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人をのむ呪い  作者: あむろ さく
最終幕 『第九番目のキセキ』
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Stargazer

 



「マツキさん。あたしはこっちですよ?」

「……」


 松木さんは私たちをぼんやりと眺めていたが、

 未羽の声の方を……正確には未羽の中にいる《かいぶつ》に向いた。

 心には波一つ立たず、揺れない。

 ただ骨と関節を絞るみたいな、ナイフを握りしめる音が聞こえた。


「最後にちょっとだけ話したかったんですが……どのみち無理ですよね。もうキミは、それしか役割を持てない。私を殺そうとするしか出来ないんだから」

「……」

「檻の中の茶番。私は上手く騙されたが……初見であればこそだ。それとも、もう一度やってみるか? 今度は、この夜空を幾つか掻い潜る曲芸付きでさ」


 未羽の首筋から、後ろ髪が流れるように黒いもやがうねった。

 ヘビを巻きつけて笑顔でポーズを取る番組の企画。一瞬そんな場違いな考えがよぎる。

 それくらい滑らかに黒い顔から夜空が這っていって、松木さんへと鎌首をもたげていた。


 私は、誰よりも遅く気づいて、今ようやく納得しだした。

 松木さんはこの差し迫った場面で、何も考えていない。

 もしかしたら、何も考えられないのかもしれない。

 人格が壊れたのか、言葉……あるいは感情の根幹から失ったのか、

 どちらにしても。


 ――松木さんらしさはもうどこにもない。


 あの軽口も。優し気な顔も。辛さを少しも滲ませない表情も。

 気を利かせてるのかどうかよく分からない彼なりのごまかしも。

 もう聞けないし見ることはできないんだ。

 それがどういうことかを、考え始めている。


 私の身体から影が噴き出し、束になりのたうち回る。

 紙谷さんに勢いよくぶつかる軌道だったが、その腕で弾き落とした。

 腕に刻まれた《しるし》が、えぐれた傷口から血をのみ干しながら爛々と輝いている。 


「頼むから感情を動かすなよ……一気に崩れる」

「だめそう、です……! 身体が、ふくれて」

「ようやく理解が追い付てきた。みんなそこにいる、そこまで考えてこれを……ハハッ。かなうワケがないな。あれは俺たちだ。自分や仲間を敵にしようがない。最初から決まってたのかよ!」


 紙谷さんから、精神の輝きがこぼれる。

 私を捕らえる空間の揺らぎが輪郭を無くし、消えた。

 それすらもかき集めて、魂を込める。

 言葉通り、紙谷さんは呪いにその精神を捧げている。


「止めてください、紙谷さん! それ以上精神を削ったら! ……七瀬あやねさんみたいに、死んじゃいます!」

「いいか。あとはアキラをの行動を待て。そこからは自分の意志で動くんだ……心のまま。贅沢は言ってられねえ。全てが消えるか。そうじゃないかだ!」

 《お前もそうだったろ! あやね!》


 セリフとともに腕を振るい、浮かび上がったしるしへと手を握りしめた。

 同時に視線を、意識を、対象に向かって投げつける。

 当たり前だけど、目に映らないものをみることは出来ない。

 なんとなく、という頼りない表現になってしまうが、

 私には見えた。

 人をのむ呪いの放たれた、向かう先。


 小さな輝きは、私の首筋をかすめて、背中の何かに吸い込まれていく。


 それに連動するかのように紙谷さんがよろけた。一度、踏みとどまった足から力が抜け――崩れ落ちるように倒れる。そのまま前のめりになって舞台に転がった。力の入っている部分は、握りしめた右手くらいで、それもすぐに消えていった。

 痛みも、押さえつけるような力も、今は感じない。ただ背中に大穴が空いているような……虫の羽化した跡みたいな裂け目が在る気がする。


「キミたちの縁も……ようやく断ち切りだ。《星渡り》に連なる者どもよ」


 だんっ!

 舞台の床を踏み鳴らす音。

 紙谷さんじゃない。

 《かいぶつ》が息をはき、真剣な表情を松木さんに向けた。


「《星渡り》は、みんな最後には狂人となり私たちを滅ぼしに来る、か。 繰り返されるネタの天丼にはうんざりだが、果たしてキミは……砂時計の。こびりついた砂つぶで。茶番になり得るのかな?」

「……」


 松木さんからの返事はない。

 何もない空間を抱きしめるみたいに、あるいは私を守ってくれるみたいに。

 両手を広げて立っている。


 やがて曇り一つないナイフが、未羽の方にゆっくりと伸ばされた。

 ぶっそうな形で、松木さんには少しも似合わないよ。

 その背中を、見送ることしかできない。


 私は顔をしかめる。相変わらず涙も出なかった。


 《かいぶつは…殺してやる……今度こそ……》

「やってみろ。松木アキラ。役者が役割を演じきり、舞台上で死の花道へと向かう。ああ、なんともいい人生じゃないか! いいなァ……ずるい」


 松木さんの踏み出した一歩を、未羽は羨望と愉悦の笑みで応じた。

 無造作に、ただ進み、届く距離になればナイフを持った腕を振るう。それに対し間合いを図るように夜空は蠢き、あと数歩のうちのどこかで迎え撃つ気だ。


 ああ、まさか。

 でも、どうして。


 彼の感情を。未だ燃え立つ熱を。私は読み取った。

 松木さんらしさが、確かに残っているのを感じた。


 《今度こそ……俺は》

「なんだ。それは? ……それがお前に残された願いか? 優越感、自己陶酔……お前は、そんな類の感情は壊れているんだぞ。やめろ……くだらない。最後まで純粋に徹底してさァ、私を殺す気で来いよ」


 未羽の顔が歪んだ。今までの意図的な変化じゃない。

 戸惑いから不安定に揺らいでいる。

 松木さんはそれを気にする素振りもなく、のろい動作を止めずに前に来る。


「お前を殺して! 私は、私を叶えるッ!」

「……」


 未羽は再びにやけた笑みを張り付けて、叫ぶ。

 肩口から夜空が弧を描き、松木さんの顔か首辺りを横なぎにした。

 はっきり表現出来なかったのは目を背けたからじゃない。

 松木さんは身体を沈ませて、そのまま未羽へと突っ込んでいったからだ。 


「な、お前ッ!?」


 苦し紛れの直線ひとつ。さっきの返しが左からひとつ。と、

 これも、軸をずらし流れるように躱す。

 躱したというよりも、まるで――


「先読み……! 私の心を! そこまで覗くために、他は捨てたのかッ!」

 《檻の時から今まで、これだけを残し……この場面のためだけに!》


 つま先を狙った横払いがふたつ。戻しは無い。

 舞台床から足を踏み出したわずかな隙間を、夜空がすり抜けていく。

 ――綿密に打ち合わせたみたいに、お互い約束した通りの殺陣。

 そう錯覚するくらい、なめらかな動き。

 未羽は迫りくるナイフから少しでも距離を置こうとした。その歩幅を写し取るように、松木さんはぴったりと足を合わせたまま接近していく。


 《あといくつ読める!? 二つか、三つか……! 断ち切ったつもりでいた自分を呪ってやりたい! ここまでのセリフ、動き……全員、布石が! 繋がってやがる!》


 少ししてからど真ん中にひとつ。と

 それは松木さんの脇腹をかすめ、血がにじむ。

 身をよじる動作からそのまま滑るようにナイフを振りかざし――未羽の胸へと振り下ろした。

 未羽の白い鎖骨に沿って、浅く赤い線が引かれる。

 避けきれず態勢を崩した未羽の頭上に、ぴたりとナイフが狙いを定める。


 《首を捉えられた。すぐ後にキミの首も飛ぶ。どちらも助からない相打ち。だが……痛み分けじゃない。私は叶えられず、キミの願いは叶う。ああ、くそ。まったくふざけた結末じゃないか、ええ?》


 未羽は笑った。わざとらしいにやけたその顔は、苦し紛れの一方で、受け入れるようにも映った。松木さんは躊躇わず覆いかぶさるような勢いで、ナイフを突き立てにかかる。

 未羽の首に、いま付けた傷に、まっすぐ向かい。

 松木さんが未羽を――


『「ダメっ!」』


 私は叫び手を伸ばした。

 それと同時に、黒い大きな塊が横から松木さんにぶつかり、

 舞台奥行きまで跳ね飛ばした。




 *  *




『「ダメっ!」』




 瞬間、黒い大きな塊が松木さんにぶつかり、舞台奥行きまで跳ね飛ばした。

 持っていたナイフが宙を舞い、何度か転がって止まった松木さんはうつ伏せのまま身じろぎもしない。

 舞台から観客席、大きく弧を描いていたその黒い軌道は、もう消えている。


 《かいぶつ》が、松木さんを横から邪魔をした。

 思いがけず、私の声と同調した形だ。

 お互いに傷付けて、……死んじゃうのは、見たくなかった。

 ほとんどの部品を取りこぼし、自分や他人の痛みを感じなくたって。

 もう私が、松木さんや未羽に対する、大切な気持ちを思い出せなくても。


「……え?」


 松木さんのところに駆け寄ろうとして、反射的に観客席の方を向いた。

 舞台のワンシーン。

 端役の私のセリフや動き。

 観客すべてが注目する時、見ていなくても分かる。

 視線に質量があるわけじゃない。膨大な意識や気配が一点に集まると、人は誰でもそれを肌で感じ取ることができる。機会はそう多くないけど、経験で知っている。


 観客席には誰もいない。


 おかしいな。

 大雑把に百人以上は居なきゃ私は気づきもしない、はずだ。

 それか、よっぽど強い視線。憎しみや、怒り……なら説明はつくけど。


 未羽を見た。

 私の方をにやけた顔で眺めていて、激しい感情はないように思える。

 大きな《かいぶつ》もいな。動きを封じていた背中の違和感もない。


 松木さんは横たわったままだ。

 いま他には、私を見る人はいない。

 それでもかすかに感じる弱々しい視線に、私は後ろへ振り返った。







 ぱき。ぱき。パキッ。

 ぱき。ぱき。パキパキ。







 それは目だった。

 たくさんの目が私を見ている。

 生きた観客とは違う、市場に積まれた魚が顔だけを向けているように。 

 たくさんの手が私を掴む。

 服の裾を摘まむみたいに小さく、子どもがどうしようって迷うように。

 松木さんのナイフが、手慰みにくしゃりと握り絞められ、飴細工みたいに砕けた。

 その音と、私の中の歯車が割れていく音が、かちりかちりと繋がる。


 続いて口が、耳が、鼻が。

 私の背中にざらざらと弾けて溶け合いながら、びっしりと群がっている。

 その先、炭のような色が移って、粘り気のある煙が空中へと広がっていた。


 寒気も吐き気も感じない。

 未羽と同じ、いつかと同じ。

 《かいぶつ》が胸に、心に。……私の魂のようなところに。

 繋がって一つになっているのに!


「な、んで……」

「台本は作ったのにな」


 未羽がため息をつくふりをする。

 まとわりついた黒いもやが、なびくような動きさえ感じ取れる演技。

 その下の首。切られた傷は思ったより深く、まだじくじくと出血している。


「それを破りやがって。よりによってひなか……カラダが欲しいなら、いくらでも用意するのに」

「あ、あ……」


 《かいぶつ》が、私の中に入ってくる。

 欠けた部品の隙間からぎこちなく、少しずつ確かめるように。

 両手をうなじに伸ばし、抵抗しようとしたが、触れることが出来ない。

 数回空中を掴み、諦めた。

 だらりと手が下がり、力が抜ける。

 ダメだ。違う。

 この表現は合ってない。正確に言うなら――


 《かいぶつ》が、私の手を下げて力を抜いたんだ。


「ア、ア……」


 喉の奥から漏れるうめきが、自分の物とは思えない。

 だって私は、声を出そうとしていないんだから。

 がちがちと歯が鳴る。

 身体と首を自分の意志で捻じ曲げ、肩越しに《かいぶつ》を見据えた。

 透明な糸が、いつの間にか首に巻き付いているような息苦しさがある。

 確かにある。違和感そのものが首すじを舐めていく感触。


 背中から生えた黒いうすっぺらで、私と《かいぶつ》は繋がっている。

 まるで人形劇の、糸の人形だ。


 う、動けない。

 さっきみたいな、誰かに押さえつけられている感じじゃない。

 部品が外れていって、感覚がなくなっていくのとも、違う。

 自分で自分を動かすには? その繋がりが、今組み替えられている。

 私の意志は、ここにあるのに!


 たくさんの目が下手を打った芝居を観る、疑問を帯びた視線に変わる。

 微かな悪意がにじみ出て、ぽたぽたと点滴みたいに心へしみ込んで来た。

 それは、良くない意味での、次を待っている。

 次の行動、あるいは失敗を。


「だが、忘れてないか? キミのパーツ。ひなと繋げ合わせるのは、果たして満場一致の願いと言えるかい? どっちに転んでも私が帳尻を合わせる役回りだ」

「……?」


 何とも言えない息苦しさはまだある。

 違和感も、馴染まずに残ってる。


 人の部品、精神の欠片はそれぞれが願いを持っていて、

 まだ叶っていない夢が、部品の燃料になっているみたいだ。

 でも、動かなくなった。

 これ以上深くは入ってこない。


『……』


 何かいる。

 何かが、私の前に。




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