20話「初陣」
集合場所での騒ぎが一段落し、顔合わせを終えた後。
彼らは事前の打ち合わせ通り、二手に分かれて魔獣討伐へと向かっていくのであった。
西方面にはエリザ率いる蒼穹の盾が、東方面はイングリッドと、レオン率いる今は名もなき小騎士団が、それぞれ移動していた。
レオンたちは、道路に沿って東へと進んでいる。
徐々に人々の喧騒は遠くなっていき、視界の端まで広がる緑の大地へと変わっていった。
吹き抜ける風は、遠くに見える白銀の山脈――ヒメル・グラウ山脈から滑り落ちたように冷たく、太陽に熱せられた草の香ばしい匂いと混ざり合って、極上の空気と化している。
風向きが少し変わるたび、その香りは変わる。
森から運ばれてくる苔と発酵した腐葉土の匂いもあれば、大河から運ばれてくる、洗われた石と冷たい水の香り。時折地面から舞い上がる、微細な土と名もなき野花の蜜の香り。
“輝く草原“と称されるグレーネラント特有のその風は、豊かな大地の様々な顔を覗かせる、肥沃な土地の証左なのだ。
「――いい風だな。⋯⋯君にとっては、少し懐かしいんじゃないか?」
「⋯⋯はい。心が、不思議と落ち着いてきます」
先頭を歩くレオンとイングリッド。彼女は少し微笑みながら、レオンに向けて口を開く。
記憶が無いレオンにとっても、それは郷愁を誘う心地よいものであった。豊かな香りを届けるように、優しく撫でるような風は彼らの長い道のりの疲れさえ、吹き飛ばしているようであった。
「だが、警戒は怠るなよ。⋯⋯もう、魔獣の縄張りとされる地域に踏み込んでいるんだ。いつ遭遇しても、おかしくない」
「⋯⋯はい!」
イングリッドに注意を受け、改めて警戒を強めるレオン。
いくら開けた草原とはいえ、小高い丘や、未開拓の森も多い。
――現地報告には、魔獣の群れはガルムのような犬型の魔獣であるとの事だ。
このように開けた場所では、移動の早い彼らには一瞬で追い詰められる。
(⋯⋯僕が先に見つけないと。ガルムに先に見つけられたら、一瞬で囲まれてしまう⋯⋯!)
「⋯⋯こちらが、先に見つけないと。囲まれたら、厄介だ。⋯⋯とでも、考えていそうだな?」
「!?」
イングリッドは、レオンの心を見透かすように指摘する。
――“心眼“のイングリッド。その二つ名に全く違わない、鋭い洞察であった。
彼女は、目を見開くレオンに向かって、その瞳を鷹のように鋭くして続ける。
「君の判断は正しい。⋯⋯だが、それは君だけの仕事なのか?」
「⋯⋯それは」
「君の団員は五人。⋯⋯一人、目隠しをしているが。それを除いてもあと八つある。それだけで、見える景色も変わるのではないか?」
「⋯⋯それは、そう、なのですが⋯⋯」
「何があったのかは知らないが、君は“団長“だ。君の一番の仕事は、任務の成功かもしれない。⋯⋯だが、一番大切なのは、“団員を生かして帰す“ことだ。少なくとも、私はそう思っている」
「⋯⋯」
「“でも、それでも、僕がやらなきゃ。僕が頑張らなければ。一人で、やらなければ“、か。⋯⋯いいのか? その答えは、指揮官としては落第だぞ?」
「⋯⋯!!」
「⋯⋯ほら、君の気持ちを、敵は待ってはくれない。君より先に、彼女たちが見つけたぞ」
イングリッドは、鷹のように鋭い視線をレオンから外した。
――彼女の目の先、小高い丘の頂点。
そこに、赤色の毛皮を纏った犬型の魔獣“ガルム“が一匹、こちらを睨んでいた。
「っ!」
レオンの“眼“が妖しく輝く。
――彼のモノクロの視界には、ガルムの“赤い魔力“が映っていた。それも、一つではない。
丘の向こう側に多数。それどころか、死角となっていた丘や木の影にも、夥しい数の“赤い魔力“が映っていたのだ。
その数は、先日の懲罰任務の際に現れたガルムの数をゆうに超えている。下手すれば、二倍以上の数だった。
「⋯⋯しまった! 囲まれてる⋯⋯!!」
レオンの団員たちは、すでに四方の赤い魔力がある先を各々睨んでいる。
――ルナは大太刀を構え、ノエルは敵を見定めるように目を細める。ヒルダは自らの指を妖艶に撫で、クロラは異形の弓を構えていた。
レオンも、背負った魔剣の柄へと手を伸ばす。――鞘はないので、布でぐるぐる巻きにしたものを。
――だが、少年が柄に触れた瞬間。バチッ、と、拒絶するかのように手が弾かれたのだ。
「っ!? ⋯⋯どう、して⋯⋯?」
魔剣からも拒絶されたレオン。彼の視界が、徐々に灰色に染まっていく。
昨夜の記憶が、脳裏に走る。
「⋯⋯どうして。⋯⋯どう、して!!」
「早く、みんなを助けないと⋯⋯! どうして、魔剣まで、僕を裏切るんだ⋯⋯!!」
レオンは、魔剣に拒絶された手で、再び魔剣を握ろうとする。
――バチバチッ、と、彼を見放したように、その拒絶の光が強くなる。
だが、レオンは構わなかった。その光の中で、彼は魔剣に手をかける。
バチバチ、と、皮膚が裂け、弾け、焼けていく。
それでも、少年は剣を掴む事を諦めない。
「!! おい、レオン!!」
「⋯⋯かまう、もんか⋯⋯! 僕が、やらなきゃ⋯⋯! “独り“で、やらなきゃなんだ⋯⋯!!」
彼の表情は苦痛に歪んでいる。
――それが、痛みによるものなのか、そうでないのかは、彼にすらわからない。
ボロボロの右手は、やっとの思いで魔剣へと辿り着き、柄を握った。その瞬間、
――じゅ、と。肉の焼ける音が響いた。
「⋯⋯!! くっ⋯⋯!! ぐううぅ⋯⋯!!」
それは、魔剣を初めて握った時の、吸い付くような感触ではなかった。明らかな拒絶。
――魔剣は、明確な意識を持って、彼を拒絶し、その身を焼いた。
“そんな心持ちで、私に触れるな“、とでも告げるように。
レオンの瞳から大粒の涙がぽろぽろと落ちていく。苦痛に歪んだ顔。魔剣にすら拒絶された絶望。
そして、“敵“に込めた憎しみ。魔剣を握る手は焼け爛れ、その白い皮膚のほとんどが失われていた。
魔剣の拒否はさらに輝きを強めるように、彼の右手、果ては腕全体を焼いていく。
「うう⋯⋯! ああああっ!!!!」
「――レオン様」
突如、レオンの背中に、むにゅ、と、柔らかい感触。
それと同時に彼の華奢な身体を、シルフによって抱きしめられたのだ。
「っ! シルフ!! 今は――」
「レオン様は、ここで私とお留守番です」
悲痛な貌を浮かべたレオンに、シルフは優しく微笑みかける。
――え? と困惑するレオンの焼けた右腕に、シルフはため息を吐きながら治癒魔法を施していった。
いつもは温かいはずのその光は、この時はやけに粘り付き、熱く感じる。
――魔剣から、手を離すレオン。
その瞬間、魔剣は安心したかのように脈打ち、熱を失っていった。
呆然とするレオンの視界の端は、三つの影が飛び出していくのを捉える。
黒い疾風――ルナは、その身の丈を超える程の大太刀を、異常な速さで一閃する。
その重さを全く感じさせない優雅な一太刀は、驚くほど静かで、無駄のない、対象を“斬る“事だけを極めた残酷な一振りだった。
しかし、その一動作だけで、その刀が届かないであろう間合いのガルムまで、一瞬にして細切れになったのだ。
黄金の風――ノエルは、その白金に輝く髪を靡かせ、丸腰でガルムへと向かっていく。
――が、彼女の体が急に輝き始めた。少年の“眼“ですら直視出来ないほどの魔力が、暴風のように奔流し彼女の両手に収束すると、その髪と同じ色に輝く剣を両手に握っていた。
「いっくよー!!」
元気よく言い放つノエルは、その剣を持った腕をまるで鞭のようにしならせて、細く美しい腕で魔獣を次々と両断していった。
真紅の影――ヒルダは、しなやかな指先から魔力の“紅い糸“を数え切れないほど出現させる。
血管のように脈動する真紅の糸がまるで意思を持つように魔獣へと向かっていくと、ガルムの身体をすり抜けるように通り過ぎた。
一瞬の静寂の後、ガルムは自らの形を忘れたかのように肉塊へと姿を変えたのだ。
「随分と、脆いのね」
ヒルダは相変わらず優雅に、しかし妖艶に指を動かす。
周辺の魔獣、その全てを肉塊に変えると、その糸は自らの役目を終えたかのように、空気へと溶けていった。
「⋯⋯つ、つよすぎる⋯⋯!」
レオンは、彼女たちの強さに絶句し、恐怖していた。
――強いとは思っていたが、ここまで異常なまでの強さとは思ってもみなかったのだ。
あれだけの数のガルムに囲まれたら、普通は太刀打ちできない。それも、設立したばかりの小騎士団で。
通常であれば、壊滅していてもおかしくは無いほどの群れのはずだった。
そして、その“魔力“。改めてレオンの“眼“に捉えられた三人は、皆一様に異様な魔力であったのだ。
ヒルダの魔力は、彼の視界を埋め尽くすように紅く、膨大であった。
“糸“の一本一本が、十分な“死“を携えて、この場で踊り狂っていたのだ。
ノエルはそれとは逆に、この空間を埋め尽くすような魔力を、両手に握られた剣へと込めていた。
まるで、巨大な大岩を掌の大きさに圧縮したかのような、恐ろしい程の魔力の質量を誇っていたのだ。
ルナに至っては、さらに異様である。
彼女の体からは、全く魔力が感じられない。
――恐らくは、体内の魔力操作が“完璧“である証拠であった。どんなに魔力操作を極めても、体から零れる魔力を止め切ることは不可能に近い。
三者三様の、神業とも言える技術。それを彼女たちは、惜しげもなく披露していたのだった。
シルフに抱きしめられたままのレオンは、眼前で行われた現実が信じられず、呆然としたまま。
そんな彼に向かって、少し離れた場所から声が届いた。
「レオンさまぁ〜! この群れのボス、やっつけましたよぉ〜! ⋯⋯しっかし、魔熊とガルムの混成の群れとは。獣のくせに生意気ですよねぇ〜?」
そう言いながら、嬉しそうに手を振ってこちらへ向かってくるクロラ。
――片方の手には、魔熊の首が三つほど括りつけられたロープが握られ、引き摺るように運んでいたのだった。
「⋯⋯なる、ほど。⋯⋯想像以上、だな」
その様子に、さすがのイングリッドも絶句する。
騎士学校でも有数の騎士である彼女も、きっとレオンと同じ感想を抱いたに違いなかった。
――何より、彼女は見抜いていた。芸術的なまでの残虐さで魔獣を仕留め切った彼女たちだが、その攻撃には鬱憤――恐らくは、この“団長“が原因の――を晴らすかのような苛烈さであったのを。
クロラが引き摺る魔熊の首でさえ、その切断面は不必要なほどズタズタだったのだ。
「⋯⋯な、何が、どう、なって⋯⋯」
レオンは、絞り出すように言葉を紡いだ。
そんな彼を再度強く抱きしめながら、シルフは彼の耳元で囁く。
「私たち、強いでしょう⋯⋯? だから、無茶したら⋯⋯“わかって、ますよね“?」
「⋯⋯⋯⋯はい」
レオンの脳を溶かすような、甘く、官能的な囁き。
一種の淫靡さえ込められたその囁きに、レオンは力無く頷くしかなかったのだった。




