幕間1「双色瞳の魔女」
定期的に木が切り払われた、見通しのよい森の街道。
高く伸びた木々の隙間から陽光が降り注ぎ、乾いた土の道に光と影の斑点を描いている。風が吹くたびにその模様が揺れ、まるで地面が意思を持つかのように蠢いていた。
「――うふふ」
人の手によって切り開かれ、整備された何の変哲もない道路。
その中心には、呑気な光景にはそぐわない異物――黒の中に幾つもの金が入る長い髪を二つ結びにした、一人の少女が空を見上げていた。
「ああ、感じますわ。⋯⋯“あなた様“の匂い。香り。“あなた様“の吐息が風を伝って、私の肺にまで届いておりますわ」
その少女は空を見上げたまま、その細く美しい指先を頬に添える。
左右で色の違う瞳――柘榴石と黝簾石をはめ込んだその貌は、恍惚に歪んでいた。
「やっと。やっと、見つけましたわ。“あなた様“の、手がかりを⋯⋯!!」
少女は一人溢す。その声は、媚を含んだ甘ったるい声。
されど、悲しいほどに美しく、妖しく、艶麗。
――まるでこの世の全ての淫美を込めたかのような、明らかな狂気を含んだものだった。
風が流れる度、木々の騒めきがその場を満たす。
その度にすり潰したばかりの若葉のような、太陽を吸い込んだ草花の瑞々しく、青い香りが降り注いでいた。
――そんな自然の澄んだ空気の中で、金属の焼けたような、鉄の味がするような芳香が混じる。
少女の周りには、溶けた金属がそのまま固まってしまったかのような、不自然な状態の大楯や変形した大槌が無惨にも転がっていたのだ。
「ああ⋯⋯! やっとですわ。やっと、辿り着きましたわ⋯⋯!!」
「何度も、何度も、試した。⋯⋯うふふ。⋯⋯そして、何度も、何度も、失敗した⋯⋯!!」
「何度も、何度も、何度も。⋯⋯何度も、何度も」
少女は、壊れてしまったかのように、呪詛のように何度も同じ言葉を吐き続ける。
――虚空に“あなた様“の幻影を見るように、愛おしそうに空を抱き締めながら。
「何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も――」
少女が言葉を発するたび、周囲の風は止まり、森の喧騒さえも吸い込まれるように消失していく。
世界そのものが、彼女の狂気に耳を澄ませているような、まるで全てが死んでしまったかのような静寂。
その声を聞いているものは誰もいないように思えた。
――地面に横たわる、“蒼穹の鎧“に身を包んだ少女たちでさえ。
「――なんど、も。⋯⋯でも、苦ではありませんでしたわ。また、“あなた様“と逢えるのですもの⋯⋯!!」
その細い指先は、“あなた様“の柔肌をなぞるように、その美しい髪を漉くように、彼女だけには見えているかの如く虚空を愛おしそうに撫でている。
「ああ⋯⋯! 愛する“あなた様“。⋯⋯“あなた様“の為なら、私は何度も、何度でも、この“地獄“を続けてやりますわ⋯⋯!」
「たとえ、何度生まれ変わろうと。何に生まれ変わろうと」
「私は、必ずや“あなた様“の元へと、馳せ参じますわ⋯⋯!!」
その少女には、明らかに何かが見えていた。
空を愛撫し、虚無の感触を確かめ、愛を確かめるように虚空に向けて口付けをする。
「だから、待っていてください。私の愛しい、愛しい、“だんなさま“」
暗い赫と蒼は、幻影に媚びるように目を合わせていた。
美しいはずのその両目は、深い情念と欲情で、酷く澱んでいる。
――その少女の足元に倒れる女騎士。
最後まで戦っていたと思われるその騎士の周りには、獲物であっただろう折れた斧槍に、蒼い鎧の残骸が飛び散っていた。
「⋯⋯うふふ、ふふふ⋯⋯!!」
双色瞳の少女が笑う中、彼女の黒いドレスと騎士の燻んだ金色の髪だけが、静かに風に揺られていたのだ。
+
彼女が“幻影“と約束を終えた後。
森の中から粗野な男達がぞろぞろと出てくる。
男達はいかにも荒くれといった出で立ちだが、鎧だけが上等なものとなっており、その雰囲気は異質なものとなっていた。
「――ははは! こりゃいいや! 全員、上玉じゃねえか!」
「たまんねえな、これは。しばらく飽きずに済むぜ!」
「これだけいりゃ、日替わりで楽しめるな。ははっ!!」
ヒャハハ、と毒気に満ちたような下品な笑い声が森に響き渡る。
彼らが放つ獣のような汗の臭いに一瞬眉を顰めた少女だったが、男達のしゃがれた声をかけられて、不快さを隠さなくなった。
「手だれだと聞いていたが、まさかここまでとは。この数を一人で仕留めるとは、さすがは“魔女“ってとこか?」
「お褒めにあずかり、光栄ですわ」
“魔女“と呼ばれた少女は、そっけなく男達に返す。発した言葉は丁寧だったが、その声音は酷く冷たい。
男達は魔女に感嘆し、あるいは畏怖した。魔女の周りに横たわるのは、深い蒼の鎧を着込んだ少女達。
――“蒼穹の盾“。
騎士学校でも有数の重装騎士団で、少数にも関わらず高い士気と練度を誇る小騎士団と、巷では有名であった。
――そして、蒼穹の盾の団員は、“可愛らしい“少女たちであるとも。
男達は、その噂に舌鼓を打ちながら――少女たちの周りに散らばっている、大楯や大槌、折れた長槍の壊れ様に恐れ慄いていた。
その破壊された武具の様子は、激しい戦闘の後でさえない。
まるで、神代の怪物がここに現れ、暴れたかのように、常軌を逸した破壊の跡だったからだ。
「⋯⋯おお」
「これじゃ、野獣に襲われた方が、何倍もマシだったかもな」
ヒャハハ、という下品な笑い声が森に響き渡る。にも関わらず、倒れた少女たちは微動だにもしない。
死んではいないようだが、破壊された武具の様子を見れば、なぜまだ人の形を保っているのかが不思議なほどであった。
――その笑い声の中に、己の劣情を隠さない、悍ましく耳障りな声が溢れた。
「――じゃあ、俺はこいつで楽しませてもらうとするか」
鼻の下を伸ばした一人の男が、倒れた少女に手を伸ばす。しかし、その男は、違和感を覚えた。
――先程まで視界に映っていた“自分の腕“が、瞬きをした瞬間に無くなっていたのだ。
「――彼女たちは、私の“ペット“にしますわ。⋯⋯勝手に触れたら、殺しますわよ?」
「へ? ⋯⋯あ、ああ、ぎゃあぁあああ!!!!」

酷く冷たい声音。
それは先ほどまでの熱を孕んでいたのが嘘のように、感情の削げ落ちた“宣告“だった。
彼女の淫靡な手には、先程まで男の元にあった腕が掴まれており、断面からは鮮血が滴り、地面に落ちていく。
――そして、もう片方の手には、剣が握られていた。
黒い刀身に、金の装飾。
どこから取り出したのか、どこに隠し持っていたのかが全くわからなかったが、その剣が持つ邪悪な魔力は、黒い陽炎のように周囲を歪めていた。
「ああああ! あ、ああ! ああ⋯⋯」
ズシャ、と、腕を失った男は、その痛みに耐えきれなくなったかのように白目を剥き、泡を吹いて地に伏せる。
――ピク、ピク、と微かに動いてはいたものの、その身の周りを血に染めていくにつれ、動きは小さくなっていき、やがて止まった。
「あらあら、死んでしまいましたのね。⋯⋯おかわいいこと。⋯⋯貴方達も、彼女たちの扱いには、気をつけてくださいませ」
「「「⋯⋯!!」」」
明らかな脅し。逆らった者は、こうなる。その恐怖が、彼らの首を縦に振らせた。
だが、何人かの男たちは、眉を吊り上げる。
そんな彼らが声を上げようと口を開いた瞬間――そこにあった“顔“は無くなり、代わりに人型の噴水が出来上がる。
噴き上がる鮮血が降り注ぐ陽光に煌めき、赤い宝石となって地に落ちる中、魔女は再度呟いた。
「よろしいですわね? ⋯⋯くれぐれも、“魔女“との約束は、破らないように」
「⋯⋯わ、わかったよ⋯⋯!」
少女の手には、男の腕の代わりにもう一本の剣が握られていた。
――先程握っていた剣とは違う、金色の刀身に、黒い宝石の装飾が施された剣。
こちらも尋常ではない魔力が迸る、豪華さの代わりに人の闇を感じさせる暗い黄金であった。
両手に剣を持つ魔女の言葉に、男達は渋々と従った。
物を丁寧に扱ったことがないような、ぎこちない手つきで少女を次々と馬車へと運んでいく。
少女たちが全員馬車に詰め込まれ、男達が去っていく。
――それを見送った後、魔女と呼ばれた少女は蒼穹の盾が使用していた馬車を見つめた。
――その瞬間、馬車が燃え始める。
天高く舞い上がる黒煙を一瞥もせず、彼女は剣を持ったまま馬車に向けて指を艶かしく動かし、"何か"を刻んでいく。
――馬車に刻印されたそれは、まるで血管のように禍々しく脈動していた。
「うふふ。⋯⋯“あなた様“なら、きっと読めるでしょう。私からあなたへの、この恋文を」
魔女の瞳に、再度熱が宿っていく。まるで、この世の全ての淫靡が込められていくかのように。
「ご安心ください。“あなた様“の大切な人には、私が指一本触れさせませんわ」
そう言いながら、虚空に向けて手を伸ばす。
少し悲しい貌を浮かべているのは、幻影に叱られたからのように見えた。
「そんな⋯⋯! お願い! 私を、嫌わないでくださいまし!!」
魔女は、懇願するように涙を浮かべて膝をつき、虚空へと縋る。――その両手には、もう剣は無い。
「⋯⋯ああ、お願い、お願いです、“あなた様“⋯⋯! 私を⋯⋯。私を、見捨てないでくださいまし! 嫌わないでくださいまし!!」
泣きじゃくる子供のように、魔女は空を掴む。その手の軌跡に、微かに魔力が揺らめいた。
「⋯⋯お優しい。お優しいですわ、“あなた様“。このような、悪い子の私を、許してくださいますのね。⋯⋯でも、これからは、気をつけますわ⋯⋯」
「⋯⋯“レオン様“に、嫌われたくありませんもの⋯⋯」
魔女は膝をついたまま、誰もいない虚無へ向けて、媚びるように一人呟いていたのだった。




