18話「エリザとシルフの想い」
東の空に明るみが差す頃。車輪が地面を叩く音と、それを引く馬の足音だけが空に響き渡っていた。
馬車の御者を務めるのは、エリザ。
その御者台にはもう一人、桃色の髪の少女――シルフが座っていた。
「――なあ、言いにくいんだが。⋯⋯昨日、何かあったのか?」
エリザがそう言いながら、御者台から馬車の中を覗く。
馬車の中には、レオン、ルナ、ノエル、ヒルダ、クロラの五人が座っている。
――それだけなら、特に問題は無い。問題は、彼らの様子であった。
「――あ、あの、ヒルダ? もう、降ろして? ⋯⋯脚、痛くなっちゃうよ?」
「問題ないわ。レオン、とっても軽いですもの」
「⋯⋯僕、鎧を着ているんだけど⋯⋯」
「腰当ては外してくれたじゃない。やっぱり優しいわね、貴方」
そんなやり取りをしているレオンは、ヒルダに抱かれるように彼女の膝に座っていた。
少女たちの中で一番背の高いヒルダに後ろから抱きしめられている少年は、その小ささから“ぬいぐるみ“のようにも見える。
「――レオンさまぁ〜、あ〜んしてぇ〜? はい、あ〜ん♡」
「く、クロラ! 自分で、食べれるよ⋯⋯」
「そんな事言わずにぃ〜♡ ⋯⋯それともぉ〜、“口移し“の方がいいのかな〜?」
「!! ⋯⋯あ、あーん」
「はい♡ あ〜ん」
ヒルダに両腕さえ自由にさせてもらえないレオンは、諦めたように小さく口を開け、正面に座るクロラから差し出されたパンを咀嚼するしかない。
――“口移し“、という単語に、肩を小さく震わせながら。
「――ノエル。レオンの“左側“、任せましたよ」
「オッケー、ルナ! まっかせて! レオン! 絶対守るからね!!」
「う、うん⋯⋯。ありがとう、二人とも。⋯⋯あんまり、無理しないでね。⋯⋯ひゃっ!」
――ヒルダとレオンを挟むように、両脇に座るルナとノエル。
殺気立ってるような雰囲気の二人は、その鋭い視線を馬車の外へと向けていた。――二人とも、レオンの細い両腕に刻まれた自身の“歯型“をいやらしく撫でながら。
そんな様子を覗き見ていたエリザの問いに、シルフは満足気な表情を浮かべながら――どこか含んでいる様子で返す。
「いつもの事ですから、気になさらないでください♡ それより、エリザ様はレオン様とどう言った関係なのですか?」
「⋯⋯私と、レオンか? 騎士学校の、同期だが――」
「――レオン様と、とっても親しい様子だったので♡」
「――!!」
シルフのそんな言葉に、急に噎せ返るエリザ。そんな少女を“問い詰める“様子で、シルフは続けていく。
「――教えてくれませんか? エリザ様。⋯⋯エリザ様と、レオン様の、とっても“爛れた“関係を♡」
「たっ、爛れただと!? そんな事は無い! ぜ、絶対に無い!!」
「本当ですか? 私たち、とっても心配なのですよ? レオン様が眠っていた保健室で、レオン様の手をずっと握っていた貴女が、私たちの“敵“にならないかと⋯⋯」
「わ、わかった、わかった! 言う! 話すよ!」
凄みを見せながら問い詰めるシルフに折れたように、エリザはため息を吐きながら口を開いた。――そんな様子を眺めながら、シルフとクロラは目線を合わせ、さも“計画通り“とでも言わんばかりに邪悪な笑みを見せた。
「⋯⋯まあ、あいつの事だ。自分の事なんて、自分から話す訳がないか」
そんな二人の様子に気付かず、エリザは絞り出すように呟く。
少し逡巡するように、若干の沈黙。そして、少し呆れたように――全てを察したように、レオンに聞こえないように小声でエリザは語り始めた。
「⋯⋯私はな。実は、レオンの幼馴染なんだ」
「えっ!?」
急に切り出したエリザに、目を丸くするシルフ
――と、馬車の中から話を盗み聞いていたクロラ。
二人の反応――微かな嫉妬に気付く事なく、エリザは続けた。
「とは言っても、小さい頃、何度か会ったことがあるだけなんだが⋯⋯」
「⋯⋯そう、なのですか」
シルフとクロラは、少しホッとしたように、その表情を緩めた。
「私もレオンも、グレーネラント諸侯の出だ。ある祝いの席で、私はあいつと出会った」
「ふむ⋯⋯」
「初めてあいつを見た時、私はこう思ったよ⋯⋯。“なんて可愛いくて、綺麗な子なんだろう“って。牧畜と農業が盛んなグレーネラントは、田舎といって差し支えない。そんな場所で、私は初めて“本物のお姫様“を見たんだ。金髪の三つ編みで、折れそうなほどの華奢な体。たんぽぽのように素朴でありながら、太陽のような輝きと気品を漂わせていた」
「⋯⋯え?」
「ぜひ、その子と友達になりたいと思った。私の周りには、鬼ごっこや探検、川遊びとか、そういうのをする男子ばかりで、たまには女の子らしく遊びたいと思っていたからな」
手を口に当てて、ふふ、と笑うエリザ。
その翡翠色の瞳には、草原を吹き抜ける風の匂いと共に三つ編みを靡かせながら、太陽のように輝く笑顔を浮かべる、小さなレオンの姿が映っていた。
「だから、私は言ったんだ。『私と友達になって!』と。あいつは快く返事をくれたよ。太陽のように輝く、眩しいくらいの笑顔でな」
「⋯⋯それが、レオン様?」
「ああ。笑ってしまうよな。その後、その子が男の子だと知ると、私は騙されたと思ってその子を蹴り飛ばしたんだ。⋯⋯当然、レオンは泣き喚いた。自分の思い通りにならなかった私もな」
「⋯⋯ふふ」
「それから、何度か会うたびに一緒に遊んでいた。⋯⋯結局、遊びの内容は変わらなかったが」
微笑ましく過去を語るエリザは嬉しそうだった。
――が、徐々にその表情に影を落としていく。
「そんな日々が続いていくのだと、子供心に思っていた。ずっと、レオンと一緒にいられると。⋯⋯だが、七年前、それが大きく変わった」
「?」
「⋯⋯七年前、突如侵攻してきた北の大国、“ベルクト“。絶対に超えることが出来ないとされていた“ヒメル・グラウ山脈“を乗り越え、グレーネラントの極東――“イースクリフ“に侵攻した。⋯⋯レオンの、故郷だ」
「⋯⋯!!」
「ベルクトの軍事力は強大で、瞬く間にイースクリフは陥落。同盟各国で軍隊を成し、何度も攻め込んだが、その度に敗走。⋯⋯イースクリフを拠点として、ベルクトの侵攻は続いた」
「そんな⋯⋯!!」
「⋯⋯だが、五年前。理由は不明だが、ベルクトはイースクリフから撤退した。その痕跡を、全て消してな。そして、グレーネラントと聖都コンスタンティアは合同で、イースクリフを復興しようと調査隊を送った」
「その時に、レオン様が?」
「⋯⋯いや。調査隊は“戻ってこなかった“。それも、一度だけではない。四度行われたその調査で、その度に隊は壊滅していったんだ」
「!!」
「第四次調査隊の僅かな生き残りはこう言ったそうだ。『あそこには、悪魔がいる』と。⋯⋯その悪魔は人を燃やし、突き刺し、引き裂き、溶かしていったそうだ」
「悪魔⋯⋯」
「生き残りはその後、発狂して⋯⋯自死したそうだ。その報告がきっかけとなり、イースクリフの調査は断念。第五次調査は行われる事なく、イースクリフは放置された」
エリザは険しい表情で言葉を吐き出していく。
それを聞いていたシルフも、絶句する他なかったのだ。
――二人の小声が聞こえている筈が無いのに、“燃える“という単語が聞こえたのか、僅かにレオンの両手が震えた。
その小さな背中の震えに気が付いたのか、蒼い鎧に身を包んだ少年を、ヒルダはさらに力を込めて抱きしめる。
「⋯⋯だが、今から四年前。グレーネラント諸侯、イースクリフに近かった領地⋯⋯私の故郷に、子供を連れた若い女性が現れた」
「⋯⋯?」
「その女性は傷だらけで、何かに襲われていたのは明らかだった。そして、その女性は子供を連れていた。⋯⋯二人の子供を、な」
「それって⋯⋯!」
「⋯⋯長い銀髪の子供と、金髪を三つ編みにした子供。二人とも少女にしか見えなかったそうだが、その内一人は男の子だった」
エリザは、苦しむような。――安堵するような、複雑な表情で続ける。
「⋯⋯リヒトホーフェンの家紋が入った外套に包まれた、二人の子供。助け出した女性は、彼らを屋敷から助け出したという。⋯⋯家紋入りの外套があった、その屋敷で」
「⋯⋯」
「不明な点が多かったが、レオンの叔父様と、リヒトホーフェン家に代々使えていた老騎士は、その子供がレオン達だとすぐに分かったそうだ。⋯⋯あいつに妹がいるのは、私はその時初めて知ったが」
「⋯⋯レオン様に、妹様が、いらっしゃったのですか⋯⋯」
「ああ。今は、レオンの叔父様の元で暮らしているそうだ。⋯⋯妹と、二人を助け出した女性も、そこに“メイド“として仕えているらしい」
「!」
「――もがっ!」
メイド、という言葉に反応するシルフとクロラ。
――食事を終えたレオンを正面から抱きしめ、彼の小さな顔を黒ポンチョの上からでも分かるほど豊かな胸に埋めさせていたクロラであったが、その耳はシルフたちの会話に向いているようだ。
「? どうした?」
「あっ、いや⋯⋯。どうぞ、続けてください⋯⋯」
「? まあ、いいか。⋯⋯これから先の話は、私も大人達から聞いただけで、確信の持てないものなのだが⋯⋯」
「⋯⋯それでも、構いません。⋯⋯どうか、教えて頂けますか?」
「ああ、わかった。――あいつは⋯⋯記憶が無い」
「⋯⋯!!」
「助け出された直後のレオンは、ベルクトが侵攻してきた時にすぐに逃げ延びることのできた、彼に近しい人たちの事を全て忘れてしまっていたそうだ。⋯⋯それどころか、酷く怯えていて、近付く者たち全てから逃げ出していたと」
「そんな⋯⋯、レオン様⋯⋯!!」
「それだけじゃない。⋯⋯夜中に突然、大泣きしながら目覚めたかと思えば、窓から飛び降りようとしていたりもしたそうだ。無理もない。ベルクトの侵攻があったのは、レオンがまだ八つの時だ。そこから助け出されるまでの三年間、何があったのか⋯⋯。どうしていたのかさえ、わからないのだからな」
エリザはそう告げながら、馬車の中で四方を少女たちに囲まれているレオンを見る。
――レオンを膝に乗せて後ろから抱き続けるヒルダ。その両脇、少年の腕に体を密着させ、いつの間にか眠っているルナとノエル。そして彼の正面にいるクロラは、その胸元にレオンの顔を沈めていた。
身をよじる事しか出来ない、ある意味楽しそうな少年に嫉妬を向け――あるいは、その奥にある心持ちを想像し、エリザは顔を若干引きつらせながら、再度続ける。
「⋯⋯そんなあいつに再会したのは、私が騎士学校に入った日だ。今から三年前。入学式の時に、私はレオンを見た」
「⋯⋯」
「⋯⋯期待、していたよ。私の事は、忘れていないと。そう信じていた。⋯⋯だが、現実は、そうでは無かった⋯⋯」
「エリザ様⋯⋯」
「外見は、昔から変わっていないように思える。華奢な身体に、金髪の三つ編み。パッチリとした紫色の瞳に、長い睫毛。⋯⋯だが、雰囲気だけが全く違った。以前のような輝きは見る影もなく、今にも消えてしまいそうなほど儚かった。⋯⋯私が声をかけたら、レオンは酷く怯えた表情で、すぐに走り去ってしまった」
「⋯⋯」
「⋯⋯思えば、そこからかな。⋯⋯レオンを、一人にしてはいけないと。そう思い始めたのは」
エリザは、哀しそうに笑う。
――まるで、私には彼の力になる事ができない、とでも。そう語るような、哀しい貌で。
「⋯⋯あいつは、多分。⋯⋯自分が助かった事を“悔いている“。あるいは、人と仲良くなるのを恐れている。人との触れ合いを、自分を曝け出すのを極端に怖がっている」
「人と関わろうとせず、こちらが近付けば離れていく。自分の事を殆ど話さないレオンは、誰にも頼らないし、誰の助けも拒んで来たんだ⋯⋯」
エリザの話を聞き終えると、シルフは包帯で隠している目をレオンへと向ける。
(――ベルクト。イースクリフ。トラウマの正体は分かりましたが、本当の“敵“は――)
――“助かってしまった“。人一倍優しい少年だからこそ、そこに思い悩んでしまったのだ。
(――これは、根が深いですね。自分を、ずっと自分で自分を、責め続けて来た――)
「――だけど」
思案していたシルフは、再度エリザの凛とした、よく通る声を聞いた。
彼女に包帯越しの視線を送ると、エリザはその意思の強そうな、力強く鋭い目をシルフに向けながら続けた。
「――だけど、君たちが来てからは元気そうだった。あんなに誰かと喋っているレオンを見るのは、騎士学校で再会してから初めてだったよ。⋯⋯きっと、君たちのおかげだろうな」
「エリザ様⋯⋯」
「⋯⋯私には、出来なかったんだ⋯⋯」
「――そんなこと、ありません!!」
哀しげに笑うエリザに、シルフは声を上げる。
驚いた表情のエリザに向かって、桃色の彼女は続けたのだ。
「エリザ様だって、きっと、ずっとレオン様の助けになっていました。エリザ様と話しているレオン様は、私たちには見せない顔で、とても楽しそうでしたよ?」
「⋯⋯そう、なのかな⋯⋯?」
「はい! きっと、そうです! ⋯⋯お得ですよね。お互いに、レオン様の知らない一面がある、というのは」
「? どういうことだ?」
「私たちも、エリザ様が羨ましい、という事です」
「⋯⋯ふふ。よく、わからないが⋯⋯。そうか⋯⋯。そうかも、しれないな」
「話をしてくれて、ありがとうございます、エリザ様。⋯⋯宜しければ、これからも、私たちとレオン様のお力になってください」
「⋯⋯エリザ、でいいよ。勿論だ。私も、微力ながら力になろう」
エリザとシルフ。二人は、付き物が落ちたかのように晴れ渡る笑顔を浮かべると、馬車にいる彼――レオンの姿を見て、同じ決心をした。
――この儚い少年を、必ず救い出してみせる、と。
エリザは純粋に、“彼を一人にしない“事を。
そしてシルフは――彼を“過去“から救い出し、彼の“敵“を殲滅させると、改めて誓う。
――同じ結論である筈なのに、全く異なる湿度の“愛“を抱えながら、馬車は朝の光の中を進んで行ったのだった。




