16-1話「新しい任務」
「――いい屋敷じゃないか。想像以上だ」
屋敷の応接室。エリザ達が通された部屋は、時が巻き戻ったかのような重厚な美しさを湛えていた。
磨き上げられた床は鏡のように来客の姿を映している。
質素だが、細かい所まで手が行き届いた整えられた客室。
傷んだ壁にはシルフが摘んできた様々なハーブが吊るされ、複雑だが心地よい香りのハーモニーとなって、居心地の良い空間となっている。
使い古された家具は丁寧に補修されており、テーブルにはノエルが摘んだ花が飾られている。
棚にはルナが整えた本。カーテンが風に靡くたびに差し込む光さえ計算され尽くしたような美しい空間は、この屋敷の主人に向けられた、過剰なまでの奉仕の痕跡のようであった。
その部屋には、四人がソファに座っている。
レオン、シルフ。先ほど口を開いたエリザ――そして、教導騎士団副団長の“イングリッド・ルーデル“である。
エリザは、この部屋の美しさに感嘆しつつも、その瞳をレオンへと向けた。
「案外、元気そうじゃないか。退寮処分となって、少しは落ち込んでいると思ったが」
「⋯⋯そうだね。みんなの、おかげだよ」
レオンは、恥ずかしそうに目を伏せながらエリザに答える。
――エリザには、少年はただ元気になっただけでは無いように見えたのだ。
肌は艶めき、髪は風で靡くたびにしゃらしゃら、と音を立てるほどに手入れがされている。
長い睫毛が揺れるたび、以前よりもさらに極まった魔性の魅力を撒き散らし、エリザは不覚にも心臓を跳ね上げてしまうのであった。
彼への“手入れ“の成果に手応えを感じるシルフは、勝ち誇った笑みを浮かべながらエリザとイングリッドにお茶を注いでいる。
「ハーブティーです。お口に合えばよろしいのですが」
「ありがとう。頂くよ。⋯⋯ん、これはとても美味しいな!」
「⋯⋯いただこう」
ハーブティーを一口飲んだエリザは、笑顔をさらに弾かせた。
まるで、一口飲んだ瞬間に体の深部から魔力が活性化し、旅の疲れが霧散するような感覚を覚えた彼女は、飲み干す勢いでカップを傾けていたのだ。
イングリッドも表情には出さないものの、その口角は僅かに上がっているように見える。
そんな二人の様子に、さらに勝ち誇った笑みを浮かべたシルフは、二人に向かって切り出した。
「それで、本日はどのようなご用件でしょうか?」
「ああ。私からは、新しい任務についてだ」
「⋯⋯新しい任務?」と、首を傾げながらレオンは溢す。
「⋯⋯? ベルケ校長から、何も聞いていないのか?」
何の事だか分からないといったレオンを見て、エリザは持っていたティーカップをテーブルに戻すと、身を乗り出しながら続けた。
「明日、私が所属している小騎士団“蒼穹の盾“と合同で、魔獣討伐任務にあたるんだ。懲罰任務も終えた事だし、レオンは金にも困っているだろうから連れて行けと、校長から私たちの団長に伝えられたのだが、お前は何も知らないのか?」
「⋯⋯うん。ベルケ校長とは退寮処分になった日から会っていないよ?」
「⋯⋯ベルケ校長には、よくある事だ。受けるだけ受けて、当人に伝える事を忘れる。⋯⋯多忙な御仁であるから、多少は仕方がないがな」
エリザとレオンの会話に、補足するように入るイングリッド。鳶色の髪を持つ少女は硬く腕を組んだまま、鋭い瞳を伏せながら続けた。
「⋯⋯もし、不服であるなら私から閣下へ伝えよう。急な話でもあるからな」
「! 不服なんて⋯⋯! う、受けます! やらせて下さい!」
「⋯⋯そうか。ありがとう。助かるよ」
身を乗り出して声を上げるレオンに、イングリッドは尚も気まずそうに目を伏せたまま告げる。
イングリッドの様子を不思議そうに眺めていたエリザであったが、気を取り直すように咳払いをすると、レオンへと口を開いていった。
「わかった。それでは明日、日の出前に迎えに来る。準備を怠るなよ、レオン」
「⋯⋯うん。ありがとう、エリザ」
「レオンの小騎士団設立後、初めての正規任務、晴れ舞台だ。必要になりそうなものはこちらで準備しておく。質問はあるか?」
「ありがとう。⋯⋯ところで、任務内容の詳細を教えてくれる、かな?」
「あ、ああ、そうだったな。明日は――」
エリザは、テーブルの上に地図を広げ、指を差しながらレオンに任務の説明をしていく。
――説明をしながら、不意にレオンと目が合うたびに、頬を染めながら不自然に目を逸らすエリザであった。
姿勢良くソファに座っているイングリッドも、目線だけは地図に落としていた。
――どこか居心地の悪そうな雰囲気で、時折何かを思い出すように、眉を顰めながら。
「――そこで、西と東に分かれて掃討する。魔獣の多い西側は私たち。東側はレオンたちに任せる。他に質問は?」
「⋯⋯エリザが、副団長なんだね」
「ああ。団長は別の部隊を引き連れて、他の任務に当たっている。⋯⋯私では、不安か?」
「そんな事ないよ。⋯⋯ただ、すごいな、って思っただけ。僕と同じ学年で、あの“蒼穹の盾“の副団長なんて」
「レオンは団長じゃないか。どう考えても、そっちの方が凄いだろう」
「⋯⋯僕のは、成り行きだよ。⋯⋯それに、すごいのは僕じゃなくて、彼女たちの方だ」
「――卑屈になる必要は無いよ、リヒトホーフェン」
エリザとレオンのやり取りを見ていたイングリッドは、再び割って入るかのようにレオンに告げる。
「成り行きはどうであれ、君は“団長“である事に変わりない。その自覚を持って、団員を導くんだ」
「⋯⋯ルーデル、副団長⋯⋯」
「明日は、私も同行する。リヒトホーフェンと共に、東側の討伐だ」
「! 副団長が、ですか?」
「ああ。教導騎士団として、新設された君の小騎士団の指導に当たらせてもらう。わからない事は、すぐに聞いてくれ」
「あ、ありがとう、ございます⋯⋯」
「⋯⋯あの、それと、だな⋯⋯」
言い辛そうに口籠もるイングリッド。
そんな彼女の様子にレオンは首を傾げたが、イングリッドは意を決したように、静かに続けた。
「⋯⋯あの時は、すまなかった。私の確認不足だった。君を、不当に扱ってしまった」
「! そんな! 顔を上げて下さい、副団長!」
イングリッドは言い終えると、深々とレオンに頭を下げる。
そんな彼女に慌てながら言葉を返すレオンだったが、イングリッドはそのまま続けた。
「あの三人は、私が直々に“指導“しておいた。⋯⋯君と共に行った懲罰任務から何か変わったようで、今は鍛錬に打ち込んでいるらしい。⋯⋯もし、また同じような事を言われたら、すぐに私に言え」
「⋯⋯そ、それは、もう大丈夫、です⋯⋯」
「⋯⋯シルフ、と言ったかな? 君にも、謝りたい。君の、言う通りだった。あの黒髪の剣士にも、伝えてほしい」
「わかって頂けたなら、もう大丈夫です。私こそ、出過ぎた真似をしました。申し訳ありません」
シルフに頭を下げるイングリッドに、さらに頭を下げるシルフ。
その様子に気付いたシルフとイングリッドは、顔を上げて笑みを溢したのだった。
「ハーブティー、美味しかった。⋯⋯また、頂いても、いいかな?」
「はい、もちろんです! 次は、私の“とっておき“を、準備しておきますね?」
「ふふ。楽しみにしておこう。⋯⋯リヒトホーフェン」
「⋯⋯! はい!」
イングリッドに急に声をかけられたレオンは、思わず立ち上がり、大声で返事をする。
――そんな少年の様子に、思わず笑みを浮かべる三人。
優しく微笑みながら、イングリッドは続けた。
「――いい仲間に出会えたな」
「⋯⋯はい! 僕の、大切な人たちです⋯⋯! みんながいれば、僕は頑張れます!」
「よくわかっているじゃないか。明日は楽しみにしている。⋯⋯その絆を、私に見せてくれ」
「はい!!」
「明日は早いぞ。寝坊したら、馬車に乗せないからな? レオン!」
エリザは、去り際にレオンに釘を刺すと、イングリッドと共に屋敷を後にしたのだった。
+
エリザ達が屋敷を後にしたあと、彼らは夕食を済ませた。
騒がしい入浴の時間を経て、今はベッドの中に六人で横になっている。
入浴時、一人で入ることを禁じられたレオンは、彼と彼女たちの折衷案として、目隠しをして共に入る事になったのだ。
――結果、目隠しをしたことで彼女たちの不意打ちのような甘い声や、肌の感触。
そして、空腹の狩人が獲物を舐め回すような熱を帯びた視線を感じるほど、さらに感覚が過敏になってしまったが。
そんな彼にイタズラするようにちょっかいをかけていたシルフとクロラ。
甲斐甲斐しく体を綺麗にしてあげたルナとノエル。
それを遠巻きに見ていたヒルダだったが、彼が移動する時は常に彼女の“糸“によって持ち上げられ、結果としてレオンは体をほとんど動かす事なく入浴を終えたのだ。
――騒がしくも、温かい夜。
彼女たちと暮らし始めてまだ数日しか経っていないにも関わらず、常に独りだった彼にとってこの時間はかけがえのない、大切なものとなっていたのだった。
「レオンさまぁ〜、ちゃんと寝なきゃダメですよ〜?」
「⋯⋯だ、大丈夫だよ、ちゃんと寝るよ」
「ふふ。⋯⋯緊張、なさっていますか?」
「少しだけ⋯⋯いや、もっとかも⋯⋯」
クロラとシルフが、相変わらずイタズラするように彼に話しかける。
それに答えていたレオンだが、その指は微かに震えていた。
「大丈夫です。ルナたちがついています。⋯⋯必ず、レオンをお守りしますから」
「そうだよー! レオンには、ノエルたちがついてるからね!!」
「そうね。安心してお眠りなさい。⋯⋯明日は、貴方の出番は無いと思うけれど」
「⋯⋯うん。そう、だね⋯⋯」
彼の様子に気付いたのか、ルナ、ノエル、ヒルダはレオンを励ますように声をかける。
震えた指さえ温かくなるような、そんな彼女たちの言葉に少年は元気が出たように続けた。
「⋯⋯そうだ。きっと、僕たちなら大丈夫。僕は、もう“独り“じゃないから」
静かに語るレオン。
――この小さな“団長“の言葉を、五人は黙って聞いていた。
「僕は、もう一人じゃない。みんながいるから大丈夫だ。⋯⋯明日は、頑張ろう!」
「「「「「おー!!」」」」」
――団長の言葉に、元気に答える彼の“団員たち“。
身も心も温まり切ったレオンは、その後も少し彼女たちと話をしている途中で、微睡に落ちていくのであった。
+
――彼は、夢を見ていた。
全てが燃え上がる世界を、暗闇が包み込んでいる。
その真ん中にいるのは、一人の子供――レオンだった。
少年にとっては、見慣れた悪夢。
だが、その心持ちは今までと違っていた。
少年は、これまでと同様にその身を炎に包まれ、もがき苦しんでいる。――しかし。
(⋯⋯あ、あつい⋯⋯! 苦しい⋯⋯!! ⋯⋯でも!!)
怨嗟の声と焔の轟音が響き、豪炎に抱かれる中。
それでも彼は耐えるように黒い腕を払いのけ、戦っていた。
(もう、一人じゃない。もう、“独り“じゃないから⋯⋯!)
(きっと、みんなが来てくれる⋯⋯。僕を、助けてくれる⋯⋯!)
(⋯⋯望んでいい。頼っていいんだ⋯⋯! みんなとなら、僕はきっと、この運命を乗り越えられる!!)
「――! ――!!」
――助けて。助けて! と。
熾火の骸骨と化し、声帯を失い声の出せないレオンは、その状態でも天に向けて叫び続けた。
その願いが聞こえたのか、眩い光と共に空から舞い降りる少女たち。――ルナ、ノエル、シルフ、ヒルダ、クロラ。五人の女神のような少女たちは、先日と同じように彼の元へとやってきた。
『レオン、もう大丈夫です。ルナが、参りました』
『遅くなってごめんね! もう大丈夫だよ!!』
『レオン様、お迎えに上がりましたよ。さあ、行きましょう!』
『このヒルダの元へいらっしゃい? 沢山、甘やかしてあげるわ』
『レオンさまぁ〜!! もう離しませんからねぇ〜!!』
彼女たちの手が、レオンの頬に、肩に触れる。彼の骨――腕を引くように。その身体を、撫でるように。
その瞬間だった。
――じゅっ。と。
肉の焼ける、悍ましい音が響いたのは。




