引ったくり
水地流、というよりも日本古武道の考え方の一つとして、重心を全身の力で崩すというものがある。
人間は手を出す時、例えば相手に掴みかかるとき、腕の力だけしか使っていない。
それに対し、受ける側、技をかける側が足を入れて全体重をかけることで相手を崩すことができる。
赤羽陽美香は咄嗟にポシェットを取られまいと、全体重をかけ、下に蹲った。
男は、奪う側の心理として逆に引っ張られることは想定しても、その物体の力が下に流れることは想定していなかった。
ゆえに、ものの見事にフルフェイスのヘルメットを被った男は転倒し、地面を転がった。
通行人の視線が集まり、静寂が辺りを包みこむ。
「……ごめんなさい」
陽美香がそう呟くと同時、勇美と大和が陽美香の手を取って、すぐさま駅口から地下鉄の駅構内に降りていく。
戸惑った様な陽美香の叫びが通路に響く。
「え? 何で逃げるの?」
「逆上されたらまずいからだよ!」
「相手がナイフ持ってたらどうするんだ馬鹿!」
二人に言われ、陽美香は思わず叫び返す。
「だってお財布入ってたんだもん!」
「分かるよ! 咄嗟だったんだよな! 今はとりあえず離れろ!」
勇美はそう叫ぶと、後ろをちらりと見る。
追ってきている。
三人は走ると、駅の改札口に駆けこむ。
男は何も持っていなかったのか。バーに行方を阻まれる。
「落ち着け!!」
大和の大声が地下の構内に響く。
「もうじき警察が来る! とっとと逃げた方がいいんじゃないのか!?」
剣道仕込みの大喝に冷静さを取り戻したのか、男は陽美香の方をじっと見つめる。
短く悲鳴を上げる陽美香を覆う用に、勇美が前に出る。
そこで、男は刃渡り十五センチほどのナイフを取り出した。
「んなガキに馬鹿にされて引っ込んでられるかよ!」
そう叫ぶと、男はバーを飛び越えた。
「……そうか、なら仕方ねえ」
言うと、大和はベルトから折り畳み式の警棒を抜き放ち、構える。
「アンタ何でそんなもんもってんの!?」
「護身用だ」
陽美香の叫びに努めて冷静に言葉を繋げる。
(素人だな……)
ナイフを出したものの、警棒を見て腰が引けている。
体の正中線を隠そうともしていない。
大和はナイフを持った手に警棒の一撃を一閃。
落とされたナイフを遠くへ蹴飛ばす。
後ろを向いた男の股間に蹴りを一撃。
もんどりうって倒れる男の鳩尾に飛び膝蹴りを落としいれる。
男は吐しゃ物をヘルメット内にぶちまけ倒れた。
あっさりとした制圧劇に周りから拍手が起きる。
大和は手を上げてそれらを制し、駅員に頼む。
「すいませんが、通報をお願いします」
大和はそう言った後、自分の防人である水上と雄大に報告しようと携帯を取る。
また風雅からメッセージが来ていた。
すると、男がポケットから何かを取り出すのが見えた。
それは小さな瓶だった。
その中に入っていた液体を震える手で飲み干す。
「おい! 何してる!」
変化は劇的だった。
男の体がすぐさま隆起し、体が一回り大きくなった。
服は破け、目は血走り、口は荒々しく曲がり、圧力がたまらなく大きくなる。
大和はすぐさま察知した。
「これは……異能?」
男はけたたましい叫びをあげたまさに猿叫であり、耳を塞ぎたくなる。
携帯電話が落ちる。
(名古屋に出回った薬の名は、Lotus(蓮))
風雅のメッセージに、遅えよと呟いた。
男が腕を振るい地面に叩きつけると、それだけで直径50センチほどのクレーターを開け、地響きが地下構内を揺らす。
明らかに人の身を外れている。
大和は黒い刀を出す。
だが、一手遅かった。
男は地を跳ねると、天井を跳ねて陽美香を狙う。
速い。
間に合わない。
「赤羽!」
陽美香は、それでも目を離さず、男を睨みつけた。
男は嗜虐の笑みを陽美香に向け。
勇美の紫炎が空を舞った。
はたから見れば、勇美がただ叩いたようにしか見えなかっただろう。
それだけで男は改札口を吹き飛ばし、柱に激突し、気を失った。
男は弾丸のような速さだった。
それを瞬時に殴り返した井上勇美。
あまりの破壊の跡に、化け物をみるような目で皆が勇美を見る。
やってしまったという風に勇美は天を仰いだ。
大和もどうしようかという風に、勇美と陽美香を見比べる。
ふと大和は化け物を見るように見た母親を思い出す。
ふと勇美は化け物を見るように見た兄妹を思い出す。
だが、陽美香は勇美を恐れることはなかった。
後ろから陽美香が近づいてきて、勇美に抱き着く。
「イサミン。大丈夫? ケガない?」
陽美香はそう言って抱き着く。
勇美は戸惑った様に、抱きしめ返す。
「ごめんね。私が余計なことをしたから、ごめんねえ」
そう言うと、青色の瞳からポロポロと大粒の涙が零れた。
戸惑うように逡巡し、だがしっかりと陽美香を抱きしめた。
「大丈夫、あんたは何にも悪くないよ」
言って、ポンポンと陽美香の頭を撫でる。
「でも、でもぉ……」
なおも泣きじゃくる陽美香を窘めるように勇美は彼女の頭を何度も撫でた。
警察が来るまでずっと、金色の髪の毛を撫でていた。
ここは警察署の一室、陽美香はふんぞり返って勇美と大和に問う。
「説明してもらいます!」
「ですよねえ」
陽美香の威圧感にも思わず納得という様子の勇美。
大和は腕組みして、陽美香を見つめる。
何せ、思いっきり人間とは思えない力で成人男性を吹き飛ばしてしまったのだ。
説明するなという方が無理がある。
「イサミンがなんか隠してるなあとは思っていたけど、今日のではっきりしたわ! 教えなさい!」
「あ、違和感は感じてたわけね」
勇美の問いに、陽美香はしょんぼりとする。
「そりゃあ気づいてたよ。イサミンとクシヤマが何か別のものが見えてるってことくらい。
けれどいつか教えてくれるかなって思ってた」
陽美香の答えに大和と勇美は顔を見合わせる。
確かに、6年以上付き合ってボロが出ないとは思っていなかったが、思った以上に聡い少女だった。
「あの男、絶対普通じゃなかった。そんで、イサミンの何かこう、見えざるパワーっていうのが、ああいうのにだけ効果を発揮するんでしょ?
じゃなきゃ五年生の時に襲われたり、中一の時の喧嘩したりの時に、使ってるはずだもん」
思った以上に本質を捕らえた発言に、勇美は観念した。
大和もまた頷く。
「実は……」
「はいはい、そこまでー」
一室に入って来たのは岩倉風雅と井上雄大、そして。
「「アマテラス」」
「ようおぬしらひさしぶり、がんばっているようでわらわはうれしいぞ」
アマテラスの茫洋とした話しぶりに、大和と勇美は身構える。
それを制し、明るい髪の少年、風雅は陽美香を見据えて言う。
「ちょっとそこの女の子には悪いんだけど、記憶を消させてもらいます」
風雅の放つ言葉に陽美香は異議を申し立てる。
「ちょっと何それ! ロボトミー手術でも受けさせる気!?」
「いや違うよ、発想怖いな。アマテラスの能力で、日本にいる人間であればだれでも記憶を消せるんだよね。ていうかフルフル騒ぎの時もそうしたし」
あの神話級の戦いの後始末をできたのは、アマテラスの力に他ならない。
日本であるならば万能に近い権能を彼女は持つのだ。
「何それ、そんなチート能力あるのその女の人。何かこう、この世のものとは思えない美人さんだけど」
「ふふ、うれしいのう。じゃが、ふむ」
アマテラスはじっと陽美香を見ると、何か納得したように、その平安貴族のような和服を翻す。
「え、あのーアマテラスさん」
風雅の戸惑った声に、アマテラスは笑って断る。
「やはりやめた。そのむすめのきおくはいじらぬ」
「はあ!? ちょっとどういうことですか天照大神さま!? 勘弁してくださいよー!」
風雅は焦ったようにアマテラスに詰め寄る。
だが、アマテラスは意味深に笑うのみ。
「そのむすめ、あかばねひさなのむすめよな。であればじゅうぶんのりてになりうる」
そう言うと、陽美香は驚いたようにアマテラスに聞く。
「お母さんを、知ってるの?」
アマテラスは意味深に笑うと、そのまま扉を通り抜け消えてしまった。
風雅はポリポリと頭を掻くと、向き直る。
「えっとお、とりあえず、自己紹介しない? 俺岩倉風雅。京都から来ました。よろしく!」
「銀河系美少女の赤羽陽美香です。井上勇美の親友と釧灘大和の天敵やってます。よろしく」
「おい」
大和のツッコみを無視して陽美香は風雅に近づくと、頬をつねった。
風雅の美貌が間抜けに歪む。
「いひゃいいひゃい」
「よくも人の記憶を消そうとしたわね。これがもみ消しって奴なの? 大人の汚さに染まってしまったの?」
「誤解だって、勇美ちゃんや大和のためをおもって……」
「とにかくこれは秘密ってことなんでしょ! 約束位守れるから! とっとと教える!」
風雅は陽美香に頬をつねられながら、この世界のあらましを告げた。
陽美香は興味深げに説明を咀嚼する。
「この世ではない世界。人界、異界、霊界、神界。そして異能の天敵である神殺し。
成程、つまりイサミンとクシヤマは悪魔や魔術師にとって天敵であると同時に重要なお宝なんだ」
「そ、理解が早いね。聡明な女の子だ」
風雅は喉が渇いたのかお茶を啜る。
「じゃあ、話は早いわ。私達で協力して、あの変な薬を売り払ってる奴らを成敗すればいいのね」
「ううん、しゃあねえやるかあ」
風雅も女の子を巻き込むのは思うところがあるが、薬の捜索には乗り気なようで、陽美香と一緒に手を振り上げる。
大和と勇美は目を合わせ、雄大を見た。
「いや、駄目だぞ」
大人で刑事な雄大からは、当然子供たちにストップがかかった。
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