29話「這いずる者と眼帯卿」
「――何が起こってやがる!!」
賊の指揮官と思わしき男は、櫓の上で喚いていた。
「敵は、たった六人だったはずだ!! こっちは一千人を超えているんだぞ!!」
「なんで、たった六人相手にして、こんなに被害を受けてんだ!!」
「そもそも、本当に六人なのかよ!! あちこちから矢が飛んできたぞ!? 報告が間違っているんじゃないのか!!」
そう喚きながら、男は身の回りの椅子やワインが乗った机に当たり散らす。
「ふざけやがって。⋯⋯ふざけやがって!!」
「指揮官! 報告です!!」
「なんだ!! この、クソ忙しい時に!!」
「前線は崩壊!! 敵、なおもこちらに進軍しております!!」
「知ってるよ! そんな事は!!」
指揮官は、ヒステリックに声を荒げている。
無理もないことではあった。敵は、たったの六人。六人のはずだった。にも関わらず、受けている被害は尋常ではない。
一千人以上いた軍は、今やその半数以上は減らされている。歩兵は指示を聞かずに突撃したかと思えば、いつの間にかほとんど死んでいた。
突如現れる紅い糸や、巨大な炎。この要塞は今やどこもかしこも黒煙だらけで、さらに多方向からの矢の攻撃で、完全にパニックに陥っていた。
「くそっ! こんなのは、戦いじゃねえ! まるで“災害“じゃねえか!!」
「――クソっ!!!!」
指揮官は悪態をつくと、蹲っているエリザの髪を引き上げ、櫓から下に見せつけるように、端に立たせた。
「おい!! 聞こえてんだろう!! 化け物どもが!!」
力なく項垂れているエリザ。その身体を隠す気もないように。
「おい!! この女が、どうなっても――」
――その指揮官は、自分の言葉を言い切る前に、ぷすぷすぷす、と、三回。何かが刺さる音がして、声を荒げた。
「っ! ⋯⋯なんだ!!」
顔を顰める指揮官。彼がエリザの髪を掴んでいた右腕に、瞳を向けると――
――手首、肘、肩と。三本の矢が刺さっていた。
エリザと最も近い矢でも、エリザの髪一本にすら触れていない程の、正確な狙撃。
「――っ! ぐぉっ!!」
指揮官は右手を緩め、解放されたエリザは膝から崩れ落ちる。
右によろける指揮官。だが、その先でも空から降ってきた矢が、左足の太ももに刺さる。
その後も、指揮官が倒れ込む先々で、彼の体に矢が刺さっていく。まるで、自ら、矢の落下地点を目指すかのように。
右によろければ、今度は右足の爪先。激痛にもがいていると、今度は左足。
「っ!! チクショウ!! 誰だ――」
そう指揮官が叫び終える前には、既に彼の眉間には矢が刺さっていた。
その反動で、彼は空を見上げた。
――彼が最期に見たのは、夜空から降ってくる、四本の矢であった。
空を見上げた指揮官の顔、その両目、鼻、口に、同時に矢が刺さる。
それが止めになったように彼の身体は下半身から力が抜けていく。――しかし、彼の足には矢が刺さっており、後ろへ倒れることは許されない。
彼は、膝をつき、頭を地面に擦り付け、傷付いたエリザに頭を下げるように倒れ、死んだのだ。
明らかに狙われた、弓による異常な精度の狙撃。
それを見ていた櫓にいた男達は、悲鳴を上げながら皆一斉にそこから降りようと走る。
しかし、彼らも同罪のようであった。逃げ出す男達もまた、自ら矢の落下地点に飛び込んでいくように、夜空から降ってきた矢が脳天を貫き、死んでいくのであった。
+
『――敵はもしかしたら、エリザを人質に取ってくるかもしれない』
レオンは神妙な表情で、クロラに告げた。
『だから、もし賊が彼女たちを人質に取るようなことがあれば、すぐに射って』
『お安いご用です、レオンさまぁ! クロラに、お任せくださぁい!』
「――下衆が」
吐き捨てるように呟きながら、クロラは敵の指揮官を射殺した。
レオンの言った通り、あの男はエリザを人質に取り、こちらの動きを止めようとしたのだ。
彼女は、滑車や歯車が組み込まれた“複合弓“を持ち直し、暗い森を梟のように音もなく再度移動を開始する。
クロラは、木々を疾り、飛ぶように駆けながら、"過去"を思い返していた。
――壊れたレオンの、行く末を。
這いずる者を拾い上げた、冷徹な男の結末を――
+
――“眼帯卿“。
そう呼ばれる"右目に眼帯"をした冷徹な大男は、人を憎んでいた。
きっかけは、誰も知らない。――噂では、彼の大切な人がある戦いで敵に捕まり、暴行され、行方不明になってしまってからだと言われている。
真偽のわからない与太話だった。だが、その噂がどうであれ、その二メルに届かんとする大男が人を憎み切っていることは、事実であった。
戦場を駆けるその男は、敵を殺し、蹂躙し、殲滅し続けた。
鉄仮面のように眉一つ表情を変えず、冷徹な決定を下す。民を統治し、必要とあれば村を焼き、敵対者を殺す。絶対的な――魔神のような、眼帯をした金髪の大男。
そんな彼には、敵が多かった。誰もがその力を恐れたのだ。
彼は辺境伯として敵国から国を守っていたにも関わらず、同じ国の王宮に勤める後ろ暗い者たちは、その力がいつ自分に向けられるのかと恐れていた。
味方である筈の者たちから、事あるごとに暗殺者が仕向けられ、その度に彼は討ち払った。――クロラも、その中の一人であったのだ。
『――私の部屋まで来た者は久々だ。褒めてやる。⋯⋯腕が立つではないか』
『⋯⋯殺せ』
――端的に言えば、眼帯卿の強さは別次元だった。彼は、寝所に隠した短刀一つでクロラを打ち破ったのだ。
死を覚悟していたクロラだが、彼は冷徹な表情のまま、彼女に向けて揶揄うような言葉を吐く。
『くっく⋯⋯。なぜ、私が貴様の願いを聞かなければならないんだ?』
『っ! くっ⋯⋯!』
『殺さんよ。その力、失うには惜しい』
『⋯⋯っ! はなっ、せっ!!』
彼は、クロラの片腕を掴み、そのまま持ち上げる。
鼻先が触れ合うような顔の近さで、彼はクロラに信じられないような言葉を告げた。
『いい面構えだ。⋯⋯気に入った。貴様、私の為に戦え』
『⋯⋯!?』
彼はどういう訳か、家臣の反対を押し切ってクロラを自軍へと招き入れたのだ。
――もちろん、表舞台に出る事は出来ないため、彼の"影"として。
『――全員、閣下に続けーっ!! 閣下についていけば、必ず生き残れる!!』
――他国はおろか、自国の貴族たちからさえ恐れられていた眼帯卿であったが、彼の家臣、部下、そして城の従者達、民からの信頼は厚かった。常に最前線で戦う彼は、“生き残る“事を信条の一つにしていたからだ。それは、彼の部下とて例外では無かった。
だが、彼は絶対に女子供は殺さない。部下が手を出すことすら禁じ、許さなかったのだ。それを犯した者は、如何なる者でも例外なく処した。それが腹心であろうと、学友であろうと、たとえ親友であろうとも。
誰からも恐れられた彼が、その鉄仮面を緩めた数少ない記憶を、クロラは忘れることが出来ない。
――裸で過ごしていたクロラの部屋の扉を、彼が知らずに開いてしまい、彼女の豊かな肢体を見てしまった時の事を。
『⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯服を、着ろ』
クロラは、その時の彼の顔をよく覚えている。
――どんなことが起きても動じず、眉一つ動かさずに対処する冷徹な男。
そんな彼が、自分の裸なんかで僅かに頬を染めたことが、彼女には空が飛べるくらいに嬉しかったのだ。
その後、クロラはあの手この手で眼帯卿にイタズラを仕掛け始めた。結局、彼が動じたのは裸を見た一回だけであったが、時々構ってくれる彼と過ごす日々を、クロラはとても楽しんでいたのだった。
――だが、そんな彼女の、ささやかながら幸せな日々は、そう長くは続かなかった。
『⋯⋯くっく。女子供だけの軍隊とは、いい趣味をしている。あやつら、本気で私が嫌いらしいな』
玉座に座る眼帯卿は、城を“女子供だけの兵士“に囲まれていた。
『如何なさいましょう、閣下。討つ準備は、とうに出来ておりますが』
『ならぬ。彼らを殺す事は私が許さぬ。⋯⋯奴らの狙いは、私であろう。好きにさせてやれ』
家臣からの言葉に、彼は口を開く。彼の家臣達が最も望まないであろう言葉を、眼帯卿は放ったのだ。
『ですが、閣下!!』
『なりませんぞ! あらぬ嫌疑をかけられたままでは、死にきれません!!』
『そうです、閣下! 貴方に何の非も無いではございませんか!!』
口々に騒ぎ立てる家臣を、彼は片手で制す。その一動作のみで、城内は静寂を取り戻す。
『クロラ』
『ここに』
『これを』
彼は、手に持った剣を傍に立っていたクロラに投げ渡した。
『! これは、閣下の魔剣ではございませんか!』
『貴様にくれてやる』
『⋯⋯! そんな⋯⋯!』
『餞別だ。好きに使え。今までご苦労であった。息災でな。⋯⋯これからは、貴様の思うまま、好きなように生きろ』
『受け取れません、閣下!!』
『私の最後の命令だ。聞け』
『聞けません、閣下! 他の事であれば、何でも承ります! ですから、それだけは!!』
『クロラ』
『⋯⋯! はっ!』
彼は、取り乱すクロラを片手で制し、眉一つ動かさずに言葉を吐き出す。
『⋯⋯もう、よい。私は疲れたのだ。後のことは好きにせよ。あやつらも、私の死体を手に入れれば気が済むであろう。くれてやれ。⋯⋯仇討ちなんて、考えるなよ』
『⋯⋯閣下⋯⋯!』
そう告げる眼帯卿は、"僅かに眉を緩め、微笑んだ"。
――それは哀しそうな、安心したような。まるで全てから解放されたかのような、擦り減らされた者の微笑みであった。
その貌はクロラだけでなく、彼の家臣、部下、従者たち全員へと向けられていく。
『⋯⋯貴様らもだ。達者でな。好きに生きろよ。故郷に帰るなり、女の元へと逃げるなり。⋯⋯どちらにしても、力の限り生き続けろ。これは、“命令“だ』
『――城を脱出し、寿命の限り“生き残れ“。⋯⋯"命令違反"は、絶対に許さぬ』
――歴史書には、こう記されている。
"眼帯卿"の最期は、惨めなものであったと。
国に対する反乱に失敗した彼は、家臣や部下、従者。その全てから見捨てられ、裏切られ、逃げ出されたのだ。彼はこの広大な城に、たった一人で死んでいた。
――毒による自死。恐らく、捕えられた後に起きるであろう、凄惨な刑罰に恐れ、怯えたのだろう。
戦うことすら投げ出し、自分可愛さに裁かれる事からも逃げ、家臣全員から裏切られ、無様に、たった一人で最期を迎えた男。
彼の名は、"その国の"歴史書にはこう刻まれていた。
――臆病者の逆賊"レオハルト・フォン・リヒトホーフェン"、と。
だが、その歴史書が、"その世界の"どこまでの未来へと送り届けられたのか、については、定かではない――
「――許さない⋯⋯!!」
柵を掴んだまま、クロラはこの上ない憎悪を吐き出した。
“眼帯卿、レオハルト・フォン・リヒトホーフェン“は死んだ。あらぬ嫌疑をかけられ、国に対する反逆者として差し向けられた軍隊。それは、彼が絶対に手を下すことの無かった、"女子供たち"だけのものだったのだ。
彼の死体はバラバラに刻まれ、台に乗せられ晒された。
鴉が啄みやすいように刻まれ、首の横には同じく彼の内臓を並べて。
やがて蝿が集り、蛆が湧き、皮膚の至る所に内側から孔を開けられ、異臭を放つ。
人々から許されないまま晒され続け、徐々にそこに集まるのは屍肉に群がる虫と獣だけになったのだ。
やがて骨だけとなり、虫さえ見放したそれは細かく砕かれ、豚の餌に混ぜられた。
――人々からの畏怖と敬意の狭間で生き、尚人々のために戦い続けた男の末路。
それが、こんなに残酷なものでよいのか。こんなに惨めでよいものか。
(いいわけ、ない。⋯⋯許さない。彼をこんなにした、人を、敵を⋯⋯!私は、絶対に許さない!!)
(殺す。敵は、殺す。絶対に、殺す。殺して、殺して、殺し尽くしてやる!)
クロラは、今はもう何も無い見せ物台に向かってその手を伸ばす。
彼女の身体能力であれば、一瞬でたどり着く距離。だが、それは憚られた。
この柵を超えた瞬間、彼女も反逆者として処される。それは別に構わなかったが、彼女の主君の、最期の命に反する。
『――“生き残れ“』
押せば倒れそうな、木で出来た簡素な柵。
だが、彼女にとっては、永久に越えることができない、断絶された壁に等しかった。
(⋯⋯会いたい。会いたいよ。⋯⋯もう一度、会いたい⋯⋯。ああ⋯⋯、レオン様!!)
『――ねえ。もし、未来が変えられるとしたら。君は、何を、変えたい?』
彼女が持っていた、彼の形見。
魔剣が、微かに脈動した気がした。
(そうだ。もう一度、会おう。彼のいない、こんな世界の行く末に、興味は無い)
(勝手に滅べ。そして、罪を贖え。お前達を救い続けた彼のいない世界で、精々苦しんで生き延び続けろ⋯⋯!)
蝿の羽音と、鴉の鳴き声。人が腐った、人として受け付けられないような、同族の特有の人肉と脂の溶けた臭いは、見せ物台に染み込み過ぎたのか未だ風に乗って彼女の鼻腔に届けられる。
(⋯⋯もし、本当に。本当にもう一度、会えるなら)
(今度は、守る。守り切って、幸せにしてみせるよ⋯⋯!)
(⋯⋯次こそ、私は彼に想いを伝える。愛を伝えて、愛してもらう)
(それで、私の"欲望"を全てぶつける。私の裸なんかで頬を染めた彼なら、簡単に私の虜になるに違いない⋯⋯!)
(⋯⋯全てを見せ合い、肌を重ね合わせ、繋がり合い、口付けを交わす。そして、耳元で呟き合うの――)
(――愛してる、と)
何度も夢に見た、愛する“レオン“と生きる未来、その幻影の中で、彼女の灰色の瞳はさらに冷たく、暗く沈んでいく。
「⋯⋯だから、レオン様の敵は殺す。必ず殺す。殺して、殺して、殺し尽くしてやる⋯⋯!」
クロラは、無骨なロングソード――かつて彼が振るい、彼から託された、剣の樋にルーン文字がびっしりと刻まれた魔剣を抱き締めながら、深い森へと姿を消した。
+
クロラは、嫌な予感がしていたのだ。あの黒煙を見た時、彼女の心は鑢で削られているかのような不快感があった。
――“眼帯卿“を変えたと思われる事件。自分が“彼“と出会う、ずっと前に起きた最悪の戦い。
それを、彼女は、自らの手で変えた。
――変えることができたのだ。
(⋯⋯閣下。⋯⋯ありがとう、ございました。仇、討ちましたよ。もう、大丈夫ですよ⋯⋯!!)
クロラの瞳には、僅かに涙が浮かんでいた。
――彼が変わった原因を射ち殺したという事。それはつまり、もう“眼帯の彼“に会うことは“二度と“出来ないという事なのだ。
(さようなら、閣下。⋯⋯大好きでした。愛していました。⋯⋯これからも、ずっと――)
『――クロラ、本当にありがとう。いつも、僕のことを気にしてくれて』
(――いや、違うか)
『――これからは、貴様の思うまま、"好きなように"生きろ』
「⋯⋯はい、閣下。私は、私の"好き"に、生きていきます!!」
クロラは思い返したように首を振り、笑顔を浮かべる。
――彼女が何を逡巡したかのかは、誰にもわからない。
月明かりに照らされた、彼女の貌――冷え凍る灰色の瞳に、光と熱が生み出される。
彼女の脳裏に映るのは、金の三つ編み、華奢な体躯。長い睫毛に、陶磁器のような白い肌。
少女のような貌で、恥ずかしそうに、不器用に笑う少年――レオンの姿が、そこにあったのだ。
「――今度こそ、"幸せにする"。⋯⋯そして、私の虜にしてあげるからね! レオンさま!!」
彼女は声を張った。寝静まった森だけが、彼女の深い情念を吸い込んでいく。
そこには、腐った土と菌類のような、すえた臭いはない。針葉樹の刺すような爽やかな香りが、彼女の元には届いていた。
クロラの貌は晴れやかだ。暗殺者の風貌に似つかわしくない、女神のように美しく、輝くような笑みを浮かべている。
そんな彼女はさらに速度を上げ、梟が飛ぶように音もなく夜の森を駆け抜けて行った。




