第111話 星詠の巫女の決意と騒がしきラウンジの朝
【視点:ミュー】
ううぅ……やっぱり、いくらなんでも大胆すぎたかな……。
布の面積が、少なすぎるよぉ……。
スターダスト・レクイエム号の自室の姿見の前で、真っ赤になった自分の顔を両手で覆い、一人で身悶えしていた。
鏡に映っているのは、いつも着ている機能的な服や巫女服じゃない。
淡い水色の、肌が透けるような繊細なレースと艶やかなシルクでできた……少し、いや、かなり背伸びをした『勝負ネグリジェ』を着た私の姿だった。
恥じらいで全身を茹でダコみたいに真っ赤に染め上げながらも、私は両頬をパチンと叩いて気合を入れた。
ドキドキと、心臓が爆発しそうなくらい高鳴っている。
でも、鏡に映る私は、いつもより少しだけ大人びて、ちゃんと『女の人』に見えた。
ベレットが戻ってきた。
ううん、私たちが、あの地獄から助け出したんだ。
……だから、今日こそ、私の本当の気持ちをちゃんと伝えるの!
あの監獄で、もう一人の私が勝手にした『よく分からない、濃厚で大人なキス』。
あれは私であって、私じゃない。
あんなの、ノーカウントだ。
今度こそ、私自身の言葉で……私自身の唇で、ベレットに「好き」って伝えるんだから……!
私は深呼吸をして、高鳴る鼓動を必死に抑え込んだ。
そして、決意に満ちた足取りで、彼の部屋へと続く薄暗い通路を歩き出した。
大丈夫。
今の私なら、きっとベレットも『守るべき子ども』じゃなくて、一人の『女の子』として見てくれるはず……!
彼の部屋のドアの前まで辿り着き、ノックをしようと震える手をそっと上げた、まさにその瞬間だった。
「あらあら、ミューったら。こんな時間に、何をしているのかしら? 良い子はもう、とっくにおねむの時間ですことよ?」
背後から突然かけられた、絹のように滑らかで、氷のように冷たい声。
「ひゃっ!?」
私がビクリとして振り返ると、そこには夜の闇に溶け込むような、漆黒の身体のラインを妖艶に強調する戦闘服を纏ったローズマリーが、壁に背を預け、腕を組んで立っていた。
その仮面の下の瞳が、闇の中で獲物を狙う雌豹のように、妖しく、そして冷酷に光っている。
彼女から放たれる濃厚な薔薇の香りが、私の張り詰めた神経をチリチリと逆撫でした。
な、なんでローズマリーがここに!?
「……! ローズマリー! あなたこそ、こんな時間にベレットの部屋の前で何をしているのよ!」
動揺と、邪魔された怒りで声を震わせながら抗議した。
「ふふ、わたくしはただ、星々を眺めていただけですわ」
ローズマリーは、優雅に肩をすくめてみせた。
「それより、あなたこそ。その随分と『気合の入った』お召し物で、どちらへ? まさかとは思いますが、我らが愛しのキャプテンへ『夜這い』でもなさるおつもり? ……まあ、お子様にしては随分と大胆なことですこと」
彼女の言葉には、明確な嘲りと、大人の女としての圧倒的な余裕が込められていた。
「なっ……! な、なによ! あなたには関係ないでしょ! どいてよ! 私はベレットに大事な用があるの!」
図星だなんて言えない!
でも負けたくない!
顔を真っ赤にした私は、ローズマリーを押し退けて、ベレットの部屋のドアを開けようとした。
「駄目ですわ」
ローズマリーは、私の前に音もなく立ちはだかった。
「今宵、ベレット様は大変お疲れであられます。そして今頃は、彼の忠実で献身的な『相棒』が、甲斐甲斐しくお世話を焼いている最中でしょうから。……野暮な邪魔はしないのが、淑女としての最低限の嗜みというものですわよ?」
彼女の声は静かだったが、そこには絶対的な拒絶の響きがあった。
「相棒って……ナビィが!? なんでナビィがベレットの部屋にいるのよ!」
……嘘!
あの真面目なナビィが、こんな夜更けにベレットと二人きり!?
だからローズマリーは、ナビィのためにここで見張りを……!?
「ふふ。それは、ご想像にお任せしますわ」
ずるい! 抜け駆けなんてずるい!
私だって我慢してたのに!
「今日じゃないと嫌なの! 私だって、ベレットに伝えたいことが……! どいてってば!」
私はもはやなりふり構わず、嫉妬と焦りで駄々をこねるように、ローズマリーを力任せに突き飛ばそうとした。
「あらあら。本当に、聞き分けのないわがままなお子様ですこと」
ローズマリーは、深く、冷たいため息をついた。
「どうやら、少し『お仕置き』をして差し上げる必要がありそうですわね」
ローズマリーの表情から、完全に笑みが消えた。
その仮面の下の瞳には、氷のような、絶対零度の冷徹な光が宿っている。
「……! ローズマリー! あなた、まさか……!」
私は、彼女から放たれるただならぬ殺気に気づき、咄嗟にフォワードの力を高めて身構えた。
暗い廊下に、私の身体から放たれる眩い黄金のオーラが満ちる。
私だって、もう昔の守られてばっかりの私じゃない!
星詠の巫女の力で、突破してやる!
そして私は、ベレットの部屋のドアへと全速力で突進した。
だが、次の瞬間。
ローズマリーの身体が、まるで幻影のように、ふっと掻き消えた。
「……えっ?」
消え……た?
一瞬にして、ローズマリーは私の背後に回り込んでいた。
圧倒的な、実戦経験の差。
「きゃっ……!」
私は短い悲鳴と共に、目の前が真っ暗になり、その場にくたりと意識を失って崩れ落ちた。
嘘……私、負け……。
「やれやれ。本当に手間のかかるチビ助さんですこと。これは、少しばかりきつめの『躾』をして差し上げる必要がありそうですわねぇ」
最後に微かに聞こえたのは、ローズマリーの嗜虐的な呟きだった。
◇
「……んっ……」
翌朝。
私は、頭に血が上るような、ひどい不快感で目を覚ました。
……あれ?
ここは…、ラウンジ?
なんだか身体が重い……っていうか、私、逆さ吊り!?
私は天井から、昨夜の淡い水色のシルクのネグリジェ姿のまま……縄で縛られ、逆さまに吊るされていたのだ!
しかも口には赤いシルクのスカーフがきつく巻かれ、声も出せない。
「………んーんーんーーーーー!!!! んーんーんーーーーー!!!!」
な、何するのよぉぉぉ! 降ろしてよぉぉぉ! ローズマリーの、バカァァァァァッ!!
まだ青い胸元や、太ももの付け根の恥ずかしい部分に、縄がきつく食い込んでいる。
うそでしょ!? なにこれ、恥ずかしすぎる!!
羞恥と悔しさと、そして訳の分からない屈辱に、大粒の涙がぽろぽろと零れ落ち、床に小さな染みを作った。
そんな私の言葉にならない叫びを、ラウンジに集まった仲間たちは、それぞれの反応で見つめていた。
「な、何やってんだ、ミュー……? お前、そういう趣味が……?」
驚きと困惑を隠せず、思い切り顔を引きつらせているベレット。
ちがーーーう!! 誤解しないでベレットォォォ!!
私の純情な乙女のイメージが崩壊しちゃう!!
私は首をぶんぶんと横に振って必死に抗議したけれど、声にならない。
「ミューさん、大丈夫ですか? 身体的拘束を確認。……ですが、これは極めて高度な結束技術です。無理に解くと関節を外す恐れがあります。直ちに解除シークエンスを演算します」
純粋に心配し、状況を真面目に分析しようとするナビィ。
ナビィ! 分析はいいから早く解いてぇぇ!
「……! こ、これは……! 人体の力学的構造と緊縛の美学が、完璧に融合している……! 実に面白い! 後で構造解析させてもらってもいいかしら!?」
全く別の意味で目を輝かせ、スケッチブックを取り出して興奮気味に観察を始めるユウキ。
ユウキ! 見ないで! メモしないでぇ! 消去してぇ!
「ああ、哀れなる、迷える子羊よ。どうかあなたに、フォワードの御加護があらんことを……」
何が起こったのかを瞬時に察し、自分じゃなくて良かったと安堵しながら、不運な私に同情と哀れみの祈りを捧げるミンクスさん。
祈ってないで助けてよ、シスター!
そして。
「あらあら、ミューったら。昨夜は随分と激しい『夜の趣味』にお耽りになっていらっしゃったようですわねぇ? ええ、さぞかし一人でお楽しみだったことでしょう? くすくすくす」
全ての元凶であるローズマリーは、ソファに座って優雅に朝のティーカップを傾けながら、心底楽しそうに、悪魔のように美しくあざ笑っていた。
こ、この女豹……! 悪魔……! 絶対に許さないんだからぁ……!
私はこの日、心と身体に深く、深いトラウマを刻み込まれた。
そして当面の間は、この恐ろしく、絶対に敵わない仮面の女帝には決して逆らわないようにしようと……逆さ吊りで涙と鼻水を垂らしながら、固く固く魂に誓うのだった。
キャプテンが戻り、新たな日常が始まったスターダスト・レクイエム号。
私にとっては最悪の幕開けだったけれど……それでも、大好きな彼が生きているこの騒がしい朝が、私はやっぱり、大好きだった。




