1-1話「踠き」
夢を見ていた。
――息が、できない。
肺が潰れる音が、内側から聞こえた気がした。
あたり一面に充満するのは、錆びた鉄と鼻の奥にこびりつく濃密な血の匂い。
耳鳴りの向こう側で、獣のような下品な哄笑と、なにか濡れたものが叩き潰される音が響いている。
――重い。熱い。痛い。
逃れられない圧迫感。まるで世界そのものに押し潰されているように、僕は地面に横たわり、指一本さえ動かす事は叶わない。
泥と血に塗れた視界の中心で、誰かが倒れている。
見上げる様な大男の影が、その小さな体を枝の様に掴んでいた。
その横には、飴細工のようにひしゃげた分厚い大楯が、無惨に転がっている。
かつて、"守護"を誓ったはずの鉄塊は、もはや鉄屑にしか見えなかった。
「⋯⋯あ⋯⋯、が⋯⋯!!」
叫ぼうとした喉からは、ひゅー、という掠れた風の音しか出ない。
伸ばした指先は、虚しく泥を掻くだけ。
(まだ、だめだ⋯⋯。行かなきゃ⋯⋯。助けなくちゃ⋯⋯!!)
焦燥感と絶望だけが確かな中、僕の視界は冷たい泥のように塗りつぶされていった。
+
「⋯⋯!!」
――体が跳ねるように、レオンはベッドの上で目を覚ました。
そこは夢で見たような場所ではなく、豪奢な天蓋付きの巨大なベッド。木枠には彫刻が施してあり、肌に触れるようなシーツなどは全てシルクでできている。
そんな肌触りの良い天国のような空間で、彼は覆い隠されるように頭まですっぽりと毛布をかぶっていた。
時折、彼が身じろぎする衣擦れの音。甘く優しい香り。そしてカーテンの隙間から覗く陽光だけが、ここが平和な朝である事を告げている。
(⋯⋯夢⋯⋯?)
――レオンが魔剣を手にしてから、約一月。
あの日以来、彼を苦しめていた"焼かれる悪夢"悪夢を見る事は少なくなり、代わりに要領の得ない不思議な夢を時折見るようになっていた。
(悪夢、じゃ無かったけど。なんだろう、この不安な気持ちは⋯⋯。)
だが、それで彼に今までのような睡眠不足などの不都合がある訳ではなかった。
毎朝起きた直後には夢を見た事は覚えていたが、時間が進むにつれて夢の輪郭が溶け、昼になる頃には忘れてしまう。
この日も、彼はその夢に思いを巡らせようとしていたが、次の“異変“によってかき消されてしまったのだった。
(? 目の前が、真っ暗)
レオンは、周りを確認するかのように首を動かそうとするが、シーツが擦れる音がするのみ。
そんな彼に、次の“異変“が襲ってくる。
(⋯⋯! 息が、出来ない⋯⋯!)
――まだ、夢を見ているのだろうか。
そう思うレオンであったが、彼はその小さな体を覆い尽くす、暖かく、やけに柔らかな感触を確かに感じると、彼の顔全体を覆う“何か“を払うように身じろぎを続ける。
――しかし、そこから抜け出すことは出来ず、より的確に彼の小さな顔は塞がれてしまったのだった。
「⋯⋯⋯⋯ん⋯⋯」
レオンが体を動かそうとしていた為か、彼の寝ているベッドから、鈴が鳴るような、綺麗な声が一つ響く。
(頭の上から声⋯⋯。これは、ルナの声⋯⋯か?)
彼の予想は的中したようで、レオンは濡れ羽色の髪を持つ少女――ルナに捕まっているようだった。
彼より背が高く、力も強い少女に捕えられてしまい、身動きが取れないレオンは手首を必死に動かし、ルナの体を包帯だらけの手でぺちぺち叩く事しか出来なかった。
(くるしい! あつい! とっても! 川で溺れたことはあるけど、まさかベッドの上で溺れるなんて!)
レオンはそう思いながらも、ルナの体をぺちぺちと叩く。
しかし、彼の限界を示すように弱々しい音が響くのみで、彼女達の拘束はより一層強まるのみであった。
「ん、レオン⋯⋯むにゃ」
「っ! っ!!」
(むにゃ、じゃない! まずい、いしきが⋯⋯とおのく⋯⋯。)
限界を迎え、もう一度眠りについてしまいそうなレオン。
そんな彼の眠る寝室の扉がガチャ! と勢いよく開かれた。
「レオン、朝だぞ! いつまで寝ているつもりだ!」
寝室に、凛とした声が響き渡る。同時に、燻んだ金髪をポニーテールにした少女――エリザが、入ってきた。
エリザは寝室に入った勢いそのままに、レオン達が眠るベッドに向かい、その毛布を引き剥がす。
――そこには、ルナの豊かな胸に顔を埋めているレオンの姿があった。
それだけではない。彼の背中には、真紅の髪を持つ少女――ヒルダが、レオンの華奢な体を後ろから抱きしめており、白金の髪を持つ少女――ノエルは、彼の腰に覆い被さるように眠っていた。
そんな状況のレオンは、身動き一つ取れない状態で、手首だけでエリザに助けを求めるように手を振っていた。
思考が停止したかのように、毛布を持ったまま硬直するエリザ。
しかし、やがて状況を理解した彼女は、その凛々しい顔を真っ赤に染めていく。
「レオン!! 毎朝、毎朝、不埒だぞ!! いったい何度言えばわかるんだ!!」
そう叫びながら必死にレオンを救出しようとするエリザ。
――しかし、レオン達に抱きつく少女達は彼を盗られまいと、より力強く抱きしめていく。
レオンの手首が力なく項垂れ、ペタリとシーツに落ちた。
彼が再度眠りについた事など誰も気付かぬまま、ベッドの上では今日も負けられない女の戦いが繰り広げられていたのだった。




