28-1話「覚醒の予兆」
――基礎魔法『矢』
魔法使いなら、誰でも一番最初に習う、魔法学の基礎中の基礎。ごく一般的で、何の変哲も無い、ごく普通の魔法だった。
――それが、レオンの手と魔剣にかかれば、巨大な火柱となって、全てを消し去る威力に変わるのだ。
彼の放ったそれは、その要塞の左側五分の一を消し飛ばした。――一呼吸の後、襲撃を知らせる鐘が鳴り響く。
(⋯⋯まだ、無駄が多い。もっと、圧縮できる。もっと精緻に、もっと精密に⋯⋯!)
そのような破壊の後でも、レオンの魔法への探究は尽きない。身体中は先ほどヒルダに魔力を分けてもらった影響か、迸る魔力が漲っている。
彼はその頭の中で魔法陣を組み替えていた。より圧縮し、無駄を省き、威力を高め、維持し、思い通りに動くように式を組み立てていく。
――戦場。しかも、命のかかった戦い。
その中で、数多の魔法使いが何ヶ月、何年とかけて組み換え、洗練させていくはずの魔法陣を彼は即興で組み換え、構築していく。
かつてシルフに絶句されたように、正気とは思えない芸当を、彼は成功の確信を持って行っていた。
いくら“始祖の眼“を持とうとも、それは魔力や魔法の全てを見通せるに過ぎない。
魔法の基礎たる“収束、圧縮、解放“。そして、魔法陣を刻むための“魔力操作“。正確に描くための“幾何学模様を描き出す訓練“。陣を組み上げる“膨大な知識“。その基礎たる地力がなければ、使いこなす事など不可能なのだ。
――そして、彼は少なくとも“努力“はしていた。誹られ、蔑まれながらも、毎日、毎晩。気が遠くなるような長い時間。夢の中でさえ安息の場所がなかったレオンは一種の狂気に呑まれたように、ずっと魔法の鍛錬をしていた。その努力を怠った日は一日として無い。
(より、“圧縮“。それを“維持“して、さらに“圧縮“。⋯⋯圧縮されきった炎は、やがて太陽のように白く輝く)
(そして、大蛇。蛇のように細く、しなやか。自在に体を動かし、敵の一点を正確に射抜く)
「――いい“創造“が出来た⋯⋯!」
レオンは、左手の指で魔法陣を空に刻む。その速さは尋常ではなく、またその正確さも異常であった。
――フリーハンドにも関わらず、線は定規を使ったように、円は器具を使うよりも正確な真円。
およそ、人が描き出したものとは思えないほどの精緻な魔法陣。
――その芸術を、魔力を込めた右手の魔剣で“叩き割る“。
硝子を粉砕したような、高く鋭い高音がこの広い草原に響き渡った。次にこの音が聞こえれば、誰かが間違いなく死ぬであろう、死神の鐘が鳴ったのだ。
「――基礎魔法『矢』改め、『白炎の大蛇』!!」
先ほど放った『矢』とは、明らかに様子が違う白い蛇が、今度は要塞の右側へと向かっていく。――エリザがいるはずの、要塞の中心にある巨大な櫓を避けるように。
移動の軌跡に白い炎を残す。大蛇が通り過ぎた空間は、余りの熱量に空間が歪み、一瞬音を失った。
空気さえ蹂躙するように高速で突き進むその大蛇は、要塞の右側、その殆どを喰らい尽くすように蹂躙していく。
――それだけで終わらなかった。レオンがその指を上へ掲げれば、大蛇は天空へと舞い上がり、彼がその指を下に動かせば、地上へと舞い戻る。
「――エリザの痛み、その命を持って償え!!」
大蛇はレオンの指示の下、地上へと激突する。瞬間、落下地点である要塞の右側は弾けるような大爆発が起き、地面を大きく抉った。
――絶対に生存者はいないであろう凄惨な地獄が、彼の手によって訪れた。
「――さあ、反撃の狼煙だ。みんな、始めようか」
レオンのその声と同時に、彼の下から飛んでいく三つの影。
――ルナ、ノエル。そして姫騎士イングリッド。この三人が一直線に要塞に向かって駆けていったのだ。
当然、要塞からも賊が雪崩のように現れる。
たった三人を飲み込むかのように現れたそれは、要塞の出入り口であろう正面の三箇所から現れた。
――だが、会敵の直前、踵を返すように三人はレオンのいた位置へと駆け戻ったのだ。
「⋯⋯へ?」
賊どもの、困惑したような声が聞こえた気がした。だが、その声は徐々に熱が宿り、怒りと変わり、彼らの推進力と化した。
「待てええぇ!!」
「殺してやる! 舐めやがって!!」
「止まれぇ!!」
次々と賊が追いかけてくる。――が、三人はまるで挑発するかのように緩く走っているようにも見える。
それに神経が逆撫でされたのか、逆上した賊たちはどんどんと駆けていく。当然、足の遅いものは置いてかれていた。
賊が彼女たちに追いついた瞬間、それは起こった。
「――!」
「いっくよー!!」
「くらえ!!」
ルナ、ノエル、イングリッドは振り返り、その手に握った剣を振る。
ルナが大太刀を一太刀振えば、その刀身以上の範囲の敵が細切れになり、
ノエルが光る剣を一振りすれば、伸びた刀身が賊を横一文字で両断し、
イングリッドがクレイモアを薙ぎ払えば、賊は千切れ、吹き飛んでいく。
少女たちに向かって懸命に走り、辿り着いたものに訪れた“制裁“。
彼女たちに近付くことすら罪となる彼らは、血溜まりの肉塊となり、物言わず土に溶けていく。
――だが、後ろの賊は止まらない。“止まれない“のだ。その人数でダルマになって走れば、止まった瞬間、後ろから来る者に踏み潰される。
すでに転んだ賊たちは、人の形をしていない。
ただ直進することしか出来ない賊たちは、塊となったまま彼女たちに斬られて死ぬか、味方に踏み潰されて死ぬかの二択しか残っていなかったのだ。
+
『――釣り野伏だ⋯⋯!!』
作戦会議で、レオンが皆に言い放った一言。
『釣り? お魚さんを釣るの!?』
『何を言っているのですか、レオン。草原に魚はいませんよ?』
『あ、いや、その釣りじゃなくて。⋯⋯いや、あってるはあってるのか⋯⋯』
レオンの言葉に、ルナとノエルが不思議そうに訂正した。困惑するレオンに向けて、イングリッドは納得したように彼に返す。
『⋯⋯なるほど。剣士である私たち三人が最初に突撃して、敵が出てきた瞬間、戻ればいいのか』
『はい、副団長。そうすれば、三人の危険が少しは和らぐはずです』
『だが、出てきた敵はどうする? いずれは君たちの元へ来ることになるぞ?』
『⋯⋯大丈夫です。僕と、ヒルダが、敵の中心を殲滅します。できるよね? ヒルダ』
自信に満ちた表情で口を開いたレオンに、ヒルダは恍惚の色を貌に浮かべながら答える。
『仰せのままに、我が主人。いいわね、今の貴方。とても唆られるわ』
『⋯⋯あ、ありがとう⋯⋯』
『⋯⋯だが、大丈夫なのか? 敵は本当に、釣られてくれるだろうか』
ヒルダの蠱惑的な雰囲気に顔を赤らめたレオンに向けて、イングリッドは心配そうに声をかける。
レオンはその少女の言葉に、恥ずかしそうに瞳を伏せたまま返答する。
『その点は、ほとんど心配ないと思います。クロラの情報では、統一された装備を持っていても、烏合の集。まともな指揮系統があるとは思えないし⋯⋯何より、副団長含め、みんな⋯⋯“可愛い“から』
レオンは、澄んだ湧き水のような声を消え入りそうな程小さくしながらも、少女たちに向けて返した。
――“女の子は、毎秒だって褒めて欲しい“。イングリッドが少年に伝えた言葉を、レオンは慣れないながらも実践していたのだ。
『レオン! もしかして、褒めてくれたの!?』
『レオン!! ルナは、ルナは感激しております!!』
『⋯⋯あ、ありがとう⋯⋯』
想定外のレオンの褒め言葉が嬉しかったのか、ノエルはレオンに抱きつき、ルナは目を輝かせて彼の手を掴む。イングリッドといえば、目を伏せて耳まで真っ赤にしていた。
『⋯⋯え、ええと、話を戻すと、釣られてくれなくても、大丈夫』
レオンは、その瞳から感情を消し、静かに呟く。
『――その時は、僕が奴らを殺すから』
+
「――レオンの言った通りね。面白いくらい釣れたわ」
「うん、ヒルダ。くれぐれも、無理しないようにね?」
「誰に物を言っているの? 私が奴らにやられると思っていて?」
「⋯⋯それは、ないよ。⋯⋯綺麗なヒルダに、傷を付けたくないだけ」
「ふふ。⋯⋯嬉しい事、言ってくれるじゃない。楽しい夜ね、レオン」
ルナたちは現状、要塞とレオンたちの中間ほどの位置まで来ていた。
彼女たちは相変わらず、追いついた敵に対して、一太刀入れては逃げるを繰り返している。
ヒルダはまだか、まだかとずっとウズウズしているようだ。
――まるで、餌を目の前にした空腹の猛獣のように、その瞳には獰猛さが加わっていく。
「まだかしら? レオン」
「敵が横に広がってきた⋯⋯! ヒルダ、いいよ! 左側をお願いね!!」
「ふふ⋯⋯! 待ってたわ⋯⋯!!」
三人を追う彼らも、さすがに死の行軍を続けるほど馬鹿ではない。死の直進を逸れるように、徐々に左右に広がっていく。
それを見極めた“団長“の号令に、嬉々として応じるヒルダ。
彼女はその細い指先を艶かしく動かし、指先から大量の“紅い糸“を何百本も顕現させた。
一本一本が禍々しく脈動するそれは、ルナとイングリッドを通り過ぎ、敵の中心で円を描く。
――瞬間、巨大な鳥籠のような“紅い檻“が賊を囲む。紅い糸は触れるだけで賊を切断し、自ら断頭台に飛び込むかの如く次々と細切れになっていく。
「う、うわあぁああ!!」
「と、止まれ! 止まれってえぇええ!!」
死を伴った“紅い糸“。それに気付くと、賊は急に止まり始めた。だが、後ろにいる者はそれに気付かず、前にいるものを押してしまう。
――それは、子供が遊ぶ“水砲“のようであった。後ろから押せば水が出てくる玩具のように、賊が賊を押して、勝手に血に変えてくれるのだ。
そのまま続ければ、賊は勝手に自滅してくれるだろう。だが、それを待つ程、赤髪の女王は気が長くない。
ヒルダは、その手を気怠そうに握る。それと同時に、紅い檻は急激に小さくなり、縮んでいく。その通り道にいた者を全て切り刻みながら。
結果として、生まれたのは“赫い大地“であった。もとが草原だったと言われても信じられない程、その地は肉が咲きほこっていた。




