21話「教え導く者」
――彼らがガルムの群れを討伐した後。
時刻は昼を過ぎたあたりで、レオンたちは木陰で休憩をとっていた。
あの後も何度かガルムの群れに遭遇した。
先の群れほど大規模ではないが、それでも数は少ないとは言えない。
そんな魔獣の群れに遭遇する度、レオンはシルフに捕えられ、他の四人が魔獣を殲滅していった。
彼女たちの規格外の強さを目の当たりにするたび、彼は自己を否定していたのだ。
――自分は、この小騎士団には、必要がない、と。
そんな彼は、彼女たちとは少し離れたところで食事をとっている。
――そのまま齧るには硬すぎる黒パンを、水でふやかすこともせずに。
「――となり、いいか?」
「⋯⋯! はい⋯⋯」
そんなレオンの所にやってきたイングリッドは、少年に聞いた。
それに力無く答えた彼の言葉で、イングリッドは彼の隣にちょこん、と座る。
もそもそ、と黒パンを齧り続けるレオン。
そんな彼に向けて、イングリッドは話を切り出した。
「強いな、彼女たち。⋯⋯改めて、凄まじいよ」
「⋯⋯はい。自分も、想像以上でした」
「⋯⋯不服そうだな」
「いえ⋯⋯。彼女たち“が“、強いだけなので」
イングリッドの言葉に、卑屈に返すレオン。
草原を駆ける冷たい風が二人の頬を撫でる。
イングリッドは自分の髪を整えながら、そんな彼の言葉を無視するように続けた。
「特に、ルナ、と言ったか? あの黒髪の剣士。⋯⋯剣士としてみれば、彼女が一番異常だ。魔力を全く感じさせないくせに、放つ剣技は魔法に近い。⋯⋯技術のみで、魔法にまで昇華したのだろう。あれと打ち合ったことを考えると、ゾッとするよ」
「⋯⋯ルーデル副団長も、魔力が見えるのですか⋯⋯?」
「ああ。というより、騎士学校で学ぶ者であれば、大抵身につく。能力の質に目を瞑ればな。⋯⋯私のは、その能力を高め切っただけだ。⋯⋯この体で、騎士になるために、な」
そう言って、イングリッドは手のひらを閉じたり開いたりする。
――彼女も、その華奢な体にコンプレックスを抱いているように。
「“心眼“という二つ名を賜ったのも、そこから来ている。⋯⋯敵の攻撃を見切り、予測すれば、当たらない。当たらないものを、怖がる必要は、ないだろう?」
「⋯⋯やっぱり、副団長は、凄いです⋯⋯」
さも当たり前のように話すイングリッドに、感心――才能の差を見せつけられたように力無く返すレオン。
「――君も十分、凄いよ、レオン」
そんな彼に向けて、イングリッドはレオンが予想だにしない答えを返したのだ。
目を見開く彼に向けて、彼女は優しく、言葉を紡ぐ。
「正規騎士になれば、いずれ自分より年上で、実力もあり、人望のある優秀な人間が部下に就くことも珍しくない。そんな中で、彼女たちを率いて戦う、というのは、とてもいい経験になるだろう」
「⋯⋯そうで、しょうか⋯⋯?」
「人がついてくる、というのは、最高の才能だ。こればっかりは、いくら武芸に秀でてようが、知識があろうが、身に付けようとして簡単に身に付くものではない。その点で言えば、君はいい素質を持っている。⋯⋯そう、自分を卑下するな」
「⋯⋯はい⋯⋯」
イングリッドの励ましの言葉を、いまいち受け取れないレオン。
少年は黙ってしまった。が、イングリッドは待ち続けた。
――レオンの中で、固く閉ざされたその本音を、彼自身が話してくれるのを。
イングリッドの貌は優しかった。
彼と変わらない体格ではあるが、それを感じさせないほどの安心感。
“彼女たち“の向ける狂おしい愛情とはまた違う、人生の先輩としての静かな貫禄が、彼女の存在をより大きく見せていた。
草原から暖かい風が吹き抜ける。
名もなき草花の香りを運ぶその風は、凍ったレオンの心を溶かすように彼の鼻腔まで届けていった。
「⋯⋯あの、⋯⋯僕⋯⋯」
「⋯⋯ん」
イングリッドの優しい眼差しに触れたからか、レオンはぽつぽつと、零すように口を開いた。
「⋯⋯僕は、弱くて⋯⋯、彼女たちは、とっても強い。⋯⋯僕は、助けられてばかりなんです。⋯⋯必要、ないんです⋯⋯」
レオンは、絞り出すように言葉を零す。
そんな自分を卑下する事ばかり告げるレオンの言葉を、イングリッドは遮らず、静かに、優しい眼差しを向けて聞いていた。
「⋯⋯で、でも⋯⋯。僕は⋯⋯。は、離れたく、ないんです。⋯⋯でも、怖いんです⋯⋯」
「⋯⋯うん」
「⋯⋯し、失望されて、見捨てられるのが。⋯⋯彼女たちが、離れていくのが、とっても、怖いんです⋯⋯」
レオンは、黒パンを持った手を震わせる。
――紫の瞳は、虚無を見つめているようだ。涙さえ枯れたような瞳であるが、その声は徐々に震えを大きくしていった。
「⋯⋯僕は、落ちこぼれで、卑怯者で、裏切り者、なんです。本当なら、幸せを望むことすら⋯⋯。でも、離れたくない。一緒にいてほしい。でも、僕といたら⋯⋯」
「⋯⋯ん」
「僕と、いたら、“また“、傷つける。⋯⋯“また“、裏切ってしまう。夢で見た、みんなの、冷たい目。それが、とっても怖いんです⋯⋯!」
「⋯⋯⋯⋯そうか」
レオンは、嗚咽しながら話を終えた。
少年の貌に涙はなく、そこにあるのは、悲痛に歪んだ表情のみ。
微かに川藻の青い匂いが混じる風が、木陰を大きく揺らし、木の葉の擦れあう音が二人の静寂を埋める。
イングリッドは、そんな彼の様子を見て、改めて彼に質問した。
「――本当に、そうなのだろうか?」
「⋯⋯え⋯⋯?」
「短い付き合いだが、そんな私にも、君たちはとても強い“絆“で結ばれているように見える。⋯⋯君は、違うと思っているかもしれないが」
「⋯⋯⋯⋯」
「もし、彼女たちが君から離れるのだとしたら。⋯⋯その原因は、彼女たちではなく、君自身にあると思う」
「⋯⋯!」
「なぜなら、彼女たちは君に手を差し伸べている。精一杯、手を伸ばし続けているんだ。⋯⋯それを握らずに拒んでいるのは、君自身のはずだ」
「⋯⋯それは⋯⋯」
「大体、彼女たちに、今の話を伝えたのか?」
風が強く吹く。引き締まった無味無臭の冷気が、レオンの頬を冷たく打つ。
イングリッドは少年に向けて、優しい声音で告げていく。
――呆れたような言葉だが、その声は誠実そのものであった。
「彼女たちに、ちゃんと話したのか? “僕から離れないで“、と。“僕を見捨てないで“、と、ちゃんと伝えたのか?」
「⋯⋯そ、そんな恥ずかしいこと、できません⋯⋯」
「⋯⋯不安なら、話をすることだ。人の気持ちなんて、言ってもらえなければ、わからない。自分が考えている事なんて、他人にはわかりはしない。そもそも、自分でさえ、自分の事を全て把握できるわけではないのに」
「⋯⋯」
「自分の事を知ってもらうには、自分の事を、しっかり伝える努力をしなければならない。好きな事は何なのか、とか、嫌いな事は何なのか、とか」
「⋯⋯伝える、努力⋯⋯」
「ようは、自分の心を開く事だ。彼女たちは、君に対してはすでに心を開いているだろう。だが、君が心を閉ざしたままでは、彼女たちだって不安になる」
「⋯⋯!」
「それで、離れられるのが怖い? 甘えるな。今の君は、彼女たちの気持ちを、自分の都合で利用している、最低な人間に見える。しっかり、自分の団員に向き合え。心からな。⋯⋯そして、自分の弱さを、知ってもらうことだ。自分の弱さを認めない限り、前には進めないぞ?」
「⋯⋯それで、離れられたとしたら⋯⋯?」
「君は、本心でそれを言っているのか?」
「⋯⋯いや」
イングリッドは、レオンを諭すように言葉を紡いでいく。
草原を駆ける風が止む。――残ったのは、春にしては強い日差し。
木陰の隙間を通り抜ける光は、徐々に彼の心を溶かしているようであった。
「早く、向き合え。⋯⋯そして、心から伝えることだ。彼女たちがいつまでも待ってくれる保証はないぞ? 女の子だからな」
「⋯⋯?」
「女の子は、不安なんだ。一度話せば終わるものではない。⋯⋯意中の相手になら、毎日、いや、毎秒でも想いを伝えてほしい。好きな人にもっと綺麗と、可愛いと。⋯⋯あ、愛してると、言ってもらえるように、髪に櫛を入れ、身を整える。⋯⋯血の滲むような努力が実を結ばない辛さを、君はよく知っているはずだ」
「⋯⋯!!」
レオンは思い出す。眠れない恐怖を、魔法の研究で誤魔化し続けていた日々を。
休む時間を極限まで減らして、狂気に呑まれたのではないかと思える研究成果を、自らが使うことが出来ないもどかしさを。
「正直、私が君を変えられるとは、思っていない。⋯⋯人は、変わることはあっても、“人を変える“事は出来ないからな。だが、これだけはよく覚えておくことだ」
イングリッドは、レオンの目を真っ直ぐに見据えながら、言葉を紡いだ。
「――君が、そのちっぽけなプライドを守って手に入れることが出来るのは、⋯⋯多分、君の人生最大の“後悔“、だぞ?」
“心眼“のイングリッドは、レオンに向けて、“予言“をする。
――まるで彼のこれからの人生を見透かしたかのように。
そして、より良い方向へ“導く“ように、彼に優しく、時には厳しい言葉でその心を溶かし、道を指し示す。
「⋯⋯ありがとう、ございます。副団長。⋯⋯彼女たちに、向き合ってみます」
「ああ。そうすると良い」
レオンは、改めてイングリッドを深く尊敬していた。
優しく、厳しく、彼女たちやエリザとはまた違った面で、彼の心を開いていく。
――かつて、騎士学校校長、“コンラッド・フォン・ベルケ“はこう言った。
『死に急ぐな。世界は君が思うより、もうちょっとは綺麗なはずだ』と。
彼のその言葉の通り、レオンの世界は狭いままだったのだ。
それを教えてくれたエリザ、イングリッド、蒼穹の盾の団員。
――そして愛しい、少年の“団員たち“。
レオンは、この人たちに深く感謝していた。
――そして、しっかり言葉で伝えようとも。
空は風が強い。雲の流れが尋常ではなかった。
――にも関わらず、草原は穏やかで、陽が雲で翳ることはなかった。




