第119話 漆黒の騎士を戦慄させる絶対の殺意と紅蓮の完璧な舞踏
【視点:クラウス】
くそっ……! なぜ当たらない!? なんだ、この異常な機動は!
旧ビックサム学園の廃墟を縫うように、俺は愛機ブラックナイト・カスタムのスラスターを全開にし、紅蓮の機体『クリムゾン・ローゼス改』へと肉薄した。
右腕のレーザーアックスにジェネレーターの最大出力を込め、敵の心臓部めがけて袈裟懸けに振り下ろす。
コンドル王国近衛騎士団でもトップクラスと自負する俺の、完璧なタイミングでの一撃。
――しかし。
手応えは、空を斬る虚しい感触だけだった。
『どこを見ているのかしら?』
通信機越しに響く、絹を震わせるような甘い笑い声。
ローズマリーは、いとも簡単に俺の渾身の一撃をいなし、優雅に、まるでダンスのステップを踏むかのように後方へと機体を滑らせる。
速い……いや、違う。
俺の攻撃の「起こり」を完全に読まれているのか!?
背筋に冷たいものが走るのを自覚しながら、俺は暗号化された秘密通信回線をローズマリーへと繋いだ。
『……! どういうつもりだ、「ブラッディ・ローズ」!』
怒鳴りつける声が、自分でも驚くほど焦燥に満ちていた。
冷静沈着であるべき情報将校の俺が、ペースを完全に乱されている。
『なぜ今、貴様がこのコンドルに現れた! 惑星企業連合の……ブラック・スターの作戦には、貴様の存在など組み込まれていなかったはずだ!』
そう、俺はアルベルト殿下に忠誠を誓う近衛騎士であると同時に、……惑星企業連合の計画の一端を担っている。
その緻密で完璧な計画の盤上に、裏社会の女帝であるこの女の介入はイレギュラーすぎるのだ。
『あらあら、これはこれは、クラウス様。何のことでございましょう? わたくしには、さっぱり』
彼女は通信を受けながらも、一切の悪意を感じさせない声ではぐらかす。
だが、その底知れぬ余裕が、俺の苛立ちをさらに激しく煽った。
『ふざけるな! ミンクスがここにいるということは……まさか! ベレットもいるというのか!?』
俺は再び猛然と加速し、アックスを横薙ぎに振るった。
だが、紅蓮の機体は蝶が花畑を舞うように軽やかにそれを躱す。
『クスクス』
『なぜだ! なぜ貴様のような得体の知れない悪女が、あのベレット・クレイの元にいる! それだけで、不気味で反吐が出るわ!』
俺の心に、どす黒い戸惑いと、割り切れない過去への愛憎が渦巻いていた。
ベレット。
かつて俺たちの親友であり、そして……リリーナ様を守れず、全てを放り出して逃げた憎むべき男。
あいつは不器用で、泥臭くて、真っ直ぐすぎるただの『野良犬』だったはずだ。
こんな、裏社会を牛耳る毒蜘蛛のような女と相容れる要素など、微塵もない。
『わたくしがこの銀河のどこにいようと、別に構わないのではなくって? 彼女の飼い犬である、あなたとは違うのですから。クスクス』
『組織の規律を乱す醜女が!』
『あら? わたくしの魅力が、あなたにはまだ理解できないのかしら? クラウス様』
その言葉と共に、ローズマリーの機体の両腕から、二丁の高出力ビームピストルが一瞬の閃光と共に火を噴いた。
シュン! シュン!
『くっ! この……!』
紅い光の弾丸は、俺がアックスを振り下ろすドンピシャのタイミングで、刃のエネルギー発生器と機体の関節部へと精密無比に撃ち込まれる。
出力が一瞬低下し、俺の姿勢が崩れる。
バカな……! 俺の近接格闘が、たかだか牽制用の射撃だけでこうも完全に封じられるだと!?
圧倒的なスピードと、両手から放たれる精密な火力の連携。
俺の猛攻は、ローズマリーという絶対的な壁の前で、ただの虚しい足掻きへと変質していく。
武力でも、知略でも、この女には届かないという事実が、俺のプライドを容赦なく削り取っていく。
『計画を邪魔立てするつもりか!? 貴様ともあろう者が……! 惑星企業連合に盾突くつもりか!』
俺は動揺した声を上げた。
この女の行動原理が全く読めない。
連合の重鎮でありながら、何の利益があってこんな死地に赴く。
『まあ、ご立派な忠犬ぶりですこと』
ローズマリーの声が一転して、絶対零度の氷のように冷たくなった。
その声色には、俺の問いへの答えと、俺のような合理主義者には到底理解できない世界の深淵が垣間見えた。
『わたくしは、今までも、そしてこれからも。ただ、わたくし自身の魂の命ずるままに行動しているだけですわ』
彼女はそう言うと、ビームピストルの銃口を俺の機体の頭部へと優雅に、しかし確かな殺意を込めて突きつけた。
『なぜ、わたくしがベレット様の傍にいるのか? それは、わたくしの魂が彼を求めている。ただ、それだけ。あなた方の愛と憎悪の連鎖の果てにある、薄汚れたコンドルという名の過去とは一切関係のない……永遠に続く、熱く甘美な「支配の契約」ですわ』
その声はどこまでも澄んで、冷たく、そして狂おしいほどの情熱を秘めていた。
……イカれている。この女は、完全に狂っている……!
損得でも、大義でも、野望でもない。ただの『執着』。
純度100%の、身勝手で暴力的なまでの愛。
俺の生きる論理的な世界線に、こいつの言葉は1ミリも重ならない。
だからこそ、恐ろしい。
『ですから、クラウス。今、もしあなたがわたくしの邪魔をするというのであれば、容赦は致しませんわよ? たとえそれが、かつてのキャプテンのご友人であろうとも……ただの「邪魔者」として排除いたしますわ』
ローズマリーから放たれる、底知れないほどの絶対的なプレッシャー。
俺の背筋を、冷たい汗が伝い落ちた。
彼女の言葉に嘘はない。これは、俺のベレットへの憎悪やアルベルト殿下への忠誠心さえも遥かに凌駕する、次元の違う『狂気』だ。
これ以上やり合えば、俺は確実にここで殺される。
『……ちっ! この、狂人が……!』
俺は忌々しげに舌打ちをし、操縦桿を強く引いて強引に距離を取った。
ここで無駄死にするわけにはいかない。俺にはまだ、見届けなければならない計画がある。
『まあいい。我々も現時点で、貴様と事を構えるつもりはない』
俺は苦渋と屈辱に唇を噛み切りそうになりながら、紅蓮の悪魔から後退する。
『我々はこれより次の作戦へと移行する。もうじき、「あの方」もこちらへお見えになるはずだ』
そう言い残し、俺はブラックナイト・カスタムを漆黒の影へと溶け込ませ、廃墟の闇の中へと音もなく後退していった。
ベレット……貴様、一体どんな因果を背負い込んで戻ってきたのだ。
あいつは、全てを失って逃げ出した臆病者だったはずだ。
だが今、あいつの背後には、あの狂おしいほど強力な紅蓮の女帝や、聖騎士であるミンクスが味方として命を張っている。
かつての過去を乗り越え、得体の知れない強さを手にして。
俺たちが、過去に囚われて立ち止まっている間に……あいつは、先へ進んでいたというのか。
認めない。そんなことは絶対に認めない。
誰が来ようとも。殿下の……いや、我々の悲願は誰にも邪魔させはしない。
胸に渦巻く憎悪と、想定外の事態への戸惑いを冷徹な理性の底に無理やり押し殺し、俺は、地下へと機体を急がせた。




