1章:5話「最高峰の騎士、イングリッド」
広場は、未だ静寂に包まれている。
響く音は、刀とクレイモアの刃が擦れる、ギギギ、といった金属音のみ。
その火花の重厚な匂いさえ感じるような場所で、二人の少女は鍔迫り合いをしていた。
先程まで決闘をしていた緑髪のリーダー格の男は、吹き飛ばされた場所から一歩も動かない。
剣を合わせた彼女達はそんな彼の様子を一瞥もせず、周囲の人間は彼女達の様子を息を呑んで見守っていた。
その静寂の中、最初に口を開いたのはルナだった。
「邪魔、です。その鉄塊ごと、細切れになりますか?」
「⋯⋯規則を、知らないのか?」
ルナの言葉に、鳶色の少女が口を開く。
彼女は、クレイモアを押し出すように刀を弾き返し、体勢を整えて再びルナに向き合い、続けた。
「校内での決闘は、固く禁じられている。まして、真剣でのやり取りなど、正気じゃない」
「最初にルナの大切なものを傷つけたのは、そちらです。誇りを穢されたままでいろと?」
「だとしても、規則は規則。それを守らないのは、騎士にあらず、だ」
「大した規則、ですね。むやみに“人を謗ってはいけない“というのも、追加した方がよろしいのでは?」
「⋯⋯考えて、おこう」
話をしながらも、全く隙を見せない二人。
会話をしているように見えても、二人の視線は互いの体、特に足に向けられ、何時でも捌けるように空気を凍らせている。
そんな中、他の彼女達と共にレオンを介抱していたエリザが、口を開いた。
「あれは、“イングリッド“副団長⋯⋯!」
「⋯⋯有名な、方なのですか?」
驚愕するエリザに、シルフは未だ極寒の地にいるように震えているレオンの背中を撫でながら質問する。
「有名なんてもんじゃない。この騎士学校でも最高峰の剣士、教導騎士団の副団長だ⋯⋯!」
「なぁに? それ」
ヒルダは、気怠いままエリザに返す。レオンの小さい頭を、その豊かな胸に包んで撫でながら。
「騎士学校内の学生を“教え“、騎士としてより高みに“導く“。この校内でそれが許された、エリート中のエリートだ」
「確かに、只者ではなさそうだねぇ〜?」
エリザが説明を終えると、クロラもその灰色の瞳を光らせ、イングリッドの全てを見透かすように観察していた。
――イングリッド・ルーデル。
通称、“心眼“のイングリッド。
鳶色の豊かな髪をポニーテールにした、小柄な少女。
その年端もいかぬ少女のような可愛らしい貌にそぐわない、鷹のように鋭い目を持つ、騎士学校最高峰の剣士だった。
イングリッドは一息つくと、その小柄な体格には全く合わないような大剣を軽々と肩に背負う。
その些細な動きだけでも、広場の空気が物理的に重く押し潰されるような錯覚を覚えた学生達は、一斉に息を呑む。
――そんな事は全く意識すらしていなように、彼女はその鋭い瞳をルナからエリザへと移した。
「⋯⋯エリザベート・バルクホルンだな。彼女達は? 見た所、学生では無いようだが」
「は、はい! それが、彼女達は⋯⋯」
「⋯⋯彼女達は、僕の“護衛“です⋯⋯」
イングリッドからの問いに、エリザが返答に窮していると、震えたままのレオンが代わりに返答した。
「貴様は?」
「⋯⋯騎士学校三年、水の学年のレオハルト・フォン・リヒトホーフェンです」
「なるほど。貴様の護衛、というのは?」
「⋯⋯文字通りの意味です。僕が、連れてきました。責任者は、僕です」
「体調が、悪いようだが」
「⋯⋯大丈夫、です。問題、ありません」
レオンは、未だ震えた膝に手を添えて、無理やり立ち上がった。
――その姿は、あまりにも痛々しく、それを見ていた彼女達は美しい表情を少し歪める。
「規則は、規則だ。追って処分は伝える。覚悟しておけ」
「⋯⋯はい。申し訳ありません、でした⋯⋯」
「騎士として生きるのであれば、もう少ししっかりしろ。情けないぞ」
「⋯⋯はい。⋯⋯精進、いたします⋯⋯」
「あらあら、学園の秩序を守る騎士様が、我が主人を虐めるなんて、見ていられませんね」
イングリッドから言葉を告げられ、力無く返答したレオンを見かねたのか、シルフが切り込んできた。
「⋯⋯虐める? 私が⋯⋯?」
「はい♡ だって、そうではありませんか? 皆さんで、寄ってたかってレオン様を誹り、反論すれば処分される。これが“虐め“でなくて、なんなのでしょうか?」
シルフはあくまで優しい声音で彼女に話している。しかし、言葉の節々から、彼女がとてつもない怒りを宿していることは明らかであった。
そんなシルフを遮るように、レオンが割って入る。
「シルフ⋯⋯! 大丈夫、僕は大丈夫だから。⋯⋯僕が、全部悪いから⋯⋯」
「⋯⋯! しかし、レオン様!」
「⋯⋯大丈夫。心配しないで」
「レオン様⋯⋯」
レオンは落ち着きを取り戻したようで、普段の様子に戻っていた。
――その表情は陰り、今にも消えてしまいそうな程儚いものだったが。
「⋯⋯では、私は失礼する。しばらく休め、リヒトホーフェン」
「⋯⋯はい、ありがとうございます。⋯⋯迷惑をかけてしまい、申し訳ありませんでした」
そう言って、イングリッドはその場を後にする。
――その途中「虐め⋯⋯か。教えるの、難しいな⋯⋯」と独り言を呟いていたのは、誰にも聞こえなかった。
「レオン、本当に平気?」
いつも元気なノエルは、とても心配そうに眉をハの字にしてレオンの顔を覗き込む。
「⋯⋯うん。心配かけてごめんなさい。僕はもう、大丈夫だから」
「⋯⋯とても、そうには見えないけれど」
ヒルダも、気怠げではあるが、いつもの高圧的なものは感じられなかった。
「⋯⋯大丈夫。大丈夫だから⋯⋯」
「そんな事言って、無理しちゃってぇ〜? お姉さんに、甘えてもいいんだよぉ〜?」
呪いのように大丈夫、と言っていたレオンにクロラが甘い声をかけると、彼は感情が爆発したかのように大声を出した。
「⋯⋯本当に!! 大丈夫だから!!」
急に叫ぶレオンに、驚愕するクロラ。
彼の悲鳴にも似た絶叫が、広場の石畳に跳ね返り、冷たく消えていく。
一瞬、世界から全ての音が消え、ただ彼女達の驚愕に満ちた視線だけが、針のようにレオンの肌を刺した。
その視線が集まり、やってしまった! と後悔するレオン。
彼は、彼女達から目を背けるようにして、エリザに切り出した。
「⋯⋯っ! 大声、出して⋯⋯ごめん、なさい。⋯⋯エリザ。彼女達を、宿まで案内してあげて。お代は僕が払うから⋯⋯」
「おい、レオン!」
「⋯⋯お願い、頼んだよ⋯⋯!」
そう言って、エリザが制止するのも聞かずに、レオンは自分の寮まで走って行く。
(⋯⋯やって、しまった! 僕の、命の“恩人“なのに⋯⋯!!)
彼は走り続けながらも、後悔を強めていく。
『――楽しそうだったな。俺たちは、もう、望む事すらできないのに』
(⋯⋯僕なんかを、助けたから⋯⋯! “また“、後悔させてしまう⋯⋯! “また“、失望させてしまう⋯⋯!!)
『――“落ちこぼれ“。お前さえいなければ、今ごろ――』
(⋯⋯いやだ、いやだ、いやだ! 彼女達に嫌われるのは⋯⋯! 彼女達に、拒絶されるのは⋯⋯! “また“、裏切られるのは、いやだ!!)
――走り続けていた彼の瞳に、大粒の涙が溢れていたのには、誰も気が付かなかった。
彼は、彼女達から逃げるように寮へと駆け込み、自らの心に鍵をかけるように、自室の鍵を閉めた。
部屋には、レオンの荒い呼吸音だけが冷たく響く。
鍵を閉めた瞬間に訪れた静寂が、外の喧騒よりも鋭く彼の心を突き刺したのだった。




