30話「熾火の魔神」
――“熾火の魔神“。
イースクリフ及びグレーネラント諸侯にて広く伝わる伝説である。
その昔、彼の者は“厄災“としてイースクリフに突如現れ、森であったこの地を広く燃え上がらせたという。
その姿は伝承によって様々だが、広く共通しているのは山のような巨躯、常に燃え盛る髪と肌。そして四本の腕を持ち、一本の腕で剣、もう一本の腕で杖、そして二本の腕で大剣を握ると伝えられていた。
魔神はその剣で大地を切り裂き、大剣で森を薙ぎ払い、その杖で大地に大穴を開けたとされる。
これに立ち向かったのは、グレーネラント諸侯の多くの騎士達である。
彼らはこの地に住まう多くの民を守るために、この地を守っていた騎士達と団結し、魔神と戦った。
その戦いは七日七晩続いたとされ、その死闘の結果、イースクリフには森が無くなり、広大な草原が広がった。
魔神が切り裂いた大地には大河が流れ、魔神が空けた大穴には湖ができたとされる。
――ついに騎士達に討ち倒された“魔神“は、様々な形でこの地へと復活する事になる。
『夜遅くまで起きていると、イースクリフの魔神におそわれちゃうよ』
『いい子にしてないと、魔神のところに連れていっちゃうからね』
『悪い子は、熾火の魔神にさらわれちゃうからね』
――かつて人々を脅かした“熾火の魔神“は、今はこの地に住まう子供たちの一番の脅威であり、今でも子供たちに言うことを聞かせる為、人知れず戦っているのだ。
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『――悪い子は、熾火の魔神にさらわれちゃうからね』
少年はこの話を、小さい頃によく言われていたような気がしていた。
――絵本に書いてあった、四本の腕を持つ炎の魔神。これが怖くて、眠れなかった夜。そんな、懐かしい記憶。
その絵本を読んでくれた人の顔は、今では思い出せない。
その記憶が正しいものなのかも、彼にはわからない。
(⋯⋯だとしても、今はそれは重要じゃない。)
(これは、圧倒的な“想像“だ。)
彼は思い浮かべる。山のような巨躯。燃え盛る髪と肌。四本の腕で剣、杖、そして大剣を持つ。凶暴で、威圧的で、絶対的な破壊の王。見る者に絶望を与える、熾火の魔神。
近付くものを全て燃やし、剣で薙ぎ払い、離れるものには魔法を放ち、消し飛ばす。
「⋯⋯許さない」
彼は、少女のような貌に鉄仮面が張り付いたように凍らせていく。
されど、その瞳は怒り狂ったかのように、極光を放ち続ける。
――そして、彼は指でも描いた事のないような精緻で精密で複雑な魔法陣を、その“眼“の僅かな動きだけで目の前に描き出していった。
知る人が見れば芸術どころか神の御業とも思える精緻な幾何学模様。
指という筆すら使わずに、ただ眼を僅かに動かすだけで、人の手では到底描けぬ程の奇跡が高速で描き出され、世界へと刻まれていく。
神業によって描き出された、神を象る為の魔法陣。
彼は、手に持った魔剣を両手で高々と掲げ上げ、魔神の眠る“扉“を破ろうとしていた。
「――悪い子は、連れて行かなきゃね」
静かな声音。しかし、激しい怒りと狂気を含ませた、囁くような甘い声の後。
――彼は力一杯、魔剣を振り下ろした。
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魔法陣が砕け散り、破片が空に溶けていく。
――地獄の門は開かれた。魔神の再誕を祝福するように死神の鐘が響き渡る中。
目覚めた魔神は、ゆっくりと起き上がるように少年の後ろで産声を上げる。
それは徐々に大きくなり、その高さは目障りな櫓をゆうに超えた。
四本の腕を持ち、髪と肌を燃え上がらせ、剣と杖と大剣を持つ。
伝説と、伝承の中にしか存在しないはずのその魔神は、
――再び、この地へと舞い戻ったのだ。
「――大魔法『熾火の魔神』!!」
――顕現した燃える魔神は、まるで怒りの咆哮を上げるかの如く自らの炎を天高く舞い上げ、その力を存分に振るう。
少年は、魔神を従えるようにその魔剣を両手で高々と掲げる。
――主人の命に従い、魔神もその身を超す大剣を天へと捧げた。
「――『魔神の大剣』!!」
そして、二人の“魔神“は同時に剣を地に叩きつける。
――刹那、迸る轟音と豪炎。それは、その一帯を焦土にし、そこにあった“もの“を灰すら残さず消滅させていた。
その地に残るのは、熾火として残る微かな炎だけ。
「⋯⋯よくも、二度もエリザを。⋯⋯許さない。⋯⋯絶対に許さない⋯⋯!!」
「う、うわあぁああああ!! いやだあぁあああ!!」
「し、死にたくない!! 死にたくない!!!!」
「どけ! 俺の身代わりになれ!!」
「た、助けて!! かあさん!!」
少年の言葉を聞いたのか、熾火の魔神に恐れ慄いたのか。賊にはもう戦意はなかった。
彼らは駆け出す。――目の前にいる者を押し退け、押し倒し、身代わりにするように引きずり合いながら。
まるで互いを、熾火の魔神に捧げるように。
「逃がしはしない。⋯⋯絶対に生かして帰すものか!!」
レオンは歩く。――紫電が迸る両目。その“右眼“から、ピシ、という、何かにヒビが入る音がした。
同時に、右眼が悲鳴を上げるように血の涙が流れていくのに、少年は気付かない。
魔神は、主人の怒りを感じたのか、その炎をさらに黒く、あるいは漆黒の赤へと変質していく。
――"始祖の眼"は、既にその力を最大限発揮し、或いは限界を超えている。
少年の視界に広がるのは、人々の"光"。
大小様々なそれは、全身をくまなく巡る魔導管と生命力そのものでもある魔導核であった。
それだけでなく、空気中に漂う微かな魔力さえ、彼にははっきりと見えていた。
――風がどのように凪ぎ、炎は何処へと向かうのか。大地に未だ残る草原と草花、その僅かな輝きまで捉えていたのだ。
「――返せ。⋯⋯返せ⋯⋯! ⋯⋯私の、エリザを!!」
少年に怯え、逃げ惑う"光"。レオンが剣を振り下ろすだけで、彼らの命は潰える。
レオンは、もう一度魔剣を上段へと構える。
――少年の顔は凍ったままだ。鉄の仮面を貼り付けた少年は、何かに取り憑かれたように口調まで変わっていた。
「――エリザを、返せえぇええ!!」
少年の叫びと同時に振り下ろされる、魔神の大剣。
それは真っ直ぐに逃げ出す賊の中心に向かい、火の海に変える。
――はずだった。
「――!?」
魔神の大剣。――それは、大地にたどり着く事なく。
「――お待ちしておりましたわ。⋯⋯“レオン様“」
――双色瞳の魔女に、片手で止められていた。




