1章:11話「幽霊屋敷」
「⋯⋯なるほど。これか⋯⋯」
ノエルにお姫様抱っこをされていたレオンは、その様子に似つかないように眉を歪めて絶句する中、溢すように呟いた。
騎士学校の裏手に広がる、誰も近付かないような原生林。
まだ昼前にも関わらず薄暗く湿った土の匂いのする獣道を抜け、視界が開けた場所に忘れられたように屋敷は鎮座していた。
「⋯⋯これは、確かに、豪邸とは言えますが⋯⋯」
流石にシルフも、包帯の裏の瞳を困らせているように苦笑いしていた。
彼らが見上げるのは、まさに“幽霊屋敷“といっても差し支えがなかった。
かつては威風堂々たる優雅な石造り。黒ずんだ花崗岩を積み上げて作られた、二階建ての豪邸だったのだろう。
それが、今や見る影もないほどに朽ち果てようとしていたのだ。
「汚いわね」
「⋯⋯本当に、ごめんね⋯⋯?」
直球で悪口を言うヒルダ。彼女は眉を顰めてハンカチで口を覆っていた。
レオンの謝罪の言葉を受けたヒルダは、ため息を吐き、その大きな胸を強調するように黒いタイツに包まれた腕を組んで俯く。
彼女が見上げる外壁は、まるで血管のように絡みつく太い蔦に覆い尽くされ、石の肌が見える場所の方が少ない。蔦は窓枠にも侵食しており、泥と長年の埃で白く濁った窓はまるで屋敷の中を封印し、時を止めているかの様子だった。
「レオン、あの屋根にいるのは、なんでしょうか?」
「⋯⋯あれは、多分“ガーゴイル“だね。古くから家を守ってくれる、魔除けのようなものだよ」
「なるほど。羽が片方しか無い怪物なのですね?」
「⋯⋯いや、あれは単純に折れているだけかな⋯⋯?」
そう言ってルナとレオンは急勾配の屋根から伸びる、数本の煙突――その先端に座るガーゴイルの石像を見る。
ルナの言う通り片羽を失った魔除けの怪物は、まるで苦悶の表情を浮かべている。
「レオンさまぁ〜、門が壊れて、開かないですぅ〜!」
「⋯⋯半分、開いたままだね⋯⋯」
「はいぃ〜、これ以上、開かないんですぅ〜!」
敷地を囲む鉄柵は触るのも憚られるように赤錆びており、正門の重厚な鉄の扉は丁番が壊れているのか、斜めに傾いたまま半開きのまま固まっている。
その隙間から見える庭は、レオンなど余裕で超えている程の高さで我が物顔で生い茂っていた。
それぞれ多様な反応を見せる中、ノエルだけはレオンをお姫様抱っこしながら、飛び跳ねてはしゃぐ。
「わあぁっ!! すごい! おっきいねー!!」
「⋯⋯ノエル! 危ない! 飛ばないで! 落ちちゃう!!」
ノエルが飛び跳ねると、レオンは一瞬宙に浮いた。
少年は空中で離れ離れにならないようにノエルの首に細い腕を回して、必死に落ちないように捕まっている。
彼女から放たれるお日様のような優しい香りがレオンを酔わせながらも、叫び続けていた。
そんな少年のお願いも無視し、ノエルは門を軽々と飛び越えてジャングル――恐らくは屋敷の庭であろう場所へ着地した。
「レオン! 探検! 探検しよ!!」
「の、ノエル! 僕がここに入ったら、二度と出れなくなっちゃうよ!」
「大丈夫! 私がしっかり守るから!!」
「だ、だったら今お願いを聞いて!! 今すぐここから出て、僕を降ろして!!」
「ん〜。ヤダ!!」
「の、ノエル〜!!」
「あはははは!! たのしいね!! レオン!!」
ノエルはレオンを抱えながら飛び跳ね、走り回り、庭というジャングルを駆け回る。――が、何かに躓いたのか、思い切り転んでしまったのだ。
「あははは! あっ!!」
その拍子に空を飛ぶレオン。少年の華奢な体はまるで羽のように宙を優雅に舞っていた。――見た目だけは。
「あああああ!!!!」
三メルほど上空から、決死の表情で叫ぶレオン。その目には涙が浮かび、空を掴むように手足をばたばたとさせている。
やがて重力に負け、地に落ちていくレオン。彼は死を覚悟するようにその大きな目をぎゅっ、と瞑った。――が、彼は何の衝撃もなく、柔らかい何かに受け止められる。それと、月光を溶かしたような、ひんやりとした香り。
彼はおそるおそる目を開いていくと、漆黒の髪が靡くのを見た。ルナが、宙に浮いたレオンを受け止めていたのだ。
「⋯⋯ルナ! あ、ありがとう⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
レオンは涙目になりながらもルナに感謝した。
――が、ルナは眉一つ動かさず、それどころか、レオンの姿さえ一瞥しない。
徐々に冷えていくルナの雰囲気。身に纏うそれは、まるで刃を研ぎ澄ますように、どんどんと鋭さを増していく。
「⋯⋯ルナ? どうし――」
「――中に、気配があります」
え? とレオンが聞き返すよりも早く、ルナはレオンを抱きしめた状態で真っ直ぐに玄関へと突っ込んでいく。――錆びついた玄関の扉が、ルナの蹴りで吹き飛び、長い間屋敷で封印されていた空気が開放された。
広大なエントランスに反響する乾いた音の中、鼻の奥を突くような、青臭いカビの悪臭。濡れた土のような湿った灰の臭い。虫除けになっていたであろう壁に吊るされたハーブは色を失い、苦い埃の臭いに変わっていた。
様々な悪臭に顔を顰めるレオンだったが、ルナは気にも留めずに吊り下がるシャンデリアの下を見た。
「――ちゅー!」
そこにいたのは、小さなネズミ。久々の来客に驚いたのか、埃を煙幕のように利用しながらどこかへと消えていった。
そんな小さな“脅威“が去るのを見ていた彼女は、眉一つ動かさずに口を開く。
「――ネズミ、でしたね」
「⋯⋯そう、だね」
「敵、ですよね。不快ですし」
「⋯⋯そう、だけど⋯⋯」
「だから、ルナは悪くないですよね」
「⋯⋯⋯⋯」
ルナは破壊された玄関の扉を見ながら、眉一つ動かさずに話していた。――自信満々の彼女の頬には、汗が一筋伝う。それを少年は抱きしめられながら、ジト、とした目で見ていた。
「ありゃりゃ〜! これは凄いですねぇ〜」
クロラが中に入り、感心したのか、呆れたのか判断がつかない微妙な声を上げた。それに続くように屋敷に入る彼女達。――だが、その表情は一様に歪んでいる。
「⋯⋯ご、ごめんね。本当に。僕の、せいで⋯⋯」
「まあ、広さだけなら及第点よ。これから貴方と暮らすのだし、まずは内装を全て赤に変えましょうか」
「そ、それは、やめてほしい、かな⋯⋯?」
口元をハンカチで覆いながら、値踏みするようにヒルダは呟く。
「わあぁー! とっても広いねー!! 天井も、とっても高いね!!」
「うん、広さだけ、ならね⋯⋯」
「これなら、お家の中でも、レオンをたかいたかいできるね!!」
「それは、本当にやめて欲しいかな⋯⋯」
ノエルは目をキラキラさせながら屋敷を見渡していた。
「レオン様。嘆いていても、仕方がないですよ?」
「⋯⋯シルフ」
「住めば都とも言いますし、それに皆様と一緒なら、どんな所でも天国ですよ? ね、レオン様♡」
「シルフ!」
シルフは、未だにルナに抱きしめられたままのレオンを見ながら、優しく語りかける。記憶が無い彼にとって、シルフが伝えてくれた言葉は生まれて初めて自分だけの居場所を得たような、胸の暖かさを与えたのだ。
「――それに、これだけ広くて街から離れていれば、誰にも聞かれずに“声“が出せますね♡」
「⋯⋯シルフ?」
シルフは、先ほどの甘い声音に熱と艶を込めて、レオンに語りかけていた。少年といえば、先ほどの感謝の目は消え失せて困惑と疑念を抱くようにジト目でシルフを見ていた。
そんなシルフは気を取りなおすようにぱん! と手を叩くと、皆に聞こえるように切り出した。
「さあ、お掃除を始めましょうか! 夜には、皆さんと一緒にお風呂に入りたいですね♡」




