1章:12話「大掃除」
「〜〜〜♪」
レオンたちは一旦、この埃まみれの屋敷を出た。
庭でシルフはご機嫌そうに鼻歌を歌いながら、屋敷を掃除する準備を進めている。
彼女がゆったりとした刺繍入りの衣装の裾を捲るたび、花のように濃厚な甘い匂いがレオンの鼻腔をくすぐり、少年はその色白な顔を赤くした。
(とっても、いい匂い。⋯⋯どうしよう、昨日の夜の事、思い出しちゃう⋯⋯。)
「あら♡ レオン様、どうしたんですか? もしかして、昨夜の事、思い出しちゃいました?」
「はぅ! ち、違うよ! ちょっと、疲れただけ――」
少年が顔を赤くしているのをシルフは見逃さなかった。
素早くレオンの耳元へ近付くと、彼の耳を溶かすように甘く熱く囁く。
図星な上、熱を帯びたシルフの不意打ちを受けたレオンは思わず変な声を上げてしまい、慌てて誤魔化した。――彼は、自分が発した発言に気付く前に、今度はルナとノエルが心配した様子で素早く彼に返す。
「レオン、疲れたのですか? ルナのお膝で休みますか? いや、休んでください」
「あ! ルナ、ずるーい! レオン! 次、ノエルのひざね!!」
「あ、いや、ち、違くて⋯⋯」
ルナは素早く正座をすると、その健康的な太ももを軽く叩きながらレオンを誘う。スリットから覗かせる長く伸びた足は引き締まり、足首さえきゅっ、とくびれていた。
それを見ていたノエルも負けじと、ルナの真似をするように正座をして、同じようにしなやかで程よく柔らかそうな足をぽんぽん、と叩いていた。
二人の髪が靡くたび、レオンの元に儚さを纏う夜花と、太陽の光を吸い込んだ花の甘い香りが彼の元に届く。
(ど、どうしよう⋯⋯! 昨日よりも、鮮烈に彼女達の匂いを感じる⋯⋯!)
またも顔を赤くする少年。
彼は、先日の夜、二人から両側から挟まれるように抱きつかれていたのを、二人の香りで思い出してしまったのだ。
(このままじゃ、まずい。⋯⋯どんどん、はしたなく、なっていっちゃう⋯⋯。)
「ぐふふ♡ レオン様もぉ〜、私たちのニオイの虜になっちゃいましたかぁ〜?」
「ひゃっ! そ、そんな事ないよ! クロラ!」
急にレオンの目の前に現れるクロラ。
彼女はレオンの顔を覗き込むように屈むと、鼻先が触れるのではないか、と思うほどの至近距離で顔を赤くした彼をからかう。
「安心なさい。貴方の匂いも、同じように私たちを狂わせるのよ」
「ひ、ヒルダ⋯⋯?」
彼の後ろから声をかけるヒルダ。
彼女はレオンを逃すまいと華奢な肩を抱きしめ、彼の後頭部に顔を埋めた。
――すーっ、と、彼女が深く息を吸いこむ音。ヒルダは、レオンの髪の匂いを堪能していたのだ。
「ふふ、いい匂い。ただの“お日様“の香りじゃない。焼きついた情欲が煮詰まって、今にも滴り落ちそうなほど甘いわ」
「⋯⋯!! ひ、ヒルダ! やめて! 恥ずかしい!!」
「隠しても無駄よ。貴方が隠そうとすればするほど、貴方の匂いは背徳に染まり、もっと淫らに、甘くなるのよ。罪な男ね?」
「そ、そんなことないよ!!」
「ぐへへへ♡ こんなに無垢な顔の裏で、ドロドロに甘い魔性を持っているなんてぇ〜♡ クロラ、とっても唆られちゃいますぅ〜♡」
「〜〜!! もう!! 早く掃除するよ!! 野宿するのは嫌でしょ!?」
ヒルダとクロラが前後からレオンの頭を嗅ぎ始めた。
そんな二人をレオンはなんとか振り解き、掃除の重要性を説く。――準備を終えたようなシルフが口を開いたのも、同じ頃だった。
「そうですね。皆さんで、一緒に頑張って終わらせましょうか♡」
そんなシルフの声に、未だ諦めずにレオンを捕まえようとしていたヒルダとクロラは、諦めたように息を吐く。
わかりました〜、とでも言うように、二人は手をひらひらとさせて屋敷に向かって進んでいくのだった。
「⋯⋯ふぅ。ありがとう、シルフ。助かったよ」
「いえ♡ お安いご用です♡」
安堵するレオンはシルフに感謝し、彼女は微笑みながら少年に言葉を返した。――が、すぐにシルフは隙を見せた彼の耳元に顔を近づけて囁く。
「後で、“私たち“にも、堪能させてくださいね?」
「⋯⋯ひっ!」
またも突然耳元で囁かれ、ぞくぞくと体を震わせるレオン。
――それが囁かれたからなのか、怖気が走ったのかは定かではなかった。
+
埃まみれのエントランス。据えた臭いが鼻を突く場所で、シルフは口を開く。
「――では、始めましょうか♡ ルナさんとノエルさんは、庭の草刈りをお願いします♡」
「御意」
「おっけー!! ルナ! どっちが多く刈れるか、競争しよ!!」
「⋯⋯! 負けません!」
シルフの言葉に、ルナとノエルが返す。
――突如として始まった草刈り競争。二人は目を合わせた瞬間、弾けるように外に駆けていった。
「じゃあ、クロラは〜、屋敷の傷んだところを直していくねぇ〜?」
「はい、ありがとうございます♡」
クロラはそう言って、埃まみれの屋敷を臆する事なく進んでいき、舞い上がる埃の中へと消えていった。
「私は、何をすればいいかしら?」
「ヒルダさんは、私を手伝ってもらってもいいですか?」
「わかったわ」
気怠そうに返事をするヒルダは、シルフの後ろに続くように進んでいく。
「⋯⋯あ、あの! シルフ! 僕も手伝うよ!」
「いえ、レオン様は休んでいて下さい。ここに来るまでに先陣を切って藪を漕いでくれたので、疲れたでしょう?」
「そういう訳にはいかないよ! みんなだけを動かして、僕だけ休んでいるなんて⋯⋯」
「大丈夫よ、レオン。私たちは、何処にも行かないわ。寂しいなら、そう言いなさい?」
「そ、そういう事じゃないよ⋯⋯!」
ヒルダは少年を挑発するように目を流しながら、妖艶な声でレオンに告げてエントランスの奥――恐らくは、ダイニングであろう部屋へと消えていく。
広大なエントランスで一人ぼっちになってしまったレオンは、零すように呟いた。
「とりあえず、ルナとノエルを手伝おうか⋯⋯」
+
「――ふっ!」
「やあっ!!」
ルナとノエルは、まるで竜巻のように庭を駆け抜ける。
二人が過ぎ去った場所は草木が全て同じ高さで生え揃っていき、みるみるとジャングルが青々とした芝の絨毯へと変わっていく。
「す、すごい⋯⋯!」
空いた口が塞がらないレオンに、ノエルとルナが手を振りながら声を上げた。
「あ!! レオーン!! 草刈り、終わったよ! ノエルの勝ち!!」
「⋯⋯! る、ルナは負けてません! ルナの勝ちです!」
「ど、どっちもすごいよ⋯⋯」
少年は二人の力になれない事を悟ると、肩を落として屋敷へと踵を返していった。
――そんな中、屋敷からちょうど出てきたクロラと鉢合わせる。
「あ! レオンさまぁ〜! 水回りの修理と扉の調整は終わったよぉ〜? 次は屋根を見てくるねぇ〜」
「クロラ! じゃあ、ハシゴを持ってくるよ――」
レオンが言い切る前に、とうっ! とクロラがジャンプすると、彼女はまるで猫のように屋根へと飛んでいく。
「⋯⋯え?」
およそレオンが見たことのない、人間離れした跳躍を見てまたも絶句してしまうレオンであった。
「やっぱり、シルフの元に行こう⋯⋯」
諦めたように零して、屋敷の中に戻ろうとするレオン。
――途中、屋敷の窓の方から大きな音がした。彼がそちらへ目を向けると――開かれた窓。そこから、埃がまるでダイヤモンドダストのように屋外へと放り出されていたのだ。
少年その暴風に巻き込まれないように壁に身を預けながら中を見ると、シルフが風の魔法を使って埃を吹き飛ばしていた。ヒルダといえば、指先から魔力の赤い糸を出して、気怠そうに家具が飛ばされないように押さえつけている。
「⋯⋯なんて圧倒的な魔力だ。校長が言ってた通り、この人たちは本当に――」
またも、彼女たちの力になれない事を悟った少年は、おそらくまだ手を入れていないであろう場所に向けて足を進めていた。
――その背中は、とても小さく見えたのだった。
+
「――大きい。五人入っても、まだ余裕がありそう⋯⋯」
少年が呟いた場所は、浴場。――大浴場と言っても差し支えがない程大きな浴室だった。
普段であれば水の滴る場所であるのだが、長く放置されたこの場所は乾き切っており、カビの臭いすらせずに喉を焼くような埃の臭いだけが確かなものであった。
「⋯⋯ここを掃除しよう。他の場所は、まだ時間がかかるだろうし。⋯⋯多分」
少年は先ほどの彼女たちの様子を思い浮かべていた。
正直、彼はこの大きな屋敷の掃除が一日でどうにかなるとは思っていなかったのだ。
それが、凄まじい速度で終わっていく。それこそ、屋敷が吹き飛ぶのではないかという勢いで。
「⋯⋯彼女たちも、お風呂にゆっくり浸かりたいだろうし、早く綺麗にしよう」
レオンは彼女たちの事を思い浮かべながら、浴室の隅に立てかけられていたモップに視線を移す。
それを取りに行く前に、彼は離れた位置にあるモップに向かって右手を伸ばした。
――瞬間、彼の“眼“が紫色に妖しく輝く。彼の視界はモノクロになり、指から伸びる白いリボンのような魔力が五本、モップに向かっていくのをはっきりと見ていた。
その魔力のリボンがモップに巻き付くように絡むと、自身に向かって引き寄せようと力を込める。
――妖しく輝いていた“眼“は、さらに強く輝いていく。
(――来い!)
その瞬間、魔力のリボンはモップの重さに負けるように次々と千切れ、バランスを失ったモップは力無く床に倒れた。
――からん、からん、と、木の乾いた音が浴室に響き渡る。
モップが動きを止めた直後に訪れた静寂。それは、彼の心のように空虚だった。
「⋯⋯っ!」
少年は自分の無力さに打ちひしがれる――前に、微かな立ちくらみが彼に襲いかかった。
――"魔力で物を動かす魔法"。
魔法使いの初歩の初歩。基礎であるが故に、名前すら付かない。本来であれば魔法を使う者なら呼吸と同じほど容易いはずの魔法。
それですら、少年の体には苦痛が伴うだけで、満足に行使する事が出来ないのだった。
――“魔力欠乏“。
レオンのその淡く輝く深い紫色の“眼“は、魔力や魔法を全て見通す事ができる。――だが、その代償としてなのか、身体中の魔力がその“眼“に集中してし、少年の身体を蝕む慢性的な魔力不足となっていたのだ。
――命に関わる程の、重篤な疾患であった。
「――やっぱり、だめか」
彼は諦めたようにため息を一つ。
――その後、ふらふらの身体で倒れたモップを拾い上げ、一人静かに浴室を磨いていくのであった。




