1章:6話「悪夢」
彼は、夢を見ていた。
全てが燃え上がる世界を、暗闇が包み込んでいる。
その真ん中にいるのは、一人の子供。
長い金髪を三つ編みにした、深い紫色の瞳を持つ、人形のような顔立ちの少年――レオンだった。
少年は、その大きな瞳からさらに大きな涙を溢れさせて、その少女のような顔を無様に歪めながら叫んでいた。
――『助けて!』『お願い!』『ここから出して!!』と。
その願いも虚しく暗闇に消えていき、少年は炎に包まれていく。
『熱い!』『いやだ!』『死んじゃう!』という叫びすらも焚べられているのか、その炎は激しさを増す一方であった。
少年は生きたまま燃やされ続けた。肌は灼かれて、肉を露わにする。
それすら、炎は黒く焦がしていき、その悪臭を撒き散らすように炭化していった。
少年の美しい双眸も、灼熱の炎に炙られ、ついには破裂してしまい、眼球内の水分すら瞬く間に蒸発して暗闇へと溶けていく。
肉が焦げ落ち、露出した骨さえも熾火のように白化し、ひび割れた。
そんな中でも、意識――いや、“生きて“いるのか、白骨化しひび割れた骨だけで、“それ“はもがくように動き続けた。
既に喉や舌さえ失い、言葉を発することができないその姿は、すでに死んでいるのに、その痛みを全て知覚しているかの様相で。
この地獄から抜け出そうともがく姿は、酷く残酷で悲惨な光景であった。
そんな彼のもがきすら、炎の中から出てくる“黒い腕“によって封じられる。炎が空気を燃やす音の中で聞こえてくる怨嗟の声。
『なんでお前だけ、助かった』
『私だって、生きたかったのに!』
『どうして、助けてくれなかったんだ!』
『なぜ、お前みたいな“落ちこぼれ“が!!』
彼は、もがこうとしているのか、――かつて手だったであろうそれを耳に持って行こうとする。
まるで、聞きたくない、と耳を塞ぐように。
――だが、それすらも赦されない。
彼の手は、炎の中から新たに現れた黒い腕によって、完全に押さえ込まれた。その最中、彼の左腕がポロッ、と取れる。
炎の中から現れる、今度は焼かれた人の頭。黒く炭化し、丸みを帯びているそれは、彼の耳元に集まり、掠れた声をあげ始めた。
『卑怯者! 逃げ延びて生きて、そんなに嬉しいか!!』
『お前が死ねばよかった! そこを変われ!!』
『いいや! こっちへ来い! ゆるさない! ゆるさない!!』
『お前は必ず、地獄へ落とす! ここはまだ入り口だ!! お前の罪はまだ贖えない!!』
『私の子供を、かえして!!』
『死ね! 焼かれ続けろ!!』
もがき続ける彼は、口々に罵られる。
暗闇の向こうから、蔑んだ目で見つめる人間達がいた。
『ははっ! 哀れだな! “落ちこぼれ“に相応しい、惨めな姿だ!』
『だから言っただろう! 騎士よりも、“男娼“として生きていた方がマシだったと!!』
『その“貌“だけが取り柄だもんな! この腐った“穴“が!!』
『いつも一人で逃げ出して! お前についていく人間が可哀想だ!』
『お前は関わる人間全てを不幸にする! いない方が世のためだ!!』
『お前は“騎士の恥“だ! さっさと、消えちまえ!!』
耳障りな嘲笑の声。
――やがて、彼は動きを止める。だが、死んだのではない。諦めたのだ。
涙すら流せない、焼かれ続けて白化し、砕けていく骨。その痛みすら感知しながら、彼はもがく事をやめた。
(ごめん、なさい⋯⋯。ごめん、なさい⋯⋯! ごめん、なさい!!)
地獄の苦しみの中、彼は謝り続けた。
(ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。)
もう、彼は随分と長い間、毎日欠かす事なくこの夢を見ている。
それは、奪われた故郷――イースクリフから救出された十一歳の頃から、今日までの四年間、その殆どであった。
きっかけは、彼と故郷を同じくする人から漏れ出てしまった――『なんで、私の息子は帰って来なかったの⋯⋯』という言葉を隠れて聞いてしまった事だった。
もちろん、その人はレオンの事を謗った事は無い。
だが、彼が戻り、自分の息子が帰らないとなれば、そう思ってしまうのも無理はないだろう。
現実を生きれば、なにもかも上手くいかず、学生達から浴びせられる誹りの声。夢に逃げれば、焼かれ続ける地獄の悪夢。
故郷という“安息の地“にはもう戻れず、自らのアイデンティティとなる、救出されるより以前の記憶さえ失っている。
そんな中、彼は疲れ切っていた。もう、いい。もう、終わりにしたい。と。
自らの――“魔力欠乏“。それにより、先も長くない。
恐らく、世話になった人達に恩を返す前に、自分は死んでしまうだろう。
そんな彼は、誰にも頼らず、頼ることが出来ずに、今日まで生きてきた。
(⋯⋯ごめん、なさい。生きていて⋯⋯。助かってしまって⋯⋯。)
『いるだけで不幸になる。お前は周りを不幸にする』
(⋯⋯ごめん、なさい。どうか⋯⋯。もう、すぐ、終わりますから⋯⋯。)
レオンは、この燃やされ続ける地獄の中で、毎日、毎日、謝り続けた。
かつて深い紫の瞳が入っていた孔は虚無に満ちている。
彼には、この苦痛を嘆き、悲しむ事さえ許されず、ただ謝り続ける事しか出来なかったのだ。
――しかし、夢の中で変化が訪れた。
暗闇の中、突如太陽が現れたかのように、世界の中心に光が生まれたのだ。
四年間、怨嗟の声が増え続ける以外は、変わることの無かった悪夢。
そんな地獄に、まるで救世主のように現れた、温かい光。
そこから現れる、五人の美しい、光り輝く女神達。
彼女達は、その輝く体を骨となったレオンの体に密着させ、絹のように美しい手で撫で始める。
すると、撫でられた箇所の骨が戻り、神経、血管、魔導管が全身を走り、肉が再生し、元の美しい肌まで元通りになった。
女神達はレオンの体を撫で続け、やがて少年はその体を取り戻したのだ。
(⋯⋯暖かい、優しい。甘い、香り。柔らかい、感触。心地良い、声。)
女神達は、少年の耳元で何かを呟いていた。
――何を話していたのかはわからないが、その声だけでも幸せだった。
そして、その小さく華奢な体を優しく支えると、五人の女神達は太陽の方向へとレオンを連れていく。
――まるで、この地獄から救い出すように。
(もう、終わり、なの? いやだ。このまま、ずっとここにいたい⋯⋯。離れたく、ないよ⋯⋯!)
彼は、あまりの幸せに、夢から覚めないでほしいと本気で思ったのだった。
夢であれば、裏切られる事はない。拒絶される恐怖に心配することもない、と。
怖かった事、痛かった事、辛かった事。
その全てを洗い流すようにその光は優しく、レオンを包み込んで離さなかった。




