26話「姫騎士の葛藤」
風が再び舞い上がる。その風は木々を大きく揺らし、草原を薙ぎ払い、木の葉を彼方へと吹き飛ばす。
鳶色の髪を風に靡かせながら、鷹のように鋭い視線を送る彼女は、静かに口を開いた。
「――リヒトホーフェン。貴様には、正規騎士からの待機命令があったはずだ。なのに、ここにいる。⋯⋯これは、どういう事だ?」
「⋯⋯ルーデル、副団長」
「戻れ。今ならまだ間に合う。もしこのまま進むのであれば、⋯⋯貴様は、“脱走兵“だ。⋯⋯これ以上は、言わなくても分かるな?」
「⋯⋯⋯⋯」
イングリッドの、射殺すような殺気。かつてのレオンであれば、すぐに怯え、身体を丸くしていたであろう、凄まじい殺気。
――だが、レオンは目を背けなかった。彼は彼女の鋭い眼光を真正面から見据え、口を開いた。
「⋯⋯副団長。そこを、どいてください」
「勇ましい事だな。もう一度、言おうか。戻れ」
「僕は⋯⋯。僕たちは、エリザを助けます」
「残念だ。⋯⋯“姫騎士物語“を語り合う、良き友人が出来たと思ったんだがな」
そう言って、イングリッドは背中の大剣――クレイモアの柄を握る。
風に舞う木の葉も、彼女の周りには近付かない。恐らく、彼女の間合いに入れば斬られる。そう思ったのだろう。
「⋯⋯ルナ」
「御意」
レオンの願いに、ルナは短く答える。イングリッドと向き合うルナ。嵐の前の静寂が、空間を支配する。
張り詰めた空気の中を、木の葉が舞い落ちる。極限の集中の最中、風が止むと――
「――イングリッド様こそ、なぜこのような所へ?」
――剣を抜く二人を、シルフの言葉が止めたのだ。
「⋯⋯貴様には、関係のない事だ」
「“蒼穹の盾“。団長のお名前は⋯⋯、確か、“シャルロッテ“、と言いましたね?」
「⋯⋯!!」
イングリッドは、鋭い瞳に若干の驚きを含ませる。それに構わず、シルフは続けた。
「姫騎士物語を勧めたお二人。⋯⋯確か、ゲルダさんと、“シャル“さん。シャルロッテさんの愛称と考えれば、辻褄は合いますね?」
「⋯⋯⋯⋯」
「恐らく、イングリッド様のご友人。その仲間が攫われたとなれば、あなたの心持ちは理解できます」
「⋯⋯何が、言いたい」
「あなたも、レオン様と同じ気持ち、という事ですよ」
「⋯⋯⋯⋯」
「大方、斥候をしてきた。あわよくば、そのまま襲撃しようとも。⋯⋯けれど、敵の数は甚大。一人ではなす術がないと考えて、ここまで戻ってきた。違いますか?」
「⋯⋯よく、見えているな」
イングリッドは、ため息を吐きながら、その手をクレイモアの柄から離した。そして、観念したかのように、続ける。
「⋯⋯大方、シルフ殿の言う通りだ。奴らは、円形に拠点を構え、内部には恐らく一千人はいるだろう」
「⋯⋯一千人! クロラの言った通りだ⋯⋯!」
「守備に適した円形陣。なぜそんな陣形を敷いているのかはわからないが⋯⋯。とにかく、明日の朝、援軍を待つしかない」
「それが、手遅れだったとしても、ですか⋯⋯?」
「⋯⋯!?」
イングリッドの言葉に、レオンが返す。
――“手遅れ“、という言葉に激しく反応するイングリッドは、声を荒げて、レオンに詰め寄る。
「どういう事だ! 手遅れとは!?」
「⋯⋯文字通りの意味です。理由は、信じてもらえないかも知れませんが⋯⋯」
「言ってみろ!」
激しい剣幕でレオンを問い詰めるイングリッド。そんな少女に向けて、レオンは僅かに目を逸らしながら、零すように告げる。
「⋯⋯夢で、見ました」
「⋯⋯⋯⋯」
レオンの一言に、イングリッドは言葉を失った。彼の言葉には確かに重みはあったが、理由がそれでは話にならない。
「⋯⋯そんなあやふやな理由で、みすみす死にに行く君たちを、止めないわけにはいかないな」
「でも! これがただの僕の夢ならそうだと思いますが、あの夢は恐らく、この“魔剣“が見せてくれた“記憶“なのだと思います!」
「⋯⋯!?」
そう言って、彼は地に伏せたままだった魔剣を掴み、続ける。
「⋯⋯今でも、覚えているんです。その夢を。⋯⋯傷だらけのエリザが、僕の腕に抱かれていたのを。恐らくは、⋯⋯慰み者にされた後の、彼女を」
「馬鹿な⋯⋯!!」
イングリッドの表情は怒りに満ちている。
無理もなかった。イングリッドが見たのは明らかな“要塞“であった。つまり、軍が動いているようなものだ。軍であれば、捕虜となったものに暴行する事は許されない。――しかし。
「⋯⋯仮に、アエテルナ大陸の国同士で戦争が起こったとしても、“騎士道精神“⋯⋯。つまり戦争協定があり、捕虜に暴行してはならない、とあります」
「⋯⋯⋯⋯」
「ですが、もし敵が“賊“として攻め込んでいるのだとしたら⋯⋯。戦争協定は、意味をなさない」
「賊として攻め入れば、ソルンは関係無いという事か⋯⋯! だが、そんな事⋯⋯」
「彼らは、恐らく僕の魔剣探索任務に現れた“賊“と、同じだと思います」
「⋯⋯!!」
イングリッドは、鋭い目を大きく見開いていた。――夢で見た。そんな言葉を信じるわけにはいかなかったが、自らの目で確認した賊の様子と、彼が話す内容に大きな齟齬はない。
それが、彼女の決断を大きく揺るがしていた。
――イングリッドは、僅かに逡巡するように俯く。だが、すぐにその顔を上げて口を開く。
「――だが、それでも規則は規則。現在進行形で命令違反を犯している貴様を、見逃していい道理ではない」
イングリッドは、冷たく言い放った。
迷いを捨て、“規則“という信念に殉ずるかのように、その瞳は強固な意思が込められていた。
(⋯⋯やっぱり、戦うしか方法はないの⋯⋯!?)
小さな手を握り締め、唇を噛むレオン。そんな少年を守るように、シルフはレオンの前に立ち、イングリッドに向けて声を上げた。
「――姫騎士物語、第四巻。主人公の女騎士“イングリッド“は、厳しい決断を迫られる。主人である“ケーニヒ“王子を誘拐されたにも関わらず、宰相の決定で追うことは許されない。女騎士にとっての愛の象徴である主人か、騎士としての誇りである秩序を守るのか」
「⋯⋯!!!!」
「姫騎士“イングリッド“は、その後も重大な決断を迫られる。⋯⋯ですが、イングリッドは騎士でありながら、愛に生きる乙女。彼女の決断は常に自らの心に従い、また主人を想う気持ちそのものになります」
「⋯⋯⋯⋯」
「そして、その選択の結果。イングリッドは必ず窮地に陥る。⋯⋯ですが、彼女は持ち前の強さと騎士としての誇り、そして愛の力によって、その全てを打ち払い、悪を必ず倒す」
「⋯⋯」
「⋯⋯私も、大好きなんです。“姫騎士物語“。⋯⋯特に、騎士でありながら、型破りな言動と行動力を持つ、イングリッド様が」
「⋯⋯うう⋯⋯!!」
教導騎士団副団長、イングリッド・ルーデルはシルフの話を聞き、涙を落としていた。
内容を思い出してしまったのか、ここまで熱狂的な“同士“がここにいた事実なのかは、わからない。
そんなイングリッドの様子を見ながら、シルフは畳み掛けるように続ける。
「イングリッド様。私は、規則ももちろん大切だと思います。破った結果、誹りを受けるのも当然でしょう。“教導騎士団“の肩書を持つあなたが、何よりも規則を大事にしている事もわかります」
「⋯⋯!!」
「だから、こうしましょう。“レオン様が、脱走した。だから、イングリッド様が、追いかけてきた“、と」
「!! だが、それでは君たちが⋯⋯!!」
「いいですね? レオン様」
「⋯⋯! もちろんだよ、シルフ! 退学になったとしても、僕たちならきっと、なんでも乗り越えられるから!」
「もっちろん!!」「⋯⋯カッコ良い」「それでこそ、我が主人ね」「ぐへへ、最っ高!」
レオンの言葉に沸き立つ、彼の団員たち。
少年はその様子を恥ずかしそうにしながら、イングリッドに向き合い、続けた。
「⋯⋯副団長。ありがとうございました。僕は、あなたの言葉とみんなの力を借りて、これから変わっていきます」
「レオン⋯⋯」
「本当に、ありがとうございました。僕たちは行きます。エリザと、蒼穹の盾のみんなを助けに!」
「⋯⋯ま、待て!!」
イングリッドは、歩いて行こうとするレオンを縋るように呼び止めた。
「⋯⋯わかった。悪かった。⋯⋯本当は、私から言わなければならなかったんだ」
「⋯⋯?」
「⋯⋯頼む。私の大切な友人の小騎士団なんだ。私だって助けたい。私に力を貸してくれ」
そう言って、イングリッドはレオンたちに頭を下げた。その表情は、申し訳なさと、自分の非力を嘆くように、悲痛な形に歪んでいる。
――レオンは、そんな彼女の表情を見る。自分も、かつてはこういう顔をしていたのだろうか、と。
騎士学校には、彼の願いを聞き入れる者はいなかった。代わりに、悪意と誹りが、降りかかったのだ。――少し前までは。
だから、レオンはずっと考えていたのだ。“こんな自分なんかに頼み事をしてくる人がいれば、助けてあげたい“、と。
「――お顔を上げてください、副団長。僕はまだ、あなたに恩を返していない」
「⋯⋯だが⋯⋯」
「⋯⋯順序が、逆です。副団長、僕に⋯⋯この未熟者の団長に、力を貸してください」
「! そうか、ありがとう⋯⋯! ⋯⋯それでは、共に歩もうか。“共犯者“として、このイングリッドを、よろしく頼む」
レオンがイングリッドに向けて、手を差し出し、彼女はそれを掴む。
自嘲気味ながらも、その瞳に光を灯す彼女。
副団長という厳かな肩書からは信じられない程、その手は小さく、華奢だった。
「クロラ」
「ここに」
「うわぁ!」
レオンがクロラを呼ぶが早いか、彼女はレオンの右後方に立ち、右手をベルトに添え、恭しく礼をしていた。
その姿は、普段の彼女の蕩けた姿からは想像も出来ないほどに優雅で、そして気品に満ち溢れている。
それを見ていたノエルとルナは、一様に目を輝かせてクロラに言った。
「クロラ! なにそれ、かっこいい!!」
「ルナも、真似していいですか?」
「ぐへへへ! い〜よぉ? コツはねぇ〜、ビシッと、する事だよぉ〜?」
目をキラキラさせる二人に、全く説得力のない甘い声音で話すクロラ。
二人への指導を終えると、彼女は再びレオンに向き合った。
「それでぇ〜、如何なさいますか? レオンさま」
「さっき、敵の数を当てていたけど⋯⋯、もしかして、もう斥候してきたの?」
「もっちろん! クロラは〜、できる女ですからぁ♡」
「さすがだね! ありがとう、クロラ! それを元に、作戦会議をしよう」
そして、地面に地図を刻みながら、レオンが中心となって作戦を立て始める。
彼の指示した内容に、団員たち、それにイングリッドも、時折唸るように彼の話を聞いていた。
――そこにいたのは、今までの“落ちこぼれのレオン“ではない。
覚醒の予兆を感じる、一人の英雄のようであった。
彼が一頻り話し終え、少女たちの意見も出揃った頃。
改めて彼は団員とイングリッドへ向き合い、声を上げる。
「よし。⋯⋯絶対に、みんなを助けよう!!」
「「「「「おー!!」」」」」
「お⋯⋯おー⋯⋯!」
少年の団員たちは、団長の声に元気よく返事をした。
――それにいまいち乗り切れないイングリッドは、恥ずかしそうに小さく手を上げるのであった。




