1章:10話「レオンの見る世界」
「――がっ!!」
彼の体が宙を舞い、背中から木に激突する。それによって、ようやく彼は動きを止めた。
その衝撃で、背中の魔剣が重い金属音を立てて地面に転がる。彼の絶望に呼応するように布越しに微かに震えた。
それに気付かず、レオンは肺の空気が強制的に吐き出され、激痛で苦悶に満ちた表情を浮かべる。
(⋯⋯うう、くそ!)
彼は呻きながら正面を見据えた。
そこにいたのは、赤色の毛皮を纏った、犬型の魔獣――ガルムだった。
レオンは、ガルムからの攻撃を受けたのだ。
「⋯⋯! 辺境とはいえ、騎士学校の敷地内なのに⋯⋯! 本当に、出るなんて⋯⋯!」
少年はガルムによって吹き飛ばされたせいで、少女たちからは若干距離のある場所にいる。
レオンは急いで落ちた魔剣を拾い上げると、かたかたと音を立てながらもガルムへと向けて構えた。
「けほっ、けほっ。⋯⋯大丈夫、きっと大丈夫⋯⋯! 相手はガルム一匹。戦う訓練はしてる。いつも通り、動けば⋯⋯!」
未だに咳き込むレオンは、背中に走る鈍い痛みに耐えながら、自分に言い聞かせるように何度も何度も大丈夫と呟いた。
彼の瞳が紫色に妖しく輝く。――その瞬間、彼の視界は色付いた景色から“白黒“へと変わり、色を失った世界で目前にあるガルムの“魔力“が赤く輝いている。
赤く揺らめくガルムの魔力は、よく見れば全身を巡るように駆け回っており、レオンに飛びかかろうと後ろ足に力を込めるようにガルムの後ろ側が輝きを増していた。
「⋯⋯ガルムの牙は不潔、噛まれるとまずい。毒が回る。動きも速い。でも、それを利用出来れば⋯⋯!」
少年は座学で学んだ魔獣の知識を必死に確認するように、その小さな口から何度も溢していた。
そして、作戦。力の無いレオンの一撃では、いくらガルムであろうと両断することは叶わず、それどころか致命傷にすらならないかもしれない。
そんな少年が思いついたのは、襲いかかるガルムの“速さ“を利用して、剣を突き立てる事だった。
――貫く力が無いのなら、相手に“自ら“串刺しになって貰えばいい。そう考えたレオンは、未だに震えている小さな両手に力を込めると、ガルムの魔力の流れに全神経を注ぐ。
「――!!」
ガルムの両足の魔力が、流れを変えた。
真っ直ぐにレオンに向かうような力の入れ方。――魔獣にすら、レオンはさぞ貧弱に見えたのだろう。
――ガルムが、動く。
「――今だ!!」
ガルムが地を蹴るが早いか、レオンは両手で掴んだ魔剣を真っ直ぐにガルムに向けた。
――瞬間、ガルムも気付いたように、その獰猛な瞳を大きく見開く。自身が自ら“死“へと向かって行く事に気が付いたように。
だが、時は既に遅かった。地を蹴り、空中にあるガルムは身を翻すことも出来ずに、真っ直ぐにレオンの構えた魔剣の切っ先へと吸い込まれていく。
大きく開いた口から切っ先が侵入し、そのまま食道、胃、腸。その傍にあるであろう心臓――魔導核などの臓器をその刀身で引き裂きながら、ガルムの口は魔剣の鍔で止まった。
――そのまま火に炙れば、ガルムの丸焼きが出来上がるであろう。夥しく滴る血に、火は消されるであろうが。
「――っ! や、やった⋯⋯! 倒せた⋯⋯!!」
不安に満ちていた貌を緩めたレオンは、僅かに笑みを浮かべながら少女たちの元へと視線を移した。
少年は少し期待をしていた。役立たずである自分が、少女たちを守れた事。褒めてくれるかもしれないという、淡い期待。
若干の下心を自覚しながら目を向けた少女たちの状況は、少年の望むものではなかった。
――視線の先にいる、五人の少女たち。それを囲むように赤く輝く無数の魔力。
多数のガルム達は、少女たちをを喰らい尽くそうと包囲していたのだ。その凶悪な牙のある口から涎を垂らし、今にも飛びかかろうと準備をするように低く唸っている。
レオンの心臓が、跳ねた。
『⋯⋯また、オマエだけ、助かるのか』
――その"声"と同時に、視界が急激に色を失い、モノクロとは別の、冷たい灰色に染まっていく。
「⋯⋯! かひゅ⋯⋯!」
“みんな、逃げて!“。
――そんな声が、少年は喉が閉じたかのように出せなかった。
レオンは体勢を立て直し、彼女たちの元へと駆けつけようと走る。が、身体中が痛むせいで、途中で転んでしまった。
(⋯⋯はやく、はやく! はやくしないと、みんなが⋯⋯!!)
心臓の音が、大きくなる。
地面から、黒い手が伸びてきて、レオンの体を縛り付けるように、その小さな体を拘束する。
『⋯⋯お前は、周りを不幸にする』
「はぁ、はぁ、⋯⋯はぁ!」
『⋯⋯生きているだけで、災厄を撒き散らす』
「はぁ! はぁ! っはぁ!!」
『⋯⋯だから、もう、いなくなれ』
「――っ!! はあぁぁ!」
『⋯⋯あの女達も、可哀想だな。卑怯者の、隊長だと』
(立て! 立てよ! 僕の体!! 言う事を聞いて!!)
『⋯⋯きれいな、体。私は、"こんな"なのに』
(離せ! 離してよ! 僕の邪魔をするな!)
彼は体を抑える黒い手を必死に払い、叩く。
――が、彼を覆う手は際限無く増える一方だ。
(じゃないと⋯⋯みんなを⋯⋯。助けないと⋯⋯!)
『⋯⋯その女たちも、"こっち"に連れて行ってやるよ』
(いやだ⋯⋯。いやだ! 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!)
『⋯⋯何も、守れない。騎士の、恥晒し』
「⋯⋯っ!! 動けよぉっ! 離してよぉ!!」
レオンはパニックになっていた。
美しい顔を苦悶に歪め、大粒の涙を流しながら、自分の足を殴り続ける。
――動け、離して、と。
彼が見ていたのは、灰色の世界。
華奢な体躯を覆い尽くす、黒く冷たい腕。耳鳴りの中で届く、怨嗟の声。
(⋯⋯オン! ⋯⋯レオン! レオン!!)
そんな暗い世界にいた彼は、現実の声がまるで水の中にいるように籠って聞こえた。
身の回りに彼女達が集まっていたことすら、気が付かなかったのだ。
「レオン様! レオン様!! やめて下さい!! レオン様!!」
「レオンさまぁ〜! もう、敵はやっつけましたからぁ〜! やめて下さい〜!!」
「⋯⋯⋯⋯え⋯⋯?」
彼が歪んだ顔を上げると、五人の彼女達は心配そうにレオンを見つめていた。
彼に声をかけていたのは、シルフとクロラだった。
二人はレオンの肩と背中を優しく、さする。
――その確かな暖かさが、"黒い手"を消していき、彼を灰色の世界から色鮮やかな彼女達のいる現実へと戻していく。
先程まで、ガルムが集まっていた場所は――血まみれになっていた。
原型を留めぬ肉塊からは、一瞬前までの殺意の欠片すら消え失せ、ただ不自然な静寂だけが漂っている
「⋯⋯! レオン、大丈夫ですか!?」
「レオン! やだ! やだよぉ〜!」
「⋯⋯みんな⋯⋯? 一体、何が⋯⋯?」
ルナとノエルが、心配そうにレオンの顔を覗き込む。
――特にノエルは、いつもの元気な様子とは正反対の、涙を浮かべて彼を見ていた。
「⋯⋯が、ガルムは!?」
「殺したわ。当然よ。貴方を、痛めつけたのだもの。足りないくらいだわ」
レオンの問いに、ヒルダが答える。
――彼女も、普段の気怠い様子はなく、本物の悪魔のような残酷さを放っていた。
「レオン様、平気ですか?」
「⋯⋯あ、うん⋯⋯ごめん、大丈夫だよ⋯⋯。心配かけて、ごめんね」
「ほんとぉ〜? 無理しちゃ、だめだよぉ〜?」
「⋯⋯ほ、本当に大丈夫だって。⋯⋯突き飛ばして、ごめんね⋯⋯」
「問題ないわ。カッコよかったわよ、レオン」
「⋯⋯あ、ありがとう⋯⋯」
口々に心配と褒め称える声。
――彼は、その言葉に申し訳なくなり、目を背けてながら、溢れるように呟いた。
「⋯⋯ご、ごめん。僕、何も、できなくて⋯⋯」
「⋯⋯問題ありません。むしろ、レオンに傷を負わせてしまった。不覚です。申し訳ありません」
「そ、そんな⋯⋯! ルナが謝る必要なんて⋯⋯。⋯⋯いたた⋯⋯」
「はい、レオン!!」
ルナとやりとりしていたレオンは痛みを堪えきれずに声を上げた。
そんな様子を見たノエルは、涙目で彼をお姫様抱っこする。――彼女の腕は震えていた。
レオンを傷つけたガルムへの怒りだけでなく、彼をこんなに苦しめている“何か”に気づけない自分へのもどかしさが、その震える両腕には込められていたのだ。
ノエルだけではない。
他の四人も、尋常ではないレオンの様子を見て、彼が“何に“そんなに怯えているのか、彼の力になれないもどかしさに拳を握り、唇を噛み締めていた。
それに気付かず顔を真っ赤にするレオンは、ノエルに抵抗するように叫んだ。
「⋯⋯! の、ノエル! 僕は大丈夫だから! 一人で歩けるよ!」
「だーめ! ごめんね、レオン。次は、しっかり守るから!!」
「⋯⋯の、ノエル!!」
「よし、出発しよう! レオン、道案内、よろしくね!!」
「〜〜!!」
恥ずかしがるレオンに元気に返すノエル。
その貌は、いつもの太陽のような元気を取り戻していた。
結局、レオンはノエルに逆らうことができず、屋敷までお姫様抱っこをしてもらっていたのだった。




