Ⅴ.演技指導
「はーい、こっちに目線ください!」
「剣斗さん、星川さんにもう少し寄ってください」
メイクをして、準備された衣装に袖を通し、ビジュアル撮影が始まった。
真っ白なバック紙の前。
大型の照明が並ぶスタジオに、絶えずシャッター音が響いている。
「いいですねー!」
「剣斗さん、もう少し肩の力抜いてみましょう!」
「は、はい……」
ぎこちなく返事をした剣斗の肩が、わずかに上がっていた。
普段ステージでは堂々としているのに、こういう撮影は勝手が違うらしい。
「初々しくていいねぇ」
スタッフが笑う。
「いや、マジで緊張するんですけど……」
剣斗は困ったように頭をかいた。
その姿が少し意外で、ゆずは思わず笑ってしまう。
「星川さん、いい感じです!」
「そのまま剣斗さん、星川さんを見つめてくださーい!」
「えっ、あ……はい」
視線を向けると、星川ゆずと目が合う。
近い。
照明の熱と、慣れない距離感に心臓が落ち着かない。
「剣斗さん、肩抱いてみましょうか!」
「え!?」
「自然で大丈夫なんで!」
「自然って言われても……」
剣斗が小声で呟く。
けれど意を決したように、そっとゆずの肩へ手を回した。
その瞬間、今度は剣斗の方が目を逸らす。
「ちょ、待って無理、近っ……」
「剣斗くんの方が緊張してるじゃん」
ゆずが小さく吹き出した。
「いやだって、演技とか初めてだし」
「ライブの時あんな余裕あるのに?」
「それとこれ違うんだって……」
カシャッ、カシャッ⸻
自然に笑い合った瞬間を、カメラマンが逃さず撮る。
「今のいい!!」
「二人、空気感めっちゃいいですね!」
スタッフ達が盛り上がる中、剣斗は耳まで赤くしていた。
その時。
「お疲れ様です!」
「Suiさん入りまーす!」
スタジオ入口の方が少し騒がしくなる。
黒いパーカーにキャップ姿のSuiが、スタッフに案内されながら通路を歩いていた。
別スタジオでの仕事らしい。
何気なくこちらへ向いた視線が、ふと止まる。
⸻肩を寄せ合う、ゆずと剣斗。
剣斗はまだ少し照れたまま、ゆずの肩に手を置いている。
一瞬だけ、Suiの目が細くなった。
「……」
けれど何も言わない。
そのまま静かに視線を外し、スタッフと共に奥へ消えていった。
なのに。
たったそれだけの沈黙が、妙に胸に残った。
ビジュアル撮影が終わり、控室に戻る。
「お疲れ様です、剣斗さん」
マネージャーが分厚い冊子を差し出した。
「これ、決定稿です。とりあえず1〜3話。」
「うわ、重……」
パラパラとめくる。
自分の名前の横に並ぶ大量の台詞。
急に現実味が押し寄せてきた。
「あと、明後日から演技レッスン入りました。」
「え?」
「事務所が先生つけました。」
「マジ?」
びっくりして、顔を上げる。
「初ドラマなんだから当たり前です。現場入ってから地獄見るよりいいと思います。」
「……うわぁ」
マネージャーの久山は苦笑しながら続けた。
「監督、剣斗さんの“素っぽさ”気に入ってるらしいですが。最低限できないと撮影止まるからって充さんが。」
「怖いこと言うなって……」
そう言いながら、再び台本へ視線を落とした。
どんどんと予定が埋まっていく…
年明けはツアーと新曲発売だけの予定だった。
亜紀との約束…
でも、もらった仕事はきっちりやらないと。
さっきまでの撮影とは違う緊張が、じわじわと広がっていく。
翌々日⸻
都内の小さなスタジオ。
鏡張りの部屋に、折りたたみ椅子と簡易な机が並んでいる。
「じゃあまず、台本読んでみましょうか」
演技講師の声に、剣斗は小さく息を吸った。
机の上の台本。
1ページ目の自分のセリフを目で追う。
「……えっと」
声に出した瞬間、自分でも違和感があった。
「もっと自然にいきましょうか」
講師が穏やかに言う。
「自然って言われても……」
剣斗は小さく笑ってごまかした。
隣で見ていたマネージャーの久山が、ため息をつく。
「剣斗さん、それライブの“煽り声”になってます」
「え、そう?」
「全然違います」
部屋が少しだけ笑いに包まれる。
でも次の瞬間、講師の声が少しだけトーンを変えた。
「剣斗さん、感情を“作る”んじゃなくて、“思い出す”んです」
「思い出す……?」
「例えばこのセリフ。相手に言われて一番悔しかった時を、引っ張ってくる」
剣斗は黙った。
悔しかった時。
ステージで失敗した時。
デビュー前に言われた言葉。
いくつか浮かぶのに、どれも上手く重ならない。
「……難しいっすね、これ」
正直に言うと、講師は少しだけ笑った。
「最初はみんなそうです」
その時だった。
「すみません、遅れました」
スタジオのドアが開く。
視線がそちらに向く。
ゆずだった。
「すいません、別の打ち合わせ押しちゃってて……」
軽く頭を下げながら中に入ってくる。
剣斗と目が合う。
「……あれ、剣斗くんもレッスン?」
「うん。今日から」
「そっか」
何気ない会話なのに、少しだけ空気が変わる。
講師が手を叩いた。
「じゃあ、ちょうどいいですね。ペアでやってみましょうか」
「え?」
剣斗の声が裏返る。
「台詞、相手にちゃんと“届く”かどうか見たいので」
ゆずが小さく首をかしげる。
「……私、相手役?」
「はい」
一瞬の沈黙。
剣斗は台本を握り直した。
さっきまで“分からなかった感情”が、急に目の前に立った気がした。
「じゃあ、そのセリフいきましょうか」
講師の声に促され、剣斗は台本を持ち直した。
ゆずが少し離れた位置に立つ。
「じゃあ、始めます」
一度目の呼吸。
セリフを口にした。
「……なんで、そんなこと言うんだよ」
言葉は出る。
でも、空っぽだった。
講師が静かに言う。
「もう一回。今のは“声を出しただけ”です」
悔しくて唇を噛んだ。
「……すみません」
視線を落とす。
ライブなら、自然に出る感情があるのに。
ここでは、それが出てこない。
“なんでだよ”
もう一度心の中で繰り返す。
その瞬間だった。
ふと、浮かんだ。
⸻亜紀。
そう。
俺は母親と縁を切ってでも亜紀と居たいって言ったら…亜紀が怒った時のこと⸻
煌の事件があった後、
「賢、距離を置こう。」
と、亜紀に言われた時のこと⸻
あの時、分かったとしか言えなかった自分。
どうしようもなく、悔しかった感覚。
胸の奥がきゅっと締まる。
剣斗は小さく息を吸った。
「……なんで、そんなこと言うんだよ」
今度は、少しだけ違った。
声が震えたわけじゃない。
でも、言葉の奥に“重さ”があった。
空気が変わる。
講師が目を細めた。
「今のです」
ゆずが小さく瞬きをする。
「今の、急に……空気変わったね」
剣斗は自分でも分からなかった。
ただ、さっきまで届かなかった言葉が、ほんの少しだけ“誰かに向いた”気がした。
講師が静かに頷く。
「それでいいです。今の“記憶”を使えれば、演技になります」
剣斗は台本を見つめたまま、小さく息を吐いた。
(これが、演技か……)
まだ分からない。
でも、少しだけ掴めた気がした。




