表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結済】異世界生活は難しい。〜勇者一行、現代日本に転移する〜  作者: 松竹紅葉
第1章 勇者一行、召喚される?
23/86

【番外編】魔法使いになった日

ツトムがまだツトムではなかった頃のお話。

「かみのけそめるのっていけないんだ〜!」

「なんでめがあおいの?」


 自分の容姿が嫌いだった。


「やーい、きかんしゃー!」

「しゅっぽっぽー!」


 自分の名前が嫌いだった。





「トム〜、迎えに来たわよ〜!」

「お゛があ゛ざ〜ん゛、ぼくもうようちえんいぎだぐな゛いよ〜!」




 山田トーマス、当時3歳。母親譲りの金髪碧眼を持つ彼は、幼稚園で虐められていた。他と違う容姿と、某機関車アニメしか思い浮かばない名前。幼い子供たちは他と違うものを拒絶する。入園してから3ヶ月が経過していたが、トーマスには友達が1人も居なかった。




「おかあさん、まほうおしえてよ!ぼくをいじめるやつらみんなやっつけてやるんだ!」

「それはだめ。」


 幼稚園から泣きながら帰る度、トーマスは母に魔法を教えて欲しいと駄々を捏ねる。しかし、母のエリザベスはそんなトーマスに決して魔法を教えようとはしなかった。


「いつも言っているでしょう。魔法は人を傷つけるものじゃないの。そういう使い方しか考えられない子に教える魔法はありません。」

「でもあしたまたいじめられる!」

「そういう風に言う子たちなんか鼻で笑ってやりなさい。トムは何も悪くないんだから堂々としていれば良いの。」


 そう言うと、エリザベスはそっとトーマスを抱きしめる。



「見た目のせいで誤解されることは、この先ずっと続くと思う。でも大丈夫、きっとありのままの貴方を受け入れてくれる子が現れるから。」

「……なんでわかるの。」

「お母さんはお父さんと出会えたから。トムにもそんな素敵な出会いがきっとあるわ。」


 母はぎゅーっと力強くトーマスを抱きしめた。ちょっと苦しいけれど、気持ちは落ち着いてくる。自分のことをちゃんと見てくれるお友達が欲しい、そんな風に思いながら母に甘えるのが幼いトーマスの日々だった。





 転機が訪れたのは、それから5年後のこと。父・太郎の転勤に伴い、埼玉へと引っ越した。新たな家で荷解きをしながら、太郎はトーマスに話しかける。


「トム、友達できると良いな。」

「どうせ皆警戒して近づいてこないよ。」


 母がああは言ったものの、トーマスには結局友達が出来なかった。


 虐めは続いていたが、ある程度年月が経てば揶揄われるくらいでいちいち泣いているのが馬鹿らしくなってくる。いじめっ子たちへの対応も慣れたもので、特に小学校に上がってからは勉強や運動で徹底的に叩きのめす毎日を送っていた。魔法など教わらなくとも、圧倒的な力の差を見せつけてやれば、いじめっ子の言うことはただの僻みに過ぎない。


 しかし、転校することでそういった関係を1から作り直すというのはなかなか面倒臭い。トーマスには友人を作る気など全くなかった。


 そんなトーマスに太郎は苦笑いする。幼い頃の泣き虫っぷりは鳴りを潜めたが、随分と捻くれた性格になってしまった。

 

「そういえばさっき隣の家の佐藤さんって人に軽く挨拶したんだが、お前と同い年の娘さんが居るらしいぞ。仲良くなれると良いなぁ!」

「……そーだね。」

「はは、この後挨拶しに行くから仲良くな。」


 せいぜい自分に嫌がらせをしてこなければそれで良い。そう思いながら、トーマスは荷解きを続けた。






 隣の家の表札には『佐藤』と書かれていた。茶色いレンガに白い扉の洋風な家の庭は、家人の趣味なのか色とりどりの花で溢れている。太郎がインターホンを押して引越しの挨拶をしたいという旨を伝えると、暫くしてから扉が開き、中から可愛らしい少女が現れた。

 

「はーい、こんにち……は!?」

「(……まあ、驚くよなぁ。)」


 インターホンには父しか映っていなかったのだろう。扉を開けた少女は目の前に居る金髪碧眼のトーマス相手に固まってしまった。


 先程の父の話によると、少女はトーマスと同い年らしい。少し茶色がかった黒髪のショートヘアに、くりっとした大きな茶色の瞳。未だにあんぐりと口を開けたままだが、その可愛らしさが損なわれることはない。


「……はっ!えっと」


 トーマスが怪訝な目で見ていることに気が付いたのか、少女は正気に戻ると慌てて話し出した。


「は、はーわーゆー!あいふぁいんせんきゅー!えんじゅー!?」

「……は?」


 どうやら見た目で日本語が通じないと判断されたらしい。身振り手振りを交えながら英語らしきものを話しているが、それではただ教科書の例文を読み上げてるだけである。トーマスは呆れながら自己紹介をした。


「……初めまして。山田トーマスです、よろしく。」

「日本語ォッ!?」

「……。」


 またしても少女はポカンと口を開けたままになってしまった。会話が続かなくなってしまい困ってしまったトーマスに、少女の様子を見て笑ってしまったエリザベスが助け舟を出す。

 

「ふふふ、この子日本生まれ日本育ちだから普通に日本語で大丈夫よ〜。私は母のエリザベスと言います。お名前、お伺いしても良いかしら?」

「ひゃ、ひゃい!佐藤杏でしゅ。よろしくお願いしやす!」

「(噛みすぎでしょ。)」


 内心でトーマスが突っ込んでいることなど露知らず、杏は顔を真っ赤にして恥ずかしそうにしている。やっぱり仲良くするのは難しそうだとトーマスが思っていると、杏の後ろから彼女をそのまま大人にしたような美しい女性が現れた。


「すみません、ご挨拶が遅れました。杏の母です。あら、貴方がトーマス君?」

「は、はい。」


 杏の母はそのままトーマスに目線を合わせる。すると、トーマスの目に彼女が抱えている何かが目に入った。


「ふぇぇ……」

「あ、赤ちゃん?」


 杏の母の腕の中で、小さな命が顔を皺くちゃにしていた。どうやら赤ん坊の世話をしていたので出てくるのが遅れたようだ。杏の母はトーマスに赤ん坊の顔を見せると、優しい笑顔で話しかけた。

 

「杏の弟の(よう)よ。先月産まれたばかりなの。この子とも仲良くしてあげてね。」

「はい。えっと、よろしくね。陽君。」

「きゃっきゃっ!」




 トーマスが話しかけると、陽は嬉しそうに笑った。姉はともかく、弟とは仲良くなれるかもしれない。それがトーマスが佐藤家に抱いた最初の感想だった。この考えが間違っていたと知るのは、それからもう少し後のことである。






 新しい学校生活は意外にも快適だった。最初こそ見た目で驚かれはしたが、虐められることもなく馴染めている。トーマスにとって初めての友人も沢山出来た。放課後に遊びに行くことも増え、両親が心から喜んだのは言うまでもない。


 ただ、トーマスは何となく気が付いていた。自分がここまでクラスに馴染めた理由、それは……



「トーマス君、帰ろー!」

「……ハァ、1人で帰りなよ。」


 放課後、下駄箱で靴を履き替えているといつもの喧しい声がする。トーマスは大きな溜息を吐いて振り返った。するとトーマスの想像通り、佐藤杏がニコニコしながら此方を見ている。


「良いじゃん!トーマス君も1人でしょ?」

「僕は1人が良いんだけど。」


 出会った時の印象はそのままだ。彼女と出会って早1年、トーマスは佐藤杏という人間が苦手だった。




 明朗快活な性格で、可愛い。佐藤杏はいつもクラスの中心にいた。友人も多く、他のクラスどころか他学年にも顔がきく。実際かなりモテるようで、告白されることも多いようだ。


 そんな人気者の彼女に転入初日から絡まれたせいで、元々の見た目も相俟ってトーマスは一躍有名人になってしまった。ある者からは羨望の眼差しを、ある者からは嫉視されるのを感じながらの生活は中々に疲れる。


 それもこれも、佐藤杏のせいだ。




「ダメだよ!先生言ってたでしょ、最近不審者出るから1人で帰るなーって。」

「……じゃあ他の子と帰れば良いじゃん。」


 何故か杏はトーマスに構う。彼女と仲の良い友達は多いのに、明らかに嫌がっている自分と帰ろうとする理由が分からない。


「家の方向一緒じゃん!それに、私もトーマス君と仲良くなりたいし!」

「僕は別に仲良くなりたくない。」

「……。」


 トーマスは顔を背けてぶっきらぼうに言い放った。すると杏が急に黙ってしまったので、トーマスはチラリと杏を見遣る。流石に言い過ぎたと謝ろうとしたが、杏はトーマスをじっと見つめて言った。


「……それでも、やっぱり私はトーマス君と仲良くなりたいな。」

「何だよ、それ。」


 杏の茶色の瞳は真っ直ぐにトーマスを映している。まるで此方の心の奥底が見透かされているようなその眼差しが、トーマスには恐ろしく感じた。


「ごめんね。トーマス君が嫌がることはしたくないし、私今日は1人で帰るよ。また明日ね。」

「……。」


 杏はいつも通りの笑顔に戻ると、そのまま靴を履き替えて玄関を飛び出して行く。




「なんだか僕がすごく嫌なヤツみたいじゃないか。」


 別に自分の性格が良いと思ったことは一度もないけれど。いや、ある意味()()()()か。ボソッと呟いたトーマスの言葉は、外で遊ぶ生徒の声に掻き消された。






「……。」

「どうした?トム。何か学校で嫌なことでもあったか?」

「別に。」


 その日の夜、何故か不機嫌そうなトーマスに太郎は尋ねた。ここ最近はずっと楽しそうに学校でのことを話してくれるというのに、と太郎は心配する。


「トムったら、帰ってきてからずっとこんな調子なのよ。まあ、また虐められてる訳ではないようだけど。」

「困ったことがあれば父さんや母さんに言うんだぞ。」

「だいじょーぶ。」


 言える訳がない。ただ杏に苛立ってるだけだなんて。夕飯のハンバーグを頬張りながら、トーマスは明日どうやって杏と顔を合わせようかと悩み続けたのだった。





 それから暫く、トーマスと杏はあまり話さなくなった。正確には、杏がトーマスに話しかけなくなった。それまで散々杏がトーマスに話しかけまくっていたものだから、周りのクラスメイトからは「喧嘩したの?」と心配される始末だ。


 しかし、お陰でトーマスは穏やかな日常生活を送れている。トーマスには既に仲の良い友人たちが居るし、杏が居ないところで何も困らない。


 ただ、静かなだけだ。




「「あ。」」


 ある時、偶々トーマスと杏は下駄箱で鉢合わせた。何となく、気不味い雰囲気が流れる。


「(そういえば、あの日のことちゃんと謝れてないな。)」


 別に自分だけが悪いとは思わないが、言い過ぎだったとトーマスは反省している。


 ある程度距離を置いてみて分かった。杏は勢いこそ凄まじいが、ああ見えてかなり気遣いができる人物だ。今思えば、あれだけ近寄るなオーラを全開にしていた自分に友達ができたのも、杏が自分に積極的に話しかけることで周囲との壁をなくしてくれていたことが大きい。本人には自覚がないかもしれないが。


「あ、えっと……」

「じゃあね、トーマス君!」


 杏はいつも通り笑顔で手を振ると去って行く。


「(何で話しかけようとしたのに無視するんだよ。)」


 トーマスは苛立つが、そういえば自分から杏に声をかけたことがないことに気が付いた。


「(まさか、僕から話しかけるなんてあり得ないと思われてるのか……?)」


 それはそれで何だかムカつく。こうなったら明日登校する時にでも話しかけて驚かせてやろう。そう考えるとトーマスは少し上機嫌になって、靴を履き替えた。






「ねえ、トム。杏ちゃんと一緒に帰ってないわよね?」

「え?帰ってないけど。」

「誰と一緒に帰ってたとか分かる?」

「知らない。1人じゃないかな、仲良い子たちは家の方向違うから。」


 帰宅後、時計は既に7時を指している。自室で本を読んでいると、慌てた様子のエリザベスが受話器を片手に尋ねてきた。


 いきなり何でそんなことを聞くんだろう?トーマスは母に尋ねようとするが、エリザベスは再び受話器に向かって話し始めた。


「ええ、ええ。ごめんなさい。トムは一緒に帰ってないみたいで。多分1人で帰ったと思うって……」

「……?」


 母は一体誰と話しているのだろうか。

 何故杏のことを聞いてきたのだろうか。


 何故か背中がヒヤリとする。暫くして電話を切ったエリザベスは酷く狼狽えた顔でトーマスに告げた。



「杏ちゃん、まだ家に帰ってきてないって……!」




 その瞬間、トーマスの脳裏に喧嘩した日の杏の言葉が蘇る。



 

『ダメだよ!先生言ってたでしょ、最近不審者出るから1人で帰るなーって。』




「あ……」


 何で忘れてたんだろう。先生も毎日口酸っぱく言っていたというのに。


 何であの時声をかけなかったんだろう。一緒に帰っていれば、こんなことにはならなかったかもしれないのに。




「お母さんは佐藤さん家と一緒に杏ちゃん探すから、トムは家で留守ば……トム!?」

「ッ!」




 気が付けば、トーマスは家を飛び出していた。手掛かりがある訳じゃない。心当たりがある訳じゃない。それでも、動かずにはいられなかった。




「行かないと……!」




 夕焼けが夜に染まる空の下、トーマスは駆け出した。






「ひっく……ひっく……、おうちに帰りたいよぉ……。」


 ボロボロのアパートの一室で、杏は手足を縛られた状態で床に倒れ込んでいた。




 トーマスと別れた後、杏は1人で帰っていた。ここ最近、何だか誰かの視線を感じることが多く、杏は毎日帰り道を変えている。


 ただ、今日は違った。杏は放課後の下駄箱でのことを思い出していた。あの時、トーマスは何か自分に話しかけようとしていなかっただろうか。喧嘩したあの日以来、杏はトーマスと距離を置いていた。彼に嫌われていることは何となく分かっていたし、実際に仲良くなりたくないと言われてもすんなりと受け止められた。それでも、やっぱり悲しかったらしい。以前のように話しかけづらくて、今日も挨拶してさっさと別れてしまった。


 心のモヤモヤが取れなくてぼーっとしながら帰っていたものだから、杏は気が付かなかった。


 いつの間にか、いつもの帰り道を通っていたことも。

 そして、背後から誰かが近付いてきていたことも。




 名前も知らない男に攫われて、杏は監禁されてしまった。男は何かブツブツ言いながら出掛けてしまった為、今部屋に居るのは杏だけだ。




「早く……逃げないと……ッ!」


 杏は必死に縄を解こうとするが、大人の男の力で縛られた縄はそう簡単に解けるものではない。何度も何度も杏は挑戦したが、無駄に体力を消費するだけだった。


「ううっ……うっ、お父さん……お母さん……陽……」


 またしても杏の頬を涙が伝う。もうこのまま一生家族に会えないのだろうか。この薄暗い部屋で独りぼっちなのだろうか。


 誰に届く訳でもないのに、杏は呟かずにはいられなかった。





 

「たすけて……」





 

「助けに来たよ。」






「へ?」




 視界がぼやけてはっきりと見えないものの、目の前に居るのが誰か杏には分かる。だって、その声で、その優しい金色の髪の男の子なんて、杏の知っている限り1人しか居ない。




「トーマス、君?」



 自分のことが大嫌いな筈の男の子が、目の前に居た。



「ど、どうやって此処に?」

「うぐッ。そ、そんなことは良いから!とにかく早く逃げるよ。」




 どうやって自分の居場所を突き止めたのか。鍵はどうしたのか。疑問は山程出てくるけれど、今は聞いている場合じゃない。いつあの男が帰ってくるか分からないのだ。


「くそ、どんだけ固く結んでんだよコイツ……ッ!」

「ト、トーマス君……」


 目の前の少年は必死になって縄を解こうと奮闘しているが、到底何とかなる気配はない。




 ――ガチャ。




「「ッ!」」


 そうこうしている間に、男が帰ってきた。体重の乗った男の足音が近付くにつれ、トーマスの手は震えてくる。


「くそ、くそッ!あとちょっとなのに!」

「トーマス君、私は良いから逃げ……」

「嫌だ!助けるって言っただろ!」


 トーマスは顔を真っ赤にして、涙目になりながら怒った。普段杏のことなんてどうでも良いみたいな感じの癖に。杏はこんなに必死なトーマスを見たのは初めてだった。

 

「よしっ!やっと解け……」

「は?お前、何処からッ!?」

「「あ……」」


 縄が解けるのと男に見つかったのは同時だった。トーマスは慌てて杏の前に立つと、魔法を放つ。




「《影の悪戯》!」

「は?……うわっ!」


 男の影が実体となって男の足元に絡み付く。足を取られた男はそのまま前に倒れ込んだ。


「今だ、行くよ!」

「え……う、うんッ!」


 その隙にトーマスは杏の手を取って部屋を飛び出す。先に杏を外に出し、トーマスも後に続こうとした時だった。


「ッ!トーマス君、後ろッ!」

「えっ……ガハッ!」


 杏の叫びで振り返ろうとしたトーマスの目の前に男の拳が現れ、直撃する。勢いよく殴られたトーマスは玄関の床に頭をぶつけてしまい、そのまま動けなくなってしまった。


「い、いやぁっ!」

「ハァ……ハァ……ッ!お前が悪いんだ!お前がボクの邪魔をするからッ!ハァ……ボクからこの娘を奪おうとしやがってッ!」

「トーマス君、トーマス君!」


 杏は倒れ込んだトーマスの所に慌てて駆け寄る。トーマスは打ち付けたところが悪かったのか、頭から血を流している。辛うじてまだ意識はあるようだが、それも時間の問題だった。


「杏ちゃん……逃げ……」

「まだ生きてんのかよ!クソクソクソクソッ!この娘のこと名前で呼びやがってぇ……!ボクの邪魔をするなァァァァッ!」


 男は再び拳を振り上げる。杏は必死にトーマスの上に覆い被さって守ろうとしたその瞬間。




「《雷神の裁き》!」

「ゔあ゛ァァァァ!?」




 突如男の頭上が光ったと思えば、そのまま小さな雷が男を襲う。あっという間に男は黒焦げとなってそのまま後ろへ倒れ込んだ。


「へ……?」


 さっきの動く影といい、今の雷といい、今自分の目の前で起こっていることは現実なのだろうか。杏は呆けてしまっていたが、足元が濡れる感触で正気に帰る。


 トーマスの血が止まっていない。


「あっ……やだやだやだ!死んじゃやだよ!トーマス君!」

「だ、だいじょ……ぶ……から。」


 杏は慌ててポケットからハンカチを取り出して傷を押さえる。しかし、ハンカチが真っ赤に染まるばかりで血が止まる気配はない。

 

「私のせいで!ごめんなさい、ごめんなさ……」

「ぶ……で、よか……た。」

「2人とも!無事……ってトム!?」


 慌てた女性の声が後ろから聞こえる。振り返るとそこに居たのは、エリザベスだった。息子が血を流していることに気が付いた彼女は、咄嗟に回復魔法の詠唱を始める。


「《大樹の祈り》!」


 エリザベスが呪文を唱えると鉄製の床から草木が生え出し、トーマスを包み込む。暖かな緑の光はトーマスの傷を少しずつ癒していった。


 だが、それでは間に合わない。


 杏は目の前の状況に混乱しながらも、トーマスの手を強く握る。


 自分のことが嫌いな癖に、此処まで助けにきてくれた男の子。いつも大人ぶってる癖に急に子供みたいに駄々を捏ねたり、何だかよく分からない不思議な力を使ったり。


 そんな子、今まで出会ったことがない。


「私、まだ全然トーマス君のこと知らない!まだちゃんと仲良くなれてない!仲直りだって……できてない!」




「お願い神様、居るならトーマス君を助けてッ!」



 

 その瞬間、癒しの魔法の光がより強く輝き周囲を包み込む。眩い光が消えた後にエリザベスが目を開けると、そこに居たのは怪我など全くない元気な自分の息子だった。


「あれ……僕……。あ、お母さん。」

「トム!え、怪我は……治ってる!?」

「お母さんが魔法かけてくれたんだから当然でしょ?」

「え、いや……それはそうなんだけどね?」


 エリザベスは困惑していた。適性のない回復魔法であること、そして魔法が拒絶されやすい此方の世界ではトーマスが助かる見込みは限りなく低かった。だというのに、今目の前に居る息子は何事もなかったかのようにケロリとしている。


「ト、トーマス君。よがっだよ゛〜!」

「え、うわっ!杏ちゃ……!?」


 すっかり元気になったトーマスに、杏は泣きながら抱きついた。その様子を微笑ましく思いながら、エリザベスは考える。


 魔法の効果が強まったのは、杏がトーマスの手を握って呼びかけた時だ。


「(癒しの魔法の効果が格段に上がった。そんなもの、古の時代の聖女くらいじゃ……)」


 初めて杏と出会った時から、その身に秘めた魔力の大きさには気が付いていた。この世界では全く必要とされない力だ。


「(けれど、そのお陰でトムは助かった。)」


 そもそも聖女が覚醒するのは世界が滅亡の危機に陥った時とされている。もし仮に杏が聖女としての素質を持っていたとしても、この世界では目覚めることはないだろう。



 

「(こっちの世界に魔王が誕生することはないものね。)」


 トムと杏が無事だった。今はそれだけで良い。杏に抱きつかれて顔を真っ赤にした息子を見ながら、エリザベスはホッと一息を吐いたのだった。






 あれから1ヶ月が経った。トーマスと杏は穏やかな日々を過ごしている。




 あの後は大変だった。まずトーマスは両親とそれから杏の両親にまでしこたま怒られた。杏を助けたい気持ちは分かるが1人で飛び出すな、と。実際に死に掛けたのだから、皆が怒るのは当然だった。


 そしてもう1つは、魔法を使ったことだ。母から魔法を禁止されていたが、トーマスはこっそりエリザベスの部屋に忍び込んで独学で魔法を学んでいた。だからこそ探索魔法で杏の居場所を突き止め、部屋の鍵も魔法で開けられたのだが。それが今回の一件でバレてしまった。


 特に魔法を知らない佐藤家に説明しなければいけなかったのが大変だったらしい。杏の話や実際にエリザベスが魔法を使ってみせたことで信じて貰えたようだ。経緯はどうであれ、杏が無事ならそれで良い。助けてくれてありがとう、と杏の父に言われて嬉しかったのは此処だけの秘密だ。

 

 因みに杏を攫った男は、エリザベスによって治療された後に警察に突き出された。山田親子を指差して魔女だの化け物だの言っていたが、当然信じて貰える訳もなく。以前から幼い少女の写真を隠し撮りするなど前科があったようなので、当分は娑婆に出てくることはないだろう。もし再び杏の前に現れた日には、それがそいつの命日になるに違いない。






「トーマス君、おはよー!」

「おはよう。」


 不審者は逮捕されたのでもう1人で帰っても大丈夫ではあるが、あの日以来トーマスと杏は登下校を共にしている。周りからは過保護では?なんて言われるが、それでもトーマスは一緒に居ることを選んだ。……もうあんな思いをするのは御免だから。


「トーマス君、トーマス君……」

「何、どうしたのさ。突然名前連呼しないでよ。」


 いつも通りの通学路。2人で歩いていると、杏が考えごとをしながら呟いた。

 

「あ、えっとね。何かトーマス君って呼び辛いなぁって。」

「あー……。」


 言われてみれば、元々この国では馴染みの無い名前であることもあって少し呼び辛いかもしれない。そもそも前の学校では友だちが居なかったので、名前で呼ばれることもあまり無かった。


「じゃあ、トム?……いや。トムはちょっとやだな。」


 両親は愛称でトムと呼んでいるが、杏に呼ばれるのはなんかこう違う気がする。


「うーん、でも渾名考えるの難しいかも。トム、とむ、とむ……」

「トムから離れてよ……。」


 再び杏がぶつぶつと呟きながら歩いていると、突然立ち止まった。


「あ。」

「どうしたの?何か思い付いた?」


 トーマスが尋ねると、杏は満面の笑みで此方を見つめる。あの時怖いと感じた真っ直ぐな瞳は、今は全く怖くない。あの時そう感じたのは、きっとあんな風にトーマスを見つめてくれた人が家族以外では初めてだったからだ。



 

「『ツトム』ってどうかな?」






 その日の放課後。トーマスは家に帰ると直ぐに母の元へと駆け寄った。エリザベスは丁度洗い物中だったので、彼女の背後からトーマスは話しかける。


「ただいま!」

「あらお帰りトム。どうしたのそんなに慌て……」

「お母さん、魔法教えて。」

「……えっ。随分と久しぶりに聞いたわね、その台詞。」


 エリザベスは洗い物の手を止めた。


 こっそり魔法を練習していたとはいえ、あの事件以降トーマスが魔法を使ったことはない。わざわざエリザベスに教えを請うということは……。


 エリザベスが振り返ると、そこに居た息子を見て納得した。




「杏ちゃんを、守れるようになりたいんだ。」

「あらあら。」


 


 顔を真っ赤にしながら真剣に話す息子を見て、エリザベスは顔がニヤけそうになるのを必死に堪える。


「(ちゃんと守りたい大切な人を見つけたのね。)」


 息子の成長を心の奥底で喜びながら、エリザベスはトーマスと目線を合わせる。


「……分かったわ。教えてあげる。ただし!前にも言ったけれど、魔法は人を傷つけるものじゃない。だから、貴方に教えるのは誰かを助けられるようなちょっとした魔法だけ。それでも良い?」


 本来この世界には魔法なんて必要ない。だから、本当に誰かを守りたいのなら格闘術やらをやらせた方が良いのだろう。しかし、あの時杏が見せたあの力。この世界には、エリザベス以外にも魔法に精通する人間はごまんといる。もしそんな人間に目を付けられたら、きっと魔法無しでは対抗できない。


 エリザベスの言葉にトーマスはこくりと頷いた。あの泣き虫トムが随分と逞しくなったものだ。エリザベスは感慨に浸りながら、にっこりと笑う。


 


「それじゃあ早速、魔法の基礎から学びましょうか。」






 その日、トーマス――()()()は魔法使いになった。

杏の家族は次の章で再登場させたいなぁ……。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ