17話「“壁“を壊す者たち」
とても大きい豪奢なベッド。木枠には彫刻が施され、肌の触れる部分には全てにシルクが使用されている。
初めから一人で眠ることが想定されていないような場所で、彼は意識を取り戻した。
「⋯⋯!!」
開かれた窓からは僅かに風が入り、カーテンを揺らしている。
その隙間から見える空は、未だ深い紫に覆われていた。
「っ! みんな⋯⋯!?」
レオンは、そのベッドを見渡す。
――先日までのような暖かさはない。彼の身体があった場所のみが熱を帯びており、それは同時に、彼が一人でいたという何よりの証明であった。
部屋には、彼一人。
やけに広く感じるその部屋は、窓から入りこむ森の匂いと静寂だけ。
心地良い風ですら、今の彼の心を冷やすには十分だった。
少年は思い出す。昨夜の記憶を。
――自分が助けを求めたせいで、燃えていった少女たち。
愛おしかった彼女たちから告げられた、拒絶と怨嗟の声。
差し伸べられた手を振り払い、部屋の隅で蹲っていた自分。
どれが夢で、どれが現実だったのかは、少年にはわからない。
ただ一つ、確かなこと。それは、今はレオン“一人“という事だ。悪夢を見ていた事だけは確か、とでもいうようにベッタリとした汗だらけの体で。
その事実は、全て夢であって欲しかった彼の願いさえ拒絶するように、残酷なまでにこの部屋に“事実“として残っていた。
「⋯⋯ぅ⋯⋯、うぅ⋯⋯!」
広いベッドの中心で、彼は不安から身を守るように丸くなる。
やがて啜り泣く声が、この広い部屋に静かに響いた。
シーツに残る彼女たちの微かな芳香が、彼の心をさらに締め上げていく。
(⋯⋯やって、しまった。あれは、夢じゃない。彼女たちは、もういない⋯⋯)
(⋯⋯見捨て、られた⋯⋯。嫌われた。⋯⋯当たり前だ)
(僕は、“落ちこぼれ“。その上逃げ出し、生き残った“罪“がある。⋯⋯幸せになっては、いけなかったんだ)
「ごめん、なさい、みんな⋯⋯。⋯⋯僕なんかと、関わったせいで⋯⋯」
声を押し殺し、必死に静かに、されど啜り泣く少年。
――だが、そんな彼の思いさえ拒絶するように、この部屋の静寂は彼の願いを無視し、さらに際立たせていた。
そんな中で、部屋の扉が開かれる音が、静かに響く。
「――おはようございます、レオン様」
「⋯⋯!!」
レオンは顔を上げる。彼の視線の先には、五人の少女たちがいた。
――が、暗がりで、その表情までは見えない。
甘く、優しいシルフの声。いつもと変わらないその声音に、レオンは肩を震わせる。同様に震えた声で、少女たちに向けて謝罪をした。
「⋯⋯あ、あの、みんな。昨日は、ごめ――」
「――レオン様。寝汗が酷いです。お水をお持ちしたので、これを」
「⋯⋯え、ああ。うん、あり、がとう⋯⋯」
だが、レオンの言葉を遮るようにシルフが声をかけた。レオンが彼女が持っていた木製のコップを受け取ると、その中の水を飲もうと口を近付ける。
「⋯⋯あ⋯⋯あれ⋯⋯? あ、ああ⋯⋯」
少年は、水を飲もうと何度もコップに口を近付けた。だが、コップを持つ両手が激しく震え出し、がちがちと凍えるように歯の根が合わなくなる。
レオンの視界が再度悪夢に堕ちるように灰色に染まっていく。水を飲もうとしているのに、それが叶わない少年の痛々しい姿を見兼ねたように、シルフはレオンからコップを取り上げた。
その瞬間に怯えたように声を上げるレオン。そんな少年に目もくれず、シルフは奪い取ったコップを煽り、口の中に水を含め――
「――!!」
――そして、そのままシルフはレオンの顎を掴んで“口付け“し、“口移し“で強引に水を飲ませていく。
こく、こく、と、喉を鳴らしながら水を飲み込んでいくレオン。――飲まされているのはただの水の筈なのに、花の香りがするその水はやけに"甘く"感じていた。
レオンへ水を与え終えたのか、シルフはその口をレオンから離す。名残惜しそうに伸びていく銀糸が、窓から差す僅かな光に煌めいた。
「!! シルフ、何を――」
「――震えて飲めないのであれば、もう一度、私が直接流し込んで差し上げます」
「んぐっ――」
顔を真っ赤に染めながらレオンはシルフに向けて叫ぶが、それを遮るようにシルフはもう一度自らの唇をレオンに重ね、水を移していく。
少年は、もう何も紡ぐことが出来なくなってしまった。
蕩けた様子のレオンが見ていたのは、未だ鼻先にあるシルフの、口内に残る僅かな水が唇の端から溢れて首筋に伝う様子であった。それを拭うように僅かに舌を出すシルフの様子は、少年にはとても淫靡に見えたのだ。
そんなレオンに追い打ちをかけるように、今度はヒルダが少年を襲う。
――自身の服をはだけさせたヒルダが、その豊かな胸の谷間へとレオンの顔を埋めさせ、両手で彼の耳を塞いだのだ。
「――!!」
「燃える、と言っていたわね。私たちの声が届いていなかったようだし、それなら何も見なくていいわ。聞かなくてもいい。ただただ私を感じなさい」
ヒルダの胸に顔を埋めたレオンは、息が詰まるほどの柔らかさと彼女のむせ返るような甘い香りを、視覚と聴覚を奪われた状態で味わわされる。
彼の顔を覆う強烈な熱と、彼女の確かな“心音“だけがレオンの全てとなる中、踠く両腕が固定され、僅かな痛みが走る。
「――っ!」
「んっ⋯⋯。⋯⋯レオンの腕に、ルナの“痕“を残しておきました」
「私も! ルナとおんなじ!」
視界をヒルダによって塞がれていたレオンを襲った僅かな痛み――ルナとノエルが、レオンの腕を甘噛みしたのだ。
少年の体に僅かに残された二つの“歯型“は、レオンを自らのものと証明する“刻印“にも見えた。
「辛い事があったのなら、その痕と痛みを見て思い出してください。レオンの傍には、ルナがあるということを。⋯⋯そして、レオンはルナのものであるということを」
「そうだよ! 隠しごとしちゃダメだからね! すぐに私に言ってね!!」
「――ぐへへへぇ〜♡ いいねぇ〜、みんなぁ〜。クロラも、レオンさまの為に、一肌脱いじゃうんだから♡」
クロラはそう言って、レオンの汗にまみれた服を脱がしていき、その素肌を曝け出していく。
抵抗しようと身を捩るレオンであったが、顔はヒルダに拘束され、両腕はルナとノエルによって固定され、そして少年の両足を固定するように座っているシルフのせいで成す術がない。シルフはクロラを手伝うように、彼の濡れた衣服を脱がしていた。
「ぐへへ〜♡ 汗と涙と涎でべちゃべちゃの服じゃ、風邪ひいちゃうからねぇ〜? クロラが、“舐め取って“あげるよぉ〜」
「――!!」
クロラのその言葉を受けたレオンは、同時にその華奢な体を大きく震わす。――クロラは、文字通りレオンの汗に塗れた首筋や肩を、舌を出して丁寧に“舐め取って“いく。
彼女の舌が這った箇所に残る芳香は執拗で濃厚で、少年の理性を削り切るには十分であった。
「⋯⋯レオンさま、とっても悲しい味がする⋯⋯。その苦しみは全部、クロラが頂いちゃうからねぇ〜?」
「――! ――!!」
クロラが舌を這わせる事に大きく体を震わせていたレオンであったが、その震えは徐々に小さくなり、最終的には身じろぎ一つしなくなる。
――レオンの未来の花嫁を自称する彼女たちには、少年の拒絶の言葉や自ら作る壁は障害にすらならないのであった。
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「――可愛い寝息を立てているわ。ようやく、ゆっくりと眠れているみたい」
ヒルダは自身の胸元に顔を埋めさせて寝息を立てている少年を優しく――情熱的な“色“を含ませながら見つめていた。
取り乱したレオンが気を失った後。少年をベッドまで運んでいった彼女たちは、レオンが譫言のように呟いていた事を聞いていたのだ。
“――ごめんなさい。ごめんなさい。“と。
苦しそうに、贖罪するように。懇願するように呟き続ける少年を見て、少女たちは疑問に思っていた。
“――この少年に、何があったのだろう。“と。
少女たちには、この少年の“過去“を知る術はない。少女たちが知ることが出来るのは“これから“のレオンの姿であり、今より過去の“昔のレオン“に会う事は叶わないのだ。
レオンの“心“を守れない弱さに口を結んでいたノエルは、一人呟くように零す。
「⋯⋯レオン、どうしちゃったんだろう。寝る前までは、とっても楽しそうだったのに⋯⋯」
「⋯⋯わかりません。明日の事で、緊張していたのか、それとも――」
「――辛い事を、思い出したのでしょう。騎士学校での事じゃない、もっと昔の事を」
ノエルと同様に口を結んでいたルナの返答を、シルフが付け加えるように語り出す。
「騎士学校でレオン様が受けていたと思われる“いたずら“だけでは、あのような取り乱し方はしないはずです。もっと、別の何かが――」
「――話を遮ってごめんだけど。⋯⋯みんなは、レオンさまの“昔の話“、知ってる?」
唇に指を当てて考えるような仕草で呟くシルフを遮り、クロラが彼女たちに問う。――四人の少女たちは、みな一様に首を横に振った。
「⋯⋯ごめんなさい。何も、覚えていません」と、ルナ。
「わかんない⋯⋯」と、ノエル。
「⋯⋯知らないわ」と、レオンの頭を撫でながら、ヒルダ。
「⋯⋯私も、わかりません。⋯⋯“昔の話“をするような人では、なかったですから⋯⋯」と、シルフ。
「⋯⋯私も聞いた事ないんだ。レオンさまが“どんな所で生まれて“、“どうやって成長してきたか“。私はレオンさまの事を知っていたけど、ここに来てから初めて知った事も多い」
全員の話を聞いたクロラは、ヒルダの胸元で静かに寝息を立てている少年を見ながら呟いた。その言葉を聞いていた他の少女たちも、同じ思いを持ちながらレオンを見つめる。
――少女たちは悟っていた。少年の過去を知りたければ、彼自身に聞くしかない。だが、それは憚られる。なぜなら、この少年はもう限界であろうから。
例えるなら、レオンの心はもうひびだらけの硝子なのだろう。少し触れるだけで、粉々になってしまうような。一度壊れてしまえば、二度と元には戻らない。それが確信出来るほど、この少年はずっと限界だったのだろう。
常に感情を押し殺したように俯いていた少年。時々、耐えきれなくなったように叫び、少女たちから逃げ出すレオンは、常に何かに怯え、恐れているように見えた。
――少女たちの、“救いの手“さえ。
少女たち全員が口を結ぶ中。シルフがレオンへ近付き、少年の背中をさすりながら切り出した。
「――とにかく、今はそっとしておきましょう。辛い過去を忘れるくらいの“甘々なお世話“をしてあげて、レオン様がいつか自分から言ってくれるのを待ちましょう」
「賛成よ。嫌な事全部忘れさせるくらい滅茶苦茶にして、“悦び“の中に溺れさせてあげるわ」
シルフの提案に、ヒルダが同調する。――が、それに反対するようにノエルが切り出した。
「――でも! 私は知りたい! レオンが怖いものも、何に怯えちゃうのかも!」
「同感です。ルナは、レオンを愛し、守りたいのです。レオンの怖れる“敵“を、全て斬り落とす為に」
ノエルの言葉に、ルナが同調する。二対二で反目する少女たちの視線は、その中央で火花が散る程激しく見える。
そんな様子を見かねたように、今度はクロラが話し始めた。
「――じゃあ〜、こうしよっか! 昔の話をレオンさまに聞いてもぉ〜、きっと言ってくれない。だから、別の方向で攻めよう!」
「⋯⋯どういう、事ですか?」と、シルフ。
「――エリザちゃん。彼女、レオンさまの同級生、ってやつだよね? エリザちゃんなら、何か知ってるんじゃない?」
「「「「――!!」」」」
少女たちは一斉に目を見開く。“その手があったか!“とでもいうように。
そんな少女たちの様子を見つめながら、クロラは続ける。
「それでぇ〜、レオンさまが少しでも怯えるなら、それは“敵“として処理する。⋯⋯私は、レオンさまの“敵“を許さない」
そう話すクロラは、声は甘いままだが、その灰色の瞳は暗く沈んでいく。その様子に気が付いていないノエルとルナは、クロラの提案に声を上げた。
「――! そうしよう! レオンは、私たちが絶対に守るんだから!!」
「クロラの言う通りです。レオンの敵は、存在すら許しません」
「――二人も、それでいい?」
ノエルとルナの様子に満足気なクロラは、その視線をヒルダとシルフに合わせ、聞いた。
「最初からそのつもりよ。この世界には、レオンだけがいればいいもの」
「⋯⋯そう、ですね。賛成です。私も、レオン様と幸せに暮らしたいだけなので」
ヒルダはさも当然とでもいうように。シルフも、少年との“未来“に想いを馳せるように。
「――じゃあ、決定だね。レオンさまの過去はぁ〜、別の人から聞く。レオンさまの想いは、話してくれるのを待つ――」
「――そして、レオンさまの“敵“は、必ず殺す。いいね? みんな!!」
クロラが話を纏めた後。四人の少女は、大きく首を縦に振った。
――少女たちの貌に、少年の“敵“への慈悲はなく。
その相貌は、狂気的な“愛“に包まれていたのだった。




