息を呑む。
「何これ…」脳裏に、喫茶店Ayuzoroyで聞いた龍崎の話が蘇る。
かつて警視庁が過激派のアジト摘発のため、アパート単位で監視していた時代があったという。
内ゲバ――同一組織内の暴力抗争。
今では考えられないが、当時は実際に銃撃戦や爆発事件も起きていた。
「でも…40年前の話でしょ」麻耶はメモを閉じた。
時効も過ぎ、現代の入居者に告知義務はない。
それでも胸の奥に小さな引っかかりが残った。
翌日、麻耶は現地へ向かった。✖✖コーポ105号。小岩井がドアを開けると、ほっとした表情を見せた。
「どうぞ、中へ」室内は整然としていた。
玄関から浴室、トイレ、そして8畳の居室と3畳のロフト。
ロフトには磨りガラスの窓があり、柔らかな光が差し込んでいる。
「特に変わった様子は…」麻耶は部屋を見渡した。
空気も澱んでいない。嫌な匂いもない。
ソファに腰掛けると、自然な生活感があるだけだった。
「やっぱり気のせいでは…」そう思いかけた時、壁のラックに目が留まった。
複数のエアガンが整然と並んでいる。
「サバゲ、やるんですか?」
小岩井の顔が少し明るくなった。「ええ、やります。知ってるんですか?」
「ええ、少しだけ」麻耶は微笑んだ。だが次の言葉が気になった。
「視線を感じた時、つい構えちゃうんです。でもBB弾じゃ意味ないですよね」冗談めかして言ったが、笑いはなかった。
「どんな感じなんですか?」麻耶はさらに踏み込む。
「窓です。どの窓からも、見られてる気がするんです」
「これ、見てもいいですか?」
「どうぞ」
麻耶はラックからスコープ付きの狙撃ライフルを手に取った。
掃き出し窓の方へ向かい、スコープを覗く。視界が一気に圧縮され、遠景が引き寄せられる。向こうに雑居ビルが見える。
その屋上――その瞬間だった。
人影のようなものが一瞬、確かに動いた。
麻耶は息を止め、再び覗く。
だがそこには何もない。風に揺れる看板だけが見えた。
「…気のせい?」ライフルを下ろす。
距離は100メートル以上。仮に人がいたとしても、肉眼ではほぼ判別できない距離だ。
2時間が過ぎた。特に異常は起きない。小岩井の身の上話を聞きながら時間を潰す。
両親の離婚、ひとり暮らしの経緯。どこにでもある話だ。
夕方6時を回った。「今日は何も起きませんね」
その時だった。ロフトの磨りガラスに、一瞬だけ影が差したように見えた。
麻耶は反射的に目を凝らす。だが何もない。静寂だけがある。
「最近、サバゲーマーの失踪の話、知ってますか?」ふと麻耶が聞いた。
「掲示板で見ました。怖いですよね。」
さらに30分が経過した。何も起きない。
「短時間では再現できないかもしれません。今度何かあったら、時間や状況をメモしてください」そう言って麻耶は立ち上がった。
「引越しの件も貸主と相談してみます」部屋を出て外に出る。
夕暮れの街はいつも通りの喧騒に包まれていた。
だが麻耶は振り返る。105号室の窓。
その奥に、何かが潜んでいるような気がしてならなかった。
そして遠く、あの雑居ビルの屋上。誰もいないはずの場所に、確かに“何か”がいた――そんな確信にも似た違和感だけが、静かに残っていた。
<後半>
週末の午後、春の陽気に包まれた街を抜けて、麻耶は喫茶店Ayuzoroy☕へと向かった。店先では龍崎がいつものように箒を手に掃除をしている。
「師匠!」
声をかけると、龍崎は顔を上げて穏やかに笑った。
「いらっしゃい」
箒と塵取りを物置へ片付けると、そのままカウンターの内側へと入る。麻耶は慣れた様子でカウンター席に腰を下ろした。
「何かあった顔だな」
龍崎の一言に、麻耶は少し身を乗り出した。
「先日、✖✖コーポ105号の入居者から相談があって…霊現象みたいなものを感じるって言うんです。それで現地に行ってきたんですけど」
龍崎は一瞬、目を細めた。
「あー、内ゲバの部屋か」
「やっぱり知ってるんですね。あのメモ…師匠が書いたんですか?」
「そうだよ。あれはな…本当に大変だった」
龍崎は遠くを見るような目で語り始めた。
「当時は警察車両が何台も来てな。アパートを取り囲んで…突入の瞬間はまるで戦場だった。拳銃で撃ち合いになってな…亡くなった者もいた」
店内の空気が一瞬、重く沈む。
「じゃあ…その霊がまだ…?」
麻耶の問いに、龍崎は肩をすくめた。
「流石にそれは分からん。ただな…似たような話はある」
そう言って、カウンターの奥からグラスを取り出す。
「昔、別の部屋で亡くなった人がいてな。能力者に見てもらったら、部屋の隅でうずくまってるって言われたことがある」
「え…」
「盛り塩して、『ここから出ていけ』って言ってな。その後もう一度見てもらったら、悪い気と一緒に消えたって話だ」
龍崎はグラスを麻耶の前に置いた。
それは、透明なガラス細工で精巧に作られた人型の容器だった。しかも――その姿は麻耶そのもの。戦闘姿勢で構えたサバゲ装備の女性が、そのままジュースのボトルになっている。
「なにこれ!私じゃないですか!」
麻耶は思わず声を上げた。
「こないだのオールドソルジャーのボトル覚えてるだろ?あの職人に頼んだんだ。Ragdollの4人分な」
光を受けて琥珀色に輝く液体が、まるで戦闘中の一瞬を閉じ込めたかのようだった。
麻耶はそれを手に取り、しばらく見入った。
「すごい…リアル…」
一口飲むと、フルーティーな甘みが広がる。
「話、戻すぞ」
龍崎の声で現実に引き戻される。
「その入居者、サバゲやってるんだろ?」
「はい。エアガンも揃ってました。視線を感じるって言ってて…実際、私もスコープで覗いた時に、遠くのビルの屋上に一瞬…」
「人影か?」
麻耶は小さく頷いた。
「でも、すぐ消えました」
龍崎は腕を組んだ。
「独身、身寄りなし、サバゲゲーマー…」
その言葉には、明らかな警戒が含まれていた。
「またか…」
最近続いている“サバゲーマー失踪”の件が頭をよぎる。
龍崎はカウンターの奥で何やらメモを取りながら続けた。
「黒木美津子から聞いた話だがな、入国管理官チームが動いてるらしい」
「入国管理官が?」
「澤登亮って男が絡んでる。昔、俺がタクトレ教えたことがあるらしいが…正直覚えてない」
龍崎は苦笑した。
「25年もやってりゃ、生徒なんて数えきれん」
「その人が関係してるんですか?」
「可能性の話だ。ただ当時はな、訓練内容は極秘でな。全員に誓約書書かせてた。不審者が紛れ込む余地はなかったはずだ」
沈黙が流れる。
霊現象なのか――それとも現実の何かか。
麻耶はふと別の疑問を口にした。
「師匠、最近の契約で“半年以内解約は違約金”ってよくあるじゃないですか。あれって有効なんですか?」
龍崎は即答しなかった。
グラスを磨きながらゆっくり口を開く。
「基本は合意契約だからな。有効とされるケースが多い」
「でも…」
「ただしだ」
龍崎は指を立てた。
「借主に著しく不利な場合、裁判になれば無効になる可能性もある」
「やっぱり…」
「それとな、契約書だけ見ても分からん。重要なのは金の流れだ」
「金の流れ?」
「契約金明細見てみろ。不動産側がどこで利益取ってるか分かる。違約金ってのは、その仕組みの一部かもしれん」
麻耶は考え込んだ。あの部屋は大手の仲介業者の仲介だった。
霊の気配、謎の視線、消える人影――
そして、サバゲーマーの失踪。
点と点が、まだ線にならない。
だが確実に何かが動いている。
店の外では、春の風が静かに吹いていた。
だがその穏やかさとは裏腹に、見えない何かがゆっくりと、確実に動き始めていた。
麻耶の周りでサバゲゲーマーの行方不明が続くが、事態はあっけない幕切れに。
ここまで思いつくまま書き続けてきました。
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