23話「壊滅」
「⋯⋯こ、これは⋯⋯!」
黒煙を見てから小一時間は走り続けたであろう彼らは、開けた街道の惨状に言葉を失っていた。
空が茜色に染まる中、地上も同じ色に染まっている。
それでも区別が付くほど、あたり一面は血の色に染まっていた。
――破壊された馬車、切り倒された木々。僅かに燃え、抉られている大地、灰色の土。
その中に横たわっている、深い青の大楯や大槌の数々。
そして、その瓦礫の中にはレオンが特に心配していた彼女――エリザの物であろう“槍斧“が真ん中で折れ、鎧の破片が散らばっていた。
「なんて事だ。これは、一体⋯⋯」
流石のイングリッドも、この状況には絶句している。
彼女は激しく顔を歪め、絞り出すように掠れた声を出した。
――そして、状況の違和感に気付いたクロラが、その灰色の瞳に怒りの炎を宿しながら、溢した。
「おかしい。これだけの惨状なのに、人の姿が見当たらない」
「⋯⋯魔獣の、仕業でしょうか?」
クロラの言葉に、シルフが答える。
しかし、クロラは首を振り、溶けた金属がそのまま固まってしまったかのような、不自然な状態の大楯を見つめながら答えた。
「⋯⋯もし、魔獣に食べられたのだとしたら、鎧が残るはず。この辺りに鎧ごと消化できる魔獣はいないはずだし、そもそも彼女たちは重装騎士。鎧を避けて柔らかい肉を食べるために、肉片が散らばっていてもおかしくない」
「確かに、人の気配はないわね。⋯⋯縄張りに連れて行った、という線は?」
「ヒルダ⋯⋯。⋯⋯それも、無いよ。一体二体であれば、“食べ残し“を持っていくことはあるけど、彼女たちの数は少なくない。それら全員を連れ帰るほど、魔獣の頭は良くない」
ヒルダの質問に答えていくクロラ。
怒りを隠そうともしないクロラの言葉の真意に、レオンは最悪の可能性に気付いてしまったかのように吐き出した。
「⋯⋯まさか、攫われた⋯⋯?」
「レオンさま⋯⋯」
自らの言葉に、顔を青くしていくレオン。
そんな彼の様子を悲痛な表情で見ていたクロラは、苦しそうに告げた。
「多分、そう。断言はできないけど⋯⋯。破壊された鎧や大楯には、まだ僅かに魔力の痕跡が残っている。⋯⋯まるで、人の悪意を凝縮したかのような、ドス黒いのがね」
「⋯⋯そんな!!」
クロラの言葉に、顔を歪めるレオン。
彼は縋るように辺りを見回し、――そして、燃えている馬車。そこに刻まれた、“黒い魔法文字“を見つけた。
「⋯⋯あれは?」
レオンの両眼が、妖しく光を放つ。
彼のモノクロになった視界には、馬車に刻まれた漆黒の文字が鮮明に映る。
『⋯⋯ああ、やっぱり、見つけて下さいました。愛しい、愛しい、私の“だんな様“?』
「⋯⋯ぐっ!!」
ぴし、とヒビが入る音が聞こえた気がした。その音と同時に彼の目に走る激痛。その深い紫色の瞳からは、血の涙が垂れていた。
そして、レオンは確かに声を聞いた。だがそれだけではない。
――彼の背後から、白い両腕が伸び、レオンを抱き締めたのだ。
耳元には媚びるような甘い声。
汗と砂糖が混じり合ったような、甘く、執拗なまでに粘着質な芳香が彼の身を包み、長い髪の羽毛のような感触が肌を撫でる。
――絶対に逃げることの出来ない抱擁。
声の主の、黒に金が入る長い髪さえレオンを捕えるように絡みつき、彼を縛り上げていく。
『ここから、南東。砂漠に至る最後の草原に、私はおりますわ。⋯⋯可愛らしい、“彼女たち“と一緒にね?』
「!! 君は⋯⋯!?」
『夜更けには来て下さいまし。⋯⋯日が出てからでは⋯⋯。“後悔“、してしまいますわよ⋯⋯?』
「っ!!」
“彼女“の白い腕は、さらに力を込める。
同時に、彼女の長い髪も彼を縛る力を強めていく。耳元の甘い声は、さらに熱を帯び、吐息でさえ灼熱のようであった。
『ああ⋯⋯、ああ!! 夜が待ち遠しい。⋯⋯やっと、やっと“あなた様“に、お会いできる⋯⋯!!』
「⋯⋯ぐっ!」
『お会いしたら、口付けを交わしましょう。手指を絡めて、肌と肌を重ね合わせるの。裸になって、繋がりあって⋯⋯。もう二度と、離しませんわ』
「⋯⋯かはっ! は、離して⋯⋯!!」
『舞踏会の準備はしておきますわ。⋯⋯今日の夜、お忘れなきよう』
「――レオン、しっかりして下さい!」
「⋯⋯はっ!!」
ルナの声に、我に返るレオン。
――彼を守るように四方に立つ彼女たちは、外敵から守るように円形に広がっていた。その手に、武器を構えて。
「囲まれています。⋯⋯決して、ルナから離れぬように」
「⋯⋯!!」
彼らの周囲にある気配に、レオンもようやく気付いた。
彼らを囲む気配は、徐々にその囲いを狭くし、静かに近付いていく。
――まるでこちらを品定めするような、攻め時を見極める静寂。気配が一歩近づく度、この場所の温度が急激に下がっていく。
彼女たちが手に持つ獲物を握り直す音が響く。空の雲が激しく流れ、木々が騒めく。
一際強い風が吹き、木の葉が舞い上がった瞬間――
「――おい、大丈夫か!? 君たち!!」
――森から、声が響いた。その声は、穏やかながらも覇気のある、暖かい声だった。
「おい! 子供たちだ!」
「なんだって!? 無事なのか?」
「待ってろ! すぐに行く!!」
その声に続くように、森から次々と現れる緑色の騎士鎧に身を包んだ騎士たち。
その中の一人。家紋の刺繍が施された外套を纏った、背の高い騎士がレオンたちに向けて声をかける。
「大丈夫か!? 黒煙が上がっていたから、救援に来たのだが⋯⋯。一体、何があった!?」
「グレーネラントの騎士様ですね。私はイングリッド・ルーデル。騎士学校の任務で、ここに」
「学生騎士か! 怪我は無いか!? 重傷者はいるのか!?」
「私たちも、今しがた到着しました。⋯⋯黒煙を見て、ここに」
「そうか。⋯⋯とにかく、君たちが無事でよかった。⋯⋯だが、この状況は⋯⋯」
隊長と思われる、外套を羽織った騎士の言葉に、イングリッドは敬意を持って返答していく。
騎士は周りを見渡すと、その惨状を改めて確認するかのように息を吐き、続けた。
「我々は、二つの小騎士団で西と東に分かれて魔獣討伐を行なっていました。我々は、東側を」
「⋯⋯とすると、ここにいたのは西側を担当していた小騎士団という事か」
「はい。⋯⋯ですが、彼女たちの姿が見当たらないのです。あるのは、彼女たちが使用していた武具や馬車のみ。人の姿は、どこにもありませんでした」
「ふむ。わかった。すぐに救援要請を行う。⋯⋯これだけの被害、尋常ではないな。こんな“魔獣“が、ここにいたなんて⋯⋯」
「⋯⋯これは、きっと魔獣の仕業ではありません。人の手によるものだと、思います」
騎士とイングリッドのやり取りを聞いていたレオンが、割り込むように会話に入る。
「君は?」
「⋯⋯私は、この小騎士団の団長のレオハルト・フォン・リヒトホーフェンです」
「⋯⋯!! 君が、あの⋯⋯!! ⋯⋯無事でよかった。本当に、無事でよかった⋯⋯!」
騎士は、レオンの名前を聞くと目を見開いた。
――そして、先ほどよりも、深く安堵しているようにも見える。
そんな騎士の様子に気がつかないまま、レオンは続けた。
「⋯⋯今すぐ、彼女たちを助けに行きます」
「! 駄目だ。この惨状を見ただろう。君たちの手には負えない」
「ですが、彼女たちが⋯⋯攫われたんです! 人の手によって!!」
「そうとも限らん。あの武具の残骸を見ただろう。明らかに人によるものでは無い。⋯⋯仮に人の仕業だとして、ここはブリガンティアに近い場所だ。賊の侵入をここまで許すとは、到底思えん」
「⋯⋯ですが!!」
「憶測でものを言うな、リヒトホーフェン君。君が今から、何をしようとしているのか、わかっているのか?」
「⋯⋯!!」
「君がこれから行うのは、夜の森を行軍して、小騎士団が壊滅する程の強敵を、手探りで探すことだ。⋯⋯しかも、敵の脅威は不明で、真偽さえもわからない。みすみす敵の縄張りに入って、自分の団員を危険に晒すのか?」
「⋯⋯!! でも⋯⋯!!」
「君の気持ちもわかる。仲間を心配する気持ちも、今すぐにでも動きたい気持ちも」
騎士はレオンの肩に手を置き、彼に目線を合わせて諭すように続けていく。
「だが、駄目だ。君たちのような“ひよっこ“では、無駄に死ぬだけだ。周辺の森の調査は我々が行う。明日の朝には、救援部隊が来るだろう。捜索は、それからだ」
「⋯⋯でも、それじゃ遅いんです! 今日の夜までに、みんなを見つけないと!」
「甘ったれるな!!」
「――っ!」
騎士の怒声に、レオンは体を大きく震わせた。
「君に、何ができる? 君の無茶で、団員を危険に晒すのか? 君の我儘で団員が死んだら、君はどうするんだ?」
「⋯⋯!!」
「死んだ団員の家族に、君はなんて言うんだ? “私の我儘で、あなた様の大切なご子息を殺しました“と言えるのか? 身の丈に合わない事をして、君は全てを失うのか?」
「⋯⋯」
「⋯⋯死んだ人間は帰らない。その後悔は、きっと君の将来に深い影を落とす。そんな君の人生を、君の団員は望むのか?」
「⋯⋯⋯⋯」
「“大人に任せろ“。君の勇気は立派だ。だが、今はまだそれを使う時ではない。大事にしまっておいて、君が大人になり、命を賭して何かを守る時に使うんだ。⋯⋯君はまだ、若いのだから」
「⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯だから、私は正規騎士として、リヒトホーフェンに命じる。“明日の朝まで待機せよ“。反論は認めん」
「っ!!」
レオンを叱った騎士は、穏やかながらも覇気のある口調で、レオンに命じた。
――有事の際に行われる、“正規騎士“からの命令。これに背くことは、騎士見習いの学生として許されることはない。
「⋯⋯⋯⋯はい、わかりました⋯⋯」
レオンは零すように返事をすると、踵を返して自らの団員の元へと戻っていく。
――その途中、彼の背負った魔剣が激しく脈動した。
「っ!!」
瞬間、レオンは膝を突く。
魔剣の脈動と共に訪れた、まるでレオンの頭の中に雷撃が落ちたような頭痛。
――それと同時に、彼の脳裏に走る鮮明な“記憶“。
“――虚な表情。焦点の合わない瞳。傷だらけの身体。腕の中には、確かに暖かい、温もりのある彼女。“
“――燻んだ金髪を、後頭部で纏めた、翡翠色の鋭い目を持つ少女。“
「⋯⋯っ!! ぐ、ぐうう⋯⋯!!」
「レオン様!!」
「レオン!!」
レオンの様子に異変を感じた彼女たちが、レオンの元へと駆けていく。が、彼にはそれは見えていなかった。
彼の脳裏に走る痛みと“記憶“が止まらない。
“――身体は痣だらけ。にも関わらず、顔の周りだけは不自然に綺麗。“
「あ、ああ⋯⋯! えりざ⋯⋯、エリザ!!」
「⋯⋯! おい、大丈夫か⋯⋯!」
「錯乱しているのか⋯⋯!? 早く運ぶんだ!!」
“――間に合ったはずだった。あの時、動いていれば。夜の段階なら、間に合ったはずなんだ⋯⋯。“
「エリザ! エリザ!! エリザあぁっ!!」
「っ! お前たち、手伝ってくれ! 完全にパニックになっている!!」
「レオン!! レオン!!」
レオンは、騎士と彼女たちに羽交い締めにされ、尚暴れていた。
その瞳は澱んでおり、何も映ってはいない。
やがて彼はその頭の痛みに耐えきれなくなったのか、徐々に体から力が抜けて、意識を失っていくのであった。




