Termination
顔がひしゃげ、舞台袖まで吹き飛ぶ。
そっくりそのまま、自動車の交通事故みたいだ。
それも、トラックと子どもの。
床を叩く音。
未羽は全身を強く打ち、動かない。
「はぁ、はぁ……っく」
対した運動じゃないのに、肩で息をしている。
確かに心を深く覗いての先読みは、負担が大きかったが違う。
自分の中で歯車の叫ぶような軋みを抑えるために、
部品のすみずみまでエネルギーを行き渡らせる。
毒を舐めているような、嫌なものが身体中を巡っていく。
心は揺れない。吐き気もない。
正気を保つためにそうする必要があって、
その為に唇も指先もふるえずに止まっている。
瞳だけが未羽を捉え、情報を脳に送り続けた。
手はどこも曲がってない。
足は元の形のままくっ付いている。
顔は舞台袖にかかっていて良く分からないが、ある。
もう少しで私は、未羽を――殺すところだった。
そしてあと二回くらい同じ攻撃を繰り返せば、
未羽から黒いもやを引き千切れそうだということも。
痺れるような手ごたえが事実として教えてくれた。
「みう……!」
未羽が床に叩きつけられる時。
黒いもやが未羽の背中や頭を守っていたのが、ちらっと覗けた。
そうだ。
そうするしかない。
未羽の身体を守り続けろ。
その一点だけは信頼している。
だから私は、未羽の身体に無茶が出来るのだ。
そうだ。
そうするしかない。
引き剥がす間、うまく役目を果たせ。
さすがに、スカートまではガードしてくれないが。
かわいいスカートはめくれあがっていて、そのかわいい中身が見えている。
さて、どうしよう。
向こうの行動を先読みしながら、このまま遠くから攻撃を加え続けるか。
ただこの方法は、未羽の身体が痛んでいく。
未羽の身体を盾に使われたり、常に最悪のケースが起こり得る。
あとは近づき、《かいぶつ》の手で直接引き剥がすか。
この方法は、細かい操作がいるのと、未羽に夜空で抵抗されたとき、捌きれずに反撃を許してしまう可能性がある。接触して、丸ごと押さえつければもう少し簡単になるかもしれないが。
やっぱり慎重に、ぶっ飛ばし続けてやるのが妥当か。
スカートが気になるな。
舞台にあの姿のままでいられると、ムズムズする。
……上手くいくだろうか。
別に心細くはないが、誰かに無責任でいいから心が軽くなる一言が欲しい。この舞台上で立っているのは私しかいない。どちらにしてもあり得ないか。そんなちょっとした期待を思考から追いやる。
「落ち着け、私」
そう、スカートだ。
直しておかないと気になる。
いま未羽は気にならない状態だとしても。
近付こう。
襟を正して、身だしなみを整え、化け物を取り除き、
未羽からあらゆる乱れを消し去ってやる。
それが手っ取り早い。日常の、あるべき姿に戻すには。
私は、未羽に向かって一歩踏み出して、
後ろに引っ張られるようによろめく。
右手を泳がせてバランスをとり
《ふらつきを止め後ろを確認する》
――そう考える!
「……っと。おお?」
出鼻を挫かれるように、自分がよろめく未来が見えた。
先に構えて、体勢を取り直しておく。
特に重さは感じていないが、《かいぶつ》とともにいる身体と精神のバランスが合わないのかもしれない。急に……そうだな。手や足が勝手に生えてきたみたいな感じ?
知らないけどさ。
自分と周囲を深く覗いた時、その未来は変えられる。
小石につまずく未来があるとして、その石を取り除いたり、立ち止まったり、歩く向きを変えたり蹴っ飛ばしたりする。それだけで転ぶことを回避できる。違う未来を選択できる。
すぐ目の前に迫る『最悪』を見つけ、事前に準備さえすれば……
そこにたどり着くことはない。
きっと私が未羽に近づこうとするのも、
他の選択には『最悪』が存在して、それに出会わないための行動なのだ。
最善とは言えなくても。
そこからまた考えればいい。
少なくとも、最低で最悪な状況じゃないってことなんだからさ。
「……っと。おお?」
私は、未羽に向かって一歩踏み出して、
後ろに引っ張られるようによろめく。
出鼻を挫かれるかたちだけど、そんなことより。
――小石はまだ取り除けていない。
自分の体勢や心構えが原因じゃない。
なら、いったい何が?
先読みした通り、右手が引っ張られる。
私はバランスをとるようにして
《ふらつきを止め後ろを確認する》
「か、かいぶつの、足並みが揃っていないのが、キミと……私の幸運だ」
「みう……!」
* *
繋がっている《かいぶつ》に意識を向ける。
右腕に、ふたすじのもやがまとわりついて、その先は床に貼り付いている。
さっきの夜空のどれかを、攻撃の為じゃなくここで私を止めるために使ったってこと?
ええ? でも無駄じゃない?
時間稼ぎにもならない。こんなの、簡単に外せるし……
「キミのお仲間の願いが、部品が。浅いところで食い止めていたおかげだ。今ならまだ引き千切れるぞ!」
直後、身体が揺れて大きく前に引っ張られた。
とっさに力を振り絞る。
足で踏ん張りもう一度意識を向け、じっと目を凝らして見た。
糸が伸びている。黒い糸が何本も。
ピアノ線てか蜘蛛の糸みたいな、注意しないと近く出来ない細さだ。
糸がびっしりと。《かいぶつ》の腕から全身にかけて針でも刺していくみたいにぷつぷつと広がっていく。それは未羽の手繰る、黒い塊に繋がっていて、ぱりぱり、薄皮をむくように私と部品たちは剥離し始める。
私と言う土台に留まっていた《かいぶつ》が、魂から別れていく。
「なんで近づいたの? そうしなけりゃ、気づかれずすんなり終わったのに」
「言いたくないな。それにもう終わったことだし」
「そう? ……まァ確かに終わったことか」
スカートの乱れを片手で払い、未羽はすでに私に興味を無くしている。
鉄板焼きの汚れをヘラでこそぎ取るみたいな、機械的な作業。
客がはけた後の、ただの片付け。
抵抗はできる。
綱引きのように食い止めようとすることは出来る。
でも意味が無い。綱から手を離していないだけだ。力自慢の《かいぶつ》も、バランスが崩れに崩れ寝っ転がってるような状態。
もう大分剥がれていて、力が十分に伝わらない。
「まだ、待って。まだ……!」
「精神によけい傷がつくだけだ。さっさと意志を手放せ」
まだだ。
わ、分かってきた。
悲劇からの一転。Happily ever afterの筋書きを。
それに……勝手に完結させるなよ。
終わってしまった話じゃない。
私の中では!
「日野陽菜? キミは、まさか……!?」
《かいぶつ》と私は、浅くしか繋がっていなかった。
誰かがそうしてくれたからだ。私の良く知っている誰かが。
私が日野陽菜として意思を持ち続けることが出来た。
それには本当に感謝してる。
土台がぐらついてて、不安定で。繋がりが弱くて、剥がれそうで。
この魂と《かいぶつ》が、別れかけているのなら。
私が歓迎してやればいい。
ドアを開けられないようにしてる私の全てを取っ払い、
固く握りしめていたドアノブから手を離し、どうぞと招き入れて、好きにくつろいでと、全ての部品に言ってあげればいい! そしてそれは、向こうも待っていたようで、《あっという間に押し寄せてくる》
「クソばかッ! 違う! 止めろ、その混ざり方わかってんのか!?」
「思った、よりも……」
想像したよりも、ちょっと拒絶感がヤバい。
自分からとなるとアレだ。
なんだろう。
とても良くないものに、無理矢理されてるのを耐えるより。
はるかに汚らわしい気持ちになる。
受け入れたって、わかったって。
私には不快な異物のままなんだしさ。
「主役から端役へ……おいやられて。はっきりした思いも持てず。その身体が考え、動いていくのを……何も出来ないで眺め続けるんだぞ……そんなの死んだ方がマシだばかッ!」
なんだそれ酷いな。
改めて言われるととんでもない。
でも、そうかな。
そう悪くは無いんじゃない?
チャンスって言い換えてもいい。
だってこの『かいぶつだらけの綱引き合戦』に勝てればさ、
未羽が戻ってこれるんだよ?
《キミはまともじゃない! 考えろ! 今ならまだ戻せるッ!》
覗いてもいないのに、勝手に思考が入ってくる。
ああ、かいぶつ経由で向こうとも繋がってるからか。
……好き放題だなマジで。
まともじゃない。
確かにそうだ。
でも理屈や常識が崩れ去った後だからこそ、出来ることもある。
未羽もつぐみも、たか子さんも。
紙谷さんも松木さんも。……たぶん七瀬あやねさんも。
日常を壊されて、自分をどんどん切り崩すしかなくて。
まともではいられずに、それでも選ぼうとしたんだよ?
あとに残るのは……最後にあるものは。
自分の願いだけだ。
《私は未羽を助けたい》
それだけしか無いのなら。
叶えるために、なんだってやってやる。
少なくとも、最低で最悪な状況じゃない。
私は日野陽菜の隅っこ、心のほんの一部分に居座る。
たちの悪い観客として。
《かいぶつ》の好きにはさせない。口は出せないかもしれないけど、
あんまり大変なことしないように睨み続けてやる。
それはきっとできる。
ほら、やっぱりそれは最悪じゃないんだよ。
だってもう私は人間じゃないんだから。
日常には戻れないんだからさ。
私はまともじゃない。
まともじゃない日野陽菜が、明日この舞台で主役を演じるのだとしたら。
まあ別に、誰が私を動かしても……
いや、いいわけないけど他に方法がないからなぁ。
「私は、みうを助ける!」
ふわっとした気持ちに縁が入り、強く心に灯る。
意志って、ここまで揺るぎなく持てるものなんだな。私でも。
誰かのために、動いていける。
よく知ってる人たちと同じように!
絶対に何ものにも左右されない決意が胸にある。
これさえ砕けなければ、誰が私を動かしたって……
日野陽菜だと思ってくれていいよ。
力を込める。込めるだけ入っていく。
部品が、魂が、心が、激しく燃焼しながら混ざって固まり始める。
感情はすでに冷えていた。
「まずはこれ、引き千切らなくちゃ……そうでしょ? みう」




