第129話 硝子の聖櫃と星詠の指輪。狂気の祭壇で誓い合う、海賊と巫女の不器用な未来
広大なドーム状の空間。
かつてのマスドライバーの発射場であり、忘れ去られた宇宙港の玄関口。
黄金の狂王と漆黒の魔女が過ぎ去った後、そこには墓標のように冷たく、絶対的な静寂だけが残されていた。
焼けたオイルの匂いと、イオン化した大気の微かな刺激臭。
それが、砕け散った親友との魂の残り香のように、ひんやりとした空気に重く漂っている。
……終わったのか。いや、違うな。
何一つ終わっちゃいねえ。
ただ、これ以上殺し合わずに済んだってだけだ。
俺は血の味がする唾を吐き捨て、茫然と黄金の残骸の前に立ち尽くしていた。
どうしようもない想いが、胸の中を熱い嵐のように駆け巡る。
口の中に広がるのは、ひどく鉄錆びた血の味と、どうしようもないほどの苦い後悔だけだった。
脳裏に、陽炎のように記憶が揺らめいた。
コンドルでの、眩しいほどに青かった日々。
ビックサム学園の刈りたての芝生の匂い。
そして、いつも俺とアルベルトの中心で、太陽のように笑っていたリリーナ。
その光が無残に掻ききれた、あの雨の日。リリーナの暗殺。
血の鉄錆びた匂い。
降りしきる雨が地面を叩く、絶え間ないノイズ。
そして、リリーナの亡骸を抱きしめ、獣のように慟哭するアルベルトの背中。
あの時、アイツの魂は確かに砕け散ったのだ。
そして自分は……何もできずに、ただその悲劇の傍観者でいることしかできなかった、薄汚れた野良犬だ。
「ベレット……」
ミューの心配そうな、か細い声が、俺を過去の悪夢の淵から強引に引き戻した。
……そうだ。
今は感傷に浸って、立ち止まっている場合じゃねえ。
俺には、今の俺には、このクソみたいな星から生きて連れ帰らなきゃならねえ奴らがいるんだ。
俺は、鉛のように重い足取りでスターゲイザー改のコクピットに戻った。
ミューが、涙を浮かべたラピスラズリの瞳で、俺を心の底から心配そうに見つめている。
何も言わずに、操縦桿を握りしめた。
「……ミュー。リリーナの気配が、分かるか?」
「分からない……。でも、この先に、ほんの微かな残滓があるような、そんな感じがするわ。それと、ローズマリーとユウキのフォワードも感じる! 急ぎましょう、ベレット!」
ミューは目を閉じ、その精神を優しく、だが力強く研ぎ澄ませていった。
「そうか! 急ぐぞ!」
「うん!」
俺は、左腕を失い傷ついたスターゲイザー改を庇いながらスラスターを吹かし、遺跡の奥へと続く通路へと機体を進めた。
◇
星の遺産が眠る、地下施設の一室。
磨き上げられた黒檀の床。
ひんやりとした石の壁には古代文字が刻まれ、空気中には電子機器のオゾンの匂いと……心を不安にさせるような、甘く、吐き気を催すような香りが漂っていた。
その空間の中央には、巨大な制御室が広がっていた。
部屋の中心、複雑なエネルギー回路が刻まれた黒曜石の床の上には、巨大なクリスタル構造体『星の遺産』のコアの一部が、まるで宇宙の心臓のように禍々しい、脈打つような紫色の光を放っている。
その光は、壁面に設置された無数のコンソールや、部屋の中心に安置された一つのクリスタル・カプセルを妖しく照らし出していた。
カプセルの中には、純白のシルクのドレスを纏い、まるで永遠の眠りについているかのような、リリーナと瓜二つの少女が溶液の中に静かにたゆたっていた。
その光景の前に、ローズマリーのクリムゾン・ローゼス改と、ユウキのヴァルキリー・ストライカー改が、一足先に到着していた。
俺たちも機体を降り、薄暗い制御室へと足を踏み入れる。
だが、この巨大な制御室は、惨劇の生々しい跡を残し、もはや無人だった。
破壊された端末。床に散らばるデータの残骸。そして、鼻をつく濃厚な血の匂い。
「ベレット様! ご無事で!」
「モルモット! ミュー!」
「ああ。ローズマリーとユウキも、無事に合流できたみてえだな」
俺は、怪我一つない二人の姿を見て、心の底から安堵の息を長く吐き出した。
「二人とも、無事だったのね!」
ミューの声も自然に弾んだ。
「星の遺産は、どうなったんだ?」
「ええ。『星の遺産』の危険な起動は、優秀なユウキさんとわたくしで、完璧に阻止いたしましたわ」
「ちょ、ちょっと、ローズマリーさん!?」
ローズマリーは、抗議しようとするユウキに悪戯っぽくウィンクのような仕草を見せる。
……なんだ。死線を越えて、いつの間にそんなに息が合うようになったんだ?
「そうか。流石だぜ、二人とも!」
俺は素直に二人を労った。
ユウキは、どこかひきつった笑みを浮かべた。
その表情の裏に、何か深い絶望や恐怖を隠しているのが、長年の勘で分かった。
だが、今は深く追求する時じゃねえ。
生きてさえいれば、傷はいつか癒せる。
「それで、ミンクスはどうしたんだ?」
俺は周りを見渡した。
「ミンクスさんは、地上で我々のための『おとり役』を引き受けてくださっています。ですから、わたくしたちはこうして無事に任務を遂行することができたのですわ」
「……! さすがミンクスだぜ。あとで地上に戻ったら、とびきり高い酒でも奢ってやらねえと。じゃあ、ここでいつまでも油を売っているわけにはいかねぇな」
「それにしても……いったい、ここで何が起こったっていうの……?」
ユウキは、床に広がる血溜まりを見て、底知れない恐怖に声を震わせていた。
吐き気を催すような死の匂い。それでも、彼女は恐る恐る足を踏み入れた。
「コンドル王国も、もはや一枚岩ではないということかしら」
ローズマリーも、周囲を最大限に警戒しながら歩を進める。
「……! これが、星の遺産研究の制御装置……! コンドル王国は、これほどの技術を実用化していたっていうの!?」
ユウキは、血溜まりを避けながらコンソールに近づき、眼鏡を抑えた。
彼女はコンソールを操作し、残された情報を必死に調べ始めた。
「そのようですわね。ただ、どうやらうまくは行かなかったみたいですわね」
ローズマリーも冷静に状況を分析した。
彼女は、禍々しい紋様が刻まれた黒い石版へと白い手袋を外し、そっと手を置いた。
何かを探るような、ひどく真剣で、どこか遠い過去を見つめるような横顔。
やがて、ローズマリーは安堵の一息をつくと、部屋の中央に鎮座するクリスタル・カプセルへと、その複雑な想いを秘めた視線を向けた。
「これが、コンドル王国王女、リリーナ・フォン・コンドル……」
ローズマリーは、クリスタル・カプセルの制御盤を操作し、何の躊躇もなく開封した。
「ちょ、ちょっと! ローズマリーさん、何してるのよ!」
ユウキが驚いて振り返る。
プシュー、という排気音と共に生命維持溶液が排出され、リリーナのクローンの……あまりにも生々しい、白磁のような肢体が現れる。
二人は、その魂のない人形に近づいた。
ローズマリーは、リリーナのクローンの氷のように冷たく滑らかな肌にそっと触れた。
「本当に、よくできていますわね」
ローズマリーはいつもの妖艶な表情に戻り、ユウキに相槌を打った。
俺は、ゆっくりとあたりを見渡しながら歩き出し……その視線は、クリスタル・カプセルに、そしてそこに横たわる、魂のない硝子人形に磁石のように引き寄せられた。
「……リリーナ……」
その声は、自分でも信じられないくらい、ひどく掠れていた。
まるで不可侵の聖域に足を踏み入れるかのように、ゆっくりと美しいクローンへと近づいていく。
あの日のままの、少しも変わらない彼女の顔。透き通るような肌、完璧な造作。
だが、そこに宿っていたはずの太陽のような温もりや、俺の名前を呼んでくれたあの優しい声は、微塵も感じられない。
……アルベルト。
お前は、姉の面影を追うあまり、こんな空っぽの器に魂を縛り付けようとしたのか。
死者を冒涜する狂気。
それを止めることができなかった自分への怒り。
だが、同時に、どこかでこの「形」だけでも残っていたことに、ほんのわずかに心が揺れてしまった自分自身が、ひどく醜く、心底嫌になった。
「アルベルトは、こんなものを作って……リリーナを愚弄するなんて……」
後ろからついてきたミューが、悲しげな表情を浮かべる。
ふと、俺はクローンの白く細い指に、一つの指輪がはめられていることに気づいた。
「……ミュー、これ」
「……! それは……! 『星詠の指輪』……!」
俺は、その指輪を慎重に、クローンの冷たい指から外した。
アルベルトが、この狂った儀式のためにアシュトン家から奪い取った、因縁の品。
それを、死者の模造品から引き剥がす。
俺は振り返り、ミューの震える小さな手の中に、その星々の光を宿したかのような指輪を優しく握らせた。
ミューの体温が伝わるどこか温かい金属の感触。
「これ、お前にとって、大切なものなんだろ?」
「うん……」
ミューは言葉に詰まる。
「どうしたんだ、ミュー?」
俺はそう言うと、彼女の涙で潤むラピスラズリの瞳を真っ直ぐに見つめた。
あんな無茶な戦いをさせて、本当にすまなかった。
俺が過去に囚われて不甲斐ないばかりに、この小さな肩にどれだけの重荷を背負わせちまったか。
「ベレット……」
ミューは、意を決したように顔を上げた。
その雪のように白い頬は、恥じらいで熟れた果実のように赤く染まっている。
「できれば……私の薬指に、ベレットから、はめてほしいなって……」
その声は囁くようにか細く、しかし、彼女の魂のその全てが込められていた。
俺の心臓が、柄にもなく大きく跳ねた。
だが、彼女の真っ直ぐな瞳から、逃げることなんてできやしなかった。
あの暗闇の中で、俺の魂を繋ぎ止めてくれたのは、他でもない、このミューの光だったんだ。
ここで背を向けるくらいなら、いっそ腹を切った方がマシだ。
「……こうか?」
俺は照れ隠しにぶっきらぼうに言いながら、柄にもなく手が震えそうになるのを必死に抑え、素直に、星詠の指輪をミューの微かに震える薬指へとゆっくりと滑り込ませた。
ゴツい指先が、彼女の白く細い指に触れる。
「……!」
ミューの顔はコンドルの夕焼けのように赤く染まり、今まで誰も見たことがないくらい、年相応の少女の顔をしていた。
「ベレット、これ……」
「案外、似合ってるじゃねえか。元に戻ってきて、よかったな。ミューの大事なもんなんだろ? 落とすなよ」
俺は、不器用に笑いながら言葉をかける。
甘い言葉なんて一つも知らねえ。
これが、俺にできる精一杯の『お前を一生守る』っていう誓いの言葉のつもりだった。
「そうだけど! もう! ベレットったら。ここはもっと優しく、愛を囁く場面でしょ!」
ミューは、ぷくっと頬を膨らませて俺の胸に顔をうずめた。
彼女はしばらくの間抱きついたままでいた。
俺も、そっと彼女の小さな背中に手を回す。
ああ……温けえな。
生きてるってのは、こういうことなんだな。
「こほん! お二人とも。よろしいところ大変申し訳ありませんが」
ローズマリーが、少し呆れたような声をかけてきた。
「おっと、すまん」
慌ててミューから身体を離し、バツが悪そうに頭を掻いた。
「さぁ、行くか」
そう言うと、ミューの小さな手を、今度は俺の方からしっかりと握りしめる。
もう二度と、この手を離しはしねえ。
過去の亡霊どもには、指一本触れさせねえ。
「うん! 行きましょう!」
ミューもまた、俺の言葉に力強く頷く。
「ええ、わたくしもお供いたしますわ。愛しのベレット様の、親愛なる下僕として」
「あたしも、一緒についていくわよ! モルモット!」
「よし、野郎ども……いや、お嬢様方。機体に乗り込め! ミンクスと合流次第、このクソみてえなコンドルから脱出する!」
俺たちは星の遺産の制御室を出て、過去の残骸をあとにし、それぞれの機体に乗り込んでいった。
ミンクスが待つ地上を目指した。
それぞれの複雑な想いと、そして断ち切れない過去の因縁を背負いながらも、目は確かに前を向いていた。
鋼鉄の巨人たちは、星の遺産の暗く冷たい通路を、一条の光を目指して力強く駆け抜けていった。




