1章:1話「落ちこぼれのレオン」
深い闇の底で、レオハルト・フォン・リヒトホーフェンは夢を見ていた。
息を呑むほどに美しい、白銀の氷が支配する聖堂。そこで、彼は一本の魔剣を引き抜いた。
剣が祭壇から離れ、それと同時に発せられた“焔“。
まるで剣自身に“選ばれた“かのような、圧倒的な全能感。
止まっていた世界の歯車が猛烈な勢いで回り始め、あらゆる絶望をダイヤモンドダストが塗り潰していく。
そんな、目も眩むような夢だ。
(ああ、いい夢、だな⋯⋯。)
微睡の中で、彼は自嘲するように笑った。
"落ちこぼれ"のレオンが、伝説の魔剣に選ばれる。強大な力で悪を断ち、弱きを救い、誰もが羨望の眼差しを向ける高潔な“英雄“になる。
それは、現実の彼がもっとも遠ざけられ、もっとも渇望していた、あまりに出来すぎたお伽話だった。
(最期は、いい夢だったな。⋯⋯これで少しは、許されたのかな⋯⋯?)
現実で生きていた彼は、弱く、惨めで、救いようのない騎士学校の“落ちこぼれ“。
華奢な体格で剣を振るうことはできず、かといって魔力の欠乏でろくに魔法すら使えない。
泥に塗れて死を待つのが相応しい“欠陥品“だ。
だから、願わくばこのまま目覚めたくはなかった。この黄金色の夢に抱かれたまま、少年は消えてしまいたかったのだ。
(⋯⋯これで、終わる。⋯⋯本当に、これで⋯⋯楽に、なれる⋯⋯。)
『何で、アンタが生き残って、私の息子が戻らないのよ!』
「⋯⋯ごめん、なさい⋯⋯」
『お前一人生き残って、他は全員死んだ。疫病神そのものじゃないか!』
「⋯⋯ごめん、なさい。⋯⋯僕、一人⋯⋯。生きのびて⋯⋯」
『――絶対に、許さない』
「⋯⋯そう、だよね⋯⋯。許せない、よね⋯⋯」
彼は、夢の中でも泣いていた。これで全てが終わると。
――それが、悲しい涙なのか、安堵の涙なのかは、誰にもわからなかった。
(⋯⋯! ⋯⋯オン⋯⋯!)
――だが、レオンのその願いを裂くように、誰かの声が遠くから響く。
水の中のように籠った声は、徐々に輪郭を際立たせる。灰色だった視界には、無理やり色が混ざり始めた。
つん、とした消毒液の鼻を突く匂いと、苦い薬草の香りが肺を満たし、彼は重い瞼をこじ開けた。
「レオン!! 頼むから、起きてくれ!! レオン!!」
「⋯⋯エリ、ザ⋯⋯?」
焦点の合わない視界の先に、必死にレオンを覗き込む顔があった。
燻んだ金髪をポニーテールに纏めた、勝気な少女。しかし、その翡翠色の瞳は、溢れんばかりの涙を堪えて激しく揺れている。
普段の彼女であれば、弱さを見せる事を何よりも嫌う。
だが今、彼の手を握りしめる彼女の指先は、普段の勇ましさを忘れたかのように、小刻みに震えていた。
「レオン⋯⋯! よかった⋯⋯。目が覚めて⋯⋯!」
凛とした、よく通る声を安堵に震わせた少女は、エリザベート・バルクホルン。
レオンの、騎士学校の同級生だった。
長身で凛とした彼女が、今にも泣き崩れそうな様子で彼を見つめていた。
「⋯⋯ここは、⋯⋯騎士学校の、保健室⋯⋯?」
「あ、ああ! そうだ! 助かったんだよ、お前は!!」
レオンは、意識が鮮明になるにつれ、拭いきれない疑問が脳裏を占めた。
(⋯⋯なぜ、死ぬはずだった“僕“が、ここにいる。)
「本当によかった。魔剣探索中に賊に襲撃されたと、お前の部下から聞いたよ。レオンが一人で残った、という事もな」
「⋯⋯そうだ⋯⋯! 僕の、部下達は⋯⋯!?」
飛び起きようとするレオンの方を、エリザが強い力で押し留めた。
「無理するな。大丈夫。全員無事だよ。負傷者だって一人もいない」
「⋯⋯そう。それなら、よかった」
張り詰めていた糸が切れたのか、彼の華奢な体はシーツの上に深く沈み込む。
全員が無事。その事実だけで、彼にとっては自分の命など安いものに思えた。
だが、そんな彼の安堵を見透かしたかのように、エリザは容赦ない怒気を含んだ視線で射抜く。
「⋯⋯よくなんて、ない。レオン。どういうつもりだったんだ? あの状況で、自分を捨て石にして⋯⋯!」
「⋯⋯そ、それは⋯⋯」
彼女の搾り出すような言葉に、レオンは思わず視線を逸らした。
あの時、確かに彼は死を望んだ。生き残ってしまった罪を、この手で終わらせようとした。
誰かを救うことで、赦されようとしたのだ。
その図星を突かれた気まずさを紛らわせるように、彼は掠れた声で話題を変えた。
「⋯⋯と、ところで! 僕はどうして助かったの? エリザ達が助けてくれたの?」
「私の話は、まだ終わってないんだがな」
エリザは呆れたように嘆息し、それから複雑な色を瞳に浮かべて首を振った。
「レオンの隊員から救援要請を受けて、現場に急行したのは私たちだ」
「⋯⋯そう。ありがとう。本当に⋯⋯」
「だが、お前を救い出したのは、私たちじゃない。私たちはただ、現場でお前を保護していた“彼女達“をここまで連れて来ただけだ」
「⋯⋯? どういうこと?」
エリザの言葉に、レオンが不思議そうに質問すると、彼女はその視線を緊張した面持ちで部屋の隅へと向けた。
殺風景な保健室の壁際。木製の椅子が並べられたその場所に――あまりに浮世離れした“異物“が鎮座していたのだ。
神話のページから抜け出して来たかのような、見目麗しき五人の少女達。
彼女達は狭い椅子に身を寄せ合い、まるで行儀の良い人形のように一列に並んでいる。
一睡もせず、瞬きすら惜しむような熱量で、じっとレオンを見守っていたのだ。
そのあまりに純粋で、狂気すら孕んだ視線。
まるで、数百年ぶりに再会した恋人を見るような、あるいは絶対に逃がさない獲物を見るような熱量が、保健室の空気を支配していた。
彼は物理的に押し潰されるような、甘く重い圧迫感を覚えたのだった。




