Mißgestalt
『……』
何かいる。
何かが、《かいぶつ》の前に立って、私の味方をしてくれている。
遠くなっていく心に、願いに。手が届くように。
私を良く知っている人が。
……力を貸してくれているのが分かる。
誰かが背中を叩き、励ましてくれている。その小さな手で。
誰かが檄を飛ばし、気持ちを奮い立たせてくれる。
誰かが頭を乱暴に撫で、やりたいようにやれと言っている気がする。
誰かがおどけた演技で、緊張をほぐそうとしている。
誰かが、身振り手振りのコミカルな動きで、拳を前に突き出している。
見えないけど、心を覗いた時と同じ……
みんなのその風景がありありと浮かぶ。
確かに、そこにいる!
私は前を向く。
未羽が口端を歪め、引きつった笑顔で応えた。
「みう」
「ああ。うん。やっぱりこうなるよなァ……」
舞台照明が影を伸ばしていくように、私の意識がドロドロと広がる。
《かいぶつ》の部品、精神を使えば、まだまだ広げていける余裕がある。
松木さんは気絶している。……夢を見ているのか、穏やかな心の動きだ。
そっちを見なくても分かる。良かった。それで充分。
続けて、未羽へと心を繋げた。
あの時は顔が破裂したようにしか見えなかったけど……
無事だ。黒いもやが顔に纏わりついているだけだ。
未羽に憑りついている部分を剥がすことが出来れば、
あいつは消えて無くなるし、未羽の身体も守れる。
あとは、何か……
私と繋がっている《かいぶつ》のパーツを、
どうにかして上手により分けることが出来るなら。
時間はかかるかもだけど、みんなの精神を戻すことも不可能じゃない。
そうか。
ならほんの少しだけ希望が見えてきた。
Happily ever after で終われるとっかかりが。
舞台上、私しか出来ない役も。
でも、それには強い気持ちがいる。
あらゆる障害を跳ね除けていく、タフな精神が。
自分を失いかけているこの心で、出来るだろうか?
正直に告白すれば、すぐ横にいるつぐみのように寝っ転がっていたい。
やらなきゃダメなの? なんで?
別に自分が立ち向かわなくたっていいじゃん。
誰かがやってよ。私は嫌だ。
本当に嫌なんだ。
「聞こえてる? みう? 今助ける。……たぶん痛いよ? あとで謝るから」
とんっ、と靴を一度踏み鳴らし、
奮い立たせるセリフを吐いて、
目標へと指差をして、決意を胸に満たす。
ところどころに穴が開いていて、すぐにこぼれていくが構わない。
私は未羽が困っているのを見て、放っておいたことはない。
親友の私が助けないでいるのはゴメンだ。
それを、例えいま舞台上にいる全ての人と部品たちが、
『しなくていい』って許したって。
それを私は我慢できない。
やるしかないんだ。
ぴたりと同じポーズを取る、この《かいぶつ》と共に!
右手を胸の前で握りしめて構える。
背後の《かいぶつ》も、そのように動いている。
私のよく知っている部品も、よく知らない部品も。
先に行く者が動けば、そのようにただ動くだけだ。
魚群が形を保とうとするように。
渡り鳥の先頭に他が従うように。
今は私が一番前だ。
私が《みんな》を動かせる。
「《怪物退治》までさせてくれるのか? 胸が震えるよ。本当に最悪の気分になり始めてる。でも……やるしかないんだ」
夜空が濃くなった。
スモークを焚くように、未羽の中で部品が燃焼している。
いくつかに分かれながら、こちらの様子を伺いながら。
じわじわと広がり続ける。
《星々の記憶にもない体験とは……ああ、気が進めばもっと良かったんだが》
どっちが先に、互いの持つ部品をぶつけられるか。
結局のところそれで勝負は決まってしまう。
大きさはともかく、未羽の方が速くて鋭いのは分かる。
私一人の、ボロボロになった心じゃとても叶えられない。
出来っこない。それも分かる。
舞台が一人では立ち行かないように、無理なものは無理だ。
《それでもきっと、上手くいく》
よく知っている人たちと、よく知らない人たちが、魂と繋がっている。
かいぶつなんて呼び方も違う気がする。
ただの精神。願いの欠片。部品の集まりなんだから。
その部品が、私の中を駆け巡り、使えそうな残骸を探し続けている。
かき集められた私を燃やし、燃やして前に向かうエネルギーを作る。
一人なら出来ない。けど私は一人じゃない。
人なら出来ない。でももう私は――
「みうの身体から、出て行ってもらうよ! ばけもの」
「引き剥がしてやる。かいぶつ!」
それきり、舞台から音が消えた。
ベルが鳴ったあと開幕を意識して、
観客と役者全員が息をのむ、期待と緊張が集まる瞬間のような。
始まれば、全てが準備した通りに動く。
その直前まで調整した歯車が、ただ回転し始める。
いつものように。役者は自身に刻まれたセリフと動きに。
……いま在る全てを込めるだけだ。
* *
お互いに意識を広げ合う。
影が濃く揺らめき、水飴が絡みつくみたいなイメージ。
視線の移動。指先の動き。引き金へと力を込めるタイミングを探る。
未羽は手に収めていた日記をゆっくりと離した。
日記は床へ、ページを開げて落ちていく。
《しるし》を使った邪魔や小細工には頼らないらしい。
お互いに触れれば檻の中へ戻される危険があるし、
そんなことしなくても、向こうは私たちに触れて捕まえられる。
未羽には揺るぎない確信があるようだ。
日記に一瞬気を取られた私は、
まっすぐ向かってくる夜空をギリギリで躱し、
ほぼ同時で死角から伸びてきたもう一つの夜空に……
《肩から胸まで切り裂かれる》
――そう考えてる!
「うわっと!」
日記に一瞬目を向けた後、まっすぐ向かってくる夜空をギリギリで躱し、
ほぼ同時で舞台横から伸びてきたもう一つの夜空を……上半身を大きく反らせて避けた。
あ、危なかった。
遅延のずれというか、時間のすきまが思ったより短い。
でも、やっぱり事前に行動が覗ける。
相手が未羽だからか、今まで以上に心を深く読める感覚がある。
松木さんもそうだったのかもしれない。
行動も精神構造もだいだい掴める。
心を掴めれば、潰せる。
あとは力を込めるだけだ。
「先読みまで……松木アキラ。キミに最初から最後までしてやられたな」
未羽は私の方を、正確には私のそばにいる誰かを眺めて呟き、
再びこちらを睨みつけて夜空を飛ばす。
目を凝らしてみれば、
次に動く気持ちも、キッカケも掴める。
私と繋がっている部品を膨大に削りながらだが、
未羽の行動、その先読みが出来る。
ステップを踏み、左右から流れる攻撃を避けた。
ふたすじの軌道が自分の後ろで交差して落ちる。
――鼻歌交じりとはならないけど。
もう少し慣れれば舞台の殺陣くらいのつもりで臨めそうだ。
「ああ、その繋がり。不公平だなァ!」
未羽は諦めて投げ出したように、
ただ夜空を前へと突き伸ばした。
今度は私じゃなくて、かいぶつへ……部品狙い!
夜空で縛り付けるつもりだ。
すぐに気持ちを伝達する。
魂から、繋がりを通して命令する。
《タッチを避けて! 前へ!》
私も合わせて一歩前に踏み出す。
耳もとを音もなく通り過ぎるのがはっきりと分かった。
右手を握りしめる。
この勢いのまま《かいぶつ》を丸ごと、
未羽ごと、黒いかたまり目掛けて、
思いっきり、ぶつける。
とっさに未羽が両手で顔をかばう素振りをみせる。
でも構わない。関係なくぶち破れる。
あれ。
一瞬、右腕に違和感と抵抗が。
ほんのいくつかのパーツが、私の邪魔をしている。
かいぶつと私とで反発する部分があり、噛み合っていない。
おいおい。先頭に逆らうなよ。
もう私がこの身体の主役なんだから。
それともあれか?
足りないってことか? もっと溜めを、反動をつけろってか。
未羽の手が黒いもやに包まれていく。
いつかの公演前、緊張してた私たちに、おどけた演技でおまじないを見せてくれた手。
今は泥のような夜空がまとわりついている。
これ以上は待てないな。
ああ、くそ。
限界だ。
潰す。
「えい」
「グヘッ……!」
潰れた声。
膨大な力と力の交錯。
直接触れてはいないが、激突した感覚が確かにあった。




