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第109話 絶望の底から帰還した男。涙の抱擁と狂気を止めるための新たな航海

コンドル王立監獄コロニーでの救出と脱出の後。


俺たちのスターダスト・レクイエム号は、アステリア・リーフの亡霊のように静まり返った星屑の影に、再びその身を潜めていた。


艦内の清潔で無機質な医務室。


青白い光を放つメディカルポッドが、プシュウという静かな排気音と共に、ゆっくりと開いた。


ポッドの培養液から身を起こした俺は、重い身体を引きずるようにして外へ出た。


身体中にはまだ無数の痛々しい傷跡が残って、動くたびに鈍い痛みが走る。


アルベルトのあの狂った眼差し。


完全に枯渇し、闇に沈みかけていた己のフォワード。


宇宙海賊になった時から、いつ野垂れ死んでも文句は言えねえと覚悟は決めていた。


それなのに。


「マスター!」

「ベレット様!」

「モルモット!」


まだ少し覚束ない足取りでポッドから降り立つと、待ち構えていたヤツらが一斉に駆け寄ってきた。


ナビィの琥珀色の瞳は、普段の冷静なAIらしからぬ、深い安堵と歓喜の色に潤んでいる。


ローズマリーは仮面の下で、安堵の息を熱い吐息のように漏らし、艶やかな唇をほころばせた。


ユウキは、白衣の袖をギュッと握りしめ、眼鏡の奥の翠緑色の瞳を潤ませて唇を噛み締めている。


そして、ミューは。


「ベレットォォォォォォッ!!」


もはや言葉にならない、魂からの叫びと共に、アイツは、まだ治療薬の匂いが微かに残る俺の胸の中へと、小さな身体ごと勢いよく飛び込んできた。


「うわっ! おい、ミュー、落ち着けって……! ぐえっ、傷に響く……!」


俺は驚きながらも、思わず顔をしかめつつ、その小さな背中を大きな手で優しくしっかりと受け止めた。


腕の中にすっぽりと収まる、ひどく温かい体温。


「……っ! 本当よぉ! どれだけ、どれだけ心配したと思ってるのよぉ!」


ミューは俺の胸に顔を埋め、しゃくり上げながら、甘えるように、そして心の底からの安堵を込めて訴えてきた。


胸元に染み込んでくるアイツの涙は、悲しみじゃなく、ただ俺が生きていたことへの純粋な喜びの熱い雫だった。


その真っ直ぐすぎる想いが、俺の薄汚れた胸の奥をチクチクと刺す。


この小さな巫女は、俺の命を繋ぎ止めるために、その細い腕でどれほどの無茶をしたっていうんだ。


「ベレット様……」


ローズマリーが、仮面の下で穏やかな、けれどひどく女らしい微笑みを浮かべて語りかけてきた。


「本当に、ご無事で何よりですわ。わたくし、ずっと、ずっと信じておりましたから。あなたが必ず、あの絶望の淵からでも、生きて戻ってきてくださると」


「ああ……ありがとな、ローズマリー」


俺は柄にもなく顔が熱くなるのを感じて、照れ隠しのように彼女から視線を逸らした。


「フン! まあ、モルモットとして、しぶといだけはあるわね!」


ユウキが、照れ隠しのように眼鏡の位置を神経質そうに直しながら、ぶっきらぼうに言った。


「ま、まあ、助かって良かったじゃない……! 別に、心配なんてしてなかったけどね!」


「ははっ、誰がモルモットだ。……お前も、あのヴァルキリーでわざわざ助けに来てくれたんだってな。徹夜で機体を組んでくれたんだろ? 感謝してるぜ」


「……! と、当然よ!」


ユウキは顔を真っ赤にしながらも、技術者としてのプライドで嬉しそうに胸を張った。


俺は、そんな仲間たちのそれぞれの反応に、自分の心の奥底にあった硬く冷たい氷が、音を立てて溶けていくのを感じていた。


本当に、どいつもこいつも……馬鹿野郎ばっかりだ。


俺のために、命を懸けて地獄の底まで。


涙が溢れそうになるのを、俺は必死に奥歯を噛み締めて堪えた。


宇宙海賊が女子供の前で泣くわけにはいかねえからな。


ふと、俺の胸の中にいたミューが顔を見上げた。


なぜかアイツの顔が、瞬間湯沸かし器のようにカッと真っ赤に染まっている。


まるで何かとんでもないことを思い出したかのように、ワタワタと視線を泳がせていた。


ん? どうしたんだ、急に?


そういや、死の淵で、ローズマリーとは違う、もっと優しくて……でもひどく熱い何かが魂に触れたような感覚があったが……気のせいか?


「ね、ねぇ、ベレット……! こ、これから、どうするつもり……!?」


ミューは、明らかに何かを誤魔化すように、慌てて話題を変えてきた。


その問いかけに、俺の瞳に再び鋭い決意の光が戻る。


「やることは、決まってる」


俺はミューを胸の中からそっと離し、仲間たちを一人一人見渡して、力強く答えた。


「アルベルトを……アイツの狂気を、止める。『星の遺産』の起動を絶対に阻止する。そして、リリーナを、アイツの歪んだ執着という名の呪縛から、解放してやる!」


過去から逃げるのは、もう終わりだ。


俺を信じてくれたコイツらのためにも、俺は俺自身の過去にケリをつけなきゃならねえ。


「……! 私も一緒に行くわ! 今度こそ、私がベレットを守るの! 私のフォワードで!」


「ええ。わたくしも当然、お供いたしますわ。ベレット様の、親愛なる、そしてただ一人の『下僕』として」


「マスター。このナビィも、どこまでもお供いたします。もう二度と、あなたを一人にはさせません」


「あたしも協力するわ! 父さんの、そしてあたしの技術で、必ずあんたたちを勝利へと導いてみせるんだから!」


「助かるぜ。みんな」


俺が深く頷いた、その時だった。


部屋の隅で一人、気まずそうに佇んでいたシスター・ミンクスが、意を決したように一歩前に進み出た。


「ベレット」


彼女は、俺の目を真っ直ぐに見つめた。


「私も……どうか、この戦いに同行させてほしい」


「ミンクス…?」


「今回の、あなたの危機は、元をただせば、我々アンドロメダ正教会が持ち込んだ依頼が、その発端。その責任は、この私が、取ります。それに」


彼女は、一度、言葉を切り、深く息を吸った。


「私にも、けじめをつけなければならない、過去がある。コンドルに、そして、アルベルト王子に。かつての同級生として、そして、あなたを、あの時、救えなかった者として、やらなければならないことがある。だから、お願い。私を、あなたたちの、この戦いに、加えてほしい」


その水色の瞳には、聖騎士としての仮面を脱ぎ捨てた、一人の女としての痛切な感情が揺れていた。


俺は、ミンクスのその痛切なまでの表情を見つめ……そして、静かに笑って頷いた。


「分かった、ミンクス。だが、お前がそこまで気に病む必要はねえよ」


「え……?」


「俺が捕まったのは、別にお前のせいじゃねえ。俺が、ただ弱かっただけだ。俺自身の心の弱さが、アルベルトを止められず、そして、俺自身を、あの牢獄へと追いやったんだ」


自分自身の弱さを、素直に認めた。


「だがな、今はもう違う。俺には、お前たちがいる。こんな、最果ての監獄まで、命懸けで、助けに来てくれる、かけがえのない仲間たちが。こんな、弱くて、情けなくて、どうしようもない俺のことを、それでも、想ってくれる仲間たちが。だから、ミンクス。俺は、もう負けねえ。絶対にだ」


強い決意で、ミンクスを見つめた。


「俺はもう負けねえ。絶対にだ」


俺は強い決意の目で、ミンクスを見つめ返した。


「だから、顔を上げてくれ、ミンクス。俺たちは……もう、仲間だろ?」


「ベレット……ええ、そうね」


ミンクスは目を大きく見開き、ウィンプルの下で微かに涙を滲ませた後、凛とした……かつての頼もしい戦友の顔つきで頷いた。


まったく、不器用で真面目すぎるヤツだぜ。


「ミンクスが本気で手伝ってくれるってんなら、そりゃあ百人力だ! いや、千人力か! 助かるぜ!」


「えー! ちょっと、ベレット! 私が一番役に立つんだから! 私にも、もっと期待してよ!」


ミューがすぐにミンクスに対抗心を燃やし、俺にむっとした顔を向けてきた。


「ははっ、分かってるって! ミューにももちろん期待してるぜ!」


俺はそう言って、ミューの頭を信頼を込めてわしゃわしゃと撫でた。


「あらあら、ミューったらやきもちですの? 可愛らしいこと」


すると今度は、ローズマリーが俺の腕にしなやかに、そして大胆に絡みつきながら、扇情的な笑みを浮かべてきた。


豊かな胸の感触が、腕越しにモロに伝わってくる。


「でも、ベレット様? わたくしにも、もっと、もーっと期待していただけると嬉しいのですけれど?」


その声は蜜のように甘く、俺の理性を激しく揺さぶる。


思わず、心臓が、ドクリ、と大きく跳ねるのを感じた。


コクピットでの魂を溶かすような深紅の唇の感触が、鮮やかに蘇る。


「お、おう、ローズマリーもな。俺がいねえ間、船の指揮を執ってくれて、本当に助かった。これからも、俺の右腕として、支えてくれよな」


「ええ、もちろんですわ、ベレット様。お支えいたします」


ローズマリーは、満足げに微笑んだ。


「……けれど、戦いやお仕事のサポートだけではありませんわよ? あなたの身の回りのお世話に至るまで、このわたくしが、し・っ・ぽ・り・と、お世話させていただきますわ。……ふふふっ」


「もーーーーーっ! ベレットも! ローズマリーさんも! なんなのよーっ! 私のベレットなんだから! 二人でいちゃいちゃベタベタするの、禁止ーーーっ!!」


「あらあら、ミューったら。良いじゃありませんか。まだまだ、お子様ですわねぇ。くすくす」


ローズマリーは大人の余裕でそれを軽くいなす。


「本当に、もう、なんなのよー!私だって!私だって、ベレットのこと、大好きなんだからぁ!」


ミューは、顔を真っ赤にして、ローズマリーに抗議した。


「やれやれ。本当に、元気な二人ねぇ~」


「そうですね」


ユウキとミンクスは呆れながらも笑っていた。


「皆様が、ご無事で、そして、お元気そうで、何よりです」


ナビィもまた、その琥珀色の瞳に温かい光を宿し、この奇妙な家族の喧騒を肯定するように静かに見守っている。


……悪くねえな。


キャプテンが戻った、スターダスト・レクイエム号。


俺は、このうるさくて、騒がしくて、でもどうしようもなく温かい居場所を絶対に守る。


暗雲立ち込める混沌とした銀河を行く、ベレット海賊団。


過去の因縁に決着をつけるため、俺たちは、全てを終わらせる最後の航海へと歩み出すのだった。

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