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a trick of destiny Ⅲ -運命の悪戯 3-  作者: 樋山 蓮


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Ⅳ.帰ってくる場所






「亜紀、久しぶりー!」

「悠奈!」

就活のために軽音部を引退してから、もう一年だ。


「就活でなかなか会えなかったもんね。教採合格おめでとう!」

「ありがとう!悠奈も内定おめでとう!テレビ局なんだって?」

「うん。テレ日のね!」

悠奈がテレビ局のスタッフとして春から働くと、泉や圭吾から聞いていたが、テレ日とは初耳だった。


「そうそう!Z∅REQUIEMだっけ?ユ・ナンのエンディングで流れてるよね〜!」

「決まった時、詳しくは教えてくれなかったんだけど、まさかユ・ナンとは思わなくて。お父さんは鼻高々に自慢してるよ。」

「分かる。あれ毎週流れるし、影響力すごいもん。」

「賢も、親戚にまで“見たぞ”って連絡来るらしいよ。」


「剣斗くんとは順調なんだね?」

「あ、うん…。」

悠奈に順調?と聞かれて、以前より忙しくなった賢との関係は上手くいくのかとずっと悩んでいた自分を思い返した。




「でも、剣斗くん、Z∅REQUIEMで最近さらに売れてるでしょ?会えてるの?」

悠奈が少し身を乗り出す。


「前よりは減ったかな…。Z∅REQUIEMと並行してDIM-TAMのツアーもレコーディングもあるし。」

「だよねぇ。ユ・ナンのエンディングになってから、一気に見つかった感じする。」

「うん……びっくりした。」

「DIM-TAMのこと雑誌で初めて見た時から、“この人絶対売れる”って思ってたけど。」


悠奈は昔から玲架のファンだった。


大学三年の頃、

悠奈に誘われて行ったインストアイベント。


そこで、幼馴染の翼――玲架と再会して、DIM-TAMのみんなと仲良くなった。



「まあ、その時は亜紀が剣斗と付き合うとは思わなかったけど。」

「私も思ってなかったよ。」


苦笑すると、悠奈も笑う。


「でも、亜紀、ちょっと寂しそう。」

「え?」

「亜紀、昔から分かりやすい。」


図星だった。


忙しくなるのは分かっていた。

応援したい気持ちも本当だ。


だけど、

ライブ映像の中の剣斗を見るたび、

自分の知らない世界へ進んでいく気がしてしまう。


「なんか最近、“彼女”っていうより、“ファン”みたいになる時があるんだよね。」

賢からもらった婚約指輪も、まだ机の中にしまったままだ。


箱を開けるたび、

嬉しさより先に、

少しだけ怖くなる。






「じゃ、またね!」

「卒業旅行楽しみにしてる!」


駅へ向かう悠奈に手を振って、

亜紀は一人、反対方向へ歩き出した。


十二月の冷たい風が頬を撫でる。


バッグの中で、スマホが小さく震えた。


⸻賢からだ。


画面に表示された名前を見つめながら、

亜紀は立ち止まる。




『今日、巻きで終わった。

 今から会えない?』


短いメッセージ。


ほんの少し前まで、

会えないことに慣れようとしていたのに。


画面を見るだけで、胸が苦しくなる。













賢のマンションに着いたが、まだ賢の車はなかった。


途中で立ち寄った近所のスーパー。

賢の好きなオムライスを作ろうと買った食材の入ったレジ袋を片手に、亜紀は合鍵でロビーのオートロックを開ける。



少し乱れた賢の部屋の中。


ソファには脱ぎっぱなしのパーカー、

ローテーブルには飲みかけのエナジードリンク。


あんなに綺麗好きな賢が、珍しい。


それほど、忙しくて仕方がないんだろう。





何ヶ月ぶりだろう⸻

賢の家でご飯を作るのは。



お米を洗い、炊飯器のスイッチを入れた。


少し散らかった部屋を軽く片付けた。


玉ねぎをみじん切りにして、鶏肉を小さくカットして、卵をいくつも割って一生懸命かき混ぜた。


きっと、疲れて帰ってくるだろうから、出来立てを食べさせたい⸻


そんな思いだった。



炊き立てのご飯を使ってケチャップご飯を作っていると、 


ガチャ、と扉が開く音が聞こえた。




「亜紀⸻ただいま。」

「お帰りなさい。」

台所でオムライスを作っている私の元に近寄り、台所の脇に荷物を置いてすぐに賢はわたしのことを後ろから抱きしめた。


「何やってるの?」

「久々に会えたから充電中〜」


火を止めて、賢の方を向くといつにもなく疲れている顔をしていた。


「……亜紀。」


名前を呼ぶ声が、いつもより少し掠れていた。


賢はそのまま、私の肩に額を預ける。


「……疲れた。」

「うん。顔見れば分かる。」


くすっと笑って言うと、賢は小さく「だよな」と笑った。


わたしの背中に回された腕に、力はない。

それなのに、離したくないみたいに強く抱き締められている気がした。


「座ってて?もうすぐできるから。」

「やだ。」

「え?」

「このままがいい。」


子どもみたいな言い方。


忙しくなる前の賢は、いつも平気そうな顔をしていた。


弱音なんて吐かない。

会えなくても、“大丈夫”って笑っていた。


でも今は違う。


背中越しに伝わる体温も、掠れた声も、

全部が“限界だった”って言っているみたいだった。


「……ちゃんと寝てる?」

「寝てない。」

「即答しないでよ。」


思わず振り返ると、賢は困ったように笑った。


「帰っても、一人だと気抜けなくて。」

「……。」

「今日、亜紀に会ったら、なんか安心した。」


その言葉が、胸に刺さる。


会えないことに慣れようとしていた。

仕事だから仕方ないって、自分に言い聞かせていた。


でも。


こうして抱き締められるだけで、

“会いたかった”が全部溢れてしまう。


「賢が大好きなオムライス、もうすぐできるよ。」

「じゃあ、食べる。」

「うん。」


そう言って離れようとした瞬間、

賢はもう一度だけ、ぎゅっと抱き締めた。


「……亜紀。」

「なに?」

「来てくれて、ありがと。」


耳元で落ちたその声があまりにも優しくて、

泣きそうになるのを誤魔化すように、私は小さく笑った。


「どういたしまして。」


オムライスが出来上がると、賢は「うまそ……」と力の抜けた声を漏らした。


「ちゃんと座って。」

「はーい。」


いつもなら味見だなんだとつまみ食いをするのに、今日は大人しく椅子に座っている。


その姿だけで、どれだけ疲れているのか分かってしまった。


亜紀は出来上がったオムライスをテーブルへ運ぶ。


ふわふわに焼いた卵。

ケチャップで小さく書いた“おつかれさま”。


賢はそれを見るなり、ふっと笑った。


「何これ。」

「サービス。」

「かわい。」

「食べなさい。」


「いただきます」と手を合わせた賢は、一口食べた瞬間、ゆっくり息を吐いた。


「……やば。」

「え、失敗した?」

「逆。めちゃくちゃうまい。」


その言い方に、亜紀は思わず笑ってしまう。


賢は黙々と食べ進めながら、ときどき「うま……」と呟いた。


まるで、ようやく張り詰めていた糸が緩んだみたいに。


その様子を向かい側で見ながら、亜紀の胸は静かに締め付けられる。


ちゃんと食べて、

ちゃんと眠って、

少しくらい甘えてくれたらいいのに。


きっとこの人は、一人だと全部後回しにしてしまう。


「……亜紀。」

「ん?」

「今日、来てくれてほんと正解だった。」


賢はスプーンを置いて、ふっと目を細める。


「最近、ずっとロケ弁かコンビニだったから。」

「やっぱり。」

「バレた?」

「部屋見れば分かる。ろくなもの食べてなさそう。」


ソファに脱ぎっぱなしの服、

シンクに置かれたままのグラス、

乾ききった空気。


以前なら絶対にこんな部屋にしなかった。


「……ごめん。」

「なんで謝るの。」

「余裕なくて。」


亜紀は少しだけ目を伏せる。


会えなかった時間。

寂しかったのは自分だけじゃなかったのかもしれない。


そう思った瞬間、

賢がぽつりと呟いた。


「……今日、亜紀の顔見た瞬間、帰って来れたって思った。」



食べ終わった後、賢はソファーに深く身体を沈めた。


片腕で目元を覆ったまま、長く息を吐く。


「……生き返った。」

「大袈裟。」

「いやほんと。ここ数日で一番ちゃんとしたご飯だった。」


テーブルの上の食器を片付けながら、亜紀は小さく眉を寄せた。


「そんな忙しいの?」

「んー……まあ。」

「寝れてないんでしょ。」

「まあ。」

「ちゃんと家帰ってる?」

「……まあ。」


全部同じ返事。


亜紀は呆れたように笑いながら、スポンジを握る手に少し力を込めた。


後ろから、ソファの軋む音がする。


「亜紀。」

「なに?」

「こっち来て。」


甘えるような声。


振り返ると、賢はソファの背にもたれたまま、眠たそうにこちらを見ていた。


その顔があまりにも無防備で、

亜紀は「あとちょっとだけ」と言いながら洗い物を終わらせる。


水気を拭いてリビングへ戻ると、賢はぼんやり天井を見上げていた。


隣に座った瞬間、

待っていたみたいに腕を引かれる。


「わっ……」


そのまま、亜紀は賢の胸元へ倒れ込んだ。


「……充電。」

「また?」

「足りない。」


低く掠れた声が、頭の上で小さく笑う。


賢の心臓の音が近い。

規則的で、ゆっくりで、

それだけで少し安心する。


「……ねえ、賢。」

「んー?」

「ちゃんと休まないと倒れるよ。」

「亜紀がいる日は休める。」

「それ、解決になってない。」


くすっと笑うと、

賢は亜紀の髪に顔を埋めるようにして、小さく呟いた。


「……もうちょい、このまま。」


その声は、

仕事場で見せる完璧な姿とはまるで違っていて。


亜紀だけが知っている、

弱くて、甘えるみたいな賢だった。



「……風呂、入る。」

「先入ってきなよ。」

「一人やだ。」


ソファに沈んだまま、賢は亜紀の服の裾を掴む。


「子どもみたい。」

「今だけ。」


そんなやり取りをしながら、一緒に浴室へ向かう。


湯気の立ち込める浴室。

熱いシャワーを浴びた瞬間、賢が「はぁ……」と深く息を吐く。


その声に、

どれだけ張り詰めていたのかが滲む──




風呂から上がると、賢は濡れた髪のままソファへ倒れ込んだ。


「ドライヤーして。」

「自分でやって。」

「無理。充電切れ。」


呆れながらも、亜紀はドライヤーを手に取る。


温風が賢の髪を揺らす。

その間、賢は静かに亜紀の腰へ腕を回していた。


「……眠そう。」

「眠い。」

「じゃあ寝れば?」

「でも、まだ亜紀が足りない。」


そう言って見上げてくる目が、

仕事中には絶対見せないくらい甘くて。


ドライヤーを止めた瞬間、

賢が亜紀の腕を引いた。


「……わっ」


そのままソファへ倒れ込む。


近い距離。

触れ合う熱。

風呂上がりの柔らかい匂い。


「……会いたかった。」


低く落ちた声と一緒に、

賢の指がそっと頬を撫でる。


キスは、驚くほど優しかった。


確かめるみたいに、

離れていた時間を埋めるみたいに



「……亜紀。」


耳元で落ちた賢の熱い声に、心臓が跳ねる。


抱き寄せられたまま、ゆっくりソファへ押し倒される。


賢の乾かしたばかりの前髪が頬に触れた。


「……だめ。」

「何が?」

「その顔。」


近すぎる距離で見つめられて、

亜紀は思わず視線を逸らす。


疲れているはずなのに、

今の賢の目はずるいくらい甘かった。


「会えなかった分、補給したい。」

「……充電じゃなかったの?」

「足りなくなった。」


くすっと笑う声と一緒に、

唇がまた触れる。


優しいキス。


なのに、

触れられるたびに熱が広がっていく。


賢の指が、髪を梳くように首筋へ触れた。


「……亜紀、いい匂い。」

「お風呂入ったばっかだからでしょ。」

「それだけじゃない。」


低い声が近すぎて、

息をするだけで苦しくなる。


離れていた時間を埋めるみたいに、

賢は何度もキスを落とした。


急ぐわけじゃない。


ちゃんとここにいることを、

互いに確かめ合うみたいに。






「……今日は、離したくない。」


掠れた声と一緒に、

賢がもう一度亜紀へキスを落とす。


その熱に応えるように、

亜紀はそっと賢の背中へ腕を回した。


久しぶりに触れる体温は、

思っていたよりずっと温かくて。


離れていた時間を埋めるみたいに、

二人は静かに互いを求め合った。


窓の外では、深夜の街の灯りが静かに揺れていた。













薄いカーテンの隙間から、朝の光が静かに差し込んでいた。


目を覚ました亜紀は、ぼんやり天井を見上げる。


すぐ隣から、規則正しい寝息が聞こえた。


「……賢。」


小さく名前を呼んでも、返事はない。


昨夜、あれだけ「眠い」と言っていた賢は、亜紀を抱き込んだまま深く眠っていた。


こんなに無防備な寝顔を見るのは久しぶりかもしれない。


少し伸びた前髪。

疲れの残る表情。

それでも、眠っている今だけは穏やかだった。


起こさないようにそっと腕を抜け出し、亜紀はベッドを降りる。


リビングへ向かうと、昨夜片付けきれなかった仕事の資料がテーブルに広がっていた。


端には飲みかけのエナジードリンク。


開きっぱなしのノートPC。


「……ほんとに、ちゃんと休んでなかったんだ。」


胸が少し痛む。


会えない時間、

寂しかったのは自分だけだと思っていた。


でもきっと、

賢もずっと余裕がなかった。






静かな部屋でコーヒーを淹れていると、

寝室の方からスマホのバイブ音が響いた。


一回。


二回。


三回。


こんな朝早くから——。


気になって寝室を覗くと、

ベッド脇のスマホ画面が何度も光っている。


そこに表示されていた名前を見て、

亜紀は小さく息を呑んだ。


『久山マネージャー』


それも、一件ではない。


通知欄には、

着信履歴とメッセージがいくつも並んでいた。


──至急連絡ください

──ドラマの仕事が決まりました


その瞬間。


ベッドの上の賢が、ゆっくり目を開けた。





「⸻亜紀。」

「おはよう。ゆっくり眠れた?」

「うん。」


賢はまだ少し眠たそうな顔のまま、ベッドに座り直した。


その視線が、亜紀の目線の先にあるスマホへ向く。


画面に並んだ通知を見て、賢は小さく息を吐いた。


「……見た?」

「ごめん、音がずっと鳴ってたから。急用だったら起こしたほうがいいかと思って。」


「ありがとう。」


そう言いながらスマホを賢に手渡す。


通知を開いた瞬間、

賢の表情が少しだけ変わった。


眠気が消えていく。


仕事の顔だ。


「ドラマ?」

亜紀がそっと聞くと、賢は画面を見たまま頷いた。


「この前作った『Last Chronicle』、あったじゃん。」

「……うん。」


Z∅REQUIEMの新曲。


アニメ主題歌として発表されてから、

業界内でもかなり話題になっていた。


「その曲を聴いたプロデューサーが、かなり気に入ったらしくて。」


賢はメッセージを確認しながら、小さく息を吐く。


「次のドラマの楽曲、DIM-TAMにお願いしたいってオファー来た。」


「え……すご。」


「本当はZ∅REQUIEMにしたかったんだろうけど、期間限定だってSuiさんの事務所に断られたらしくて。」


亜紀が目を丸くすると、賢は少し困ったように笑った。


「……で、そこまでは良かったんだけど。」


「?」


「打ち合わせで顔出したら、“相手役やらない?”って言われた。」


「……え?」


一瞬、意味が分からなかった。


「主演、星川ゆず。」

「えっ、あの星川ゆず!?」


「うん。で、相手役が急遽降板したらしくて。」


賢は片手で前髪をかき上げる。


「演技、やったことないよね……?」

「ない。」


賢は即答した。


「演技経験ないって言ったんだけど、“あの曲作れる人間の表情を撮りたい”って。」


「だから現場、多分かなり賭けてる。」


そう言いながらも、

その目には少しだけ高揚感が滲んでいた。


冗談みたいな話なのに、

賢の表情を見る限り、本当らしい。




部屋が静かになる。


ライブ中の剣斗は、

時々ぞっとするくらい目を引く瞬間がある。


感情をぶつけるタイプではないのに、

なぜか視線を奪われる。


だからこそ選ばれたのかもしれない。


でも⸻




「それで、急遽顔合わせとビジュアル撮影。」

「今日から?」

「今日から。」


昨日やっと会えたばかりなのに、

もう仕事が賢を連れて行こうとしている。


そんなことを思ってしまって、

亜紀は何も言えなくなる。


すると賢は、返信の手を止めて亜紀を見上げた。


「……そんな顔しないで。」

「してない。」

「してる。」


小さく笑った賢は、ベッドの端に座る亜紀の腕を軽く引いた。


「ちゃんと帰ってくるから。」


その言葉が、

約束みたいで。


でも芸能界の“ちゃんと”なんて、

簡単に崩れることをわたしはもう知っていた。






その後、賢の仕事はますます多忙になり、

お正月に結婚の挨拶をする計画も崩れていった。





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