第127話 二人で一人の星詠の巫女。愛する人を守るため、怨念の呪縛を溶かす聖なる光
【視点:ミュー】
理性を失い、ただ傷ついた獣のように吠え猛るスターゲイザー改。
その白銀の機体が、防御を完全にかなぐり捨てて、アルベルトの黄金の巨体へと無謀な突進を開始した、まさにその時だった。
……っ! なに、これ……。息が、できない……!
私は、コクピットのシートに身体を縫い付けられながら、大好きなベレットの魂に直接流れ込んでくる、異常なフォワードの濁流に気が付いた。
それは、単なるアルベルトの狂気や憎悪といった類のものじゃない。
もっとずっと深く、氷のように冷たく、そして……あまりにも悲痛な響きを持っていた。
息をするだけで肺が凍りつきそうな、ドロドロとした絶望の海。
私のフォワードが、アルベルトを包み込む黄金のオーラのさらに奥深く……その漆黒の中心に巣食う、もう一つの禍々しい波動を捉えた。
それは、まるで熱を持った陽炎のように揺らめく、一人の少女の姿だった。
血のように赤いドレスを纏い、元はきっと誰よりも美しかったはずの顔を醜く歪ませ、絶望と怨嗟の瞳でこちらを睨みつけている。
その表情は、愛する者を不条理に奪われた深い悲しみと、行き場のない強烈な憎悪に満ち溢れていた。
リリーナ……!?
いや、違う……!
これは、リリーナの魂そのものじゃない。
彼女の、この世に遺してしまった執着の……残滓……!
私は震えが止まらなかった。
それは、リリーナの、この世に強い未練を残した、あまりにも強大で、そして悲しいフォワードの残響だった。
『ベレット! ダメッ! その狂気に、飲まれちゃダメ!』
私は隣のシートで、怒りと罪悪感で我を忘れたベレットの荒れ狂うフォワードの嵐を、自らのフォワードを総動員して、必死に受け止めようとした。
ベレットの魂は、私が守る!
しかし、無情にもその瞬間、リリーナの幻影がゆっくりとその口を開いた。
彼女の形相が、悲しき亡霊から恐ろしい悪鬼へと変わり、ベレットと私、そしてアルベルト自身をも、その底なしの深い闇の瞳で飲み込もうと襲いかかってきた。
『貴様たちも……私と共に、永遠の冷たい安らぎへと帰るがいい……!』
脳内に直接響くその声は、耳障りなノイズと、血を吐くような悲痛な嘆きが入り混じった、おぞましい共鳴だった。
頭が割れるように痛い。
「あぁぁぁっ……!」
ベレットの、ひどく苦痛に満ちた呻き声が漏れる。
彼の手から、一瞬だけ力が抜けた。
彼の反応速度は、致命的なまでに遅れた。
あの、どんな極限状態でも決して生きることを諦めないベレットの心が、過去の罪悪感に捕らわれてしまったのだ。
その一瞬の隙を、アルベルトが見逃すはずがなかった。
黄金の機体は、まるで空間をスキップするように、ベレットのスターゲイザー改の眼前へと一瞬で距離を詰める。
『這いつくばれ、ベレットォォォッ!!』
振り下ろされた黄金のレーザーレイピアが、スターゲイザー改の左腕を、肩の根元から容赦なく断ち切った。
ギャァァァン! という、悲鳴のような鋼鉄の断末魔。
激しい衝撃と、眩い火花がコクピット内を容赦なく襲う。
「ぐあああっ!」
「きゃあっ!」
ベレットと私の悲鳴が重なった。
左腕の質量を突如として失い、完全にバランスを崩したスターゲイザー改は無様に床を滑り、遺跡の冷たく硬い壁へと激しく激突した。
『終わりだ、ベレット。お前はここで、私と姉さんの礎となるのだ』
圧倒的な力を見せつけたアルベルトの黄金の巨体が、勝利を確信し、死神のような冷酷な歩みでゆっくりと近づいてくる。
嫌だ……! ベレットが、殺されちゃう……!
わたしの大切な人が……!
恐怖と絶望でパニックになりかけたその時、私の意識は、急激に深い精神世界へと引きずり込まれていった。
◇
―――暗く、冷たい、深い海の底。
光さえ届かないその精神の深淵で、私の魂の前に、一つの小さな光が優しく灯った。
……私と瓜二つの、輝くような銀色の髪を持つ、可憐な少女の姿だった。
彼女は、清らかな純白のドレスをふわりと纏い、私に満面の笑みを向けた。
「ふふっ。今回はわたしの方からあなたに会いに来ちゃったけど、大ピンチみたいだから許してね」
「そ、そんなことより、リリーナの怨念が、ベレットを……! 早く助けなきゃ! でも、私じゃ、アルベルトのあの力には……勝てない……!」
弱々しく首を振った。
涙が溢れて止まらなかった。
「もう大丈夫よ、ミュー。あの時とは違うわ」
少女は、私の不安を払拭するように優しく微笑んだ。
そして、少しだけ寂しそうに目を伏せる。
「リリーナ……。あの時、彼が選んだ、太陽みたいに眩しかった女の子」
少女の言葉には、あまりにも哀しい響きが混じっていた。
「わたしはね、彼女のことが羨ましかったし、ひどく妬ましかった。わたしにはないものを全て持っていて、いつもベレットの隣で笑っていたから。……だからこそ、彼女のあの深い悲しみも、痛いほどよく分かるのよ」
少女は一歩近づき、私の震える手を、両手で優しく包み込んだ。
「彼女の、あまりにも悲しい怨念が、アルベルトを……そしてあなたの大切なベレットを狂わせてしまっている。なら、それを救えるのは、星詠の巫女しかいない」
少女は、私の顔を覗き込み、悪戯っぽく笑った。
「でも、私には……そんな強大な力は……」
「あなたは、もう一人じゃないでしょう?」
その声は、清らかで、澄んでいた。
「わたしは、あなた。あなたは、わたし。そして……、わたしたち、二人で一人の『星詠の巫女』なのよ」
その手の温もりが、あの暗く冷たい独房でベレットに口づけをした時の、あの熱い生命の鼓動を思い出させた。
彼の唇の感触。
……そうだ。私は、あの日、絶対ベレットを守るんだって決めたんだ。
「リリーナとは、決着をつけないといけない…。わたしたちの過去にも……」
少女の瞳の奥に、悲しげに歪むリリーナの幻影が映る。
「わたしも、ただの普通の女の子になりたかった。ただ愛する人の隣で、手を繋いで笑っていたかった。でも、運命や力がそれを許さず、孤独の中で置いてけぼりにされた……その、どうしようもない絶望と執着が、わたしの中にもあったわ……」
その眼差しは哀れみでも敵意でもなく、一人の女性としての深い共感に満ちていた。
「だけど……だからといって、過去の幻影が、彼らの『今』と『未来』を縛り付けていい理由にはならないわ。私たちは、愛する人の背中を押すために、彼と一緒に未来を歩くために、この力を使うって決めたんだもの」
少女は、私の頬にそっと手を添え、流れ落ちる涙を拭ってくれた。
「あなたの魂にはわたしの全てが刻まれている。わたしたちならやれるわ! 今こそ、本当の星詠の巫女の力を使うときよ!」
少女はそう言うと、私の胸元をそっと指差した。
「今、あなたの胸にあるペンダント。それは、私たちを一つにする鍵。『星影の涙』。そして何より……あなたの心にある、ベレットへの強くて、優しくて、どうしようもなく温かい想い。それこそが、私たちを本当の『星詠の巫女』へと導く、絶対的な羅針盤なの」
私の脳裏に、ベレットと共に過ごした不器用で温かい日々がフラッシュバックする。
傷つきながらも、常に前に進もうとする彼の、大きくて安心する背中。
どんなに悪ぶっていても、私を想ってくれる、彼の本当の優しさ。
……大好き。私は、彼が大好き。
誰にも渡さない。
過去の亡霊になんか、絶対に奪わせない!
「……うん。わたしは、もう逃げない。過去の悲しみにも、今の絶望にも!」
私は涙を拭い、力強く顔を上げた。
「私たちが、リリーナの魂を解放する。そして……ベレットを、私が守る!」
その強い決意が、二人の少女の魂を、一つの完全な形へと共鳴させた。
―――内なる精神世界に、眩い光が満ちる。
深く青い銀河のように輝き、私たちの背後に、巨大で複雑な構造を持つ、光輝く『星々の羅針盤』が幻影となって浮かび上がった。
それは、時間と空間、そして無数の可能性を観測し、望む未来を示す、星詠の巫女の絶対的な力。
未来を紡ぎ出す、愛の羅針盤。
少女は、その羅針盤の中心に、私と共に清らかな手を置いた。
「未来を、観測するわ!」
羅針盤の針が狂ったように高速回転を始め、そして、ピタリと一つの未来の可能性を指し示した。
それは、ベレットがリリーナの残滓によって完全に心を破壊され、アルベルトの光の刃によって無残に肉体を切り裂かれるという、身の毛もよだつ最悪の結末。
「「……! そんな未来は、絶対にさせない!!」」
私ともう一人の少女は、声を重ねて叫んだ。
二人の魂が完全に一つになり、羅針盤から清らかで強烈な聖なる光の奔流が放たれた。
それは精神の深淵を突き抜け、現実空間に顕現する。
◇
スターゲイザー改のコクピット。
ベレットの身体に絡みつき、彼の魂を冷たく蝕んでいたリリーナの赤い怨念が、溢れ出した聖なる光に焼かれた。
『あ……ぁ……』
怨念の叫び声は、光の中で次第に、憑き物が落ちたような穏やかなため息へと変わっていく。
私は、リリーナの残滓を抱きしめるように優しく語りかけていた。
もう、いいのよ。
あなたは十分に苦しんだわ。
愛する人を縛り付ける鎖を解いて。
あなたが本当に愛したベレットの未来を、これ以上奪わないで。
……どうか、安らかに眠って。
リリーナの幻影は、最期に一度だけ、憑き物が落ちたような穏やかな瞳で悲しげにアルベルトを見つめ……そして、春の雪解けの霧のように、静かに光の中へ散っていった。
『……いやぁぁぁぁぁぁぁ!! ……な、なぜだ、リリーナ姉さん……! 待ってくれ! 私を、私を置いていくというのか……!?』
アルベルトの狂気に満ちた声が、幻影の消滅と共に、信じられないほどの激しい動揺と、まるで迷子になった子供のような恐怖の色を帯びた。
彼の絶対的な力の根源であり、狂気の支柱であったリリーナの残滓を失い、黄金のオーラが一瞬にして大きく揺らいだ。
「ベレット! 目を開けて! 今よ!」
私の声が、ベレットの魂のど真ん中に直接響いた。
重い泥沼に沈んでいたベレットの意識が、急速に晴れ渡っていくのが、繋がった魂越しに痛いほど分かる。
目の前の暗闇が消え去り、視界がクリアになる。
機体の制御が、まるで生まれたての子鹿が立ち上がる時のように、新しく、そして研ぎ澄まされた感触となって戻ってきた。
「……ああ、目が覚めたぜ。ミュー! すまねえ」
ベレットの不屈の魂と、完全に覚醒した私の魂が、再び、そしてかつてないほど強靭に融合した。
すごい……! ベレットの鼓動が、私の胸の中で鳴っているみたい。
彼の考えていること、感じていること、全てが私の心と一つになっている……!
―――閃光!
ひしゃげたスターゲイザー改の機体から、眩いばかりの黄金色の神々しいオーラが、後光のように激しく溢れ出した。
それは、アルベルトのような『星の遺産』から無理やり引き出した邪悪な力じゃない。
星詠の巫女と、愛する搭乗者の魂が完全に結びついた、純粋で温かい輝きだった。
ベレットは、この一瞬の逆転の隙を決して逃さなかった。
失われたはずの機体の左腕の断面から、光の粒子が爆発的に吹き出し、瞬時に『光の腕』として再構築されていく。
機体の出力が、物理的な限界数値を容易く超え、計測不能の領域へと跳ね上がった。
黄金のオーラを纏ったスターゲイザーは、もはや地に這う白銀の流星じゃない。
それは、絶望の闇を切り裂き、希望を乗せて飛翔する、黄金の彗星!
「行くぞ、ミュー!」
「うんっ! ベレット!」
彗星は、動揺する黄金の狂獣へと、最後の突撃を開始した。
その軌道は、もはや機械が計算できるものじゃない。
私が羅針盤で観測する数秒先の未来をベレットの脳裏に直接描き出し、ベレットが極限状態の野生の勘で無限の可能性を切り開く。
二人の魂が完全に同調して紡ぎ出す、奇跡の軌跡。
『舐めるなァァァッ!!』
アルベルトが焦燥と共に放つ、神速であるはずのビームやレイピアの連撃が、今の私たちにはまるでスローモーションのように見えた。
黄金の彗星は、その攻撃の全てを光の左腕で弾き返し、エンペラー・オブ・コンドルの懐深くへと滑るように潜り込む。
『ベレット! なぜだ! なぜ、お前は私の邪魔ばかりをするのだ! 私の、私と姉さんの理想を!』
「邪魔しようとしてるわけじゃねえさ! コンドル王国が復権しようが、お前が銀河の覇権を唱えようが、そんなこたぁ、今の俺には知ったこっちゃねえ」
スターゲイザー改は、残された右手に持つレーザーサーベルを、強く、強く構えた。
ベレットの熱い想いが、私の中に流れ込んでくる。
「だがな、アルベルト! 『星の遺産』なんていう過去の亡霊の力に手を出して、この銀河全体をお前の歪んだエゴに巻き込むってんなら、話は別だ! リリーナだって、こんなこと望んじゃいなかった! 今の俺にはな、守るべき、かけがえのない仲間たちがいる!」
刀身に、私たちの黄金のフォワードが限界まで凝縮され、空間が鳴動する。
「アイツらの未来のためなら、俺は、この銀河の未来だって掛け金にしてやる!」
アルベルトは、迫りくる黄金の刃を前に、消え入りそうな声で、深く、幼い子供のような悲痛さを込めて呟いた。
『ふざけたことを……! 私たちは……! 私たちは、いつだって、リリーナ姉さんと三人で共にあったはずじゃないか……! あの、誰よりも輝かしかった日々の中で……!』
「……だから、じゃねえか」
ベレットの心に、一瞬だけ、かつての眩しかった王宮の庭での光景がよぎったのが分かった。
あの頃の、純粋だった三人の笑顔。
でも、彼は覚悟を決めたように、迷いを断ち切った。
「親友だったからこそ、お前を俺のこの手で、止めるんだよ。……アルベルト!!」
『ベレットォォォォォォッ!!』
渾身の力を込めた、黄金に輝くレーザーサーベルの最後の一撃が、迎撃しようとしたエンペラー・オブ・コンドルのビーム・ソードを根元から無慈悲に粉砕し、弾き飛ばした。
武器を失い、完全に体勢を崩した黄金の巨体。
その無防備に晒された胸部のコアユニットへ向けて、スターゲイザー改の、光り輝く拳が、深く、深く、めり込んでいく。
ドゴォォォォォォォォォォォォン!!!
内部からのくぐもった、しかし凄まじい爆発音。
無敵を誇った黄金の装甲が、まるで熟れすぎた果実のように内側から弾け飛び、砕け散った。
供給を絶たれたフォワードエネルギーが、火花となって空間に散っていく。
黄金の機体は、膝から、ゆっくりと、ゆっくりと崩れ落ちていく。
ズズゥゥン……!
遺跡の冷たく硬い床に、その巨体が力なく叩きつけられる。
重い、重い地響きが、広大なドーム空間に響き渡った。
後に残されたのは、破壊され、完全に機能停止して煙を上げる黄金の残骸と、空間に漂う微かなオゾンとイオンの匂い。
……終わったのね。
絶対的な勝利を収めたはずの黄金の彗星のコクピットで、ベレットは荒く、そして、どこまでも悲しい息を吐き出した。
親友を倒すという、深すぎる絶望と悲しみ。
それが、繋がった魂から私の胸にも痛いほど流れ込んでくる。
「……ベレット」
私は何も言わず、ただ後ろから彼をきつく抱きしめた。
彼の流す見えない涙を、私が全部受け止めてあげるために。
化石となった神々の寝所に、私たちの静かな祈りが溶けていった。




